第3話:裏切り者に罰を
「何を驚いているのですか?」
まさしく、心外という風にセリウスは眉を顰める。
「シンシア嬢、すでに魔物の身となった貴女は数多くの敵がいるのですよ。復讐を果たすためにも障害として立ちはだかる者どもも多くいるでしょう。まさか、元凶だけ殺してはい終わりと考えていたわけではありませんよね?」
「そんな、そんなわけない」
「ならば殺しましょう。ここに並べているのは死んでも構わない者どもです。好きなだけ、幾らでも実験をしましょう。貴女の復讐を実らせるべく、彼らには刃を研ぐ砥石の役割を果たしてもらいましょう」
シンシアは復讐をすると決めた。私たちの苦しみをわからせてやると決めた。しかし、目の前にいる人々は復讐には全く関係のない人たちだった。
殺すだけならば、きっと瘴気を使えば殺すことができる。何となく感覚的に瘴気の出し方はわかっている。これも魔物の本能なのかもしれないが、シンシアにとって重要なのはそこではなかった。
シンシアを見るセリウスの視線は冷たい。それはシンシアを見定めようとしているようで、単に細かいことに興味がないようにも見える。
「今の貴女は魔物です。魔物であればハンターが殺しに向かってくるでしょう。彼らに対して、はいそうですと殺されてやるおつもりですか?」
「そんなわけ……っ!」
「彼らも同じです。復讐のための尊い犠牲でしかないのですよ。躊躇う必要はどこにもありません」
周囲から怯えた視線がシンシアを貫く。服装を見ればわかる。ここに集められた彼らは罪を犯したと言えど、そのほとんどは生きるために罪を犯すしかなかった人々だ。子供たちもきっとそうだ。集団での強盗と言っていたが、集まらなければ生きていけないから、奪わなければ飢え死ぬから。
彼らの感情がシンシアに伝わってくる。死にたくない、怖い、助けてほしい。それらは奇しくも、捕らえられ拷問されたシンシアが抱いていたものと酷似していた。
「……ふむ、仕方がないですね」
動けずにいるシンシアの代わりに、セリウスが動いた。
セリウスは横たえてある人々のうち、一人を足で転がしシンシアの前へ突き出す。そして、自分は更にもう一人、この中で最も幼い少女を拾い上げた。
「何を――」
「シンシア嬢、よく見てください。その男に見覚えはありませんか?」
目の前に横たえられている男に、シンシアは確かに見覚えがあった。カーラさんの家で何度かあって遊んでもらったこともある。そこにいたのはこの場所にいるはずのないカーラの夫だった。
「その男はあなたをかくまうどころか、売り渡そうとした男です。名を……忘れましたが、妻はカーラという名でしたかね」
唐突なセリウスの行動にシンシアはついていけていなかった。
なぜカーラの夫がここにいるのか、カーラ自身はどこにいるのか、疑問がシンシアの脳内に幾つも浮かんで消えていく。
「シンシア嬢、その男を殺してください。でなければ、私がこの少女を殺しましょう」
「なっ!」
「復讐をするのでしょう? ならば、まずは手始めに自分を売り渡そうとした人物から復讐をしましょう。その男のように」
セリウスの手元にはいつの間にか短刀が握られており、抱え上げられた少女の喉元に刃が突き付けられている。
少女の恐怖がそれまでの比では無いほどに膨れ上がる。死にたくない、死にたくない、何でこうなったの、誰か助けて。叫び声が聞こえてくるかのようだ。
セリウスは躊躇うことなく少女を殺すだろう。この短時間でも彼が倫理観の壊れた怪物だとシンシアは分からされている。少女を死なせたくなければ、シンシアがカーラの夫を殺すしかない。
殺す、しかない。人を、シンシア自身の手によって。
「これが復讐なのですよシンシア嬢。その男は復讐相手です。躊躇う必要がどこにありますか?」
そういわれようが、いきなり人を殺せと言われてもシンシアには踏ん切りをつけられない。
「もうそろそろ良いですかな? 私も手が疲れました」
「待って! まだ、もう少しだけ、待って」
セリウスが少女の首に刃を食い込ませる。少女の首から血が微かに流れて、床を汚す。恐怖が伝播する。
少女の恐怖が限界値を迎える。周りが自分も殺されるかも知れないと恐怖する。少女が酷い目にあって怒る人もいる。
