第18話:暗き町の中で
ドールダングの町は大混乱の一言に尽きた。
女子供から優先的に避難活動を進めていたところ、黒い靄の向こうから突如黒の兵士が現れたのだ。
黒の兵士たちは人間を手当たり次第に襲うのではなく、武器を持っている人々を集中的に襲うため、ハンターと兵士たちは黒の兵士を対応する役を捻出することを余儀なくされた。
避難が遅れた人の中には瘴気にあてられて倒れ始める人も出始め、救助の手も必要となってくる。避難の中継地点としてハンター組合内を大量の聖水を用いて浄化し、一時避難場所としたことで途中で倒れた人々の救出をスムーズに進められるようにした。
未曽有の危機に町中が一致団結しようとしているなか、音頭を取るべき領主の不在を惜しんだ。仕方がなく現場指揮同士でやり取りして、ハンターと兵士が協力している状況にある。
着実に避難が進む中、一向に町の外に逃げられないでいる人間が一人いた。
アダバルンだ。
「くそっ、くそっ! 何なんだよ、おかしいだろ!」
彼が逃げようとした場所は黒の兵士が先回りしていたり、突如地面から黒色の壁が生えたりして行く手を塞がれていた。結果として、同じような場所をぐるぐると巡ることになり、体力ばかりが失われていく。
「どーこでーすかー?」
どこからか響いてくる女の子の声も彼を急かす一因になっていた。
声の大きさから徐々に近づいてきているのがわかる。
「こっちかなー? どっこかなー?」
わざと声を出して場所を教えているのが性質が悪く、完全に逃げ回らせるのを楽しんでいる。
動物が捕らえた獲物で遊ぶように。
「ふざけんなよ。ありえねぇよ……」
地面を這い必死に逃げるアダバルン。ハンターから始め、領主の目に留まり兵士に抜擢された。領主の覚えも良く、今後の出世も見えてき始めたばかりだった。こんなところで終われないと全力で逃げる。終わらない、終われないと叫びながら。
聞こえてくる声から何とか遠ざかるようにどこまでも、地の果てまでも逃げるつもりでいた。どんどん町の出口から遠ざかっていることにも気づかずに。
——時間が経ち瘴気に飲まれ、動くのも億劫になり始めたころ。もうだめかと絶望したその瞬間、声が止んでいることに気が付いた。
「どいてくれませんか? 私、人を探してるんです」
「はいどうぞって言いたいが、そうもいかねぇんだよなぁこれが。ほんっとうに残念なんだけどよ」
シンシアの目の前に立ちはだかるのは身の丈ほどもある大剣を携えた男。
シンシアは彼が誰なのかを知っている。先日ハンター組合で話をしたばかりの男の姿をどうして忘れられようか。
「町中で、魔物と出くわして逃げ出すような奴はハンターやれてねぇよ。なぁ、公女さん」
「私の事を知ってるの?」
「もちろん。翠色の目の少女のアンデッドなんざ一人しかいねぇさ。父親の累で処刑された哀れな公女シンシア。聞いた話じゃ、父親とはなんも関係なかったってのにな」
ケラス。メイに優しくしてくれたハンター。彼がシンシアの目の前に立ちはだかっていた。
シンシアは考える。
ケラスは親切にしてくれた男で、彼には恨みも何もない。それどころか言いつけを破ってしまった負い目すらある。できれば戦いたくはない。
シンシアのやりたいこととしては、アダバルンをさっさと追い詰めて、絶望の果てに殺してやりたい。動かしている黒の兵士たちが動いてくれているから逃がす心配はないとは言え、あんまり時間を使いたくもない。
メイの復讐だけでなく、シンシア自身の目的のために兵士たちも殺さなければならないのだ。時間がそんな残ってるわけではない。
「……見逃してくれませんか? 結構急いでるので」
「聞き直してもひっっっじょーに残念ながらダメだな。いや、本当に残念だ。許されるならさっさとケツ巻いて逃げ出してぇよ」
アンデッドの格というのは生み出す瘴気の量でわかると言われている。
一般的な屍鬼なんかはせいぜい肩組んでしばらく時間が経つと気分が悪くなる程度。
それが一瞬で領都を覆いつくすほどの量を生み出すのだから、規格外としか言いようがない。
ケラスが逃げ出したいというのは本心からの言葉だった。だが、残念ながら現在この町のハンター組合には彼以上にシンシアをどうにかできる人物がいない。足止めしなければ多くの人々が死ぬだろう。見逃すのは魔物から人々を守るハンター組合の理念から最もかけ離れた行為だ。
外れくじも外れくじ。死ねと命令されると同義に近い。
「じゃあ、しょうがないよね。怪我ぐらいは許してくれるよね?」
「——できれば死なない程度でお願いするぜ」
シンシアが周囲に剣を作り出すと同時に、ケラスも持っていた大剣を構える。
一拍の見合いをおいて、戦いの開始を告げたのは何度目かもわからない鐘の音だった。
シンシアはその場から動かない。自身の周囲に瘴気の剣を生み出し飛ばすだけ。
ただそれだけのことでケラスは受けに回るしかない。
一度大剣を振り回す、それだけで襲い来る刃の雨を何本も砕いて見せる。続く刃も滑らかな大剣捌きにより払いのける。何度も、何度も、何度でも繰り返す。
近づかなければ攻撃できないケラスに対し、離れた距離から一方的に攻撃できるシンシア。有利不利は明確だった。
