5話 告白

 俺は18歳の頃、渡米前の品川真奈美しながわまなみとの会話を鮮明に思い出していた。


「あ、あの……俺、ずっと品川さんのことが好きだったんだ! だから、良かったら俺と付き合って欲しいんだ!」


 高校の卒業式を一週間ほど後に控えた頃だった。まだとても寒かった記憶がある。

 放課後、校舎の屋上に真奈美を呼び出して俺は告白をした。


「あ、え……本当ですか? でも鷹輪君、卒業したらアメリカに行くって……」


「ああ。向こうで本気でプロ目指してやってみないか、って話が来ててな……。だから、しばらくは簡単には会えないと思うんだけど、でも俺は品川さんのことが好きなんだ。だから……」


 今思えば俺は無茶苦茶なことをしていたと思う。真奈美の気持ちなど微塵も考えず、ただただ渡米前に自分の気持ちを吐き出してスッキリしておきたかった。そんな心境だったのだと思う。まだ18のガキだったからとはいえ、それだけで許されるような行為ではない……と今になってみれば思う。


「……えっと、私とてもビックリしてるんですけど、鷹輪君がそう言ってくれるのはとても嬉しいです……」


 俺と真奈美はもちろん昔から互いに存在は認識していたが、日常的にはほとんど話すこともなかったような間柄だ。

 俺の妹のしずくと真奈美が小学校の同じ吹奏楽部で薄く関係性があった……と知るのは俺が渡米してからのことだ。その頃の雫は思春期らしく俺とはほとんど話すこともなかったのだ。

 そんな関係性でのいきなりの告白は暴力に近い。それでも真奈美はそんな俺に対してきちんと気持ちを割いてくれた。それだけでも彼女の優しさが伺える。


「……でも、やっぱり付き合ったりは出来ないです。ごめんなさい!」


 少し間を置いてからだった。長い黒髪を振り乱して真奈美は大きく頭を下げた。

 もちろん俺にはそれだけで充分過ぎる答えだった。ほとんど接点のない俺に対して誠実に応えてくれたのだ。


「……そうだよな、いきなりゴメンな……」


 俺はむしろ清々しい気持ちだった。これで春からの渡米に心置きなく集中出来る。むしろ俺はフラれるために告白したんではないか? そんな気持ちだった。


「あの!……」


 敗者は潔く去ろうと踵を返したところに真奈美の声が飛んできて、俺は振り返った。


「あの、鷹輪たかのわ君……私、スポーツはよく分からないですけど頑張って下さい。何でも頑張ってる人は素敵だと思います!」


「……ありがとな、絶対一番になるよ」


「はい、鷹輪君が一番になって日本に帰ってきたら、その時また会いましょう」


 その言葉と笑顔はいつまでも俺の網膜に焼き付いていた。




「あ、あのな……」


 現実に戻った25歳の俺は同じ歳の真奈美を見つめていた。


「あの別れ際の時に真奈美が言ってくれたことが、アメリカでもずっと支えになってたんだ……えっとだからな……」


 クソ……思ったように言葉が出て来ない。まさか緊張しているとでも言うのか?

 バカな! 俺を誰だと思ってる。俺は絶対王者といわれたあのムルハドメゴフから一本取った男だぞ!

 真奈美はテンパる俺を、あの時と同じ優しい眼差しで見つめ真剣に言葉を聞こうとしてくれていた。

 18歳の真奈美も25歳の真奈美も、そして俺自身も何も変わっていないんじゃないか? ふとそんな気がした。


「とにかくさ……俺は世界一になった。……WFCライト級のチャンピオンとなれば、もちろん俺より大きい階級の選手もいるけど、まあ世界に誇れる立派なものだと思う。だから……改めて俺と付き合って欲しいんだ」


 言った! はっきりと言ったぞ! ……ここから真奈美の反応はどうあれ、俺は俺に定めていた責務を果たした! この時のことをアメリカでずっと思い描いていたんだ! どれだけ辛い時もこの時のことを思い描いていたから耐えられたんだ!


