045_失敗
イアンは確かにスーザンの攻撃を避けた。
再びスーザンの攻撃は空を切って地面に穴を開けただけだった。
しかし、イアンの体は硬直する。
「馬鹿な」
その異変に否応なく本人が気が付かされたようだ・
「残念だったな」
俺の手にあるダガーは確実にイアンの影を刺している。これで影縫いは成立した。イアンは動けない筈だ。
「そうか、影を伸ばしたのか」
目の前で、火の玉を掲げ、射出しないサーシャを見てイアンもそれに気が付いたようだ。
「ああ、お陰で俺の手元まで影が伸びたよ」
そして、イアンがスーザンの攻撃を避けて移動する事で、俺に近づく事で、完全におれの射程に入った。だから俺は場所を移動することなく、目の前の地面に短剣を突き立てるだけで影縫いが成立した。
「ククク、そうか。だったとしてこの後どうする?」
影縫いで動けなくなったというのに、イアンは余裕を崩さない。
「スーザン、行けるか?」
今動けるのはスーザンとケイトだが、ケイトは攻撃手段がない。トドメを刺すとしたらスーザンだろう。
「まだだ、もう一発撃つぐらいならいける」
スーザンが一撃でイアンを仕留められるかどうかだ。
「フン、一撃で倒せると思うのか?」
下手に衝撃を与えれば、その時点で影縫いは解ける。
倒すなら一発で決める必要がある。
当初の作戦ならば、影縫いで動きを止めた後に、サーシャの紫炎の魔術でトドメを刺すつもりだったが、今のサーシャにはイアンを照らし、影を作るという役目があるためサーシャが動く事はできない。
「やってみなきゃ、分からないだろう」
スーザンは口では威勢の良いことは言っているが、俺から見てもスーザンは息を切らしており限界が近そうだ。
「影縫いの特性上、一発でも当てれば、拘束は解けるぞ」
万一仕留めそこなったら、拘束から逃れたイアンは、影縫いのためにイアンの近くにいる俺を真っ先に狙うだろう。
「一撃で倒せばいいんだろう」
そう言いながら、ゆっくりとスーザンがイアンに近寄ってくる。本当
「駆け出しのお前ごときの攻撃で、一撃で私を倒せるものか」
イアンは動けないながらも、まだ悪態をついている。
「このまま睨み合ってる訳にもいかないからな。スーザン、やってくれ」
俺にはスーザン以外でイアンに致命傷を与える方法は思いつかない。ここは一か八か賭けるしかない。
「拘束が解けたら、影縫いが使えるお前は真っ先に始末してやる」
俺の言葉を聞いて、さらにイアンが脅しをかけて来る。まあ、一度影縫いを当てられたからには、俺を最優先で狙うだろう。
「では、私がやります」
イアンの言葉を遮るように、ケイトが立ち上がった。今まで自分に回復魔術を掛けて機会を伺っていたのか動く分には問題無いようだ。
しかし、ケイトに攻撃魔術は使えないはずだ。
「また目くらましでもするか?」
イアンが皮肉を込めてケイトをあざ笑う。
イアンもケイトには一撃で自分を倒す方法がある訳が無いと思っているようだ。
「いいえ、違います」
それに対してケイトは凛として言い放った。何か考えが有るようだ。
「貴様に何がある」
ただならぬ気配を感じたのか、イアンも問い返す。
「もう一度悪魔召還を試します」
それは俺が考えてもいない方法だった。
「何?」
イアンもまた、ケイトの言葉は予想外だったようで、声には驚きが滲み出ている。
「せっかく魔法陣がありますので」
そんな俺達をよそに、ケイトは言葉を続ける。
「貴様に悪魔召還が出来るとは思えんな」
それでもイアンは出来る訳が無いと思っているようだ。
ケイトの言葉をまるで信じる様子の無いイアンに対して、ケイトは冷静に自分の考えを告げた。
「確かに悪魔召還を成功させるのは無理でしょう。しかし今は失敗すればいいのです。失敗したらどうなるか、あなたは良く知っている筈です」
その言葉を聞いたイアンは一瞬声を失ったが、直ぐに取り繕うかのように言葉を返した。
「ふん、素人の貴様にできるものか」
何度も悪魔召還をしたと本人が言っていた。召喚の失敗が何を意味しているのかは当然知っているのだろう。何より自分自身で、召喚の失敗を目にしてきている筈だ。
そして同時にそれが召喚の知識の無い者ができる芸当では無い事も分かっている。だからこそ余裕を崩さない。
しかし、ケイトはその余裕を崩すかのような言葉を言い放つ。
「この魔法陣があればできますよ。素人の貴方にでもできたのです」
ここまでの会話を聞いている限りケイトの方がイアンよりも悪魔召還の知識があるのだろう。
だとするなら、そもそもケイトの事を素人と言うのは誤りではないのだろうか。
「貴様、シスターでありながら悪魔召喚も出来ると言うのか?」
イアンも俺と同じ結論にたどり着いたようだ。ここに来て、初めてイアンの言葉に動揺の色が混ざる。
「そう言っているでしょう」
