第4話:斜陽の群れの中

 レイヴアイア王国とは、西に多大なる軍事力を誇る大ガルドルディア帝国、南にレベティア教の本拠点であるサクリタムリ教国、東に歴史と鍛造技術に優れたノーリティス王国を持つ、近隣国家にて四大国と呼ばれる国家のうち三国に囲まれた国である。

 他にも幾つの小国は近隣に存在しているが、とりわけレイヴアイア王国は三国と直接国境を面していることから、各国から緩衝地帯としての役割を不本意ながら押し付けられ、日ごろ外的圧力により苦しめられている。


 その首都ソーヴェアの中央に鎮座する王宮の一室に彼はいた。

 今はまだレイヴアイア王国第一王子としての枠に収まっているが、次期国王と名高い男。ラインドルフ=ディア=キン=レイヴアイア。

 売国奴王弟ユルナルの悪事を暴いたとして、現国王すら凌ぎうる名声を手に入れた男。その人だった。


「報告を」

「はっ! ご報告いたします! 王弟処刑による影響は目下収まりつつあり、その後は殿下を支持する声にまとまりつつあります。全く、最初から殿下に従っておけば良いものを、あの愚か者めが……」


 ご機嫌取りすることだけが目的のおべっかを口にした部下に対し、ラインドルフは肉食獣すら怯みかねないほど鋭利な眼光を答えとした。


「無駄口を叩くな。王弟派のその後の様子はどうなっている」

「は、はい! 幾つかの諸侯は未だに王弟の罪を認めず、非難の声明を出しております。核となる諸侯ですが――」

「グレイヴ伯爵家、およびトーム辺境伯」

「仰る通りでございます!」


 差し出された諸侯の名を連ねたリストすら見ることなく、ラインドルフは王弟派——反第一王子派とでも言うべき貴族の名を言い当てた。

 ラインドルフの部下は流石という視線を向けているが、彼からすれば何を当然の事を言っているのかという気分だった。グレイヴ伯爵家は王弟と子をなした令嬢の生家であるし、トーム辺境伯は王弟に多大な恩がある家だ。トーム辺境伯とは何度かあったことがあり、彼の愚直な性格はよく理解していた。恩を決して忘れず裏切りを選択肢に置くことすらない好ましい人物だった。


 逆に、ラインドルフとしては他にも同じような立場の家があるにも沈黙している貴族の方が気になっていた。面と向かって言うだけの度胸がないのか、それとも裏で愚弟どもと何かを画策しているのか……。


 いずれにしても、今は手を出すべき時ではない。


「王弟派への対応は追って指示を出す。行け」


 一言で部下に退室を促し、部下が部屋から出た瞬間憚ることなく舌打ちをした。


「おい、あいつはどこの家のカスだ。なぜあんなのが俺の前まで出てこられる」

「そう言ってくださるな。使いパシリ程度には使えましょう」

「あれに比べれば犬の方が遥かにマシだ。躾をすれば言うことを聞くからな」


 ラインドルフは見るものが見れば疑問を抱きかねないほど脱力をした。

 この部屋の中に残っているのはラインドルフの側近の三名、気を許し才を見出した者だけ。ラインドルフが気を使うことなく話せる数少ない人々だった。


「人が足りないと日頃言っているのは殿下でしょ? 新しく人材を掘り出すことも大事ですよ。ねぇ殿下、そう思いません?」

「教育ならお前らがやれ。俺を煩わせるな」

「はい、なので殿下を使って教育しようかと」


 ラインドルフは不遜な物言いをする女に向かって軽く手を振り払う。

 付き合いが長いだけに、お互いに言いたい放題している。身分の差がどうという前に、この場においてはより優先される事項があるためだ。その優先事項において、この場の人物の認識は合致している。