「ふむ……それともこう言った方がいいですかね。その男は真っ先にシンシア嬢の家の場所を売った男です。その男がいなければ、母君も逃げる時間ぐらいはあったかもしれませんね」
——シンシアの脳が言葉を理解した瞬間、溢れ出んばかりの感情が体を支配する。
シンシアが生まれて初めての衝動だった。
「この人のせい?」
「ええ、調査させましたが、そのようですね。門のところでやり取りしていたらしいですよ」
「この人のせいで、お母さんはあんな目にあったの?」
「ええ、そうですよ。許せますか?」
「許せない……っ!」
瞬間、シンシアの体から黒い靄——瘴気が溢れ出る。
「素晴らしい……っ!」
命乞いの声が聞こえてくるようだった。実際に声になっているわけではないけれど。感情だけでシンシアには十分だった。
「……っ!」
宙に溢れている瘴気が渦巻き形を形成していく。想像したのはシンプルな剣。純黒の剣がシンシアの周囲を漂うように浮かび上がった。
その一本を手に取り、シンシアは男を見下ろす。男の頭が足元にある。男がシンシアを見上げる。怯え切った瞳。捕食される直前の餌。
振り下ろされた剣が男の首を貫き、血だまりが床に広がっていく。
周りから悲鳴が上がる中、乾いた拍手の音が響き渡る。
「お見事です。まさか瘴気を硬質化させるなど、聞いたこともありません。かなり高位のアンデッドであることは間違いないでしょ……う?」
抱えていた少女を放り投げて笑いかけるセリウスのことを、シンシアは一欠片も気にしていなかった。
シンシアの視線はまだ男の死体に注がれている。何かを待っているように。
「シンシア嬢? どうかなさいましたか?」
これは死霊の本能故の行動だった。美味しそうな香りがまだ残っている。そこにまだある。
シンシアは瘴気を這わせ、男の死体を包み込む。黒い靄に包まれた男の死体が宙に浮き、胸の位置から鈍く光る球が弾き飛ばされるように飛び出た。その球をシンシアは左手でつかみ取った。
鈍く光る球はシンシアの手の内から逃れようと必死にもがいている。徐々に徐々に溶けて消えるように、光の球の輝きが失われていく。
セリウスはその光景を見て、シンシアが何の魔物なのかを理解した。
「『
ソウルイーターは過去に数度、片手で数えきれるほどしか確認できていない災厄だ。死霊系の魔物であるため積極的に生者を襲う上、極めて悪質な特性を保持していた。
―—魂の捕食吸収。一般的に死の直後であれば、高位の神官の祈りにより蘇生が可能となるが、ソウルイーターの手によって殺された人物は何をもってしても蘇生が不可能である。蘇生するべき魂がソウルイーターによって囚われてしまうからだ。そこまでに留まらず、吸収した魂の強さに応じて強くなることまで確認されている。
また、部分的にでも影響を受けたものは魂に傷がつき人格や記憶に影響が生じる。ただそこにあるだけで多大な混乱と被害を及ぼす災厄だった。
セリウスは決して魔物の専門家ではない。すぐに特性を思い出せたのは、ソウルイーターは帝国の歴史を学んだものであれば誰でも耳にしたことがある、かつて国を脅かした魔物の名であるからだ。いつかの帝国内で発生し、領土の四分の一もを死地に変化させ、最終的には周辺諸国からも支援を受け討伐した怪物の同種。それが魔物に変貌したシンシアの元だった。
もしセリウスが帝国への忠誠を真に誓っているならば、今すぐにシンシアを処分するべきだ。ソウルイーターは情報を持ち帰ることの困難さと、食事をするごとに強くなる特性によって脅威度が跳ね上がる魔物、生まれたばかりの状況であれば決して対処できない魔物ではない。
「素晴らしい、実に素晴らしい……っ!」
——セリウスという人間にとって最優先されるべきは、己の研究が世界に証明されることだった。重要視するべき事象は、己の研究によって生み出されし兵器が最強であると世界に轟かせるところであった。
国を脅かす魔物? 己の研究の末に生まれたのであればどうして止める必要があるのだろうか。なぜ己の研究の結果を自ら否定することができようか。
生まれてしまった怪物を唯一未然に止められた人物は、恍惚とした表情でシンシアを見つめていた。
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