好きのかたち


ぷくぷく。

こぽ。

こぽぽ。


ああ、またこの音だ。

僕、知ってる。

聞いたことある。

どこでだっけ。


そんな疑問を抱きながら

ゆっくりと目を開くと、

そこには見覚えのある空間が広がっていた。

規則正しく並んだ机と椅子に、

黒板が前後にひとつずつ。

大きな窓や、廊下に通じない扉。


こころ「また教室だ。」


そう。

そうだ。

そうだった。

そういえば僕、この夢を前にも

見ていた気がする。

夢から覚めたらすぐに

忘れちゃうんだけど、

このにきたら妙なことに、

昨日までの夢の話が

鮮明に思い出せた。


ここは知らない教室で、

廊下側の扉は両方とも

鍵を開閉しても開かなかった。

現に、もう1度同じことをしてみる。

けれど、やはりがこがこと

がさつな音を立てるだけで、

外に出してくれそうな予感はなかった。


それから、今度は窓側。

窓は開いて、下を眺めることができる。

遥か下には花がたくさん

咲き誇っているのが見えたはずだ。

昨日と違い、焦ることなく

余裕のある歩幅で窓の元まで向かい、

慣れた手つきで鍵を開く。


窓を開けると、

ぶわっと春らしい香りが取り巻く。

昨日までは気づかなかったけれど、

どうやらこの「こぽぽ」という音は

窓の外からもしているらしい。

室内で十分聞こえていたものが、

外の音とも混ざり

何重かになりながら耳に届く。


こころ「…あれ?」


下をのぞいてみる。

昨日までと変わらない

景色があるだけだろうと思っていた。

誰もがそう思うだろう。

そんな1日で変わってるはずがないって。


僕の目視でしかないから

確実性はあまりないけれど、

昨日よりも花が

大きくなっているように見えた。

大きくなっているのか、

近づいてきているのかはわからない。

ただ、花弁がやたらと

大きく見えるのだ。

僕がおかしくなっちゃったんだろうか?


こころ「……そんなはず…。」


ない…とは言い切れない。

僕だっておかしくなってしまう可能性は

いくらでもあるのだから。

見たことあるもん。

本とか映画で、主人公が狂ってて

後から本当の世界が見えるお話。

もしかしたら僕もその主人公たちのように

いつの間にか狂ってしまっていたりして。

それにどうやって

気づくことができるんだろう。


僕は今、正常と言えるか?

何を持ってして?

どこからの自信が湧いた?


