第4話 オッサン、泥棒使い魔と戦う
「止まれ泥棒!」
俺は小道のように並ぶ屋根の上を走りながら、ボガートを追いかける。使い魔になった俺の足は驚くほど軽快で、すぐに距離が縮まっていく。
屋根の傾斜もデコボコした段差もまったく気にならない。
「俺の方が速い。あきらめて捕まれ」
「キヒヒヒ! ヴィー! ヴィー!」
「てめえ……このやろう!」
ボガートはさらに加速しながら、舌を出してケツを叩いて挑発してきやがった。イラッときたせいでさらに走るスピードが上がる。
赤茶けた洋瓦が、カチャカチャと子気味よい音を鳴らした。
「ヴィー! ヴイイィー! ヴイイィー!」
「それにしてもすばしっこい野郎だな。なんて身軽さだ」
あまり強そうな使い魔には見えないが、動きはオリンピック選手のように軽快だ。こんな使い魔を従わせることが当たり前なら、魔術師が権力をにぎっているのもわかる。
これは人間の警官がどうにかできるレベルじゃないな。
「グ……ウウウゥ……!」
「どうした? 顔色が悪いぞ」
「ヴィー……ヴィウウウウウウウゥ……」
「俺がこの場所に追い込んだことに気づかなかったようだな」
俺とボガートは何キロも屋根の上を追いかけっこしたが、ついに終わりの時が近づいてきた。
巨大な時計塔がボガートの行く手を阻んだのだ。飛び越えるのは無理だし、よじ登ったり迂回するには時間がかかる。
いわゆる詰みってやつだ。
「もう逃げ場はないぞ。大人しくそのバッグを返せ」
「ギッ、ヴィイイイイイイイイイイイイイイイィーッッ!」
「えっ、マジかこいつ!」
追い詰められたボガートは、俺に向かって襲い掛かってきた! 黄ばんだ歯をむき出しにして、鋭く尖った爪で切り裂こうとしてくる。
なんだあの爪、サバイバルナイフと変わらないぞ。
恥ずかしいことに、俺はまったくこの状況を想定していなかった。最後に殴り合いをしたのは、中学生の時だったか。
働きはじめてからは給料のために我慢の連続。たとえ悔しくても歯を食いしばって耐えていた。
喧嘩なんて一度もしていないし、暴力そのものが選択肢になかったのだ。
ただ棒立ちだった俺は、苦し紛れに手を突き出す。突き指しそうな手の平がボガートの胴体に触れた瞬間──。
「ボギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
「なんだ!?」
ボガートは車にでも跳ねられたように、吹っ飛ばされた。遅れて手に肉を押した感触が伝わり、衝撃で空気がビリビリと震える。
ボガートはそのまま時計塔の壁に激突し、コミカルな人型の穴を空けた。
「マジか。俺にこんな力が……」
あんな適当に押しただけで、まさかここまでの破壊力があるとは。足の速さだけじゃなく、腕力も相当すごいことになってるみたいだ。
いままでなにが変わったのかわからなかったが、これが覚醒した魔王の力らしい。
「あーこりゃ完全にノビてるな」
穴から中を覗くと、そこには通路でノックダウンしているボガートの姿があった。白目を剥いているので、当分立ち上がってはこれないだろう。
「これは返してもらうぞ」
俺はバッグをひったくると、リーシャのいるところへ戻ることにした。
「おい、なんだあれ?」
「なんか泥棒騒ぎがあったらしいぞ」
「あー、オレの知り合いも被害にあったって言ってたわ」
ガヤガヤと野次馬の声が聞こえ、時計塔の周りには人が集まり始めている。これなら、すぐにボガートは逮捕されるだろう。
地上は人が多いので、来た時と同じように屋根の上を走っていく。
「ありがとう! あなたは私の恩人よ!」
「いえ、わたくしはなにもしていないのですけれど……」
バッグを取り返してくると、年配の婦人はリーシャの手を取って感謝していた。
散々追いかけっこをした俺は無視かよと思ったが、使い魔の主人はリーシャなのだから、この世界ではそれが普通なのだろう。
なんだかモヤモヤするが仕方ない。
「あの……お礼でしたらリュウジにも……」
「まあまあ、なんて奥ゆかしいお嬢さんなのかしら。そうね、ありがとう使い魔さん」
「どういたしまして」
老婦人は礼を言うとすぐまたリーシャに向き直って、また何度も感謝の言葉を述べた。それからお礼だと言って、銀貨を何枚か渡したようだ。。
リーシャはそんなもの受け取れないと言っていたようだが、最後には根負けしたようだ。親戚のおばさんがお土産を持って、家に来た時みたいだな。
この辺りのやり取りは、どの世界でも変わらないのかもしれない。
とりあえずこれで一件落着ってことか。
そう思っていると、リーシャが俺の手を握った。急に肌の感触と体温が伝わってきて、顔には出さないがドキドキする。
「リュウジ、あらためてわたくしからお礼を言います。バッグを取り戻してくれてありがとう。すごくかっこよかったですわ」
まっすぐな瞳がこっちを見てくる。少し照れくさいが、美少女のこう言われて悪い気はしない。
日本で働いていた時はだいたい罵声しか浴びてこなかったからな。
正直グッときてるし、胸の奥が熱くなってくる。
ああ、これが承認欲求が満たされるってことなのか。
「わたくしを信じて正解だったでしょう?」
「はじめはなに言ってんだコイツって思ったけどな。これが魔王の力ってわけだ」
「ええ、そうですわ。まだすべての力が目覚めたわけではないですけど、それでもボガートのような低級使い魔なら楽勝だと思っていましたから。すぐに戦えるリュウジさんも、もちろんすごいですわよ」
「おいおい、おっさんをあまり褒めるなよ。照れるだろ」
リーシャは距離感が近く、すぐにボディタッチをしてくるので、どうにも気恥ずかしい。いまも石鹸のいい匂いが鼻をくすぐってくる。
学校なら確実にクラスメイトを勘違いさせるタイプだな。
「リュウジさんのおかげなのに、わたくしも嬉しくなってきますわね。『善意は魔術師の杖』とおっしゃった、お父様の信念に少しは近づけたかしら。なんだか本物の魔術師にならた気分ですわ」
そういえばリーシャの両親はどうしたのだろう。
屋敷には俺たちの他にメイドしかいないそうだが。
「おいおい、大袈裟だな」
「ふふ、そうですわね。ではお礼も頂きましたし、ちょっといいお店にいきましょうか。他にもいろいろ見て回ってほしいですし」
そう言って俺の手を引こうとするリーシャは、やっぱりどこか無理をしているように見えた。
これ以上気づいていないフリをするのは無理だ。俺は昨日から気になっていたことを、訊くことにした。
「リーシャ、なぜ魔王を召喚しようと思ったんだ?」
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