本音のかたち

がこん。

がが、がしゃ。

かうん、こおん。


金属や木の板ががちがちと

音を立てている。

僕が動かしているせいだけれど、

まるで自分の体じゃないみたい。

必死になっていた。

必死にしなきゃ

いけないような気がしてた。


相変わらずがらんどうな教室。

そういえばと思い

机を蹴ってみた。

当然とでもいうかのように

がらんと音を立ててズレた。

ああ、僕以外にも

ちゃんとものって動くんだ。

全ての時間が

止まっているわけじゃないんだ。


そう気づいてからは

あっという間だったと思う。

ここぞとばかりに机を蹴散らした。

特に机の板の乗った

天板部分を蹴ると、

最も簡単に倒れ去ってしまう。

ストレス発散にだとか、

怒りを溜め込んでいて、

とかではないと思いたい。

弱く頭をこづいて転ばせる。

すると、机は椅子を置いてけぼりにして

1人で倒れていったり、

椅子を巻き込んで

微妙な角度で耐えたりした。


がらん。

からん、がらん。


こころ「…。」


自分が何をしているのか、

何がしたいのかわからなかった。


昨日、嫌なことあったっけ。

多分あったんだろうな。

じゃなきゃこんな夢、見ないよね。


自分の体だという感覚は

十二分にあるというのに、

机を倒すことが頭から離れない。

何故かずっと机の頭を蹴り続けている。

しかも弱い力で、淡々と。


その奇行が治ったのは

全ての机を蹴り終えてからだった。

改めて教室を見ると、

窓が割れていないだけの

不良高校でしかない。

あの陳列されたかのような机を

崩すだけでこんなにも

はちゃめちゃに見えてしまうんだ。

現実じゃできないこと

…いや、放課後とかに

しようと思えばできるけれど、

しようとは思えないことだった。


こころ「はぁ…はぁ…。」


今度は机を抱えた。

倒れた机や傾いた椅子を

教室の後方にまとめる。

乱雑に、けれど崩れないように。

ひとつひとつ運んでいると、

何だかこれから

教室の掃除を始めるのではないかと

思ってしまう。

1人で掃除だなんて

苦行でしかないよね。


こころ「…あはは。」


自分でもわかるほどの

乾いた笑い声が響く。

1人だもの。

仕方ないよね。


机を寝かせて、時には立たせたり

裏返りたりしながら組み合わせていく。

椅子も挟んで、足を絡める。

何度も交差した鉄の棒の先を

目で追うことすら億劫になるほど

交錯させてゆく。

倒れてしまわないように土台は広く、

そしてかっちりとハマるように。


どのくらい時間が経たのか

全くもってわからないけれど、

気づいた時には教卓と

ひと組の机と椅子を残して

全てを積み上げていた。

僕の身長まではないが、

それでも胸元あたりまでは

くるくらいの山になっている。

地震が起こったのなら

それは崩れるだろうけれど、

続いた程度じゃ崩れない。


こころ「…僕って意外と器用じゃん。」


初めてやることにしては

意外とうまくいった。

バランス感覚に優れているのかも

しれないなんて思いながら、

残しておいた椅子を引いて座る。

山を正面にすると、

圧巻だと感じざるを得ない。


こころ「そういえば今日、窓の外を見てないよね。」


まだ確認していなかった。

ここに来て早々

机をがつんがつんと倒し始めたから。

けれど、今更確認する気にもなれない。

椅子に座ってただただ

椅子と机の山を眺めた。


そうだ。

こっちの方が何だか落ち着く。

ぐちゃぐちゃでも

成り立っていられるのが

何となく人間みたいに見えたから。

規則正しいあの配列は、

どうにも人のようには見えなかった。

人が収まるような場所に

見えなかったのだ。

まるでロボット。

心を殺して正解の場所だと

言っているように見えた。

僕がおかしいだけなのかな。

みんな、こんなことは思わないのかな。


こうやってぐちゃぐちゃに絡まっていても

それとなく成立しているほうが

何だか人らしい。