夢を見ている人に問うてみたい。

君は正常かって。

いっそ現実にいる人でもいい。

今あなたは夢を見ていないと

100%自信をもって言えるか、と。


窓から体を離して

教室を見渡す。

本当に面白みのない部屋だ。

掲示物が何ひとつないのも

その理由のひとつだろうけれど。

こんな狭い部屋の中に

30から40人も押し込められて

1日の3分の1くらいを過ごす。

よくよく考えてみれば

ものすごいことを成し遂げている。

そのものすごいことが基準で

普通とされるなんて、

僕にとっちゃ難しい話だ。


この小さな世界の中で、

噂話ひとつが出てきたら

たちまち居づらい地獄の世界になる。

それがたとえ事実だとしても同様に。


何となく教卓の隣に座りこむ。

これだけ椅子があるのだから

そっちに座ればいいのにね。

でも、あの型にはまりたくなくって

きっとこっちを選んだ。


こころ「…それも違うかな。」


あの型にはまりたくなかったんじゃない。

型にはまれなかったんだ。

僕のかたちは違うから。

だから、自分から選んだんだ。

自分から選んだってことにしておけば、

型にはまれなかった可哀想な人じゃ

なくなるんじゃないかって思って。


自分で選んだ。

毎日学校に行かないこと。

人の輪の中にはどっぷりと浸からないこと。

好きなことを突き詰めること。


でも、好きなことってやっぱり。


こころ「…辛い。」


ふぅー、と息を吐いて、

座ったまま両手を前に伸ばす。

そして体操座りをしながら

頭を膝の上に乗せた。

何だか弱音って久しぶりに

口にしたような気がする。

脳内が沈んでいても、

できるだけ声にしないようにしてきた。

声にしたらきっと

それが「本当だ」って

思ってしまうような気がして。


けれど、今はそうではなかった。

何だろう、辛いは辛いでも、

やっと現状を受け入れられたような。

ああ、辛かったんだって

安心できる何かがあった。


体制が辛くって

すぐに元に戻す。

改めて教室を眺めても

特にこれと言って変化があるわけじゃない。


こころ「はーあ。」


教室から出られないんじゃ

全く面白味がない。

夢だというのにぷかぷか浮けないし、

ずっとこぽこぽと音は聞こえてくる。

おまけに普通の教室でしかない。

変や生物が出てきたり、

これまで出会った人が出てきたり

なんてことが全くない。


こころ「…面白い夢だったらよかったのに。」


スパイスを投下するという意味で

この教室から出られれば…なんて思う。

ひとつ方法はあるけれど…。


…横目で窓の方を眺む。

いや、でもなぁ。

そっと視線を戻す。

机の足がよく見えた。


今度はゆっくりと目を閉じる。

特に意味はないけれど、

これで夢が醒めればなって

少しばかり思ったのかもしれない。

待っても待っても

目が覚めることはない。

あれ、昨日はもう少し

早くに目が覚めた気もするけど。


こころ「全部が全部一緒の夢じゃないもんねー。」


自分を説得するかのように

ひと言ぽつりと呟いた。

けれど、当たり前ながら

誰も返事なんてしてくれない。

そういえば昨日、誰と話したっけ。

賑やかで楽しかった気がする。

その人たちだって当然ここにはいない。

ただひたすらに無味な空間。

ただひたすら、ぷくぷくという

音に耳を傾けるだけ。

教室を脳裏に浮かべて。


…脳裏の教室にはやっぱり

人が多くて、それで賑やかで。

僕が入り込めそうにない。


こころ「…。」


どうして。

どうして学校に行くのを

渋るようになっていったんだっけ。

どうして今、欠席しながらも

出席日数を取っているんだっけ。

どうして。


こころ「…。」


目をぎゅっと瞑る。

早く夢が醒めればと一瞬思う。

けれど、そもそもこの考えている

頭が無くならなければ、

僕の悩みは一生消えない。


どうして。

その問いに呼応するかのように

昔の記憶が音を立てて迫り上がってきた。





°°°°°





「何でそんなもん好きなのー?」


「気持ちわるーい!」


そんな言葉が平気で投げかけられる。

小学生の頃は特に、

よくわからないまま

自分や周りと違うからってだけで

仲間はずれにする。

それに、たまたま僕が

当てはまっちゃっただけ。


僕は物心ついた時から

自然と可愛いものが好きだった。

アニメも女児向けのを

よくみていた気がする。

反対に、特撮系のものは

あまりみていなかった。

フリフリの服を着て戦う女の子たちに

憧れてる時期だってあった。

でも、戦う姿というよりは

その服を身につけているという部分に

惹かれていたっけ。

とにかく可愛いって思って

仕方がなかった。

その子になりたくって

コスプレ用の服が欲しいと

駄々を捏ねたこともあった。

けれど、結局買ってもらえなかった。

その代わり、その足で

お母さんと一緒に布を買いに行って、

わからないながらに

針を手にした気がする。

お母さんに教えてもらいながら、

完成度は高くなくぼろぼろだったけど

服を作ったような。


他にもシール集めが好きだったし、

シールを使って着せ替えができる

みたいなものも好きだった。

プロフィール帳だって

