第3話
「おじいちゃん、今日、あのね!」
入ってきたのは十歳前後に見える少女だった。
アッシュブラウンの髪が、緩やかなウェーブを描いて腰まで下りている。白い柔らかなワンピースは、焦茶色の帯リボンがアクセントになっていた。麦色の手編みカゴを片腕に提げて、そこから白と青紫の花が飛び出ている。
この町は、子供が一人で歩いていてもおかしくないくらい、治安がいいのか? と疑問に思いながらレレムはその少女を見た。
少女はアメジストのような、珍しい紫色の瞳をしている。その伏せ目がちな瞳がレレムの姿を捉えると、元気そうな勢いが萎んでいく。
「あっ……」
と声を漏らして、その後は何も喋らなくなる。どうやら、人見知りをしているみたいだった。レレムも一瞬、気づまりに感じた。
「ウェスタリア」
そう呼びかけたのが店主だと気づくのに、しばらく時間がかかった。さっきとはうって変わって、とても優しく愛情のこもった話し方になっている。おじいちゃんと呼んでいたから、この少女は孫なのかな、と予測をつけながら静観する。
店主はレレムをチラリと見ると、表情を緩めたまま説明した。
「彼は客人だよ」
「……」
今、彼と言いましたね。別にいいですけど、と思いながら、一瞬、視線を自分の胸元に移す。
ないわけではない。けれども、何となく判断の一因にされている気がする。
女性姿で活動するのは、特に宿屋とかレストランとか、安全だと思えるところほど危険が潜んでいる。長時間女性が滞在している、しかもそれが一人きりだということがわかれば、変なことをしてくる人間も存在する。残念ながら世間は性善説で動いていない。
だからこれでいいんだと、レレムは自分に言い聞かせる。それでもモヤモヤとした気持ちになってしまうということは、本当は、あまりこの格好で人に見られるのが、好きになれていないからなのかもしれない。そうレレムは感じた。
それから不審がられないように、少女に向かって挨拶する。第一印象は何にもまして大切だから、レレムはいつものように微笑をたたえた。
「こんにちは。素敵な名前ですね」
ウェスタリアは藤の花という意味だ。名付けた人は素敵なセンスを持っているのかもしれない。そう思っていると、
「娘が名付けたんだ」
同じことを思ったのか、店主が説明し始めた。孫が可愛いようだ。
ウェスタリアは聞こえるか聞こえないかくらいの声で「こんにちは」と挨拶をする。どこか隠れるところがあったら、隠れてしまいそうな雰囲気だった。
「ああ、で、どうした。もしかして……」
と店主が可愛いと思っている感情と、期待を隠さずに訊ねる。それに答えるウェスタリアは、入ってきた時の第一声と比べれば、まだまだ小さかった。
「うん……おじいちゃんの好きなヒヤシンスが入荷したから、持ってきたの」
「おお、そうか」
店主は嬉しそうに声を上げた。
「うん」
ウェスタリアは気恥ずかしげにはにかむ。初対面のレレムを意識しているのかもしれない。
空だった瑠璃色のガラス瓶に、ヒヤシンスの花を入れてもらうと、店主は横着して、机にあったコップの飲み水をそこに注いだ。
それから机の下にある引き出しを開き、お金を取り出して渡す。引き出しの鍵を開ける動作はなかった。そのことに、レレムはいちいち余計だと思いながらも一抹の不安を感じた。一見さんはお断りだから大丈夫だと思っているのか。
「ありがとう」
そう言いながらきちんとお金を払うあたり、店主は、金銭面ではしっかりしている人らしい。
「花屋さんですか?」
会話に混じるなら今が自然かと思って、レレムは聞いてみる。
「娘の嫁ぎ先が経営しているんでね。まあ、いろんな花があるし、町では一番大きい店だ」
と店主の方が答えた。ウェスタリアは黙ったまま、二人の話を聞いていた。
「へえ、そうなんですね。もしよかったら、見にいってもいいですか?」
