第2話:産声を上げる

「では、復讐を始めるために。まずは勉強を行いましょうか。復讐のために何ができるのかから知ることが肝要ですよ」


 セリウスはそう言い切ると、シンシアを手招きする。


「ついてきてください。シンシア嬢がどういう状況なのか知るための絶好の場所を用意してあります。きっと、復讐の役に立つでしょう」


 そう言い切り、部屋の外へと歩いていく。

 シンシアは黒い煙によって足が焼かれた人々を一目だけ見て、セリウスの後を追って部屋を出た。

 部屋の外は長い廊下があり、幾人かの人が行きかっている。その人のどれもがセリウスとシンシアを見て驚愕の表情を浮かべている。セリウスはそれら一切を気にした様子もなく、シンシアも今となってはどうでもよく感じた。


「さて、目的地に向かう最中にもお勉強と行きましょう。シンシア嬢は勉強は嫌いですか?」

「必要になるなら教えて」

「大変結構。では、すでに疑問に思っているであろう点を知っておきましょう。シンシア嬢が今何であるのか、という点と、シンシア嬢の体から出る黒い靄についてです」


 黒い靄。出てくる直前にも現れ、触れた人の足を焼いたり紙を朽ちさせたりしていた。シンシアが最初に叫んだときにも放出されており、その時には透明な壁を砕き鎖を朽ちさせた。


「黒い靄については瘴気と呼ばれるものです。物を腐らせ、崩壊させる毒のようなものと思っておけばよいでしょう。人体には極めて有害なので、使い方は後日練習してください」

「瘴気……。ねぇ、人に危険なら、どうして私には何にも起きないの」

「それはまあ、端的に言うならばシンシア嬢はもはや人ではないですからね。瘴気は人ならざる魔より生まれ、人を蝕む毒と言われています。私も実際に生じる瞬間を見たのは今日が初めてですよ」


 シンシアはセリウスがあまりにも異常であることを理解していた。相手に向かって人でないとか、瘴気とかいう危険なものを初めて見たと喜ぶのはどう考えてもおかしい人のそれだ。倒れていたセリウスの部下の人たちの反応はもっとまともだった。

 彼らが普通なのか、それともセリウスが帝国における標準なのか。そんなことをシンシアが考えていると、唐突にセリウスが歩みを止めた。

 目的地に着いたのかとシンシアが周りを伺えば、厳めしい顔つきの屈強な男が二人の前を塞ぐように立っていた。

 男はシンシアの方を侮蔑するような眼差しで一瞥すると、すぐに興味をなくしたようにセリウスへと話しかけた。

 シンシアには男が何を言っているのかはわからなかった。帝国の言葉だろう。セリウスの部下たちも似たような音を口にしていた。

 何と言っているのかはわからなくとも、何を言っているのかは大体わかった。セリウスに対して文句を言っているのだろう。一方でセリウスは何を言われても態度が変わった様子がなく、むしろ突っかかってきた男の方がどんどん顔を赤くしていく。

 やがて、大きな声で何かを喚いたと思ったら足音を立てて立ち去って行った。


「お時間取らせましたね。気を改めて向かいましょうか」

「誰だったの」

「誰だったかと言われれば、彼は第五兵団の軍団長ですね。私の研究が成就すれば職を失う立場なので、日ごろから色々と言われるのですよ。もう慣れました」


 シンシアは確信した。やはり、帝国の人ではなくセリウス個人が頭がおかしいだけだと。




 二人がたどり着いたのは、暗い地下牢だった。

 その場所に足を踏み入れた途端、シンシアは思わず体を強張らせた。そっと指で首元の切断後を撫でる。

 地下牢は国が変わろうとも大きく形式が変わる様子はなく、それはシンシアの記憶に新しく、最も思い出したくない光景だった。


「シンシア嬢? 如何されましたか?」


 シンシアが急に足を止めたことに対してセリウスが疑問を投げかけた。


「なんでも、ない。大丈夫、大丈夫だから」

「……ふむ」


 シンシアが目を閉じれば、まだ鮮明にあの光景が浮かんでくる。恐怖そのものの男たち、悲鳴を上げれば喜ばれ、涙を浮かべれば笑われる、お母さんと叫べば痛めつけられる。

 シンシアには何が面白いのかわからなかった。ただ耐えることしかできなかった。耐えても意味がなかった。叫ぶと叫んだだけどうすればいいの。わからない。どうすればよかったの。わからない。

 炸裂音が目の前で弾けた。


「ほら、気は戻りましたか」


 シンシアの視界が過去から戻ってくると、目の前には手を合わせた状態のセリウスがいた。

 シンシアは三度ほど瞬きを繰り返し、目の前でセリウスが思い切り手を打ち合わせたのだと理解できた。


「詳しいことは私は聞いてませんがね、私も時間が余ってるわけではないのですよ。理解していただけますか?」

「……ははっ。それだけ?」

「他に何か必要でしたか?」


 乾いた笑いを浮かべて、シンシアはセリウスの頭のおかしさに僅かに感謝した。ここで多少なりとも同情されようものなら、思わず手が出ていたかもしれない。

 セリウスの態度がシンシアは利己的でいいのだと教えてくれる。セリウスはシンシアに肩入れなどしていない。焚きつけたのは自分の研究への熱意からだ。完全に自分勝手な理由。シンシアが復讐をすると決めたのも、きっかけこそセリウスだが、自分で決めたことだった。自分の感情に従って復讐をすると決めたのだ。