息切れを待とうにもシンシアの武器は周囲に漂っている瘴気。町を覆いつくす量の瘴気が枯れるまで耐えるなんてできるはずもない。
つまり、ケラスは無理にでも攻めるしかない。
大剣を振るうたびに一歩。刃を振り払うたびに一歩。着実に近づく。
シンシアは動かない。ただ無作為に刃を作り出し、放つだけ。
あと数歩というところまで近づいた瞬間、ケラスは瞬間的に身を低くしシンシアへ急接近を果たす。それまでの緩慢な近づき方とはかけ離れた速度にシンシアは反応が遅れ――すんでのところで瘴気の鎧による防御を成功させる。
一瞬でも防御が遅れれば首を撥ねられていた。ケラスの武器は聖別されており、霊体のシンシアにも有効打を与えることが可能である。危機一髪のところだった。
「攻防両用ってか? ふざけた話だ」
愚痴を言いながらもシンシアからの剣の雨は止んでいない。
ケラスは足を止めることも許されず、再び距離を取ることを余儀なくされた。
「速くてびっくりした。ケラスさん、強いんだね」
「褒めてくれてありがとうよ!」
ひとしきり距離を取ったところで、一度シンシアの攻撃が止む。
何か来るのかと構えるケラス。それに対してシンシアは背後にいた黒の兵士の方を向いて指示を出す。
「ちょっと下がってて。少しだけ暴れるから」
黒の兵士はメイの体を抱えている。それを傷つけたくなかった。たとえ既に死体同然だったとしても。もうシンシアが乗っ取ることも難しい状態だったとしても。
「おい、その子はなんだ」
明確に隙を見せたシンシア。だからこそ、ケラスもメイの存在に気が付くことが出来た。
ぐったりと力なく抱かれているメイの姿をケラスは見た。
「だから、なに」
「なんだ、と聞いている。お前、その子に何をした」
明らかにケラスの纏う雰囲気が変わった。戦わざるを得ないから戦うのではなく、明確な殺意が眼に宿っている。
「——私が、殺した」
「そうか。一応聞くが、なんでだ?」
「必要だったから」
「ああ、そうかよ!」
先ほどよりも遥かに鋭い剣がシンシアを襲う。
上。左。右。嵐のごとく怒涛の剣戟を、シンシアは足元の瘴気から壁を生み出し防ぐ。まともに受ければ木々すら薙ぎ払うであろう一撃一撃を、何事もないかのように無効化してしまう。
足元に広がる瘴気の海から無限に沸く壁を越えられず、ケラスは埒が明かないと露骨に舌打ちをする。
「今度はこっちの番」
咄嗟の判断でケラスはその場から大きく飛びのいた。
先ほどまで彼が立っていた場所は隆起した棘が無数に生えており、その場にとどまっていれば串刺しは免れなかっただろう。
ケラスは理解する。この足元に広がる瘴気の海そのものがシンシアの武器であり防具である。そもそも瘴気が届く領域全てがシンシアの手のひらの上だと。やろうと思えば足場全てを凶器に変えることも可能だろう事実に苦笑する。
「手加減されてんなぁおい!」
「死なない程度ってお願いされたから」
「律儀なこった!」
足場から唐突に生える棘。シンシアから飛んでくる剣。決死の覚悟で近づいても、壁に阻まれてシンシア本人には届かない。
積みに思われた状況だが一つだけ、一つだけケラスには有効打があった。一回限りの手段だが、仮にケラスが勝つとすればそれしか方法が存在しない。
対アンデッドに対する汎用的対策手段である聖水。その中でも飛び切り品質の高いものをケラスは一本だけ持っている。下手なアンデッドであれば一滴かかるだけで浄化される程度の代物だ。正面からぶつけられれば間違いなく致命傷を負わせることができる。
聖水を使うのには片手が必要になる。大剣は片手では扱うことはできない。決定的な隙を晒す必要がある以上、ここだというタイミングで切らないといけない。
「おらあああああああああ!」
怒号と共にケラスは地面に大剣を突き刺し、砕いた瓦礫を蹴り飛ばす。
シンシアの顔めがけて飛んできた瓦礫を、当然シンシアは瘴気の壁を正面に生み出すことで防いだ。
ケラスはシンシアの視界を塞いだ隙に左手を腰の鞄に回し、聖水瓶を取り出した瞬間、左肩を瘴気の剣に貫かれる。
ケラスは咄嗟に放り出され宙に浮いた聖水瓶を大剣の腹に乗せ、大剣の腹で押しつぶす要領でシンシアへ押し付けに行く。
聖水瓶が割れて、中身が放出された。聖水に触れた瘴気が浄化され、その部分だけがあるべき元の姿を取り戻す。
「……ここまでか」
「そうだね」
あと一歩。あと一歩のところでシンシアに届いたはずだった。
ケラスは右足が棘に貫かれ、その一歩が踏み出せなかった。
左腕も使えず、足踏み込むことができず、大剣を振り回すことは不可能。
切り札も不発に終わり、戦闘続行は不可能だった。
「ケラスさんは強かったから、もう少しだけ痛い目に遭ってもらうね。念のために」
「……命乞いは認めてもらえるか」
シンシアはその場に倒れこんだケラスの四肢を棘で貫き、地面に磔にした。
もう動けないだろうということを確認した後、シンシアは背後の黒の兵士を連れてその場を後にする。
「それじゃあ、行こうかメイ。私たちの復讐を終わらせに」
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