第11話:死体調査

 シンシアは複雑な心境だった。


 助けてくれるという話は、純粋に助かる話で嬉しかった。だとしても、メイは既にシンシアが殺してしまった。彼らが助けようとしている『メイ』はもうどこにもいないのだ。

 メイは彼らの優しさで救われたかもしれない。救われる機会を、シンシアは奪った。

 シンシアは自身が目的のために犠牲にしたものをもう一度深く考え、後に引けない気持ちを強く持つ。何度でも、何回でも。ふとしたことで忘れかけてしまうからこそ、刻み付ける。

 そうして、目の前の光景をもう一度見た。


「ん? メイちゃん、どうかしたかい?」

「いえ、なんでもないです。採取なんですが、もうちょっと先に行ったところで横道に逸れるんですけれど、大丈夫ですか?」


 現在シンシアたちは山道に沿って山を登っている。山道は昔に整備されたもので、山奥を探査する目的で整えられたものだった。今はもうハンターが山の魔物を狩るために使うぐらいにしか使われていない。

 もっとも、魔物が増えすぎると人里に降りてくる可能性があるため、定期的に使われてはいる。メイはそんなことも知らずに使っていたが、比較的安全だということだけは知っていた。

 整備された道は他の獣道に比べると、魔物の縄張り内を通っていないことが多い分安全になる。一度横道に逸れると、いつどこで魔物に出くわすかわからなくなっていく。


 メイはその中でもなんとか魔物に出くわさない道を一人で探して、薬草採取のルートを構築していた。シンシアはその知識を引き出し、かつ遠回りになりすぎない程度の採取場所へ寄り道の案内を行っている。

 実際に採取場所に到着すると、シンシアはメイの知識に則って植物の分別、採取を行う。メイは周りの警戒をしつつだったが、今はそうする必要がない。


「……しっかし、メイちゃんは器用に採取するねぇ。そらあの爺さんが褒めるわけだ」

「一つ一つの処理が丁寧ね。ルークなら大雑把すぎて台無しにしてるところ」

「君たちはどうして事あるごとに僕をなじるのかなぁ!」


 護衛として周囲の警戒をしてくれているはずのハンター三名は、どうしてかシンシアの採取の手際を見ていた。


「気質だろうな。そういうもんは細かいところに現れるもんだ」


 ダンすらその輪に加わってくる。

 シンシアはあくまでもメイの経験に基づいて手を動かしているだけなのに、あまり適当言われても困る。


「あの、そんなにじっと見られてると恥ずかしいんですが……」

「ごめんごめん。実は僕たち採取の護衛みたいなことするの初めてでさ。どういう感じなのか興味があったんだ」

「普段は魔物狩りしかしねーからな俺ら」


 必要な分の採取を終えると、シンシアの案内の元また別の道を行く。

 その調子で魔物に出会うこともなく、数か所の採取場所を行き来しつつ、本来の目的地へ向かうところまでたどり着いた。


「ここからもう少し進んだ場所です」


 迷うことのない案内と、そこまで山の深い位置まで来ていないとはいえ魔物にまだ遭遇していない事実。一名、明確にシンシアを見る目が変わった人物がいた。


「——いや、確かにこれは組合も気にするのもわかる。このルートには価値がある」


 普段三名の中で斥候役を務めているカルは案内に関心していた。

 魔物に出くわしそうな場所を器用に避け、かつ山道からそこまで離れない距離を保っている。道順も間違えやすいものはなく、しっかりとした目印を基準に構築されていた。

 一からこの道筋を作り上げるのには相当な時間が必要だとカルは見込んでいた。子供が一人で成し遂げようと思えば、相当な運と勘の良さが必要になることは明白だった。


「カル、そんなに凄いことなのかこれは」


 カルの目の色が変わったのを見て、ルークがすかさず話を聞きに来る。会話の内容を聞かれないように、僅かに二人だけ一団の後ろに下がり、聞こえない程度に声を潜ませる。


「凄いで済ませられれば良かったけどさ。俺だったらあの子をさっさと囲い込む。最悪、手の付けようがない盗賊に化ける可能性も考えられる」

「そこまで?」

「そこまで、だ。ティノンを見ろ、最初より周囲への警戒が険しくなっている。あの子が襲われたってことで、相当気配を隠すのがうまい魔物がいる可能性を考えてるんだ」


 ただの子供が魔物に襲われたならただの事故。魔物の生息地が変わっているだけなら調査だけで済む。では、襲われた子供が最低限の斥候役を務められる程度だったら? 何か物事に裏があると警戒するのは、ある程度場数を踏んだハンターならば当然の事だ。