デコって埋めた気がする。

キラキラで可愛くするのが

好きだったな。


でも、そんなのを

学校に持っていったら

変な目で見られるって

途中から気づくようになった。

それで、さっきの言葉を

浴びせられるようになって。

お母さんに相談したこともあったっけ。

どんな返事があったかは

あまり覚えてないけど、

僕に寄り添うようなことを

言ってくれたんだと思う。


でも、1番覚えているのは

何故かみっちゃんとの会話だった。

本当に理由はわからない。

何故か、という他なかった。


みっちゃんとは、

お姉ちゃんとみっちゃんが

喧嘩して以降もそれとなく

連絡を取り合っていた。

…まあ、僕が中学生になるまでは

親の携帯を借りていたけど。

転勤族だったから

直接会うことは

なかなか叶わなかったけれど、

何かのタイミングで会える時があったんだ。


確か、中学1か2年くらいの

ことじゃないかな。

それこそ、神奈川県にまた

移り住んできた時かも。

みっちゃんの家に挨拶がてら

ふらりと寄ったんだ。


こころ「あ、みっちゃん!」


美月「……え、こころ…っ!?」


こころ「そう!久しぶり!」


みっちゃんの前では

元気にしていたくって

声を張っていた。

精一杯明るいふりを

していたのかもしれない。


転校したばかりで、

まだ不安が大きかったんだ。

色々な言葉を浴びせられた

前の学校から離れられたことは

よかったけれど、

土地柄が違えば人柄も違いがある。

今度の学校でも腫れ物扱い

されるのかななんて心配していた。


美月「随分と身長が伸びたわね。」


こころ「えへへ。もうみっちゃんを見下ろせるようになっちゃった。」


本当は身長なんて

伸びてほしくなかった。

みっちゃんくらいの身長で

止まっていたかったなって

よく思っていたっけ。

挨拶がてらだったので、

お母さんが用意してくれたお菓子を渡す。

すると、みっちゃんは嬉しそうに

笑ってくれた。


美月「お茶を用意するわ。上がって。」


こころ「え、いいよいいよ。少し挨拶に来ただけだしさ。」


美月「この後予定があるのかしら?」


こころ「ううん、そういうわけじゃないよ。」


美月「じゃあ、遠慮しないで。」


こころ「もー…ありがとう。」


みっちゃんの家は何度見ても

広いなと思った。

けれど、昔よりもなんだか

少しだけ小さく見えたのは、

きっと僕が大きくなってしまったから。

5、6年ぶりに訪れたお寺なんだ。

そう思うと感慨深くなった。

家族旅行で神奈川県のほうに

来ることはあったけれど、

家族旅行なのだからもちろん

お姉ちゃんもいたわけで。

みっちゃんの家に

行くことは叶わなかった。

僕も小学生だったし、

1人行動はまだ許されなかったから。


玄関を上がる時、

そういえば足が出ていなかった。

スカートでもない。

珍しいことにデニムを履いていたらしい。

きっとジャケットもスタイリッシュな

類のものを着用していただろう。


みっちゃんの部屋に招かれ、

そのままお茶をいただく。

僕が持ってきたばかりのお菓子と

お寺の方で用意してくれたものを

お出ししてくれた。

部屋は本が大量に詰まっていて、

読書家なんだなってしみじみ思った。


美月「ほんと、大人っぽくなっちゃって。」


こころ「身長だけだよ。みっちゃんこそ大人っぽい!」


美月「そんなことないわよ。」


こころ「あるよ!お洋服も可愛いし、お人形さんみたい!」


美月「ふふ、ありがとう。」


みっちゃんはお寺の子ということも

あるんだろうけど、

所作ひとつひとつが本当に

お人形さんみたいで、

綺麗で美しくて好きだった。


それから何かと話していた気がする。

本にハマったことだとか、

弟たちの話とか。

自然とお姉ちゃんの話題は

避けていたのを覚えてる。

何かの流れで、

ふとみっちゃんはお茶を飲んで

こちらを静かに見据えた。


美月「最近はどう?」


こころ「最近かあ…まあ、ぼちぼち。」


美月「そう。服の好みががらっと変わったようだから、何かあったのかなと思ったけれど。」


こころ「…あぁー…ね。僕の服の好みなんて知ってたっけ?」


美月「これでも小さい頃は何度か遊んだ仲だもの。」


こころ「そっかぁ。」


美月「可愛い服を着てたのを覚えているわ。私も羨ましくなるくらい素敵で」


こころ「えっ!?」


美月「え?」


こころ「羨ましい…?」


美月「ええ。今更の疑問なのだけど、あの洋服は自分で選んで買ってたの?」


こころ「うん…っていうか、僕が駄々を捏ねてって感じ。」


美月「そうだったの。じゃあ、こころのセンスがいいのよ。」


こころ「そんなことないと思うけど…。」


美月「こころのあの格好好きだったから、少し寂しくなるわね。」


こころ「…。」


手をぎゅっと握りしめる。

服がしわくちゃになる。

それを見つめる。


こころ「僕ね、周りから色々言われて…まあそりゃそうだろって感じなんだけど…。」


美月「…。」


こころ「それで、一応馴染むようにと思ってスタイリッシュなものも買うようにしてるんだけど…なんかこう、ピンと来ないんだよ。昔の方が、服屋さんに行くのが楽しかったようなって思うの。」


