第13話 「ほら、帰ろ?」

「長谷川、お前を男と見込んで頼みがある」

「え、やだ……」


 放課後の教室で、俺の真剣な願いはたった一言によって無かったものにされた。


「頼むこの通り! その大きな身体と心を持っているお前だけが頼りなんだ!」

「だから嫌なんだよ! つーか身体は関係ないだろ!」

「ならその寛大な心でどうか! 一生の願いだ!」

「お前の一生の願いこんな場所で使って良いの!?」

「俺じゃ……俺じゃあ早霧に勝てないんだ! だからお前の力を借りたい!」

「そんな事だろうと思ったよ! お前アレか? ゆずるちゃんがいない俺に対する当てつけか!?」

「俺は真剣なんだっ!!」

「なおさらタチ悪いわっ!!」


 男二人だけの議論はどこまでも平行線だった。男の中の男、大男長谷川は片肘をついて溜め息を吐く。


「あのなぁ、そもそも土俵が違うって考えろよな。他の男共は学園一の美少女な八雲ちゃんと付き合いたくて躍起になってるのに、お前はそうじゃなくて勝ちたいって言ってんの。幼馴染同士で何の勝負してるか知らないけどさ、勝ちたいならさっさと付き合えよ。はいこの話、終わり」

「なんだかんだ言って真剣に話を聞いてくれる。長谷川、お前やっぱり良い奴だな」

「なあ、俺の話聞いてた?」

「聞いた上でどうしようもないからお前を褒めた」

「馬鹿正直すぎて俺の方が返事に困るんだけど」


 飽きれた様子で長谷川は頭を掻いた。めんどくさそうにしながらも親身になって悩んでくれる男の鏡だ。まあ、体格と名前を気にしている本人に言うと怒るんだが。


「とりあえず赤堀。お前がやる事は俺と話すんじゃなくて、八雲ちゃんを迎えに保健室に行く事だと思うんだ」

「早霧からメッセージが届いてな、着替えて職員室に寄るから教室でそのまま待ってて、との事だ」

「ああ、うんうん。もう負けてんじゃねぇか。いや立場的には大勝利だよお前」

「これで勝てたら苦労はしていない……」

「俺の言ってる事、何も伝わってないってのは分かった」


 また長谷川は溜め息を吐いた。俺と同じで苦労が耐えない男である。


「んー、なら明日ゆずるちゃんに聞いてみ? 女の子の事を聞くなら女の子だろ」

「長谷川……お前、天才か?」

「ふふ、もっと褒めろ。ただしゆずるちゃんに手を出したら殺す……」

「人を殺しかねない睨みを友人にするものじゃないぞ、長谷川」


 口は笑ってるのに目が笑っていないとは正にこの事だった。

 俺が長谷川からいわれもない殺気を向けられていると、教室の扉を開く音がして。


「蓮司ー、お待たせー。あ、長谷川くんもやほやほー」


 噂の中心人物、早霧が入ってきた。

 その制服は朝の冬使用とは変わっていて、長袖のワイシャツは肘まで捲くられボタンも二つ開いており、ブレザーやマフラーは脱いでいた。

 ロングスカートはどうしようもなかったらしくそのままだが黒のタイツは無く白い足をチラリと覗かせていた。

 その肩にかけるスクールバッグがパンパンなのは中に冬服を無理やり詰め込んでいるからだろう。

 雑に入れるとシワになるぞ。


「早霧、もう大丈夫なのか?」

「もち。午後は全部保健室でサボってたからね」

「八雲ちゃん来たって事はもう帰るんだろ?」

「もちもち。帰ってシャワー浴びたいし。長谷川くんは帰らないの?」


 何で俺に聞かれた質問をお前が答えるんだ、早霧。


「俺は明日ゆずるちゃんが帰ってきた時の事を考えてるから二人で先に帰りなよ」

「早くゆずるんに会いたいよねー」

「また四人でじぶけんしたいぜ……」


 夏風邪で休んでいるクラスメイトに想いを寄せる二人だった。まあ俺もそうなのだが、この二人には負けるから静観しておく。


「じゃあ長谷川くん、またねー」

「じゃあな長谷川、おかげで助かった」

「おーう、幼馴染らしく仲良く帰れよー」


 長谷川に余計な一言を貰いながら俺と早霧は教室を後にした。

 夏休みが近いからか、放課後の学校は静かで、特に廊下にはもう誰もいなかった。外からは部活に励む生徒の掛け声が遠巻きに聞こえてくる程度。

 そんな廊下を、早霧と俺は並んで歩いている。


「長谷川くんとなに話してたの?」

「ん、まあ、男同士の相談……みたいなものだ」


 いきなり確信に迫ることをノータイムでぶつけられた。当然、答えられない。

 なんとかして俺は早霧に勝ちたいと思っているだなんて。


「ふーん……男同士の……」


 意味深に呟く幼馴染からなるべく視線を逸らしながら歩いていく。間が怖い。早く下駄箱に到着しないだろうか。


「それって、親友にも言えない事?」

「…………お、男同士、だからな」


 俺を見上げてくる早霧の視線を言葉に、一瞬言葉が詰まった。


「ふーん……?」


 一、二、三回と、小さく頷いてから。


「ねえ、親友」

「んなっ!?」


 ネクタイを、引っ張られて。


「――んぅっ」


 学校の廊下で、キスをされた。


「……悪い口」


 遠くからはずっと、生徒達の掛け声や喧騒が聞こえている。

 その世界から切り離されたように、俺には早霧の不敵な笑顔しか見えなかった。


「ほら、帰ろ?」


 そこから、パアッといつもの明るい笑顔に戻った幼馴染がネクタイじゃなくて俺の手を掴んで歩いていく。


「……お、お前こんな場所で!?」

「だって蓮司が悪いんだもーん!」


 そしてすぐに、いつも通りの、他愛のないやり取りが行なわれるんだ。

 分からない、親友とは何か、分からない。


 ただ分かるのは。

 親友とはキスをして良い事と、俺はまだまだ早霧には勝てないという事だった。


「ねえ親友。明日もキス、しよっか?」

「い、言わなくても勝手にするだろうがお前!」


 ああ、この笑顔には絶対に勝てない。

 ずっと見たかった、明るく元気な、満面の笑みなのだから。

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