第19話 「聞こえちゃうよ?」

 しおらしくなった早霧にご褒美をねだられた。

 それだけで可愛い幼馴染のお願いを俺が無条件で聞いてしまい甘やかしてしまうのは昔の思い出があるからか、それとも……。

 何故か喉と口が渇いているように思えた。これはきっと、七月の暑さのせいじゃなかった。


『それで八雲ちゃんが急に赤堀のネクタイを引っ張って教室を出て行ってさ!』

『そ、それでそれでっ!?』


 扉越しに楽しく話しているユズル会長と大男長谷川の笑い声が聞こえる。

 特別教室が多い学園棟の校舎奥にある薄暗い廊下は、放課後になると人通りがほとんど皆無だ。故に二人の声が外にいても良く聞こえてしまう。

 逆もまた、しかりだ。


「私達のこと話してるね」

「そ、そうだな……」


 だから、どうしても小声になる。

 部室の扉のすぐ隣に、俺と早霧はいた。

 俺の腕には缶ジュースが二つにペットボトルが一つ、紙パックの牛乳が一つの合計四つの飲み物が抱えられている。落とさないように、両腕で。

 その状態で俺は壁に背を預けている。

 目の前には長い白髪に淡い色の瞳をした学園一の美少女が立ち塞がっていて……。


『そりゃもう色々な噂が広がったよ! 二人はやっぱり付き合ってるんじゃないかとか、人には言えない主従関係なんじゃないか、とかさ! まあ、八雲ちゃんがただの親友だって否定してたけど……』

『わ、ワタシがいない間にそんな凄い事が……っ! じぶけんにもついに春が来たんじゃあないかなっ!?』


 そんな極限状態でも扉からは楽しそうに語り合っている仲が良いじぶけんメンバー二人の声が続いていた。

 俺がきっとその場にいたら、今は夏だ、とか言っていたと思う。


「今は夏だとか思ってる?」

「…………」


 嘘だろ?

 俺の幼馴染は心が読めるらしい。


「親友だもん。顔、見たら分かるよ」


 早霧は小声で微笑んだ。

 ほとんど触れているに等しい至近距離。間近で見るその笑顔に俺の顔が熱くなるのを感じた。

 壁に追い込まれているので逃げ場は無く、両手も塞がっている。

 つまり、されるがままという状態で。


「……うん。親友、だもんね?」


 そして、ご褒美が始まった。


「んっ」


 ネクタイを引っ張られて、唇が重なる。

 今日、四回目のキス。

 瑞々しいその柔らかさに、俺の中にあった渇きが潤っていく。


「……もうちょっとかがんでよ」

「り、両手にジュースを持たせておいてそれは」

「んぅ」

「んっ!?」


 五回目。

 無理やり俺の口が塞がれる。

 半開きだった口を包み込むような、吐息が混ざり合う熱いキス。

 唇が唇に玩ばれている未知の経験に、脳がとろけていくようだった。


『それにしても二人とも遅くないか? ま、まあ俺は久しぶりにユズルちゃんと話せて楽しいから、良いけど……』

『アハハっ! ゴウは相変わらずお世辞が上手いねっ!」


 しかし聞こえてくる二人の声で現実に引き戻され、込み上げてくるのは背徳感だ。

 俺と早霧は二人を待たせながら、扉の前で隠れてキスをしている。

 どう考えても……親友だからでは済まされない事をしている。

 そう。その自覚だけはあった。


「……はぅ……親友……」

 

 目の前にある淡い色の瞳がトロンとしている。夢中になって止められないのは、彼女も同じだった。

 これはご褒美。そんな泥舟の体裁だけに頼って、俺は親友にキスをされている。


「……もう一回」


 六回目のキス。

 そろそろ止めた方が良いのは分かっている。分かってはいた。だけど唇から伝わる快楽と幸福に思考が犯され……今は両腕が塞がっているから無理だとか、意味の無い言い訳だけが思いつくんだ。


「さ、さぎり……」


 それでもギリギリ踏みとどまった理性が働き、唇が離れた瞬間に弱々しく幼馴染の名を呼ぶ事に成功する。でも、呼べただけだ。

 俺の親友は一瞬だけキョトンと目を丸くしたが、すぐにニィっと笑みをこぼして。


「しーっ……」


 唇の前で人差し指を立ててから。


「聞こえちゃうよ?」


 七度目の、キスをした。

 まだジュースを飲んでいないのに、甘い甘いキスだった。


「……あと、一回だけだから」


 今日話す時間が少なかったから、それを埋めるようにキスをする。

 誰かに見られるかもしれないのに、誰かに見られる可能性が少ないから、止められない。

 親友だからと続いている秘密のキスは、抜け出せそうにない中毒性を秘めていて。


 俺と早霧が部室に戻る頃には、抱えていたジュースはすっかりぬるくなってしまっていた。

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