「どうぞ、外で時間を潰してくるといい。それに大人がつくなら、帰り道は安心だ」
ウェスタリアを気にしているようだった。さすがに、一人で歩かせるのは心配だったらしい。
期待されるのはあまり好きじゃないけれど、人間一個分の安心感なら頑張りましょうか、とレレムは思った。町で一番大きな花屋なら、珍しい花も売っているかもしれない。
「……お花好きなの?」
ウェスタリアは初めてレレムに声をかけてきた。レレムはニコッと笑って、
「好きですよ」
そう答えた。すると、純粋無垢な笑顔が咲く。
「わたしと、一緒」
その笑顔を見ていると、癒される。
こんなふうに、何も考えずに咲けたらいいのに、自分も。
そんな思いが脳裏をかすめる。無意識に手を固く握っていた。心の底から明るい気持ちになれたのは、一体いつだったかな。
そう思いながら、また外に見える笑顔を整える。
「それは嬉しいですね。さっそく行きましょうか」
古本屋の店主に別れを告げてから外に出る。慣れない風景に、どこから歩いて来たのか、方向感覚がわからなくなった。それでも花屋に着くまでは、ウェスタリアについていけばいい。
一人で歩くよりも、誰かと話しながら歩く時間の方が短く感じる。
会話の糸口を掴むために、レレムは自分から質問することにした。できるだけ砕けた言葉で、できるだけ優しくなるように意識しながら話しかける。
「家族で花屋さんをしているの?」
「うん……」
「……みんなでやっているんだね」
微妙な間が所々に挟まる。会話のリズムがまだ掴めない。レレムが何か言葉を補おうとすると、ウェスタリアは詳しく話はじめた。
「お父さんが持ってきたのを、おばあちゃんとお母さんと……私でお客さんに売るの」
父が仕入れたものを、女性達が店員として売る。一般的な家族経営のようだ。
「へえ、えらいね」
「……お父さんがキレイなお花、持ってきてくれるから」
ウェスタリアはまた嬉しそうに頬を持ち上げた。
どうやら父親が好きらしい。ずっとそのままだといいね、とレレムは思いながら、話題を膨らまそうと、別の角度から球を投げる。
「そっか、お父さんはすごい人なんだね。兄弟はいるの?」
「……いないよ。でも、いとこが三人いて、よく遊びにくるの」
家族関係を頭の中で作成していく。ウェスタリアは一人っ子だけど、年齢の近い従兄弟は三人いる。「娘の嫁ぎ先」と店主が言っていたから、おばあちゃんは夫の方の母親だろう。
「おにーさんは?」
ウェスタリアは顔を上げてレレムを見た。家族のことを聞いたから、自分も聞かれたのだろう。興味を持ってくれたのはいいことだ。答えないと自然じゃない。だから答えなくてはいけない、とレレムは思考を巡らせた。
「私は……」
と言いかけて、レレムは喉が詰まった。このままじゃいけない、と思い、
「ウェスタリア、聞いてほしいことがあるんだけど」
と切り返す。ウェスタリアはキョトンと首を傾げた。レレムは少ししゃがむと、彼女の耳元へささやく。
「内緒にしてほしいんだけど、実は私は、女だから」
「え——!?」
でもさっきおじいちゃんが、という言葉が顔面に表れていたので、レレムは困ったふうに笑いながら説明する。
「諸事情があってこうしてる。君のおじいちゃんやお父さん、お母さんには秘密にしておいてくれないかな?」
「ひみつ……」
ウェスタリアはつぶやいた後、
「うん、わかった……」
と真面目な顔で返事をくれた。
よかった、とレレムは思った。「秘密」の共有は、友好関係を結ぶ上でそれなりの効果がある。……まあ、伝えるのはいつでも切って捨てられるような秘密だけども。
レレムの予想通り、ウェスタリアにはインパクトがあったようだ。また同じ質問を蒸し返されるようなことはなかった。
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