第4話

寮は丘から北西の方向にある。

丘の坂は西に向かって市街まで伸びておりそのまま西に道なりに行き、途中北方向に曲がるとすぐに寮がある。


屋敷から市街へ向かう道は真っすぐな上、広く坂も緩やかだ。

そのためできれば専用防護服の機能をフル活用した全力ダッシュで進みたいところだったのだが……音標さんの反応が鈍い。

今の音標さんの状態では音標さんを振り落としてしまいそうだし、もし通行人がいた場合ぶつかってしまう危険がある。

そのため速足程度の速度で進む。


「……どうかしましたか?」

「……いえ……なんでもありません……。」


何か良くないものでも見えたのだろうか?

しかし、それなら教えてくれてもいいはずだ。

俺の言動が悪くて……なら申し訳ないが……そんな感じでもない。


先ほどまでの音標さんとの変化の理由が分からない。

直接原因を聞くのは少しためらわれたが聞いてみることにした。


「音標さん。急に元気がなくなりましたけど、何か悪い状況でも見えましたか?何かあったのなら教えてください。」

「………。」

「このままだと今後の行動にも支障が出るかもしれませんし……もし不安や心配があるのなら話してみてください。俺にできることもあるかもしれませんし……。」

「………。」


きゅっと俺の肩に置いている音標さんの手に力が入る。


「……ごめんなさい。」


ゆっくりと音標さんは話し始めた。


「門のところで門番さんと伶旺様が話をした時に互いの方向は見ていてもお互いを見れていないのを見て、本当に見えていなんだなって……その時に初めて実感して……。」


言葉が紡がれるたび涙声になっていく。


「……あたしも機械を外した時はあんな感じなんだろうなって……目が見えないって大変な事なんだって……自分がそういう体なのに全然理解できてなくって……。」


音標さんの鼻をすする音が聞こえてくる。

同時に俺の肩に置かれた音標さんの手に力が入る。


「……そう思った時に警報が鳴って……もしかしたらみんな死んでしまうのかもしれない、そういった状況だったのに、伶旺様たちも必死だったのに!……あたしは!あたしは……ちょっとしたイベントみたいに楽しんでて……!」


徐々に音標さんは自分を責めるような強い口調になっていくと同時に言葉も震え涙が流れ続けているのが何も見えなくてもわかるほどになっていた。

もう言葉にならない様子で音標さんは泣いていた。


「音標さん……。」


俺は可能な限り優しい口調で音標さんに話しかける。


「俺、目の前が真っ暗になってからね、色々と訓練したから直後の行動は一応出来てたんだけど、徐々にね、怖くなってきてさ。死ぬかもしれない、今すぐ動き出したいけど何も見えないからそれもできないって状況でさ。そんな時に音標さんが優しく焦りもなく普通に話をしてくれてさ。気持ちがかなり楽になったんだよね。」