美月「そりゃあ、好きなものを選んでいないからでしょう。」


こころ「でも、好きなものを選んだら……。」


美月「辛い?」


こころ「…。」


美月「…好きなものを選んだら、確かに周りは色々と反応すると思う。時には嫌な反応ばかりかもしれない。でも、好きなものは別に法に反するだとか、そういった間違っているものじゃないでしょう?」


こころ「…うん…。僕は…可愛いものが好きなだけ。」


美月「じゃあ胸を張っていいわよ。」


こころ「でも…そしたら」


美月「好きなものだけはこころを裏切らないわ。」


こころ「…!」


美月「周りは「そんな奴だと思わなかった」だとか、「気持ち悪い」だとか言って離れるかもしれない。」


こころ「…。」


美月「それを裏切ると取るかはこころ次第。だけど、好きなものはちゃんとこころの元に居続けてくれるはず。」


こころ「…諦めなきゃいけないんだろうなって思ってた。」


美月「好きだからこそ辛いものね。」


こころ「うん…でも、ずっと頭に引っかかり続けてるんだ。こういう格好がしたいわけじゃないのになって…。」


美月「うん。」


こころ「…決めた。僕ー」





***





目を覚ました時には既に11時を回っていて、

こんなに寝坊したのは

久しぶりだなんて思いながら

急いで準備をし始めた。

登校しなくても

いいかなって強く思うけれど、

家の中にばっかりいちゃ

頭が詰まっちゃう気がした。

それに、もう外は暑くないし

出かけるにはもってこいの気温だもん。


重役出勤の如く

午後の授業から顔を出す。

ああ、昼ごはんの匂いが

残っていることもあって

何だか眠くなる。

皆も午前の授業から疲れているのだろう。

何人もの人がうつ伏せて

眠っているのが見えた。

テスト前ということもあり、

疲労が蓄積しまくっているらしい。


5限目が終わってすぐに

息苦しかった教室から1歩踏み出す。

廊下ってだけでも

空気が違うように感じるのは

気のせいなのだろうか。


そのままの足でふらりと

茉莉の姿を探してみる。

クラスにいたくなかったんだろうなって

こういう自分の行動から

察せてしまって思わず

気まずそうな顔になった。

誰に見せているわけでもないのに、

軽く頬を手で持ち上げる。

笑ってよう。

そんなふうに見えるように。


廊下を歩いていると、

茉莉のいる教室の前まで来ていた。

中をちらっと覗くと、

どうやら勉強しているらしい姿が目に入る。


こころ「…やめとこっかな。」


そう小さく呟いた時だった。

何という偶然だろう、

茉莉が顔を上げてこちらを見た。

すると、はっとした顔をして

教科書を閉じてこちらに

走ってきてくれた。

この行動力に思わず

目を見開いてじっと見つめてしまう。

忙しいだろうから手を振るだけとか、

なんなら無視したっていいのに。


茉莉「どーしたのー?」


こころ「え?あぁ、遊びに来ただけだよーん。」


茉莉「くはは、何だぁ。」


こころ「テスト勉強、頑張ってるようだねぇ。感心感心!」


茉莉「そういうこころはやってるの?」


こころ「まぁ…少しは?」


茉莉「ええ、本当?」


こころ「ほんとほんと!一昨日なんて勉強会したんだから!」


茉莉「そーなんだ!お互い頑張らなきゃ。」


こころ「ね。もう今年度も半分終わっちゃったし。」


茉莉「信じられねー。」


茉莉は焦っていないのだろう、

いつものようにのびのびとした声で

そう言っていた。


茉莉「っていうか、こころがここに来たってことはあれ?」


こころ「あれって?」


茉莉「ん、違うんだ?てっきり遊びのお誘いかと。」


こころ「今日は何も考えずに来ただけだよー。それとも、本当にどこか遊びに行ってもいいけどね。」


テスト前だし誘いは

断られるだろうなと思いながら

適当に口を動かしてみる。


こころ「そうだな、最近会ってない人とかも誘ってさ。ほら、Twitter巻き込まれ組の。」


茉莉「会ってない人かぁ。誰に会ってない?」


こころ「悠里とか結華は会ってないねぇ。どう?」


茉莉「あー…。」


こころ「まあテスト勉強もあるだろうし、全然いいよ!今回はやめとこうか。」


茉莉「いや、テスト勉強はむしろあんま切羽詰まってないからいいんだけど…。」