「ただの調査だと思わない方がいいな。勘だが」

「この山で何かが起きてるってことか?」

「十中八九そうだろう。ルーク、いつでも戦える準備はしておけよ。ダンもいるが、現役じゃない。なんかあった時にあの子を守るのはお前だ」


 事の裏を感じ取り、二人のハンターは静かに視線を目の前の少女へ注がれていた。

 そんなやり取りを知らないシンシアは、何も深く物事を考えず、約束の場所へと一団を案内した。


「ここです」


 そこは何気ない場所だった。それまでの山道と変わらず、周囲を木々に囲まれている。

 もう少し進めば木が段々となくなり、荒涼とした光景が広がり始めるがここはそうではない。


「この場所で、確か、あっちの方から音が聞こえてきて――」


 シンシアはメイの記憶を引き出しつつ、状況の説明をする。どうやって襲われたのか、どういう状況だったのか、なるべく具体的に。

 話している最中にメイの恐怖が想起され、多少声が震えてしまったが、誰もそれには触れなかった。


「……やはりおかしいな。グレイハウンドは雪が積もるような山頂付近にいるはずの魔物だ。こんな下の方で出てくるような魔物じゃない」

「ダンさん。どうしますか? 僕たちだけなら今からでも山頂への確認にも行けますが」

「まだその判断をするには早い。メイちゃん、今度は追われて逃げた先に案内してくれるか」


 シンシアは頷き、自身がメイと出会った場所までの案内を始める。現在位置から少し山を登った位置、緩やかな傾斜の道の先。

 近づくにつれて、シンシア以外のメンツの顔色が少しずつ悪くなっていく。


「瘴気が濃くなってきたな」

「明らかですね。原因は何でしょうか」

「グレイハウンドの死体が四頭分残っているはずだ。昨日の死体だから腐ってるとは思わんが……」

「それ込みで考えてもきつくねぇか? 山頂付近でももうちょい空気が軽いぜ」


 周りの面々が瘴気に関することを口に出す中、シンシアだけは言っていることを把握しきれていなかった。シンシアにとって瘴気とは自分の体から溢れ出てくる黒い靄の事で、今周りに黒い靄は見当たらない。

 何となく瘴気が漂っているのはわかるが、シンシアからすれば微々たる量だ。これでも濃いとなると、シンシアはより一層今後の活動を気を付けないといけない。

 バレた時のことを考えて、シンシアはすぐに四人を殺す覚悟を決める。正面からなら厳しいかもしれないが、不意を打てば何とかなると考えて、いつでも瘴気の剣を作りだせるようにイメージを頭の隅に置いておく。


「メイちゃんは大丈夫か」

「……はい、何とか平気です。あっ、見えました。多分あれです」


 現場にたどり着き、真っ先に目に入ったのは狼の姿形をした魔物の死体が四つ。

 予想通りの光景に一瞬だけ空気が緩み、すぐにまた引き締められた。


「おい、俺の見間違えじゃないよな」

「間違いないよダンさん。あの死体、もう腐ってる」


 魔物の死体は通常の獣に比べて日持ちが良いとされている。それは瘴気が漂う場所に住む魔物たちが瘴気に適応した結果だとも、魔物たちが持つ魔力による影響だとも言われている。実際どうしてなのかは判明していないが、事実として魔物の死体は同系の獣の死体に比べて三倍は日持ちが効く。

 魔物の死体が一日放置した程度で腐るなんて、少なくともダンたちは聞いたことも見たこともなかった。腐った魔物の死体は瘴気を巻き散らす危険物、長期間の放置はできない。


「くそったれ。おい! さっさと調べてあの死体燃やすぞ!」


 四人は険しい顔つきでグレイハウンドの死体を調べ始める。シンシアは少し離れた場所で待機するように言われ、その通りにしている。

 ぼんやりと調査の様子を眺めながら、シンシアは何となくなぜこうなったのかが分かった気がした。シンシアがあの魔物を殺すのに使った瘴気の剣、あれが霧散し周囲に漂ったせいだろうと。

 瘴気が物を腐らせる性質も帝国の研究所で見ていた。魔物の死体が腐ったのは瘴気の剣で殺され、剣が霧散した後の瘴気に晒され続けたからで説明ができる。意識しなければ腐らせたりはしなかったはずだが、そのあたりは魔物とただのものでは勝手が違うのだろうと解釈した。

 問題はそのことに彼らが気が付くか――。シンシアの視線は必然的に、調査している四人の表情に注がれていた。


「ダン、死因は」

「腐って部分的に崩れてはいるが、何か所か貫かれた痕がある。牙っぽくはないな、長物だろう」

「メイちゃんを追っかけるのに夢中になりすぎて横やりでぐさりってことか? んな間抜けな魔物でもないと思うぞ」

「この大きさは矢傷じゃない。傷が大きすぎる。私に言えるのはそれだけ」


 各々が死体を検分し思い思いの言葉を発する。

 腐っていてもぎりぎり外観は留めている。死因の特定は容易だった。


「フールが聞いた限りだと、何があったかは見てないそうだ。つまり、一目では理解できないことが起きたと思っていいだろう」

「刺し傷が剣だとすると、僕だったらこんな戦い方はしないかな。四体もいるなら三体は切り殺す。一体に剣が刺さったまま他のに襲われたくはないからね。こんな一体に何度も突き刺すような場面は止めを刺すときぐらいかな」

