第3話 オッサン、異世界を歩く

「おはようございます、リュウジさん。ゆっくり眠れましたか?」

「おはよう。ああ、ぐっすりだ」

「一階の食堂に朝食を用意しています。身支度が終わりましたら、いらっしゃってください」


 俺は一度部屋に戻って身だしなみを整える。服やタオル、歯ブラシなどは部屋の机に用意されていた。

 それから食堂へ向う。


「おおっ、これはすごいな」


 テーブルについた俺は、思わず声を出してしまった。テレビの中でしか見たことがないような光景が、そこに広がっていたからだ。


 白いパンに木苺のジャム、目玉焼きに分厚いハムとサラダ、ポタージュスープに食後のコーヒーまである完璧なメニューだ。


 こんな朝食を食べれる日がこようとは。

 ありがとう、リーシャ。そして前世の魔王。


「ううぅ、美味い……美味すぎる……」

「お口に合ってよかったですわ。あ、ハンカチも用意させますわね」


 業務スーパーで買ったロールパンばかり食べていた俺にとって、その味は号泣するほど美味かった。

 くっ、塩味が効いてやがる。


 聞くと料理は雇っているメイドが作ってくれるそうだ。

 これがお嬢様の生活なのか。俺みたいな庶民には羨ましすぎる。


「ごちそうさま。美味しかった」

「少し休んだらわたくしの散歩に付き合ってくれませんか? 貴方にこの世界のことを知ってほしいんですの」


「かまわない」と返事をする。いまのところ屋敷の中しか見てないからな。

 どんな異世界かはとても気になるところだ。


 休憩を挟んでから、リーシャと屋敷の外に出る。

 そこで目に飛び込んできた光景に、俺の目は飛び出しそうになった。


「すごい……本当に魔術がある世界だ」


 屋敷の外では、馬よりも大きいトカゲが馬車を引いていた。新聞紙できた鳥たちが、ずらりと並ぶ家々のポストに入っていく。

 道では目玉だらけのカボチャの群れが転がり、魔女らしき帽子を被った女性たちが、それを避けながら歩いていく。


 子供の頃に読んだ魔法使いが活躍する、ファンタジー小説のようだ。

 いままでいた現実とはまったく違う異世界を前に、俺の心臓はドラムのように高鳴っていた。


「こちらの道から行きましょうか」


 俺はリーシャに案内されて、異世界の街を歩くことにする。屋敷の正面には通行用の幅広い道路があり、そこを通って街の中央に向かうようだ。

 

 街の建物はイギリスのように、外壁にレンガやタイルを採用しているものが多かった。


 しばらく歩くと道は枝分かれし、細々とした露店も多くなってくる。


 日本でいう商店街のようだが、店先に並んでいるものは得体の知れない生き物や、独特の匂いを放つ植物だ。

 こけしのような工芸品はいきなり笑い出し、分厚い本には足が生えて自ら棚を移動している。


「この世界じゃどこもこんな感じなのか?」

「いえ、わたくしが住んでいる街は魔術師専用の特区ですから。全体で見れば魔術とは関わりのない人のほうが多いですわね」

「そういう普通の人間とは上手くやっていけるのか? 俺は魔族や精霊を操れるやつはちょっと怖いんだが」

「たしかに怖がられることもありますけど、この世界を発展させたのは魔術師ですから。理解してくれていると思いますわ。この国の政治家、軍隊、貴族はすべて魔術師ですから逆らえないという事実は否定しませんけど」


 なるほど、この世界は魔術師が支配してるってことか。今のところ奴隷のように扱われている人間は見ないから、悪辣な支配者でないと思いたいが。


「誤解されているかもしれませんけど、本来魔術とは民衆の生活を良くするためのものですわ。使い魔のスキルを抽出し、特殊な道具を作成する魔術師も多いですわ。【魔道具】と呼ばれる品物は、マッチ一本で大きな火を起こし、桶に入れた水の重さを半分にすることもできますの」

「だからお偉いさんはみんな魔術師ってことか。国に対する貢献度の差がそのまま地位に繋がってるわけだ」

「綺麗ごとかもしれませんけど、わたくしも魔術で人々を笑顔にできたらと思っていますわ。いまのわたくしには難しいかもしれませんけど……」


 自分の話になると、リーシャは急にトーンダウンした。昨日は色仕掛けまでして俺を従わせようとすると、なにか事情があるのだろうか?


「せっかくのお外ですし、甘いものでも食べません? わたくし奢りますわよ」

「じゃあお言葉に甘えて」


 リーシャはクスっと笑うと、スライムの使い魔が接客をしている店で、クレープを奢ってくれた。

 たっぷりの生クリームとチョコレートソース、山盛のイチゴが、舌を甘味の天国へ連れていく。


 美味い! 美味すぎる! 

 日本の食べ物で異世界人を魅了する話は読んだことがあるが、俺のド貧乏食生活を考えたらどう見てもこっちが上だ。


 朝食もそうだがこういう料理が食べられるだけで、この世界にいたいと思ってしまう。


「いいお顔ですわよ。甘いものがお好きなのですね」

「じ、ジロジロ見るなよ。恥ずかしいだろ」

「ふふ、他のもわたくしが行きつけの店がありますわ。後で行きましょう」

「ホントか! よろしく頼む!」


 まだ見ぬ美食への期待に心を躍らせていたその時、雑踏から悲鳴が上がった。俺を含め道を行きかう人々は、いっせいに声の方向を見る。


「泥棒よー! だれか捕まえてー!」


 屋根の上を指差しながら、老婦人が叫んでいる。指の先には高価そうなバッグを抱えた、ひょろ長の怪物がいた。

 肌は紫色で山羊のような角を生やしている。


「ボガートという妖精ですわね。使い魔に盗みを命令するなんて魔術師の風上にも置けません。リュウジ、やっつけちゃってください」

「俺が行くのか? この辺にいるやつはみんな魔術師なんだろ?」

「魔術師が使い魔を呼び出すには召喚陣が必要ですの。召喚が完了している貴方が行くのが一番早いんですのよ! ほら早く!」


 リーシャはグイグイと俺の背中を押してくる。そんなことを言われても、俺はスーパーヒーローじゃないんだぞ。

 どうやって屋根の上を走って逃げてるやつに追いつくんだ? 


 とりあえず頑張ってるポーズだけでもしておくか。

 俺はその場でかがんでジャンプをしてみる。靴の裏が地面を蹴った瞬間、強烈な加速が襲い掛かってきた。


「──ッ!? なんだこりゃ!?」


 俺の体は目にも止まらぬ速さで上昇し、一瞬にして屋根の上に着地していた。そういえばここに来てから慢性的な疲れがとれたし、目のかすみや持病の腰痛もない。


 なんだか羽が生えたみたいに、体がメチャクチャ軽いぞ!


「それがいまの貴方の力ですわ。前世と自分を信じてください!」


 歩道から声をかけるリーシャに向かって、俺はグッと親指を立てた。






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