人間の社会って不思議なもので、

うまく回るようになってる。

それは経済的な話もあれば、

人間関係や運だってそう。

あの人とあの人が付き合ったらしい。

でも、実は浮気をしていて。

あの人はこの人と友達で、とか。

意外と社会って狭かったりする。

上京して就職したのに

小学生時代の友人がいた、とか。

そう言った偶然性と関係の輪を

抽象的に表せているのが

今目の前にある積まれた椅子と机だ。

こっちの方が落ち着く。

人間を見ているみたいで。


人間との関係で傷ついて、

傷つけられて

嫌になっていたはずなのに、

人間らしい無機物を見て安心するなんて

もう狂っているよね。

僕だってそう思う。

こいつ、頭おかしいんじゃないかなって。

嫌いなものなんて

遠ざけて当たり前じゃん。

…多分、僕にとって

人間よりも人間を仕舞い込む

息苦しい箱の方が嫌だったんだろう。

だから最初、

意味もなく机を蹴って倒したんだ。


こころ「…あーあ、子供っぽいよね。」


もう16歳なのに。

年を跨いで、1月の8日になれば

今度は17歳になるというのに。

いつまでこんな子供みたいなことを

しているんだろうか。


…でも、どうなんだろう。

世間から見た16歳って

まだまだ子供だっていう印象だと思う。

それならこの愚行も

大目に見られるのかな?

…高校生って本当に

面倒な期間だなって思う。

全てが曖昧だから。

でも、曖昧は僕が求めたもの

そのものなわけで。

逆に大切な期間でもあるのだろうと思う。

将来に関わる大きなことを

ここで決めて、目標として

過ごす場所になるケースが多いから。

未来先の話、目標が変わることくらい

いくらでもあると思うけどね。

一旦の目標を多くの人が決める。

だから、曖昧は大切な期間。


曖昧は変容するから

少しばかり扱いが難しい。


こころ「…なんてね。」


それっぽいことを考えてみたところで

堂々と足を組んだ。

机を動かすのをやめたおかげか、

またいつも通りぽここ、ぷく、と

音がしてくる。

もう何日か聞き続けて

耳に馴染んできた音だった。


…。

…いくら鈍かろうと

流石にわかっている。

わかってるんだよ。


こころ「…だんだん、ここにいる時間が長くなってるよね……?」


誰かに確認するかのように

声に出しても誰も

返事なんてしてくれない。


わかっていた。

…正確には分かり始めていた。

この教室にいる時間が

どんどんと長くなり始めていると。

目を閉じて、過去のことを思い出したり

こうして机を移動させたりして

それとなく過ごしているけれど、

だんだんと時間を潰すのが

大変になってきている。


同時に、少しずつだけど起きる時間が

遅れているような気もする。

とはいえ、この夢を見始めてから

たったの1週間も経ていない。

最近疲れていて

少しずつ寝坊しているだけということも

考えられるだろう。

けれど、人間そう簡単にも

考えられないもので。


もし。

もしもの話でしかないけれど、

この夢の中に閉じ込められて

しまったらなんて思ってしまう。

このまま目が覚めることはなく、

ずっと狭い箱の中で過ごし続ける。

ここで暮らす。

ずっと、ずっと。


こころ「………。」


そんなの嫌だ。

そう思っても声に出せない。

本当にそうなってしまいそうで。


こころ「……いや、僕ったら何考えてるんだろー!」


明るく笑ってみる。

誰かに見られてるわけでもないのに。


こころ「…あははー……。」


しょうもないよね。

知ってる。

自分から目を背けるようにして

机の方に体を向け、

ゆっくりと伏せてみた。

これだけ机やら何やらを

後方に追いやったのだから

床で眠った方が心地良さそうだが、

あえて眠りづらい方を選ぶ。


この世界で眠ったら

元の場所に戻れるのかな。

どうやったら戻れるのだろう。

…。

…。

…いや。

そもそも、ね。

戻る必要なんてあるか?

あの世界で?


