第10話:もう一度山へ
シンシアは夢を見た。幸せな、家族と共に過ごす夢だ。けれども、それはシンシアのものではない。メイの、今もまだ残っている家族との記憶。
シンシアはその中にいない。ただ遠目で眺めているだけ。今はもう手に入らない幸福を、他人の物を眺めるだけ。それどころか、自分自身で焼いてしまったことを見せつけられている。
その様子を、メイだけが見ていた。
「……夢、か」
やるせなさに包まれて、シンシアは目を覚ました。居間でそのまま眠ってしまっていたらしく、体が少し強張っている。
今日はまた薬草を取りに行く予定でいた。昨日取れていないのもあるし、用事が終わった後にメイの家族には残すものが必要になる。あまり取りすぎるのは良くないが、限界ぎりぎりまでは許されるだろう。メイではなくシンシアであれば、もう少し手段を選ぶこともできるが、不審に思われるのは良くない。
目覚めたところで、シンシアは改めて今後の方針を定めることにした。
まずは情報収集。シンシアの復讐のためにもメイの復讐のためにも情報が必要。次にお金。メイの家族に残す分のお金を稼ぐこと。最後に復讐をやり遂げる。許せない全てのものを滅茶苦茶にすること。
……感情的になり、瘴気が漏れかけたところで一度深呼吸をする。方針を決めたところで、次は具体的な内容について考えることにした。
お金はメイがやっていた薬草を採取する方法で問題ない。シンシアなら普通なら無理な採取場所にも採取しに行ける上、危険だからと取りに行けなかった薬草も取りに行くことができる。お金は問題なく集められるだろう。
情報の方が問題だ。メイは現在町の人たちから煙たがられていて、とても話しかけられそうな雰囲気ではない。メイが交流がある町の人と言えば、家族と薬草を売っている薬師の人と――
「ハンター組合、かぁ」
思い出すのは昨日のあの女性の事だ。
メイの記憶では過去に何度か遠くからこちらを見ているだけの人、のはずだった。まさかメイの事を気にしてくれていたなんて思ってもみなかった。
一番情報をもってそうな人は実際あの人だろう。だが一番関わり合いたくない人もあの人だ。
「……やだなぁ。関わりたくないなぁ」
シンシアがアンデッドの魔物ということもあるが、それ以上に都合のいい事を言った彼女への心証は非常に悪い。肝心な時に助けてくれなかったのにどうしてという考えが頭から離れない。
頼りたくないという感情と、頼ってもいいんじゃないかという理性がぶつかり合う。少なくとも、悪事を働くのでなければ頼っても問題ない……とシンシアは思う。悪いことをするのにあの人を使うのは気が引けるが、メイの家族のために利用するならば――
そこまで考えて、シンシアは思わず笑ってしまった。
復讐のためになんでもすると決めた。悪事にも手を染めても構わないと覚悟した。関係ない人を踏みつける覚悟を決めた。それでも、なるべく巻き込まないようにしている自分自身に気が付いたのだ。
自分自身の復讐なのだから、自分自身で果たさないと意味がない。なんて名目を盾にして。
「もう私だけの復讐なんて通じないのにね。……よしっ、決めた!」
呟きから今後の方針を定めたシンシアは、さっそく行動を始めることにした。
まずはメイのルーチンを優先させ、薬草取りに行こうとしたシンシアは、山に入るところで集団を見つけた。彼らもこれから山に入るのか、装備をしっかりとしている。山に登るだけの装備ではない、何かと戦うのを見越した装備——ハンターたちだ。
シンシアの彼らを見つめる視線が冷えるのと同時に、一団のうちの一名がシンシアの視線に気が付いた。
「よう、メイちゃん。今日も山に入るのかい?」
不躾に近づいてくる人物にシンシアはおもむろに警戒する。ハンターというものあるし、昨日の今日で印象は悪いままだ。
「そう警戒してくれるな。俺はダン。昨日君が話をしてたフーリの同僚でな、こう見えて実はハンターじゃない」
「……その、武器は?」
「武器? ああ、これから山に入るからな。メイちゃんが見たっていうグレイハウンドが山を降りてきていることと、いるかもしれない魔物の調査をしにこれから向かうんだ」
ダンは軽く見定めるような視線をシンシアに向け、納得したように頷いてから続きを話始める。
「グレイハウンドは本来もっと山頂付近に生息してる魔物だ。そいつらが下りてきているってことは、山頂付近に危険な魔物が現れた可能性がある。より強い魔物に生息地を追われてってことだな。その謎の魔物の討伐へ動くことも考えての事前調査ってわけだ」
ダンの口ぶりはぶっきらぼうだが、淡々と真実を教えているだけのものだった。目の前にいるのが子供だからと適当なことを言わず、話してわかってもらおうという姿勢を見せている。
「メイちゃんはこれから山へ行くつもりか?」
「はい。そのつもりです」
