第5話

「あ、ここ」


 歩いていると、ウェスタリアは打ち解けてきた様子で指をさした。

 黒い鉄柵で囲まれた敷地の向こうに、庭が見える。その先にレンガ造りの屋敷が見えた。思ったより、敷地は広い。


「大きいんだね」

「町で一番!」


 ウェスタリアは誇らしげに伝える。


 破産した貴族でもいたのかはわからないけれど、屋敷を買い取って、改装したようだった。庭がそのまま花屋になって、建物の前には椅子と机が並び、露天商もある。建物はレストランや宿泊施設に使われているらしい。地元の人でも、ちょっと贅沢をしたら届くくらいの、雰囲気にしてあるようだった。


 全体の雰囲気として、高級感よりも、おしゃれでのどかな雰囲気がある。春の日差しの下で、新緑の葉っぱがそこかしこに芽吹き始めていた。


 近づいて見てみると、花だけでなく、土や肥料、様々な大きさ、形の鉢も売られている。単なる花屋と表現するより、園芸店といった方がふさわしいかもしれない。


 花屋の範囲は、1メートルほどの小さな柵で仕切られていて、そこの入り口には屋根付きの小屋に年配の女性が座っていた。ウェスタリアの家族だろうか?と思ったけれど、ウェスタリアはそのまま通り過ぎていく。


 「わたし、これが好き」


 解放されているゲートをくぐるとすぐに、ウェスタリアは早歩きで進み始めた。連れて行かれたのは、花壇に植えられた茎の太い植物だった。枝には何個もの白い花を咲かせている。


 その横にある看板の文字は見慣れない単語で、読めない。ちぎれてしまいそうなほどに、柔らかい花びらが折り重なる。八重咲の品種、ということしかわからなかった。


 でも、読めるか読めないかなんて、どうでもいいと思った。


 やっぱり自然はいいなあ、とレレムは感じる。老後は自然豊かな郊外で静かに暮らしたい、などと漠然と想像する。老後まで、あと何十年も先なのだけれど。考えるだけなら、誰も責めないだろう。


「あ、えっと、おねー、おにーちゃ……ん?」


 ふと意識が抜けて、反応するのを忘れていた。それを心配したのか、ウェスタリアは浮かない表情でレレムをのぞき込む。


 レレムはハッと気づいて、とってつけたように顔を綻ばせる。


「レレムでいいよ。ぶっちゃけ、どっちかわからないでしょ、この名前」

「レイレム?」


 聞きなれないようだった。ダーネス王国を歩き回っても同じ名前の人を見たことがない。ましてやガンドッドにはいないだろう。


「そうそう」


 名前の発音に正確性を求めるのも、お互いに大変なので、レレムは大体合っているからそれでいっか、と思って、相槌をうつ。


「そういえば、この町の泊まれる場所で、いいところ知ってる?」


 レレムはウェスタリアに訊ねてみた。


 まだ日が暮れるには時間があるけれども、早めに宿泊施設を取ったり、夕食を確保したりできた方が、気持ちとしてはずいぶん楽になる。


 ウェスタリアは少し考えた後、敷地内の屋敷を指差した。


「あそこのお屋敷、泊まれるよ……」

「へえ、そうなの?」

「うん。ちょっと高いけど、でも泊まって」


 知り合いが経営しているのか、それとも一緒にいる時間が欲しいのか。


 ウェスタリアのソワソワした表情を見ていると、何となく後者に思えてきた。


「そうだね、部屋数が空いているのか、聞いてみようかな」

「うん」


 ウェスタリアの瞳がキラリと輝く。自分に向けての喜びと期待を見せられるほど、レレムは自己中心的だとは思いながら、少し荷が重く感じた。


 ふと耳に、固い靴音が飛び込んできた。レレムは顔を上げ、音のする方向を見る。


「……」


 執事、と表現するのが一番近い、四〇代くらいに見える初老の男性が歩いてきた。白シャツに限りなく黒に近いジャケットとズボンを着こなしている。


 どこの人間だろう、と上服の左胸や腕元を確認するが、なんの印も見つからなかった。


 ヒラという可能性はなくもない。でも、その年齢や整った髪の毛、アイロンのきちんとかけられた服、磨かれた靴……隙のない服装から判断すると、取りまとめの立場にいてもおかしくはない、とレレムは思った。


 私用の外出か、家名を知られたくないか……どちらかだと考えていると、にこやかな紳士はゲート付近に座っている店番の女性に、


「本日も良いお日和ですな」


と挨拶したあと、こう言った。


「ウェスタリアを探しに参りました」

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