こころ「え?」


茉莉「その…結華って人があんまり得意じゃなくって。」


こころ「あ、そうだったんだ。」


茉莉「そー。」


こころ「得意不得意はあるよね。仕方ない仕方ない!僕もあるもん!嫌ならやめとこう!」


茉莉は渋そうな顔をしていたけれど、

僕の言葉を聞いてほっとしたのか

少し笑ってくれた。

何だか意外だった。

勝手な妄想でしかないんだけど、

茉莉は色々な人と

うまくやっていけるタイプだと思っていた。

この前お姉ちゃんたちと

遊んだ時からの印象だろう。


こころ「まあまあまあ、テスト前だし今回はやめとこうか!今度にしとこ!」


茉莉「うん、わかったー。」


こころ「じゃあまたね!」


茉莉「うん。またー。」


小さく手を振る茉莉を

見送ることなく

そのまま廊下をふらりと歩く。

すぐに背を向けたのはただの気まぐれ。

本当、意味も何もないんだけど、

そうしてしまっただけで。

茉莉には何だか悪いことを

してしまったような。

後ろ髪を引かれながらも

足を止めることはできずに

かたんと床を鳴らす。


すぐに教室に戻るのも

億劫だなって思って

今度はふと足が止まる。


こころ「はぁ。」


どうしよう。

もう帰ろうかな。

5限から来たばかりだというのに

こんな悩みを抱えているようじゃ…。

先が思いやられながら

教室に戻ろうとした時だった。


「進路どうする?」


「それな。多田センから進路希望表書けよーって言われたんだけど。」


「無理すぎー。」


いつもクラス内で

関わってくれる人たちが

めんどくさそうに話している。

女子特有のきゃっきゃとした

話し声が耳を刺す。


「まあ進学かなー。」


「てかてか、こころどうするんだろ。」


不意に自分の名前が出てどきりとする。

教室に入ろうと

1歩踏み出したもののすぐに足を引く。

案の定、扉近くの席で

話しているようだった。


「さあー。大学は無理なんじゃない?」


「あーね。」


「うちらみたいな友達できないだろうしー?」


「あはは、いえてるー。」


当然その話に異議を唱えたり

庇ったりするような人が

いるはずなんてない。

誰もが聞き流して

当たり前のように受け入れている。


ふとさっき僕が茉莉に

言った言葉が蘇る。

嫌ならやめとこう。

それはきっと、

言って欲しかった言葉だ。

そういえば、僕が学校に行きたくないって

お母さんに伝えた時、

そう言ってくれたような。

みんな頑張れだったり、

それは僕が悪いって言ったりする。

けれど否定せずにただただ

やめてもいいよという

選択肢をくれることが嬉しかった。


彼女たちの話に

しばらく耳を貸すのもしんどくって、

校舎を適当に往復してから教室に戻った。

それから、彼女たちにはあくまで明るく

「授業めんどくさいから帰るね」と伝え、

そそくさと学校を出た。


カフェに行くような気力もなく、

とぼとぼ家に帰る。

1階ではお店が開いていて、

幸か不幸かお客さんはいなかった。


お母さん「おかえりー。」


こころ「ただいまー。テスト勉強してくるねー。」


お母さんに心配をかけるのが嫌で

すぐに上に上がる。

何気ない「お帰り」が

心をぐさぐさとさしてゆく。

この時間に帰ってきたのだから

また授業をサボったことくらい

ばれているだろうに。

こんなことならお姉ちゃんの家にでも

転がり込んだ方がよかっただろうか。

でも、結局は家族に頼り切りに

なってしまうんじゃないか。


親の教育方針として

好きなことをさせてもらえてる。

好きな格好をさせてもらえてる。

それはとても嬉しい。

だからこそ、自立しなきゃと

思う部分が大きいのだと思う。

自分で選んできたのだから、

この先も自分の足で立たなきゃって。


部屋に飛び込んで

布団に顔を埋める。

いつもなら外を出歩いた服で

ベッドに寝転がるなんて

本当に嫌で仕方がないんだけど、

それ以上に嫌なことがあったもので

今日は不問とすることにした。


悶々とした時間を過ごしていると、

いつの間にか夕方あたりになっていた。

そういえば、彼女たちも話していたけど

進路希望表提出しなきゃ。

多田センから個人的に

「忘れないようにな」と