こころ「…。」


もちろん家族は好きだよ。

僕のことを支えてくれた。

今でも支えてくれてる。

自由奔放なお母さんも

少しだけ不器用なお父さんも、

愛想はないけど優しいお姉ちゃんも。

僕のやりたいことを尊重してくれた。

裏では気持ち悪いって

思っていたのかもしれないけど、

そんな素ぶりは一切見せなかった。

僕のことを否定しないでいてくれた。

みんなみんな、好きなんだ。


茉莉や澪、湊だってそう。

もしかしたら僕が悪い意味で

有名な人だって

知らないだけかもしれないけど、

普通の人かのように接してくれた。

可哀想だから近づくとか、

変だから突くとかではなく、

本当、ただの友人みたいに。

嬉しかった。

でもきっと、本当のことは

言えないままだと思う。

もし何かの拍子に

僕の秘密が伝わっていて

既に知っていたとしても、

僕自身から重ねてそれを伝えるのは

どうしても難しい。

変な動悸がしてしまう。

2人のこと、好きなはずなのに。


他のみんなはどうだろう。

悠里、結華にはきっと

言うつもりすらないのだろうと思う。

深く関わることこそなかったけど、

何度か一緒に遊びにいった。

僕自身は楽しかったはず。

結局僕の理由で連れ回しちゃっただけだし

相手方は楽しくなかっただろうな。

…。

でも、2人のことも

友達としては好きなんだよ。


みっちゃんに至っては

小さい頃からの付き合いだし、

今更秘密をどうこうっていうことはない。

むしろ、彼女がきっかけとなって

今の僕がいるのだから。





°°°°°





美月「好きなものだけはこころを裏切らないわ。」


こころ「…!」


美月「周りは「そんな奴だと思わなかった」だとか、「気持ち悪い」だとか言って離れるかもしれない。」


こころ「…。」


美月「それを裏切ると取るかはこころ次第。だけど、好きなものはちゃんとこころの元に居続けてくれるはず。」


こころ「…諦めなきゃいけないんだろうなって思ってた。」


美月「好きだからこそ辛いものね。」


こころ「うん…でも、ずっと頭に引っかかり続けてるんだ。こういう格好がしたいわけじゃないのになって…。」


美月「うん。」


こころ「…決めた。僕、好きなことを貫くね。」





°°°°°





それはあくまできっかけというだけで、

その後天使系や地雷系のファッションも

好きになり始めたのは、

また別の理由があるけれど。

だから、全責任はみっちゃんにある!