 一大仕事をやってのけた俺に対して、真奈美は頬を赤らめながらも、だがどこか困惑した表情でぱちくりと瞬きをして俺を見つめていた。


「……えっと、ゲイト君がWFC? のチャンピオンになったっていうのは雫ちゃんからも聞かされていたんだけど……そのWFCっていうのは何なの? オリンピックみたいなもの?」


「あ、え?……えっと、そうだよな……」


 俺は慌ててスマホを取り出し、つい先日の試合映像を動画サイトで検索した。

 無料サイトでは画質の粗い違法視聴の動画しか見つからなかった。……クソ、何で当事者の俺がこんな正規でない動画を見せなきゃいけないんだよ! とイラついたが、今はとにかく映像を真奈美に見せることが先決だ。


 映像は細切れになっており、画角もおかしかったが(削除を防ぐためにわざとそうしているのだろう)、ともかくゴングが鳴ってからの俺とムルハドメゴフの一連の攻防を映してはいた。

 妙な編集のせいか、2Rで俺が一本勝ちを収めるまで5分に満たない動画になっていた。まあこの場合はちょうど良かったのだろう。


「あ、あの……ゲイト君、もう良いです……」


 顔を上げた真奈美の顔はなぜか苦しそうな表情に見えた。予想だにしなかった反応に俺の胸が悪い方にざわめく。


「ゲイト君……格闘技してたんですね。すみません、その、私、人が殴り合ったりしているのとか見たことなくて。……ゲイト君の晴れの姿だから頑張って見ようは思ったんですけど、どうしても見てられなくて……」


「あ、え……?」


「あの……私てっきりアメリカで世界一を目指しに行くって聞いていたから野球だとかバスケだとかそういうのだと思ってました。……ごめんなさい! スゴイとは思うんですけど私、野蛮なのはちょっと……。それに私の親に何て紹介して良いか……」


「あ、え……?」


 予想外のところからグラウンドに引きずり込まれたような感覚だった。

 俺のやってきたことを真奈美は理解していなかったのか? いや、じゃあ何を聞いてこの会に集ったのだろうか? 俺のやってきたことをよく分からないまま、ただただ皆や雫が勧めるままにやってきたということなのか?

 そうだ! 雫は? 雫は俺のやってきたことを真奈美に説明してこなかったのか?




「え、ちょ、待てって! 品川お前、ゲイトがチャンピオンになったWFCって何か知らなかったのかよ!?」


 やや無神経な声が向こうから飛んできた。

 声の主はこの会を取り仕切っていた相田だった。てっきり俺と真奈美のやり取りなど誰も興味なく、お互いそれぞれの話に夢中になっているとばかり思っていたら、コイツらキッチリと聞き耳を立ててやがったようだ。……クソ!

 相田だけでなく他のヤツらも、俺と真奈美を野次馬根性丸出しの視線で見つめていた。

 俺はとりあえず全員を黙殺して、雫を眼差しだけで問い詰めた。今までやり取りをした中で真奈美に俺のことをきちんと説明しなかったのか? ということである。


「はぁ……いや、だってさ、真奈美先輩みたいな可憐な女子に汗臭い男同士の殴り合いなんか見せるわけないじゃん!」


 雫はキリっと俺を見つめ返し、一分も悪びれることなく答えた。

 ……うむ、流石に我が妹だ。この気の強さ、やはり闘う者の血筋なのだろう。


「あの……ごめんなさい! 私、どうしてもそういう過激なものは生理的にムリで! ……っていうか、私がもっと早くきちんと雫ちゃんに聞いておくべきだったね!」


 場の空気を察した当の真奈美が俺に向かって心底申し訳なさそうに頭を下げていた。


「……いや、そんな、俺の方こそゴメン……」


 なんて答えれば良いのか分からず、出てきたのはそんな曖昧な言葉だけだった。

 真奈美に謝られてしまうと余計に何も言えることはなかった。

 今の真奈美の気持ちを動かすのはどう足掻いたって無理に思えた。生理的に受け付けない男が功績をどれだけ誇っても何の意味もない。ゼロに10を掛けても100を掛けてもゼロにしかならない。そういうことだ。


 俺は今までどんな強敵だってコントロールして勝ってきた。

 オールアメリカンのレスラーも屈強なダゲスタン勢もブラジリアン柔術黒帯の相手だってテイクダウン出来る自信はあるが、全く噛み合う所のない相手には俺のパワーも培ってきたスキルも何の効力も発揮しないのだ。


「ま、そういうわけだ、ゲイト。とりあえず飲め飲め!」


 空気を敏感に察した相田が、空になっていた俺のグラスにビールを注いだ。


「…………」


 俺もこの空気をどう変えれば良いのか分からず、とりあえずグラスを空にする。


「お、流石はチャンピオン! もう一杯いくか!」


「うるせぇ! お前も飲めよ!」


 いつの間にか相田に慰められているのがどうしても気に食わず、俺はヤツのグラスに返杯を注いでやる。その様子を見て他の連中も俺と今一度乾杯をするために集まって来た。


 まあ何が何だかよくわからんが、俺たちは再び酒を飲み、昔のことを振り返ったりお互いの近況を話したりして盛り上がったのだった。



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