釘を刺されていた。

案の定期限は過ぎている。

面倒くさくってごろりと寝返りを打つ。

片方の鼻が詰まっていたけれど、

どんどんと鼻通りが良くなっていく。

反面、反対側が詰まっていった。


気晴らしの意味も含めて、

適当に連絡先を眺める。

そして、運試しをしたかったのだろうか。

目を閉じて画面をタップした。


こころ「…あ、ちょうどいいかも。」


画面に見えた文字はー。

コールが1回鳴ったかと思えば、

その人物はすぐに電話に出てくれた。


澪『なんね。』


こころ「あ、みおみおー!」


澪『その呼び方やめえや。』


こころ「えー、いーじゃん可愛くって。」


澪はいつも通り不機嫌そうな声だった。

泊まりに来た時は流石に

この雰囲気だけでなく、

どこか落ち込んでいそうな、

それで持って弱々しいような

雰囲気があったけれど、

今はそうでもないみたい。

ほっとしながらスマホを

スピーカーモードにした。


澪『んで、どうしたとね。』


こころ「あー…あ、そうだ。進路!進路のことでちょっと聞きたいことがあって。」


澪『進路?』


我ながら頭の回転が速いなぁなんて

自画自賛してみる。

だからと言って易々と

自己肯定感が高まるわけでもないけどね。


こころ「そう。進路希望表出さないといけなくって。でも、未来のことが全然見えなくって。澪はどうやって決めたのか参考にさせてほしいの。」


澪『あー、それならうちやないほうがよかったっちゃない?』


こころ「え、何で?まだ決まってないとか…!?」


澪『決めとう決めとう。でも、適当やけんさ。』


こころ「またまたぁ。みんなそういうんだよー。」


澪『いや、そうでもなかよ。ちゃんと理由がしっかりしとう人が意外とおる。』


こころ「そうなんだ。じゃあ澪はどうやって最終決定したの?」


澪『うちは安定性やな。大学のネームバリューとか、卒業後どの企業に就いてる人が多いかとか。』


こころ「やりたいこととかは…?」


澪『流石に学部は興味で選んだけど、正味その大学に入れれば何でもいいけん、併願で適当な学部受験する。』


こころ「え。」


澪『え、ってなんね。』


こころ「希望の学部じゃなくてもいいの…?全く興味のないところでも?」


澪『だけん、うちにアドバイスを求めるのは良くないって言ったろうが。』


そっか、と心の中で声を漏らす。

僕はやりたいことが主体で考えていたから、

大学は違えど学部が同じであれば

妥協できるかなと思っていた。

世の中にはそういう考え方もあるらしい。


澪『…でも、あんたにはやりたいことがあるっちゃないと。』


こころ「わかんない。専門にして学びたいかどうかまでわからない。」


澪『あれやね。意外と淡白なんやね。』


こころ「…え?」


どきりと心臓が跳ねる。

もしかして、今日の傷を抱えきれなくて

電話したことがばれたのだろうか。

人から傷つけられて

人との距離を置くべきなのに、

どう思われてるか知りたくって

余計に人に関わろうとしたことが

伝わってしまったのだろうか。

ややあった沈黙に怯えながら

その時を静かに待つ。

電話越しに息を吸う音が聞こえた。


澪『こう、自分の心の機微に疎い感じ。』


こころ「…?えー、そう?」


澪『勝手な偏見やけん、気にせんとって。そうやな、好きなことがある人に相談した方がよかよ。』


こころ「そっかぁ。でも、参考になったよ、ありがとう!」


澪『なん。……そうやな、奴村とかでもいいっちゃない?あの人歌好きやなかったっけ。』


こころ「へぇ?意外と周りのこと見てるじゃーん、お姉さんっ。」


澪『しゃあしか。切るけんな!』


そういうと、僕が返事をする前に

切るボタンを押したらしい。

すぐさまプープーと

簡素な機械音が流れた。


こころ「そっか、陽奈…。」





°°°°°





こころ「じゃあさ、ひとつだけお願いしていい?」


陽奈『いいよ。』


こころ「もしも、僕の心が折れそうになってたら…見つけだしてくれないかな。」





°°°°°





あのお願いの有効期限が

まだ切れていないことを祈って、

静かにスマホを握りしめた。

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