「本当にもう大丈夫。行こう」

「それは何より。この程度で挫けるようでしたら、私は次の検体のことを考えねばならないところでした」


 地下牢を進み、二人が行き着いたのは一つの大部屋だった。鉄の檻で区切られているわけではなく、扉により丸ごと区切られている部屋。

 セリウスが扉にカギを差し込み、扉を開ける。中身を改めると、後ろにいたシンシアを招き入れるように横にずれた。

 シンシアが中に入ると、そこには何人もの人が縛られ横たわっていた。老若男女問わずに――大人の男性が多いか――両手と足首を縛られ、口枷を嵌められて地面に横たえられている。

 彼らは二人が入ってくると、人によっては恐怖の表情を、人によっては助けてくれと縋るような視線を、二人へ向けた。


「……この人たちは?」

「殆どは帝国の法において罪を犯した人々ですな。せっかくなので衛兵局と掛け合って実験のためにもらってきました。……無実の罪ではありませんよ? しっかりと調査が行われ、確固とした証拠に裏打ちされた罪人たちです」

「子供もいるけど」

「その子らは窃盗と集団での強盗だったかと。あいにく興味がないもので、細かい罪の内容までは覚えてませんな。使えそうなもので向こうが必要ないものを見繕ってもらっただけですので」


 調理台に並べられた材料程度の物言いに、横たえられた人々が恐怖に怒りに震えだす。

 シンシアはあまりにも酷い扱いの彼らに可哀そうだと同情した。


「さて、シンシア嬢。それでは、貴女が現在何なのか、という点について説明を始めましょう。前提として、貴女は一度死に、もはや人間でないというのはわかってくれておりますかな?」

「何度同じ事を聞くの。わかってる、そのぐらいはもう」

「それは結構。では、これから貴女がなんの不死者アンデッドになったのかの実験をいたしましょう」


 シンシアは胡乱げな視線をセリウスへ向ける。ここまでもったいぶっておきながら、実際はシンシアが何なのかをわかっていなかったと言う。


「既にわかってて教えてくれるんじゃないの?」

「お恥ずかしながら、私としましてもシンシア嬢が初めての成功例なのですよ。おそらく悪霊レイス系統だろうというという推測は立てられても、厳密に何かと言われますと……専門家ではないので、としかお答えできません」


「ならそのレイス? 系統ってのは何?」


 シンシアは育ちも平和な町娘である。魔物というのはいるとは聞いても日常で関わることはなく、どこか遠くで暴れまわる危険な怪物程度の認識しかない。もちろん、発生すら稀で発生すればすぐ駆除されるアンデッドの魔物の知識など何も持ち合わせてはいない。

 アンデッドに分類される魔物は、基本的に正しく弔うことなく遺棄された死体から生じると言われている。ただ、必要な要素として他には瘴気が必要だとか、生前魔力を保持している必要があるだとか所説あり、厳密な発生原理はまだ解明されていない。何となく、この地域はアンデッドが発生しやすい程度の認識がある程度の知識しか専門家でも持ちあわせていない。。


「レイス系統は霊魂を本体とする霊体系のアンデッドです。肉体を持たず、瘴気がないところでは活動ができないと言われております。近くにいると気が狂うなどの被害が多く報告されてますな」

「体、あるけど」

「実体系のアンデッドの特徴は絶えぬ生者への憎悪だとか言われております。ありますか? 生者への憎悪」


 目の前の男への不信感ならある。と、言おうとしてぎりぎりのところでシンシアは黙った。

 セリウスを見ていると別の感情が湧き出してくるため、シンシアは地面に横たわっている人々の方を見た。

 彼らは殆どが怯えた表情でこちらを見ている。その感情がシンシアに流れ込んでくる。

 罪人だと聞いていても、シンシアからすれば何も知らない人々だ。特に子供は自分の境遇を連想させ、見ていて気分が良いものではなかった。憎悪どころか憐憫が浮かぶ。

 シンシアはそっと首を横に振る。


「……何も。ただ、この人たちから怖いって思いはすごい伝わってくる」

「なるほど。相手の感情を読み取り姿を変える魔物の目撃例がありましたが、もしかしたら霊魂型のアンデッドだったのかもしれませんね。今度それとなく伝えておきましょう。他には?」

「他? 他は……なんか、お腹が満たされてる感じがする?」


 なんとも言えない満たされている感覚。何も口にしていないのにお腹が膨れていく感覚。

 シンシアが倒れている人の一人と目が合う。みるみるうちに相手の顔色が悪くなり、その変化に伴ってシンシアは満たされていく。

 なぜそこまで恐れられるのかと思ったが、首元が全てさらけ出されていることに気が付いた。そっと首を指で撫でる。断頭台にて落とされた首、その切断箇所が丸見えになっているのだ。


「霊魂型のアンデッドには人の感情を食事とする魔物もいるそうです。彼らが人を怖がらせるのは恐怖の感情から空腹を満たすためと発表していた学者もいましたね」


 食事。思わず笑いが零れてしまった。

 シンシアは自分が既に人ではないというのは、体から滲み出る瘴気と明らかに切断された跡がある首で自覚していた。が、人の恐怖を食事にする? もう本当にどうのしようもないぐらい怪物じゃないか。


「なるほど、この状況でわかるのはこの程度ですか。では、次は一人殺してみましょう」

「えっ!?」

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