バッカスの一員として

18話 本当の練習開始

(やっぱ世界最高の環境だよな。試合のスタジアムよりもこっちの芝生の方が凄い……)


 プレシーズンマッチで初得点を挙げた翌々日である。

 試合の翌日は基本的に練習はオフになる。それはシーズン中もプレシーズンマッチといえども同様である。


 バッカスに加入して直後の練習では無我夢中で感動している暇もなかったのだが、一夜明けて練習場に来ると改めてその凄さが際立つ。

 芝生、ロッカールーム、クラブハウス、ウエイトなども含めたトレーニング設備、専属のマッサージ師やトレーナー、映像機器やAIなども導入した最先端の解析システム……WFCの設備ももちろん世界最高水準のものであったが、バッカスもそれと同等…いや、規模感を考えるとそれ以上のものだろう。少なくとも先日試合に訪れた2部チームのスタジアム設備よりも、バッカスの練習場の方があらゆる点で上回っているのは間違いない。


(ま、でも環境だけじゃ選手は作れないよな……)


 当たり前だがどんな立派な設備を誇っていようとも、それだけでは宝の持ち腐れだ。フットボールは練習環境を競うものではない。すべては試合で競い合うものだ。

 そして試合ではどんなことが起こるかわからない。どんな弱小クラブもバッカスのようなメガクラブに勝つ可能性があるのだ。

 そこに俺は少しばかりのロマンを感じていた。レセルビ監督流に言えば「ボールは丸いのだから、どっちに転がるかわからないだろ?」ということになるのだろうか?






「キツイか、ゲイト!?」


 レセルビ監督がふと思い出したように、俺に声を掛けてきた。


「……は! 全然っすよ! まだまだいけますよ!」


 俺も強がってそう答える。

 息は切れ、ふくらはぎはガクガクと震えかけていたが、当然のように俺はそう声を張り上げる。通訳の春田が伝えるまでもなく、俺の日本語で何となくの意図は伝わったのだろう。

 監督は俺に向けてサムズアップして微笑んだ。


 全体練習が始まって1時間ほどが経っていたが、俺だけが別メニューでグラウンドの周囲をグルグルと走らされていた。それもただ漫然とジョギングをするのではない。1周ごとにタイムを計測され、基準に満たない場合はさらに1周追加されるのである。


(クソ! 高校の部活じゃねえんだからよ!)


 どう考えても俺に最も足りないのは技術のはずだ。蹴る・止めるなどの基本的なボールを扱う技術、それからこうした場合にはこう動くといった動きの技術……これらが最も必要な要素だろう。だから当然みっちりと基礎的な練習からさせられると思っていた。


 だが……こうした監督の意向はもっともなものだ、とすぐに俺も理解した。

 今日の全体練習の最初、ほとんどウォーミングアップを兼ねた幾つかのランニングメニューに俺は全く付いていけなかったのだ。

 最初の短い時間のジョギング、ジグザクダッシュ、ストップ&ゴー、400メートルラン……時間にすればほんの30分に満たない練習だったろう。そのすべてで俺は彼らに付いていけなかった。

 チームはボールを扱う練習に移っていたが、俺は全体練習とは別にランニングメニューを継続するように監督に言われたのである。


(チクショウ!)


 俺は屈辱を感じていた。

 俺はWFCのチャンピオンだぞ? もちろんサッカーの技術で劣っているのは仕方ない! だが、フィジカルの部分で彼らについていけないなんてことがあるのか? その事実を受け入れるのは少し時間が掛かった。

 いや、正直に言えば俺は彼らを少し舐めていたのかもしれない。

 世界最高クラブであるバッカス、そのイメージは常に華麗で他を寄せ付けない圧倒的なフットボール。常に相手をタコ殴りにするように一方的に攻め続けては、圧倒的な個々の技術で得点を奪う…………そんなイメージしかなかった。試合を見ていると必死に走らされているのは常に相手チームの方で、バッカスの選手は常に悠然とボールを操っているかのように見えていた。

 だから彼らは圧倒的な技術の上に胡坐をかいて、必死に走ることなど忘れてしまっているに違いない……そんな風に俺は思っていたのだろう。

 実際はそんなことはない。穏やかで笑顔を交わしながらに見えた最初のウォーミングアップも、皆競い合うように先頭を目指し走っていた。いや、実際彼らには競い合っているという意識もなかったのかもしれない。本当にいつも通り軽い気持ちで走っていただけだったのかもしれない。

 それだけ彼らトップフットボーラーには走るということが染み付いているのだろう。




(……けどな、見とけよお前ら!)