「しかし殿下。ユルナル殿下を処刑しちまって本当に良かったんですかね。勿論殿下が考えなしにんなことしないとは思っとりますが」

「良かったわけ無かろう、たわけ。今でもこちらに引き込めればどれだけ良かったかと考えて仕方がないわ」


 何度目になるかも分からないため息を吐く。

 王弟ユルナルを逆賊に仕立て上げたのは第一王子一派——ラインドルフ自身だ。その本人が失ったものの大きさを最も嘆いていた。


「叔父上は偉大な方であった。足りぬものの方が少なかっただろう。才に溢れ、武に優れ、政を解し、徳に厚く、義理堅く、慈愛に溢れていた。父上には悪いが、叔父上に比べれば父上など凡夫も良いところだ。何故叔父上が国王でないのかと何度考えたことか」

「言いますねぇ」

「言いたくもなる。誰もが同様のことを考えただろうよ。なあヘウンズリー侯爵」


 ヘウンズリー侯爵と呼ばれた老人は曖昧に笑うだけで答えはしない。どう思っているのかは明白であるが。

 一度口にしてしまえば、愚痴が止めどなく溢れ出てくる。


「叔父上に足りぬ数少ないものの一つが野心だったとは皮肉もよいところだ。おかげで父上のような凡夫が王の座に座ることになってしまった」

「ですがねぇ。結局同じだったのでは? ほら、政は殆どユルナル殿下がしてたみたいなもんじゃないですか」

「次戯けたことを宣えば貴様の口を縫い合わせるぞクルス辺境伯。まるで違う。何度も説明しただろう」


 筋肉質の男がお道化たように軽く両手を上げる。

 こんな人物でも派閥内の軍事の要であることを考えれば説明しない選択肢もない。


「叔父上はあくまでも相談役でしかなかった。能動的に国政を担える立場ではない。父上が問題提起して初めて叔父上が動けるのだ」

「坊はユルナル殿下が政治へ積極介入してほしかったのですよ。国王でないにしても宰相の位に就いてくださればよかったのですが……」

「そうなれば叩き出されていたのは貴様だぞ爺」

「ユルナル殿下にでしたら喜んで譲りましたとも」


 ヘウンズリー侯爵家は代々宰相を輩出している由緒ある家。先祖代々伝わってきた役職を譲ってもよいなど、ラインドルフはどこまで本気なのかを疑い、すぐに本気だろうなと頭を振った。

 そう言わせるほどに王弟ユルナルは傑物だったのだ。彼が動けば国が動き、彼は人を思って何もかもを行っていた。


 レイヴアイア王国が凡夫である国王の元、今日まで存続できたのはまさしく王弟ユルナルの功績あってこそ。暴虐なる西のガルドルディア帝国の侵略を跳ね除け続けたのは王弟ユルナルがいてこそだ。東の傲慢なノーリティス王国から独立を果たし続けられたのは王弟ユルナルがいてこそだ。何もかもが王弟ユルナルを中心に国が回っていた。

 その王弟ユルナルはもういない。


「そういえば殿下、あの子、どうなりました? 王弟殿下の娘の……」

「不明だ。処刑までの記録が残っているが、母親共々死体が見つからん。勢い余った馬鹿どもが死体まで辱めたか、アンデッドになってそこらでも彷徨っているか……。調査はさせている」

「そっかぁ。いやあ惜しかったなぁ。聞いた話によると可愛らしかったらしいですよ? 父親譲りの翠色の目が映えた子だったとか」

「外見は知らんが、叔父上の娘ならば良い教育を受ければ傑物となれた人材だっただろうに。あれほどの天才の子が凡夫であるとは考えづらい。仕方がないとは言え、実に惜しい」


 王弟ユルナルを失ったことの衝撃はラインドルフ一派が想定していたよりも遥かに大きく、はるかに小さいものになっていた。

 ラインドルフたちは最悪の場合には内乱が起き、いくつかの諸侯との戦争になることも考えていた。国が分かたれ弱体化は免れないが、それでも王弟ユルナルを生かしておくよりも遥かにマシだと考えた故の行動だった。

 それが実際には王弟派は再調査による事態究明の声明を出すのみに留まり、安寧の元暮らしていたであろう親子が一組殺されただけで済んでいる。想定よりも遥かに規模が小さく済んでいる。


 想定以上に影響が大きかったのは民衆の心の方だ。王弟を失った人々は裏切られたことの失望があまりにも大きすぎた。王弟が国を売ったならばと、誰が国を売ってもおかしくない疑心暗鬼の状況が生まれてしまっていた。深い絶望の元、行き場のない怒りに身をやつした者も出てしまった。

