12話 レセルビ監督
「皆も知っていると思うが、日本から来た鷹輪ゲイトだ。よろしく頼むな」
俺を引率してきたクラブのスタッフが中にいる人間たちにそう声を掛ける。それに続き俺自身がクラブハウスに入ると一斉に皆の視線が集まる。
(うお! ネッシにズアレズ……それだけじゃない、ここにいる誰もが素人の俺でも知っているサッカー選手ばかりだ!)
見慣れたWFCのトップ選手を前にして浮足立つようなことはもうないのだが、今まで全く接することのなかったサッカー界のトップ選手を前にしては流石の俺もミーハー心が出た。このクラブハウスにいる誰もが超一流のサッカー選手であり、畑違いの俺でも知っているスーパースターばかりだったのだ。
このバッカスFCはそれほどのチームなのだ。
「初めまして、セニョールゲイト。監督のレセルビだ。よろしく頼むよ。キミのことはバルベルデ会長からじっくりと聞かせてもらっている。キミ自身色々と不安だと思うが何も心配しなくて良い」
最初に挨拶をしてきてくれたのは、このチームの監督レセルビだった。
「鷹輪ゲイトです! よろしくお願いします!」
がっちりと俺は握手を返した。正直言ってチームからどう迎えられるかは未知数であり最大の不安点だったので、監督がこうして友好的な態度を示してくれたことに俺はとりあえず安堵した。
「まあ今はシーズン開幕前のキャンプの時期だ。これから開幕に向けて徐々にチームを作り上げてゆく段階だから、まずは少しずつ慣れていってくれれば良いさ。キミがある程度実際に試合に出なければならない、ということも会長から聞かされている。そしてキミが全くのフットボール素人だということもね。すべての責任は私が取る。そのことをキミ自身が思い悩む必要は一切無い。余計な焦りを抱くな」
レセルビ監督は俺の目を見て真っ直ぐに言った。会見の時にいた例の日本人通訳が今も俺の傍らにおり、その言葉を伝えてくれた。
「ありがとうございます……」
まさか初対面でこうハッキリとそんなことを言われるとは思ってもみなかった。それだけで俺はこの監督が人として信頼に足る人物であると思えた。
俺の言葉を通訳が監督に伝える。
……クソ、この時間はもったいないな……。それに実際の練習や試合になればまさかピッチ上にまで通訳を連れて行くわけにはいかない。何にせよ言語の習得は早ければ早い方が良いだろう。
通訳の言葉にわざわざ顔を傾けて注意深く聞いているレセルビ監督の顔を俺は興味深く見ていた。
「まあな、自分ももうバッカスの監督になって8年が経つ。その間に本当に色々なことがあった。あの会長のムチャにも随分と慣れたものだよ。傍目から見ればこれだけの資金と戦力を与えられて、さも当然のように順風満帆に最強クラブになったように見えるかもしれないが、自分としてはずっと苦難の連続だったさ。監督と言えど何もかもが思い通りになるわけではないことは骨身に沁みて分かっているさ。もちろん、ノーと言うべき時にはハッキリとノーと言うがな」
「……ということは、俺の加入に関して監督は反対しなかったんですか?」
「ははは、もちろん反対したさ。ただの屈強な素人をこのチームに入れるなんてあまりに馬鹿げている! とな。だが自分が意見した時にはすでにキミの加入は決定事項だった。フットボールの監督というのはな、一流レストランのシェフというよりも家庭の主婦のようなものなのだよ。欲しい材料がいつでも冷蔵庫から取り出せるわけではない。与えられた材料で最高の料理を作らなければならない……あるいは最高には及ばずとも食べる人間がなるべく満足するような料理を作らなければならないものなのだよ。むろん今のバッカスが最高のチームであることは疑いようのない事実だがな、それでも地方のアマチュアクラブで最初に指揮を執り始めたときからその点に関する自分の考えが揺らいだことはないな」
何やら独自の不思議な哲学のある監督に思えた。
俺が今まで格闘技の中で接してきたコーチたちも、知的レベルや競技への情熱に於いて引けは取らないだろう。だが監督の言葉は今までの誰よりも不思議で、胸の中で留め置きたくなるような魅力的なものに思えた。
もちろん俺は、チームのことだけでなく監督のことも最低限調べてからチームに合流している。依然としてアメリカで俺のマネジメントをしてくれている中村先輩からのアドバイスもあった。
レセルビ監督は自身も元プロのサッカー選手である。だが現役時代はスペイン代表に選ばれた経験も無く、このバッカスでプレイした経験も無い。選手としては華々しい活躍をしたとは言えず、29歳で自らの現役に見切りをつけ早くから監督業に回ったそうだ。
そして監督として開花した。アマチュアクラブから監督を始め、数々のクラブを数年で強くしてはその手腕を買われ、監督自身はまた新たなクラブに引き抜かれるということを繰り返し、ついにはこの世界最高のチームであるバッカスの監督にまで上り詰めたという人物だ。
クラブ創立から100年以上経つバッカスだが、バッカスで選手としてプレイ経験のない人間が監督に就いているのはレセルビ監督が初めてのケースだということだ。
もう60歳を過ぎ、ほとんどハゲかけた頭部と針のように細い体躯は元サッカー選手にはとても見えず、下町の神経質そうなオヤジにしか見えない。だがバッカスが6度のマスターリーグ制覇という歴史的偉業を成し遂げたのは全てこの監督の下でのことなのだ。
「ヘイ、ボス! いつまで新入りと話しているんだい? 俺たちはフットボーラーだ。ピッチの上が俺たちの仕事場だぜ? 細かいことはボールを蹴ってから聞けば良いだろ? そろそろ練習の時間だぜ!」
俺とレセルビ監督との長時間の会話にしびれを切らしたのだろう。ある選手から声が上がると他の選手からも同様の声が上がり、バッカスでの俺の初めての練習が始まった。
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