なんて言うつもりは一切ない。

むしろ、楽しかった時間も

どっと増えたから、

お礼を言いたいくらい。

あの時の僕の背中を

押してくれてありがとうって。


あと、直接的に知っているのは

寧々さんだなぁ。

寧々さんとは春過ぎの

あの大きな一件が起こって以来、

多少距離は縮まったけれど

その程度で終わった。

シフトが被れば少しだけ

話して終わってしまう。

会話は続くこともなければ、

一緒に帰ることや、

帰り道に公園に寄り道して

互いの愚痴を聞き合うこともなくなった。


寧々さんのTwitterを見るに、

もう親との蟠りは

解消されたらしい。

最近彼女は好きな配信者を見つけて、

日々配信を追っているようだった。

前の寧々さんからは

考えられないような、

幸せそうというのがすぎると

言ってしまいそうなほどの光景で。


だから、僕と愚痴を言い合って

聞き合うことも、

もう必要としていないのだ。

もう、新しい彼女は居場所を

見つけたのだ。

見つけてしまったのだ。

昔、入れ替わる前の寧々さんとは違い、

今の寧々さんの居場所は

家族になっただけ。





°°°°°





こころ「これから先、もっと寧々さんと話してたい。好きな洋服も教えて欲しいし、何ならおすすめして欲しい。」


寧々「…私を助けたいみたいな、泥臭いことは言わないんですね。」


こころ「僕には寧々さんが必要なの。…これで十分泥臭くない?」


寧々「…あははっ…それも………。…それも、そうですね。」





°°°°°





あれだけ熱いことを言っておいて、

結局僕は寧々さんから距離を置いた。

身の回りの困難を全て

解決したかのように見えた彼女が、

もしかしたら疎ましかったのかもしれない。

いいな、って。

ずるいって思ってしまったのかもしれない。

彼女の兄を消した僕が

そんなことを思っていて

良いはずもないけど、

こう思ってしまった。

本音が脳内を巡り巡って、

だんだんと苦しくなってしまった。

だから、距離を。


…。

…。

…自ら1人になることを

選んだようなものだろう。

寧々さんにはもう

家族がいるからって。

もしかしたら、それでも踏み込んだら

彼女の親友になれたかもしれない。

けれど。


こころ「…でも、でも……っ。」


僕たちは、互いに傷を抱えていたから

仲良くなれたと思うんだ。

傷を抱えていたからこそ

互いに弱い部分を見せ合えた。

傷の舐め合いかもしれない。

それでも僕は寧々さんといられて

楽しかったんだ。

でも、その感情を今の寧々さんに

持つことはできないと思う。

彼女はあの時ほどもう痛がっていないから。

やっぱりあの寧々さんは

僕の知る寧々さんとは別だよ。

別ものだったんだ。


でも、彼女がいいなら。

寧々さんが幸せなら、それで。

それで………。

……。


こころ「……ぅ…。」


本当は。

本音を吐いても良いのであれば。

僕はあの寧々さんと

まだ一緒にいたかった。

寧々さんの悩みを聞きたかった。

僕の悩みを聞いて欲しかった。

一緒の時間を過ごしたかった。

1番の理解者だった。


こころ「……ごめん、ねぇ…寧々さん…っ…。」


4月早々に姿を消してしまった

寧々さんに向けて、

今更ながらに謝っていた。


みんなみんな好きなんだけど、

それでも頼れないんだ。

僕、自分で1人になる方を

選んでしまってるんだ。

何でだろう。

心の底から信頼したって

良い人だってたくさんいるはずなのに。

もう、ストッパーがかかって

仕方がないんだ。

怖いんだ。

知られるのが。

知られて、避けられるのが。


僕が嫌われ者な分、

同じ熱量で嫌い返していたら疲れてしまう。

それに、良い結果を生むわけじゃない。

そんな考えがどこかにあるのだろう、

人を嫌いになっちゃいけないなんて

思い始めるようになっていたのかも。

嫌いにならず、好きでいるよう頑張れば

もしかしたら自分も…って。

…あはは、不純な動機かな。


こころ「あはは…あー、もう……もう…ぅ…。」


伏せて寝ていたはずが、

椅子の上で膝を抱えて

蹲るようになっていた。


そう言えば今日、

陽奈と会う約束をしたんだっけ。

昨晩、澪との電話から

陽奈の名前が上がって、

そのままの流れで

彼女に連絡をした。

「急で申し訳ないんだけど、

明日遊べたりしないかな」って。

そしたら思っているよりもすぐに

「いいよ」って返事が来た。

実際はそんな淡白だったわけじゃなくて、

もっと丁重に返してくれてたっけ。

いつもTwitterにいないから

返信も遅そうなんて

思ってしまっていたのかもしれない。

すぐに返信が来たことに

少しだけ驚いたんだ。


陽奈に聞いて、

何かわかったりするのかな。

何かのきっかけになるのかな。

将来のことを考えて

自分のことに目を向けて。

…。

陽奈には…僕のこと

話せるのかな?