音標さんは何も言わず俺の言葉を聞いてくれている。


「ありがとうね。」

「………。」

「だからさ。さっきみたいな明るい音標さんでいてくれると俺も助かるし、うれしいな。」

「……そうなんですか?」

「そうだよ……だから自分を責めたりしないで一緒に頑張ろうよ。」

「……はい。」


音標さんは小さな声で答え俺の背中で小さく頷いた。




「それじゃ音標さん、俺にしっかりとつかまって!スピード上げますよ!」


音標さんは先ほどとは違い今度は俺の首に抱きつく形でぎゅっとつかまる。

相変わらず何も見えず真っ暗だが、俺の頭の左側に感じる音標さんの気配は力強く前向きである事を知るには十分だった。


市街地に入ったすぐの場所は企業のオフィスや皇族関係者の住居などが集まっている区画になる。


音標さんのナビで寮までのルートを進む。


「もう少し左に寄ってください。看板にぶつかりそうです。」

「了解。……混乱は少ないみたいですね。」

「そうですね、車なんかは全部道路わきで自動停止していますし。人も見かけないのでナビも楽です。」


車はすべて停止し道路わきに止まっているので堂々と車道の真ん中を走り抜けていく。

人気のない街中に警報のみが繰り返し流れている。

音標さんの細やかなルート設定のお蔭で防護服の振動機能だけでも十分なほどだ。

先ほどの看板などのイレギュラーはルート設定だけでは対処できないのでその都度音標さんが教えてくれる。


「朝が早かったのが不幸中の幸いだったのかもね。多くは出勤前だっただろうし。」

「ええ、あ、あと100mで右折です。」

「と、いう事は……まぁ、自分たちでどうにかしてるだろう。」

「え?何がですか?」

「ああ……皇族関係者の邸宅が並んでる場所だからさ。」

「この辺りはお知り合いの方が多いんですね。」

「そう。普段から訓練してるし大丈夫だと思うよ。あんまり騒がしい音も聞こえてこないし。」


皇族関係者の邸宅は静まり返っていてもうすでにシェルターへの退避が済んでいる事を感じさせた。

普段から何があっても対応できるよう訓練しているだけのことはある。


警報の合間に遠くからは何らかの混乱が生じていることを感じさせる音も聞こえてきていた。


皇族関係者の邸宅の区域を過ぎればすぐに寮だが寮のある辺りは公務員や軍関係者など公的機関の関係者の住居が密集している区域になる。

当然そうした関係者のみならず一般人も居住している場所だ。


皇族関係者の区域と比べ人口密度が高くなるため混乱も生じているようでシェルターへの退避の最中である事を聞こえてくる音からも察することができた。


「スピード落としてください!人が!」

「!」


音標さんの制止でスピードを緩めゆっくりと歩く。


「あの人たちシェルターと違う方へ歩いてますね。誘導してあげた方がいいかもしれません。」

「そうだね、お願い。」

「はい!下ろしてください。行ってきます。」

「念のため俺と通信リンクしておいてくれる?」

「こうですか?」


すぐさま通信がリンクされる。

これで多少離れても音標さんとは会話ができる。

通常防護服同士が近づくと自動で会話できるよう通信リンクがされるのだが、こうして事前にリンク設定しておけば近づかなくても数キロ離れた程度ならそのまま会話することができるのだ。


「それじゃ行って手助けしてきますね。」


音標さんを下すと走っていく音が聞こえる。

寮へと急ぎたい気持ちもあるがこの状況下で困っている人達を放置することもできない。

もし今すぐに”最悪”の事態が起きた場合にはシェルターにいるかどうかが重要になってくるからだ。


「こっちの方向ですよ。……そう、そのまま真っ直ぐです。」


そう言って恐らく家族だろう数人を誘導している声が通信から聞こえてきた。

何も見えない状況で動くこともできずその場で俺は音標さんの帰りを待つ。


「お待たせしました。警報と音の反響でシェルターへの誘導音が分かりにくかったみたいです。」

「確かに慣れていないと迷うかもしれないな。」

「見えないっていうのは思った以上に方向感覚が狂いますしね。普段から慣れていないと難しいと思います。」


引き返してきた音標さんをおぶるために少し腰を落とし、音標さんを背負う。

そしてどちらの方向へ進めばいいのか、さっそく方向感覚を失った。

やはり”見えない”というのは方向感覚を失いやすいようだ。


「えっと、こっちです!」


音標さんに振動機能を使って教えてもらい再び進み始める。

音標さんにリモコン操作されている気分だ。

ま、悪い感じはしないけど。


道も先ほどより狭く人もいつ路地から出てくるか分からないのです普通に歩く程度の速度だ。

景色を見ることはできないが歩いている大体の距離感でそろそろ寮に着くであろうことがわかる。


「寮はもうすぐのはずだけど……」

「もう少しですね。入り口は……西の方ですよね?」


北に向かっていた道を左に曲がり寮の壁に沿って敷地の入り口へと回っていく。


寮は神祇省公務員や軍人など神祇省関連施設に勤める者の独身者寮だ。

正確には「神祇省管轄人員北寮」という名称で上皇陛下の屋敷のある丘と段市街との中間あたりにある。

名称に”北”とあるように南にもある。

南寮には事務方が多く北寮には軍人などが多い。


北寮にはちょっとした訓練施設も併設されているのでそれを目当てに北寮を選択する者が多いのだ。

北寮は訓練施設から街への被害が出ないよう防護壁にぐるっと囲われていて、敷地内には男子寮、女子寮、訓練施設があり規模としては中々に大きい。

敷地の入り口から寮及び訓練施設へ続くアプローチ部分は少し広めに取ってある。


その防護壁に沿い敷地の入り口にたどり着く。


寮に着いたことで少し気が楽になる。

背に乗っている音標さんも同様のようでほんの少し俺に抱きつく力が緩む。

おそらくあとは防護壁が途切れたところを右に曲がれば寮のアプローチだ。


「ここをみg…ひぃ!!!」


音標さんの悲鳴と同時に俺の首に回されている音標さんの腕に力が入る。

パリン!という音とともに俺の上級防護服のシールドが限界を超え崩壊し、さらにそのまま俺の首を絞める形になった。


何が起こったのか、そもそもなぜ音標さんが悲鳴を上げたのかも全く想像もできずただただ混乱したまま俺の意識は遠のいていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る