1 過去21年間
僕は北海道のとある田舎町に生まれ育った。海が見える場所だ。あの時から…。強い焼けるような日差しが照り付ける。顔がじりじりする。「t。r…。』
中学2年の時、最悪の出来事が起きる。僕はいじめられた。それに対してはどうでもよかった。僕にとって最悪だったのは、この学校で、このクラスで段階があることを気づいてしまったことだ。そう、スクールカーストだ。そして、自分は今底辺からどの辺りにいるのか気にすることを始めてしまう。気にすることは徐々に強くなり、気にするを越えて過剰に反応するようになる。気づいたら、学校にいるだけで辺りを見て、相手にどう思われるか不安になる。挙動不審が止まらなかった。緊張による汗が出て自他共に嫌な気分になる。最初は周囲から「どうしたんだろう?」「何か気にしているんじゃない」と囁かれていた。しかし、これが何ヶ月も続くと逆に「カッコ悪い。」「落ち着いて生活できないの?」と言われる。元々コミュニケーションが苦手で無口だから、これまでは多少うまく学校生活を過ごしてきた。だが、自分の気持ちが真っ向に行動へ出るのは、たとえ無口で優しかろうと変人扱いされる。そもそもこうなったのは、いじめによるものだ。特に、中学という1番多感になり始める時期はクラスのいざこざが激しくなり、気づいた時には敵意を向けられていた。とはいえ、いじめに関しては短期的であり、無視や「邪魔!」と言われる程度だった。今思うとなんてことない。ただ、あの時の僕は人生初の経験でありなんとも思っていなかろうと、心の底でクラスの段階というものに気づいたのは辛かった。それが律儀に行わなければ、他の者や自分の立場がより危くなると感じた。よって、気づいた頃には周りを気にしてしまっていた。その学習は学ぶべきことではなかっただろう。
高校に入り、部活も新しく始めて少しはマシになった。新たな友達ができ、以前より物事の理解ができるようになった。何ともないまま学校に通い、授業を受けて部活に励んでいた。結果、あっという間に3年生になり進路の時期が差し迫っていた。ある者は就職、ある者は進学と着々と決まっていった。僕は進路を考えてないが故に友達と同じ専門学校にしようかと思っていた。そうして、友達である『シュンタ』から「〇〇にある専門学校一緒に見に行かない?」と誘われた。私は「いいよ!行こう!」と返答した。日程や送迎など決め、そして、当日見に行った。何だか呆気なかった。実際に授業や施設を見て体験したが、何か違かった。なぜだろう?何かここでは楽しく過ごせるのか?そんな疑問が浮かんだ。シュンタの親が帰りまで送迎してくれてありがたかった。しかし、満足はいかなかった。それから数週間が過ぎ、進学すべきか、就職すべきか悩みながら学校に通った。実際にうちの家庭は貧乏なほうである。進学するなら奨学金を借りたり実家にも離れて住む予定でもあったため、何かとお金がかかる。そのため、地元で就職が1番金銭的に余裕がある。けれども、自分のやりたいことや、都会で暮らすという経験を感じたかった私は、進学が希望であった。季節は夏になり、学年のほとんどが就職や進学を確定させ、準備の早い者は内定や合格までしていた。僕はちょっとずつ焦り始めていた。とにかく、進路を決めて楽したかった。ある暑い昼間、友達の『ひろ』とテニスをして遊んでいた。お互いベンチで座り休憩すると、自然と進路の話になった。
「rは大学とか専門学校など決まった?」「いや、まだ決まってない。それに特進コースじゃないから大学受験は無理かなー。」「俺も特進コースじゃないけど、大学に進学するつもり。」それを聞いて私は驚いた。てっきり大学は受験やスポーツ推薦のみしか入学できないと思っていた。しかし、条件はある。評定がある程度良く、大学のランクが低めで、AO選抜や指定校推薦であれば入学可能である。完全に選択肢になかった。ひろは既に大学と学部を決めており、1か月後にはAO選抜が控えて準備もしていた。それを聞いて後日、僕も準備に取り掛かる。