声を失って傷を負った彼女にならば。


こころ「…どうなんだろうね。」


そしてひとつ。

僕には気づいていることがあった。

だんだんと現実のことを

思い出せるようになってきていること。

現実の記憶とリンクしてきたと

言えば良いのだろうか。

だから、起きてもこの夢のことを

覚えているんじゃないだろうか。

昨日よりも、一昨日よりも色濃く。


こころ「…。」


蹲る、蹲る、蹲る。

全てから目を背けるように。


…そう言えば今回は

窓の外を眺めるの、諦めちゃったな。





***





こころ「うん、よし!僕ってば可愛いー。」


今日は白と水色を基調とした

天使系コーデでまとめてみる。

涼しくなってきたし、

こういう格好もいいかなって。

何より冬になったら

もこもこ系のものが着れるのがいいよね。

僕の好きな服の系統に

もこもこが入ってるから、

冬は僕にとってファッションを

思う存分楽しめる季節だった。

可愛いリュックに貴重品だけ詰める。


こころ「いってきまーす!」


お母さん「はーい、いってらっしゃい。」


厚底の靴を履いて

いざ外に出てみる。

さすが10月。

今年の異常な暑さが

嘘のように消え去って、

もう冬と言っても

いいんじゃないかと思うほどの

寒さが全身を襲った。

昼も過ぎているのに

この気温だなんて。

先月の今頃からは考えられなかった。


陽奈とは、彼女の家の近くで

ゆっくりしようと誘った。

駅直結のショッピングモールが

ひとつあるらしいから、

そこに行こうと話していた。

何故朝から遊ばないかってのは

とても簡単で、

単純に起きれる自信がなかったから。

昨日は昼間に起きて

5限から受けに行ったし、

その前日は学校が

始まった時間に起きたもので、

3限から出席した。

だから、念の為と思い

16時に彼女の最寄駅

集合にすることにした。

長くても2、3時間程度で

解散するようにしようと思う。

陽奈の親御さんも

心配するだろうからね。


徐々に遅くなる起床時間に

危機感を覚えながらも、

改善策はないだろうなと

腹を括っていた。

だって、あの夢のせいだろうから。


こころ「…。」


電車に乗りながらスマホをいじる。

けれど、情報が頭に入ってこなくて

すぐに顔を上げてしまった。

座ることもせず、

出入り口の扉の隅に寄って

窓の外を眺める。

僕の顔が淡く反射し、

その向こうには家々が広がっていた。


こころ「…。」


頭の中はぐるぐると

思考を止めることを

してくれなかった。


陽奈の家の最寄り駅まで辿り着くと、

既に、小さく長い黒髪の女の子が

立っているのが見えた。

改札に突っかかりそうになりながら

急いで彼女元まで走る。

僕に気づくと、

前髪を整えてからトートバッグに

手を添えて待っていた。


こころ「ごめんねー、遅くなっちゃって。てか、集合時間も遅くってほんと申し訳ない!」


すると、陽奈はふるふると

首を横に振った。

待っているだけだと何ともない

普通の女の子に見えるけれど、

いざこうして対面すると、

本当に声が出ないんだって実感する。


くりっとした目つきで

こちらを見つめるものだから、

僕の言葉を待っているのだろうかと

不意にどきりとしてしまう。


こころ「じゃあいこっか!適当にふらつこ?」


縦に頷く。

陽奈は嬉しいことがあったのかと

思うほどにこにことしていた。


僕はあまりきたことのない駅だったから

新鮮な空気を味わっていた。

同じ線だとしても

乗り換えなきゃ来れないもので、

同じ県のはずなのに

全く違う土地のように思える。


2人で駅ビルの中を歩く。

目につくのはいつだって

アクセサリーや洋服、

時々雑貨といった類。

反して陽奈を観察していると、

彼女は本であったり

たまたま開催されている

ギャラリーにだったりへと

目が向かうようだ。


2人して同じ場所へと

目を向けることは

少なかったかもしれないけど、

雑談しながら歩くのは楽しかった。

「最近元気?」から始まり、

近々テストはあるのかだとか、

台風が来ていて困るけど

