第26話:冒涜の結末
セリウスは落ち着いていた。
阿鼻叫喚の地獄の中、一人机に座り紅茶を嗜む。これが最期だと理解しているからこそ、誰よりも落ち着いていた。この結果に満足しているのが何よりの理由。己の研究成果が天敵である聖域すら乗り越えて暴れている。
だからこそ、目の前に黒い死神が現れた時も、特に何も感じなかった。
来るべき時が来た、そう思っただけだった。
「見つけた」
「ええ、見つかりました。紅茶は如何ですか?」
この期に及んでも冷静さを崩さないセリウスの姿にシンシアは不気味さを覚える。
最後の最期まで、セリウスが何を考えているのかシンシアは理解できなかった。
「何か、言い残すことは?」
「必要ですか?」
「謝罪の一つもないんだ」
「する必要がありますか?」
セリウスからすれば、等しく研究成果。倫理から外れ、人の道を外れ、その結末にどんな文句を付けようか。謝罪? 何に対して。踏みつぶした虫の数など数えるまでもない。
今更何に謝れと言うのか。謝り始めればキリがない。だから謝らない。己の信念に従って。
シンシアとメイには全く理解できない領域の精神だった。
「聖域の解除方法は」
「この部屋の奥のボタンを押せば、それで解除されますよ。シンシア嬢は以前ご覧になりましたね、あのボタンです」
「それは教えてくれるんだ」
セリウスは落ち着いた様子でカップの中の紅茶を飲みほした。満足げに一息吐く。
「私はね、満足しているのですよ。この結果に」
「——どうして」
「語らせていただいてもよろしいのなら、語りましょう。けれど、あまり時間はかけない方がいい。今のあなた方では、まだ帝国には勝てない」
シンシアとセリウスが会話をしている横で、メイがシンシアからボタンの位置を聞いて聖域を解除した。二人を抑え込んでいた力がなくなり、途端に抑圧から解放される。
「研究所がこのありさまでは、どのみち私は責任を取らざるを得ません。殺すなら今のうちですよ、どうせ帝国に始末される身です」
「どうしてそんなに落ち着いていられるの」
「だから、満足しているからですよ」
何を当然の事をとセリウスは語る。
「私の研究結果はここまでたどり着いたのだと、あなた方が証明してくださいました。これ以上何を望むというのでしょう」
「いかれてる……」
「研究者にとっては誉め言葉ですね」
これまでで一番柔らかくセリウスがほほ笑んだ。
滅多に笑わなかったセリウスだからこそ、余計に不気味さが勝つ。
「そうですね、これが最期というのなら、一つだけ言い残したいことがあります」
「——なに」
「お礼です。シンシア嬢は私の研究に付き合ってくださいましたからね。ご褒美として、一つ情報を差し上げましょう」
廊下から悲鳴が聞こえる。聖域が解かれたことで、聖域を再発動しようとして集まってきた研究員がメイに殺されているのだ。
セリウスは変わらず落ち着いている。飲み干したカップを指先で叩いて遊ぶ程度には。
「シンシア嬢とアリア令嬢。何が違うのかと調査した結果、アリア令嬢の死体には魂が残っていなかったことが判明しておりましてね」
「何が言いたいの」
「簡潔に要点だけを申しますと、シンシア嬢が見た御母堂の処刑時には、御母堂の体には魂が残っていなかった可能性が高いということです」
——魂が体に残っていなかった?
その言葉をシンシアが咀嚼するのにしばしの時間がかかった。セリウスはここぞとばかりにティーポットから紅茶のお代わりを注ぎ始めた。
シンシアが見た、あの母の虚ろな目。あれが感情が殺されるほどひどい目に遭ったわけではなく、元から中に誰もいなかった抜け殻だったから? なら、魂はどこに行ったのか?
「魂をどうこうする秘術は教国が秘匿しておりましてね。アリア令嬢は過去教国に留学していた時期があるそうで。その伝手で何かを企んでいたのでしょう」
「何が言いたいの」
「いいえ、これ以上は何も。興味があるならば、調べてみると良いでしょう」
セリウスは本当に、これ以上を語ろうとしなかった。落ち着いて紅茶を再び啜るだけ。
シンシアはどうしようか迷った感情のままに、セリウスへ剣を突き立てた。
雪が積もる山の中。シンシアとメイは二人で歩いていた。瘴気の兵士に荷物を持たせ、研究所を破壊しつくし、どこへ行こうかと彷徨った結果、再びレイヴアイア王国と帝国の境界の山脈に一度身を隠すことにしたのだ。
「……シンシア、本当に大丈夫?」
「——うん。ごめんね、お母さん。こんなところにしか埋葬できなくて」
研究所から持ち出したシンシアの母の遺体は、山脈の頂上に埋葬した。雪が積もる寒い地であるが、見晴らしは悪くない。埋葬出来ただけましだと、シンシアは納得することにした。
「今後はどうしようか」
「そうだね。それを決めるために、起きてもらおうか」
シンシアたちが運んでいた荷物には、二つの遺体があった。
一つはシンシアの母、アリアのもの。もう一つは――
「これは、驚きましたね」
——セリウスのものだった。
自分の状況が上手く認識できていないセリウスに対して、メイとシンシアは並んで手を伸ばす。
「考えたけれど、やっぱり私の復讐には貴方の考えが必要だから」
「シンシアがこういうから、私と同じようになってもらったんですよ。私は反対したんだけど」
自身に差し伸べられた手をセリウスはまじまじと見つめて、愉快そうにその眼を歪めた。
「——ふむ、これもまた一興ですか」
「やる気になったなら、さっそく今後の方針を決めるから案出して」
「私とシンシアだけだと手当たり次第に暴れるぐらいしか思い浮かばなかったんだよねー」
「それはそれは。確かに、私の知恵をお貸しした方がよさそうだ」
心の底から愉快気に、声を出してセリウスが笑う。
生きていた時とは全く違うその様子に、これまたシンシアとメイは目を丸くして驚いた。
「では、まずは授業から入りましょう。研究所が潰れた以上、我々には拠点が必要です」
「どこかの都市にでも攻め込む?」
「それも良いかもしれませんが、ひっきりなしに訪れるハンターたちに対処するのがやっとで復讐は二の次になってしまうでしょうね」
シンシアが出した安直な案はセリウスによって即座に却下される。
ならばとシンシアが口を開いたところで、セリウスが人差し指を立てて話始めた。
「ここで地理の話をいたしましょう。お二方はレイヴアイア王国の周囲にはどのような国があるかご存じですか?」
「お母さんは南に教国があるって話はしてた」
「で、西に帝国だよね」
「その通り。東にはノーリティス王国があります。では、北には何があるかご存じですか?」
メイはもちろん、シンシアも北に何があるのかは知らなかった。シンシアは地図を見せてもらったことがあるが、確かそこにあるのは空白地帯だ。
「魔領域と呼ばれる亜人種たちの住まう領域が、レイヴアイア王国北方には広がっています。我々の次の目標はそこに赴き、ハンターたちから身を隠すことができ、かつ力を蓄えることができる拠点を作成することとしましょう」
こうして、アンデッドたちは北へと向かう。
そこに住まう者どもの都合など考えないままに。
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