「止めておいた方がいい、って言うのは簡単だな。なら、俺らについてくる気はないか?」
思わぬ提案にシンシアは目を丸くする。
その姿を見て、面白そうにダンは笑った。
「俺らは正確な道案内と、状況を見て証人から新しい情報を得られる可能性がある。メイちゃんは安全に山に入る護衛代わりに俺らを使ってくれればいい。今回は調査が名目だからな、費用も完全にこちら側持ちだ。どうだ?」
シンシアはダンの提案に頭を回す。
メイとしては提案を受けない理由があまりない。ハンターの人にいい印象がないのはそうなのだが、魔物に襲われたばかりかつそれよりも危険な魔物がいると聞かされても断るのは違う。
ダンはハンターではないと名乗った。ならハンター組合の人間のはずで、以前メイが受けたみたいな無体は流石にしない、はず。
メイとしては断る理由がどこにもない。同時に、シンシアとしても断ってはいけない理由を理解してしまっていた。
山頂付近、危険な魔物、これまでいなかった。これらの情報を聞いて、シンシアにはその危険な魔物が何なのかおおよそわかってしまった。
——言われているのはシンシア自身、より正確には、現在にはシンシアの残された体のことだろうと。
もしも山頂付近まで探索に行かれてシンシアの残した体を発見されてしまったら? シンシア自身にはよくわからないが、シンシアから漏れ出す瘴気の量はかなり多いらしい。気にしたことはなかったが、残された体からも瘴気が溢れ出していて、それが原因で見つかってしまうかもしれない。
「わかりました。よろしくお願いいたします」
もし見つかりそうになったら、バレないようにしなければならない。まだまだ序盤も序盤なのだ。躓いてはいられない。
ここで拒否して体を見つけられるぐらいなら一緒に行って見つからないように誘導、最悪の場合は見つかった瞬間に口封じをした方がいい。
そんなシンシアの内心も知らず、ダンは提案を受け入れてもらえたことに喜びを示す。
「そうかそうか。それは良かった。じゃあちょっと調査隊の連中に紹介したいから一緒に来てくれるか」
「わかりました。えっ、と。そちらはハンターの方々ですか?」
「ん? あー、まあ、そうだ。だが、組合の方でも信用がある連中だ。こういう表には出せないような直接の依頼も受けてくれるような連中だからな、長い付き合いもある。安心してくれ」
シンシアは僅かに目を細めた。
ハンターがいるのなら、シンシアの正体がばれる可能性が高くなる。道具とかは大丈夫かもしれないが、物語とかではそういう役職の人特有の感覚みたいなもので見破るのを見たことがある。警戒するに越したことはない。
「おーい。お前ら、追加で一名だ」
「一名って、その子? 昨日組合に運ばれてきてた子だよね?」
「マジ? 俺それ見てないんだけど」
「んー、訳ありじゃない? 奥の部屋で話してたっぽいし」
ダンが向かう報告には三名の男女が立っている。
一人は剣を携えた剣士で男、一人は弓を持っている女性、もう最後の男性はその手に何も持っていないが身に着けている装飾品が多い。
「報酬追加分は組合側から出す。彼女はこれから調査する場所の第一目撃者だ。他に質問は?」
「山登りにその子はついてこれるの? あまり時間を取りたくはないのだけれど」
真っ先に質問をしたのは、弓を持っている女性だった。彼女はシンシアを冷たい目で一瞥すると、興味なさげに視線をダンの方に戻した。
「問題はないと判断してる。彼女はノウトリ草をダグサ爺のところに週一で納品してる」
「嘘だろっ! あの爺さんが言ってた勤勉な若いのってこの子のことかよ!?」
手ぶらの男が驚愕した様子でシンシアを見る。
その勢いに押されてしまい、シンシアは一歩後ずさる。
今度は剣を携えた男が代表するように一歩前へ出て、ダンと向き合った。
「それで、彼女を連れて行くのはどういう条件で、かな。現場への案内をしてもらおうってのはわかるけれど、それだけ?」
「いや、途中大した遠回りにならない程度にノウトリ草採取をしてもいいと交渉した。それ以上の交渉は好きにしろ、組合は掛け合わん」
「それはつまり、今後は組合を通さなくても構わないってことでいいかな?」
「あんまり俺の口から言うのは良くないんだが、まあそうなるな」
「組合は随分と僕たちのことを信用してくれてるんだね」
「好きに捉えろ。あんまり出発が遅れん程度なら俺は何も見ていないし聞いていない」
剣を携えた男はダンの言葉に頷くと、今度はシンシアへと視線を向ける。その視線にどこか嫌な感じを覚え、シンシアは半身引きさがる。
彼はそんな怯えた様子のシンシアに対し、視線を合わせて笑いかけた。
「まずは初めまして。僕はルーク。あっちの弓を持っているのがティノンで、軽薄そうなのがカル」
「は、初めまして? 私はメイ、です」