学校が休みになるならいいなだとか。

至って普通の、

どうでもいいことを話していた。


ぐるぐると歩き回り、

おおよそ一周したところで

どうしようかと迷った時だった。

解散しようと言おうか

考え込んでいると、

不意に袖を引かれた。


何かと思えば、

突如陽奈は手を離し

スマホを取り出した。

そして、何やら文字を打っては

僕に見せてくれた。


陽奈『少し疲れちゃったから、カフェ寄らない…?』


メガネ越しにみる陽奈の目は

意を決したようで、

けれど反面泣きそうなくらい潤んでいた。

自分から誘うことに対して

いろいろと考えていたのかもしれない。

迷惑かな、とか。

声のことを考えていたのかな。

夕方からだったし人も多くて、

変に体力を使って疲れたのかも。

何だか意外。

彼女が疲れたと口にするなんて。

僕はできる限り口角を上げて答えた。


こころ「いいね、行こう行こう!さっきちょうど良さそうなカフェ見つけたんだ。」


陽奈「…!」


こころ「陽奈は行ったことある?」


首を横に振った。

よかった、そしたら新しい場所も知れて

楽しいかも知れない。

また彼女と並んで

駅ビルの中へと進んだ。


近くのカフェに入り、

適当に注文する。

特に限定のものが飲みたい気分でもなくって

甘そうなものを注文した。

陽奈は大人っぽさもあるから

ブレンドコーヒーあたりを

飲みそうだなって思っていたけれど、

意外とココアを頼んでいたっけ。


対面するように席に着く。

思えば2人きりで遊ぶのって

随分と久しぶりな気がする。

いつも大人数で遊んでいたし、

それで楽しかったから。

澪とのお泊まり会も、

あれも2人…とはいえ親はいたけど、

珍しいケースだったかも。


陽奈『今日はありがとう。』


スマホの画面を見せてくれる。

僕が見やすいように、

画面の明るさを上げてくれているあたり

彼女の気遣いが見えた。


こころ「ううん、こちらこそ!急だったのにありがとね。」


陽奈はとんでもない!とでもいうように

手と頭を両方振った。

そんなに否定しなくても、と

つい吹き出してしまう。

彼女の顔が少し緩んだのが見えた。


ああ。

今、陽奈は落ち着いてくれたんだ。

よかった。

それを知って、僕もいくらか

胸を撫で下ろした。


陽奈『わがまま言ってごめんね。』


こころ「え、いつ?言ってたっけ?」


陽奈『カフェ行こうって言ったこと。』


こころ「そんなのわがままじゃないよー!僕、めちゃくちゃ嬉しかったし!」


陽奈『よかった。』


こころ「こうして2人で遊ぶのってなかなかなかったから新鮮なんだ。楽しいよ。」


陽奈『そうなんだ。前も4人だったもんね。』


こころ「ああー、そうそう。そんな感じでよく何人かと一緒に遊ぶんだよね。」


前、と言われて

いつの事だったか思い返せば、

陽奈と一緒だったのは

トンネルに向かった時だと思い出す。

あれ以降、陽奈はあのトンネルの先で見た

幻想に引っ張られる事はないのだろうか。

澪は、茉莉は。

どうなんだろう。

僕だけなのかな。


そんなことを思いながら

飲み物を飲んで談笑する。

何を話せばいいかわからない時は

大抵天気の話をするというのは

本当らしい。

寒くなったよね、だとか

そう言ったことしか出てこなかった。

最近あったことで

人に話せるような明るいことって

ないんだなと嫌でも気付かされる。


何の話の流れかわからないけど、

ふと陽奈が画面をみせてくれた。

僕の心臓がどくんと鳴る。

指先までぴりり来るくらいには

脈打っていた。

静かに目を見ひらいていた。


陽奈『何かあったの?』


陽奈は申し訳なさそうな顔をして、

慌てて文字を付け足した。


陽奈『言いたくなかったらごめんなさい。でも、気になったから…。』


こころ「あははー…そう見えたー?」


陽奈『疲れてそうかもって…。』


こころ「そっかー。」


それがさ。

僕の悪口を言ってる人が教室にいてね。

しかもその人たち、

いつも僕とつるんでる人たちだったんだ。

たまたま廊下に出て戻ってきたら、

「こころと仲良くしてあげてる」

って言ったんだ。