 それは今後ラインドルフが王位に就く際にまとめ上げればよい。困難であるが不可能でない。太陽が沈んだならば、新しい太陽を掲げれば人は光を求めて寄ってくる。


「……嬉しい誤算、というべきなのだろうな。こうまで上手く事が進んでいるのは」


 全ての絵を描いたのはラインドルフだ。誰よりも上手く事が進んでいることを喜ぶべきなのに、やるせなさを感じていた。


「止めますか? 私としては坊以外の王子の方に国王となってもらっても構いませんよ」

「耄碌したか爺。第二王子ふぬけ第三王子エロざるが王位に座ってみろ。今度こそこ

の国は消えてなくなるだろうよ。西に蹂躙されるか、東に再び飲み込まれるかは知らんがな」


 レイヴアイア王国は滅びの淵にある国だ。常に大国の脅威に脅かされている。何かの拍子に各国の思惑が重なって、パイ生地を切り分けるように他国から蹂躙されてもおかしくはない国だ。

 西の帝国は軍事で侵略をし、東のノーリティスは歴史の共通点から取り込みをかけてくる。教国は主要な宗教であるレベティア教の本場であり、生活とは切り離せないものなっている。外からも中からもいつ食い破られてもおかしくない爆弾を抱えた国なのだ、この国は。

 もっとも問題視するべきが、そのことを殆どの人が理解できていないことだった。あの王弟ですらも、滅びの危機感が足りていなかった。


 王弟に頼り切った国になってしまっていた。王弟が危機を正しく認識できていなかった。中心人物が危機を把握できぬまま行けば滅ぶしか道はなかった。だから殺すしか道が残されていなかった。生きていればラインドルフすら頼りにしてしまうから。


「今更でしょう。坊がやっても同じかもしれません」

「……そうだな、俺も叔父上に頭を焼かれすぎていたらしい。感謝するぞヘウンズリー侯爵。やらねばならぬことを見失っていた」


 レイヴアイア王国は強くあらねばならない。

 この場に集まっている人物はその理念に共感し、亡国の危機を理解している人々だ。

 ヘウンズリー侯爵は政治的不安定さから危機感を見出し、ラインドルフに可能性を見出した。

 クルス辺境伯は帝国と国境を面している領土を保持しており、国の防衛体制に異議を唱えるべく王宮へ乗り込んだ。

 気軽に話しかけてくる女性——ワイズは貴族ですらないが、情報屋として自らを売り込みに来た人物だ。青い血ですらない、市井の民にすら危機を感じ取っている人物がいるという事実に他ならない。

 見ているものも為そうとしているものも違う四人だが、レイヴアイア王国を滅びから救うという目的だけは合致していた。


「この際だ、使えるものは何でも使うぞ。爺、お前はとにかく俺の戴冠まで国を繋げ。お前が見るべきものは西ではなく東だ。これ以上ノーリティスの古き血に我らが王国を貪らせるな」

「御意」

「クルス辺境伯は引き続き対帝国として俺の支持基盤を固めろ。帝国との国境付近で俺の支持を表明していない奴を重点的に引き込め。掲げた看板すら統一できなければ先はない」

「わかっとりますよっと」

「ワイズは貴族よりも民の間に広がるよう情報を流せ。王弟が隠れられたのは仕方がないことだったと民衆に刻み付けろ。これ以上死者の名誉を辱めるのは度し難いが、あの親子が帝国と繋がっていた証拠を見つけてしまっても構わん。人々が一度事実として呑み込んでさえしまえば、王弟派もでかい顔はできん」

「はいはーい。切り崩しは落ち着いた後で、ね?」


 ラインドルフは言葉をかけ終わると、もう一度だけ目の前の三人の目を確認する。死地に赴く兵士の目だ。どん底まで行き着いた肉食獣の目だ。

 地獄まで共に行く。その覚悟でこの場に居合わせてくれている。


「もはや引くことは叶わぬ。我らが愛する祖国のために死力を尽くせ」


 偉大なる王弟の死を無駄にしないために。


「「「御心のままに」」」

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