「よろしく、メイ。まず、ノウトリ草は結構取るのが大変な薬草でね、見分けと生息地を見つけるのが大変なんだ。そのことは知ってたかな?」
シンシアは少し考えてから頷いた。メイはノウトリ草が探すのが面倒な薬草だから高く売れるというのを知っていたから、それを売って生活していたのだ。
「なら、これもわかってもらえるかな。ノウトリ草の生息地の情報はそのものが価値が高い。ノウトリ草採取の護衛をするということは、必然的に護衛者にもノウトリ草の採取場所がわかってしまうということなんだ。わかってたかな?」
諭すような声色だった。
なおも優しく笑いかけてくるルークに、シンシアは困惑している。メイの記憶にあるハンターの印象と目の前の人物が一致しない。
「君はノウトリ草採取の護衛を依頼する際には、情報を隠す契約も一緒に必要になる。もしくは、ノウトリ草採取の必要性がないハンターを雇う、とかだね。そこらへんはわかってたかい」
「い、いいえ」
「自分自身の利益を守るためにどうすればいいか考えることは悪いことじゃない。君のような子が危険な山に入って生活の糧を得ているなら猶更だ。人を信用するしないだけじゃなくて、どうすれば安心して任せられるのか、これが君が考えるべきことだ。わかるね」
「は、はい」
「よかった、わかってもらえたんだね」
満足そうに頷くルークに対し、シンシアはまた一歩だけ後ずさる。
「おい、あんまり虐めるなよ。趣味が悪いぞ」
余りに怯えた様子を見せるシンシアを見て、仕方がなくといった様子でダンが口を挟んだ。
「そんなつもりはないんだけど……」
「お前が悪い。もっと分かりやすく言えばいいだろうが馬鹿正直」
「私もルークが悪いと思う」
「ルークは口下手だよな。この間もその調子で喧嘩してたろ」
「うるさいなぁ!」
一斉に笑い出す面々。笑われたことに不服の意を示すルーク。一人何も理解できず混乱のまま放置されるシンシア。
「口出しする気は本当になかったんだけどな。要するに、自分たちがその信用できる護衛役になれないかって言いたいんだよ、その馬鹿野郎は」
「そうなんですか?」
「うっ。子供が山の中に入るんだろう、心配じゃないか。でも、彼女がそうせざるを得ない理由があるのも僕にだって分かるさ」
「だからって言い方ってもんがある。もっとシンプルに心配だから護衛を自分らに任せてくれないか、とか言い方があるだろ」
「それは不誠実だろう! どんな危険性があるのか知らせないで結果だけで話すのは、子供相手と言えどするべきじゃない!」
「いやそれこそ子供相手にする話じゃないって。もう少しルークは物事を考えるようにしなよ」
……ここまで来て、ようやくシンシアも理解が追いついた。なぜ自分は責めらえるようなことを言われているのか、しかも初対面の挨拶をした直後の相手に。
シンシアの目の前のこの青年は、シンシアに選択をさせるつもりだった。公平に、リスクとリターンを明確化されて選んでもらうつもりだった。その言い方があまりにもリスクを強調させるような言い方で、相手に有無を言わせないような圧を持っていたとしても。ルークは公平かつ、公正に振舞っていただけだった。
その性質を知っていたダンやルークの仲間は誤解されてると笑い、シンシアはわからず戸惑うことになった。
つまり?
「ルークさんは私を助けてくれるんですか?」
「選ぶのはメイちゃんだ。でも、僕は君の助けになりたいと思ってる」
「……私たちは今のところ生活には困ってないの。女の子の食い扶持を横取りする程非道じゃないってこと」
見ていられないとばかりに、笑いを堪えながらティノンがルークの隣まで出てくる。
「ま、そこの馬鹿は何も考えてないだろうけど。一応、ハンターは人を守るのが仕事だしな」
カルも合わせてシンシアの前まで歩いてくる。
それに、とカルは続けた。
「ハンター組合が仲介しないってことは、直接の雇用関係だ。他のハンターが口出しするのもおかしな話だろう。なぁ、ダンさん」
四人の視線がダンへと集中する。
ダンは以前メイが悪質なハンターに絡まれていたのを知っている。だからこそ、組合の規定から反しない間で、信頼できるハンターとメイを繋げた。そう、ルークたち三人は解釈していた。
シンシアも遅れてそれに気が付く。
照れくさそうに頭を掻き、ダンは一人背を向けた。
「俺は何も言わねぇぞ。それより、話が決まったならさっさと出発だ。そんな深くまでは入らないとは言え、日が落ちる前には戻ってきたいからな」
さっさと山の方へ一人で歩いていくダンを見て、ルークたち三人はお互いに顔を見合わせて笑っていた。その後、後を追うように歩き始める。
シンシアはどうすればいいか少しだけ迷った後、遅れて四人を追いかけた。
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