ひどいよね。

そりゃあ学校に行きたくなくなるよねー。


そう言いたかった。

言えればよかった。

…。


こころ「それがさー、もう来週テストで!今回勉強し始めるのが遅れたから厳しいんだよねー。」


言えなかった。

言う勇気がなかった。


この空気を壊したくなかった。

心配かけたくなかった。

でも知って欲しかった。

知って、慰めて欲しかった。

相反する気持ちが心臓を刺して

ずきずきと痛む。

痛い、痛いな。


そこではっとした。

陽奈がカフェに寄ろうって言ったのは

もしかしたらこのことを

聞くためだったんじゃないだろうか。

陽奈が「疲れたから休もう」なんて

言うだろうか。

見くびっているとか

下に見ているとかそう言うわけではなく、

これまで数回一緒に遊ぶ中で、

彼女の口からそのような言葉を

聞いたことがなかった。

むしろ、僕が振り回しても

何も言わずについてきてくれた。

だからこそ、陽奈が疲れたからと言うのが

意外で仕方なかった。


ぞわっと形容し難い濁った色の感情が

煙を立てるのがわかった。


彼女は、僕と同じじゃない。


陽奈は僕より強いんだ。

だって、思い返せばそうだったじゃんか。

僕をあの扉の先の夢から

引っ張り出してくれたのは

陽奈だったじゃないか。

また。

また見つけてもらっちゃった。

陽奈は勇気を持って

僕を探し出してくれる。

なのに。


陽奈『そうなんだ!頑張ってね!』


柔らかく、春みたいに微笑む彼女を前に

勇気を振り絞ることができなかった。


しばらく談笑してから

駅ビルを後にする。

10月ともなれば

日が落ちるのが早い。

陽奈の家は歩いて10分ほどで

着くらしいけれど、

家まで送ることにした。


小さな商店街を通る。

その一角にどうやら

彼女の家はあるらしい。

商店街とは言え

店舗の上に普通のアパートが

ある場合も多々あるので、

そのパターンかと思っていた。

しかし、どうやら予想は大きく

外れたらしい。


陽奈はとある花屋さんの前で

足を止めたのだった。

そして、文字を打ってくれた。

辺りは日が落ちて少し経たからか、

街頭の独壇場となりかけている。


陽奈『送ってくれてありがとう。』


こころ「え、ここなの!?」


陽奈『そうだよ。お花屋さんなの。』


こころ「えへへ、何だか陽奈にぴったりだね。」


僕も実家の1階で

お店をやっているから、

何だか一気に親近感が湧いた。

もしかしたら昔に

陽奈の家はお花屋さんだと

耳にしたことはあったかも知れないが、

もしそうならすっぽり

頭から抜けているだけだろう。


すぐに帰ればいいものを、

少しばかり後ろ髪の引かれる思いがして

徐に近くの花を眺めた。

店頭には多くの花が並んでおり、

特有の香りも漂ってくる。

ずらっと並ぶ花を見ていると、

ふとひとつ、目に止まるものがあった。


こころ「あ、これ。」


見たことある。

そう思って名前を見ると、

アネモネと記されていた。

赤や青、白といった

さまざまな色のアネモネが

並んで咲いている。


どこで見たんだっけ。

時間を忘れてじっと眺めていると、

つんつんと肩を突かれた。


陽奈『アネモネ好きなの?』


こころ「好きっていうか、なんか見たことあるなーって。」


陽奈『有名なお花だからかな。秋から冬にかけて咲くんだよ。』


こころ「そうなんだ。じゃあちょうど時期なんだ。」


陽奈『最近入荷されたばかり。』


こころ「ねえねえ、花言葉って知ってたりするー?」


花屋の娘とは言え、

流石に知らないだろう。

そう思いながらも質問してしまった僕は

ちょっと意地悪だった。

ちょっかいをかけたくなったのだろうか。

小学生の男の子が好いてほしい時に

やってしまうあの言動みたいで、

自分がちょっと嫌になる。

けれど、陽奈はすぐに文字を打ち始めた。


こころ「あ、全然自分で調べるからいいよいいよ!」


慌ててスマホを出そうとした時だった。

咄嗟に陽奈が画面を見せてくれた。


陽奈『全体では「儚い恋」や「恋の苦しみ」とか。』


こころ「…え?」


陽奈『あと、「見捨てられた」とかだったと思う。あまり明るくない感じなんだ。』