丁度AO選抜のエントリーが大学では始まっており、進路もなるべく早めに決定したいため、AO選抜を希望した。それに、評定も大学に入学できる基準を満たしていた。なかには、大学に進学したくても評定が足りず、就職か専門学校しか行けないと限られている者もいた。こうして、都会の地域で条件に見合う大学を選び、試験に望んだ。この時既に9月になっていた。試験内容は面談のみだった。それでも異様に長く緊張した。そうして12月、合格通知が来た。とにかくホッとした。3月、無事高校を卒業した。部活のテニスは良い結果を残せなかったのが残念だが、友達と筋トレやテニス等と充実した3年間だった。
大学に入り、兄と二人暮らしになった。兄も同じ札幌圏内の大学であった。(兄は受験してランクは高い大学で、入学者数も道内上位。) ようやく新生活が始まった。ここから活動する気力がなくなるとは知らずに…。僕は入学して1か月が過ぎた。少しずつ違和感を感じ始める。まずは授業だ。始まって教授が話していても寝てる人が多く、教室の席も後ろに座っているのがほとんどだ。僕はなるべく教室の真ん中でノートに内容ゆ書いて聞いていた。何だか自分のやってることが馬鹿馬鹿しく思う。次に学部。僕はこれまで運動が好きだったのでとりあえずスポーツ学部にした。しかし、普通であった。実技では楽しかった。ただ講義は普通であった。そうして後期に入るとスポーツ学部の実技も何だか楽しくなかった。むしろ、小説や歴史に再びハマっていた。小学生以来のハマりだ。また、サークルや部活が多くなく、上下関係も他大学と比べて厳しいので入らなかった。バイトはコンビニだ。たまたま家の近くにあったため始めた。さらに、友達ができても話の合う者がいなかった。スポーツ学部なら体育会系が多いのは当然か。僕は勉強はできるとはいえないが、周りはそれ以上に酷いレベルばかりだった。英語の自分の名前のスペルが書けなかったり、簡単な漢字が書けなかったり、1000文字のレポートができずに他の友達のを写してうまく誤魔化したりしていた。授業中も後ろの席で話してたり、堂々とスマホを見ていた。これらを気にしないなら、何ら問題ないだろう。だが、中学2年の気にしてしまう潔癖な性格が残っているせいか、むしろ、やるせない怒りと絶句を感じていた。そのせいもあって、大学に行くのが嫌になっていた。一年生の後期1か月不登校でバイトのみ通っていた。その後再び学校に行き、単位はギリギリ取れた。
二年生では、我慢して学校に通いつつ、バイトで貯めたお金で旅行や服、1人カラオケなど学外を楽しんだ。
三年生になり、5月初め、学校に行って感じる我慢が突然溢れ出した。朝起きて歯を磨いこうとするが、気力が湧かず寝た。体が既に重かった。9月で21歳になる誕生日、現在も不登校だ。気持ちは無気力になり、特に5月初め、兄には内緒で酒を買い集めて一気に飲んで酔い、家の中一人で気持ちを晴らした。トイレで吐いて覚めたのか、記憶を無くすほどまで酔っていたことに気がついた。記憶を探るようにあたりを見まわした。何も散らかってはいなかった。しかし、自分のスマホを見ると、高校の頃同じ学年で片思いしていた相手に、SNSで告白文を送っていた。すぐさま消して謝った。どうやら僕は酔うと思い切った行動をするようだ。また、吐く感覚は気持ち悪くて最悪だ。そうして、酒は飲み過ぎないようにしようと決心し、大量に飲んだことを後悔する。僕は21歳になる誕生日にて思った。僕は何のために生まれたのか?なぜ、転学や編入をせず日々無気力になるのか?変化に伴うリスクが怖いからか?すると、平凡な繰り返しの日々が大嫌いになる。夢はある。消防士、漫画家、俳優、冒険家などあるが、挑戦する気になれない。自信もない。親の経済力も少なく貧しい方だ。大学も無意味な日々を過ごす。学校に通わず。きっと夢や希望を諦めて大人になるんだと思う。日々に絶望して。この、理不尽な世の中に。
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