「確かに、四体とも切り傷がなく刺し傷のみだな」

「不可解だってんなら、この場所も不可解じゃ? 言っちゃ悪いが、グレイハウンドに追われてあの子があそこからここまで走って逃げれるとは思えねぇなぁ」

「妥当だな」


 瘴気の濃さも魔物の殺され方も何もかもが不可解。四人が魔物の死体を調べて判明したのは、上手く説明ができないことが起きたという事実だけに思えた。

 周辺を探ってみても特に何か出てくることもなく、最終的に調べられることは調べたということで死体を燃やすことに決定された。周囲の瘴気の濃さも放置するのには危険なため、並行して簡易的な浄化も行われる。

 段取りが決定したところで、少し離れたところにいるシンシアのところまでティノンがやってきた。


「メイちゃん。これから後始末始めるから、少し離れよう」

「あの、何かわかりましたか?」

「んー。細かいことは後でダンさんから聞いて。私からはなんとも」


 問いかけるシンシアの瞳に宿る不穏な色にも気が付かず、ティノンは手を引いて現場を離れる。

 二人が離れた数秒後、突如大きな音を立てて炎が激しくあがった。

 いきなりの事でシンシアは驚き、僅かに飛び跳ねてしまった。それを見てティノンが小さく笑う。

 周囲の瘴気も僅かに薄まり、残っていた男三人組が二人の方へ少し駆け足気味にやってくる。


「うし。確認するもんも確認したし、後はもうちょい周辺の調査をして帰るぞ」

「山頂付近の調査はどうしますか?」

「そこは一度持ち帰らせてくれ。結論を出すためには、ちと組合内で協議が必要になる」


 言葉の節に不穏なものを感じ取ったハンター三名は顔つきが険しくなるが、すぐにその不安を払拭するようにダンは笑いだした。


「なに、んなお前らが気にするようなもんじゃねぇから安心しろ。ここまでの道中、異常だったのはこの付近の瘴気の濃さぐらいなもんだ。周辺に異常がなければ、重要なのは瘴気の原因ぐらいなもんだ」


 瘴気の原因を探るにしても、この周辺だけが瘴気が濃いのならば付近に何か問題があると考えられる。山頂から瘴気が下りてきている様子があって初めて山頂の様子を見る必要が出てくる。

 何事もなければそれが一番いい。そう言い切り、一行はダン主導の元周辺の探索を始め――何かを見つけることなく、探索は終了となった。


「ま、こんなもんでいいだろう。何も見つからなかったが、それが答えってことだろう」

「結局、あの瘴気の濃さは何だったんですかね」

「瘴気に関してはわからんことの方が多いからなぁ。そこらは学者連中がなんか答えを見つけてくれるだろうさ」


 何も見つからなかったということで、一行の雰囲気は非常に和やかなものになっていた。

 魔物の生息域が変化している兆候はどこにもなく、異常と言える異常は瘴気のみ。この程度であれば、グレイハウンドが下りてきていたのは山頂付近での魔物間での縄張り争いでも説明がつく。

 瘴気の原因に関しては調査してわかるようなものでもない。何せ、現場付近に残されていた瘴気は濃かったが、現場から離れれば瘴気は薄れていくのだ。グレイハウンドの死体から出ていた瘴気だと言われても違和感はあるが説明はできる。

 真実を知っているのはシンシアだけだ。その本人はこの調査で異常なしという結果で終わりそうで、他の人とは別の意味で安心していた。


「メイちゃんも付き合ってくれてありがとうな。ちと採取の時間少なかったか? 帰りも寄っていくか」

「い、いえ大丈夫です。ありがとうございます」

「そうか? お前らも別に構わんだろ、なぁ」


 ダンの呼びかけに三人組は揃って頷く。


「そうだね。メイちゃんがもう少し採取したいなら、僕たちは護衛するよ」

「だな。俺らもこれ以降の予定特に立ててねーしな」

「山頂へ行く予定もなくなったしね。むしろ暇だったぐらいかな」


 シンシアとしては本当に充分採取したつもりだったので、この返答には思わず困ってしまっていた。

 薬草はあまり一度に採取しすぎていてもよくない。安定した収入とするには、ある程度の余裕を持たせるのが必要だと、メイが薬師から聞いていたのだ。帰りも取るとなると、一日にとっていい量を超える危険性があった。


「まあ、本当に大丈夫ならいいさ。ほら、撤収するぞお前ら」


 少し困っているのを見たダンは、すぐさま話題を流した。

 また少しだけ笑い合って、何事もなかったかのように一同は帰路についた。

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