こころ「覚えてるの、花言葉?」


陽奈『お店にあるやつは少しだけ。』


こころ「…あはは、すごいね!今度教えてよー。」


陽奈『うん!』


こころ「…でも、そっかぁ。綺麗な花なのに残念だね。確かに真ん中を見てるとぞっとするし。」


陽奈『色によっては明るいのもあるよ。』


こころ「そうなの?」


陽奈『赤は「あなたを愛する」、白は「希望」とか。紫は「あなたを信じて待っています」。』


こころ「へぇ…全体の花言葉だけが暗めなんだ。」


何だか典型的な偏見と似てるななんて

繋げて考えていた。

例えば、〇〇っていう国の人は

こういう性格の人が多い、とか。

けれど、1人1人と関わってみれば

案外そうでもなくって。

確かにその要素がある人はいれど、

あまりにバイアスがかかっていたなと

思う…みたいな。

ひとつひとつの色で花言葉を見ていれば

そんなに暗くはならないのに。


…。

1人だけを見ていれば。


やっとのことで目を離す。

陽奈が眼鏡を少し上げてから、

文字を打っていた。


陽奈『道、分かる…?送ろうか…?』


こころ「あはは、そしたら僕が送ってきた意味がなくなっちゃうよー!」


陽奈『こころちゃん、可愛いからすぐに変な人に捕まっちゃうよ。』


こころ「もー、心配症だなぁ。こう見えて僕、強いからね!安心して。じゃあ、またね。」


陽奈『気をつけて帰ってね。ばいばい。』


手を振る。

すると、彼女も小さく手を振った。

10月7日が終わると

瞬時に悟ってしまう。

ああ。

終わらないでほしい。

僕の些細な異変に気づいて

声をかけてくれたあなたに、

全てを話して相談してしまいたい。

陽奈ならいいかなって。

あなたなら。


…わかってくれるんじゃないかって。


こころ「陽奈!」


1歩踏み出して、

背を向けかけた彼女の

腕を静かに引いた。

力は入れないつもりだったのに、

自然と力んでいたみたい。

すぐに手を離すも、

不思議そうな顔でこちらを見る

陽奈の姿があった。


息を呑む。

吐けなくなる。

息が詰まる。

息が詰まる。


こころ「僕……。」


陽奈「…?」


どうしよう。

どうしよう…?

言ってしまったら最後だ。

この関係が壊れる。

友人であり続けられるとしても、

今のままの関係ではなくなる。


それに。

彼女は強いから、

きっと親身になって

相談を聞いてくれるだろう。

けど、その関係はきっと

僕が彼女を傷つけることになる。


悩み事って聞く方も

傷つくからさ。


今陽奈を止めてしまったからには、

本当のことを、

秘密を話しても話さなくても

傷つけることになるだろう。

でも、でも。

もし話したら。


手をきつく握りしめた。

笑ってみたかった。

けど、うまくいかなくって

しわくちゃな顔をしていると思う。


こころ「僕、今日楽しかった!また遊ぼうね!」


陽奈は言葉のままの意味で

受け取ってくれただろうか。

笑顔で大きく頷いてくれた。

長く緩くうねる黒髪が

風に乗せられて揺れていた。


僕にはお似合いかもな。

こうしているのが。

こうして、1人で抱えて生きるのが。

これが僕の選んだ道なんだ。

ならば、自分のことだもの。

最後まで責任は持つよ。


こころ「ばいばい。」


陽奈に大きく手を振って、

そして逃げるように

足早に商店街を歩いた。

途中背後を一瞥すると、

陽奈がいつまでも僕のことを

見送ってくれているのが見えた。

僕の姿が見えなくなるまで。

ずっと、ずっと。


こころ「……っ。」


優しすぎだよ。

優しい。

そう。

ずっと優しかった。


4月の時も、声を失ってからも、

トンネルの時も、今日もずっと。

全部。

どうしてそんなに

あなたは強く生きられるの。

どうして立ち向かえるの。


どうして。

どうして曖昧から抜け出すことが

怖くないの…?


喉奥がぎゅ、とする。

握り拳を作ったまま、

ひたすらに足を動かして

夜の小道を歩いた。

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