 だが俺は屈辱と同時にどこか快感も覚えていた。

 WFCチャンピオンとなった俺は、周りから尊敬されチャンピオンとして扱われることにも慣れてしまっていた。MMAという競技を極めたとはまだまだ全然思わないが(WFCチャンピオンになったとはいえMMA選手としての俺もまだまだ欠点だらけだ)、それでも強者となってしまったことが俺を縛っていた。

 ここでは違う。圧倒的に俺が最下位の選手であり、皆は俺を見てクスクス笑ったり、時々憐れむような視線を送ってきていた。こんな燃えるような気持ちは久しぶりだった。


 本格的にMMAを始めるために渡米した時期のことを思い出していた。

 辛く、惨めで、日本に帰りたくて仕方なかったあの時期である。あの時期に踏ん張ったから俺はWFCチャンピオンにまでなれたのだ。

 同じに決まっている。一つ一つ自分のフィジカル・技術を埋めてゆくことで乗り越えていけばいいだけのことだ。

 フットボーラーとしての俺には伸び代しかないのだ!






「よし、ゲイト! 終わりだ! 今日は上がろう!」


 2時間半ほどの練習中俺はずっと走ってばかりだった。ボールを使った練習や、誰かとの対人練習も一切しなかった。

 息を切らしながら俺はレセルビ監督のもとに駆け寄る。


「キツイか、ゲイト?」


「へ、舐めないでくださいよ! 腐っても俺はWFCチャンピオンですよ? こんなことで音を上げるわけがないでしょ?」


「まあ、そうだろうな。だが功績のある者は時として築き上げてきたプライドが自分を傷付けることもあるからな」


「は、ここに来るって決めた時からそんなものは日本に捨ててきましたよ!」


 俺の答えは本心だった。こんな燃えるような気持ちをまた味わいたくて、経験のないサッカー選手としてプレーするなどという、とち狂った選択を俺はしたのだ。

 俺の表情を見てレセルビ監督はニヤリと微笑んだ。


「ふ、流石だな。……正直言ってな、昨日の試合を見るまでワシはゲイトに期待していなかったんだ。会長の意向をいかに有耶無耶にして逃げるか、あるいは仕方なくピッチに立ったキミを除いた10人で如何に勝つか……どちらかというとそんな考えを進めていた。……だが昨日のキミを見て考えが変わった。フットボーラーとしてどれほどキミが変われるか、ワシ自身がこの目で確かめてみたくなったんだ。だからこうして改めてチームの一員として本気で練習に参加してもらったわけだ」


「……ああ」


 試合前にも2回ほど練習に参加していたが、それは俺をお客様として扱ったぬるい接待練習だったのだろう。今になってみるとそれに気付く。


「良いか、ゲイト? まずはフットボーラーとして走る力を身に付けろ。そして昨日の試合でまず最初キミは何を狙っていた? 相手のボールを奪うことだろ? その判断は間違っていない。まずは守備で貢献するんだ」


「……ああ、わかったよ」


 俺はレセルビと握手を交わした。

 監督の言葉は俺の着眼点が間違っていなかったことを物語っていた。

 もちろん俺は何だってやってやるつもりだった。別に世界最高のチームに加入したからといって華麗なプレーをしてやろうという気持ちは微塵もなかった。自分が勝利に僅かでも貢献出来るならば、泥でもすすってやるくらいの気持ちだった。


 MMAだろうとサッカーだろうとその気持ちは変わらない。

 ただただ俺は、負けるのが死ぬほど嫌いなのだ。



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