ケイトの態度は、とてもハッタリを言っているようには見えない。
「仮に出来たとして、魔法陣はこの部屋の中に書かれているんだぞ」
ここまで言われて、イアンの声からも焦りが滲み出ている。
「それが何です?」
動揺を隠せないイアンに対して、ケイトは全く驚く様子を見せない。
完全に主導権はケイトが握っているように見える。
「私を狙って生贄にするなど不可能だ」
確かに先ほどと違ってネックレスが無い。正確には、魔力の込められたネックレスは先ほどの召喚で魔力を使い切った。この部屋にはイアンが用意したネックレスと俺が持ち込んだネックレスが二つあるが、どちらも中身が無い状態だ。これでは魔法陣の中の誰が生贄になるのかが分からない。
「あなたは本当に知識がないんですね」
ケイトは、イアンの言葉を聞いても動揺するどころか、むしろ蔑むような雰囲気を漂わせている。
「何だと?」
そして、イアンは何故ケイトが余裕なのかが分からないようだ。
「触媒が何のためにあるか知らないのですか?」
ケイトの口調には憐憫のようなものが含まれていた。
「悪魔に生贄を選ばせるためだろう」
俺もそう思っていた。
「何故触媒を持っている者が生贄になるのです?」
そこに何故と言われると俺も理由は分からない。
「触媒に悪魔が引き寄せられるからだろう」
イアンも触媒があるからという理由しか把握していないようだ。
「では、触媒に悪魔が引き寄せられる理由は?」
そこにさらにケイトは何故という問いを被せる。
「それは」
イアンはそれ以上の質問には答えられないようだ。
「やはり素人ですね。こんな事も知らないなんて」
イアンの事を素人と切って捨てるあたり、やはりケイトの方がイアンよりも知識は詳しいのだろう。それともこれは悪魔召還の知識としては初歩の話なのかもしれない。
どちらにせよイアンはケイトの質問には答えられなかった。
「貴様は知っているというのか?」
イアンの語気が弱くなったような気がするのは、不安の表れだろうか。
「触媒には魔力が込められています。だから悪魔は触媒を持つ者に憑りつく」
そう言う事か。確かにあのネックレスには魔力が込められていた。だから一度使用して魔力が空になったネックレスは意味を成さないのか。
「だから無ければだれが生贄になるか分からないだろう」
そのネックレスが無ければ悪魔は何をもって生贄を選ぶのか。
「まだ分からないのですか? 悪魔が触媒を持つ者に憑りつく理由は、触媒に魔力があるからです。つまり一番高い魔力を持つ者に憑りつこうとした結果、触媒の魔力が一番高かったために、触媒を持つ者に憑りついたんですよ」
そこまでケイトに言われて、ようやくイアンはケイトが何を言おうとしているのか理解したようだ。
「まさか、貴様…」
絶句するイアンに対して、ケイトは容赦なく現実を告げる。
「この中で一番魔力が高いのはあなたです。だから触媒が無くてもあなたが生贄に選ばれる」
確かに、悪魔召還を受けて巨大化したイアンが一番魔力があるだろう。サーシャも一度悪魔召還を受けた身ではあるが今は戦闘で消耗して魔力が切れている。先ほども刻印での強制効果が効かなかった。今の状態でこの五人の中で一番魔力があるのはイアンだろう。
「ハッタリだ」
その言い方は疑い半分という様子だったが、それに対してケイトが現実を見せつける。
「では試してみましょうか」
ケイトが両手を魔法陣に当て、召喚魔術の詠唱を始めた。
「貴様、まさか本当に出来るというのか?」
それを聞いたイアンの様子が変わる。どうやらケイトが本当に召喚魔術を使えると察したようだ。
魔法陣に魔力が流れ込み、召喚魔術が起動し始め部屋の中の空気が淀み、空気が荒れ風となって渦巻き始める。
「おい、これ何かおかしくないか?」
五人の中で唯一動けるスーザンが辺りを見回しながら疑問の声を上げる。再起程イアンが使った時よりも風が強いような気がする。
俺も何となくこの召喚が上手くいかないだろうという事は予想しているが、とはいえ俺は影縫いをしている以上はイアンの近くから動く事は出来ない。
「貴様、意図的に失敗する事が出来ると言うのか?」
魔術を成功させる事は難しいが、かといって意図的に失敗するというのもある程度の知識が無ければできない。
それをケイトはやろうとしているというのか。
「いいえ、使うのはこれが初めてですので、ただ単純に実行するだけですよ」
あっさりとケイトは否定した。それだと召喚が成功してしまう可能性もあるのではないのだろうか。
「召喚が成功すれば、私にさらに追加の悪魔の力が宿るだけだぞ」
イアンも俺と同じ疑問を抱いたのか、召喚が成功した場合の事を話し始めた。ここでイアンが強化されてしまえば、もう俺達に勝ち目は完全に無くなるだろう。
「やはり、あなたは知識がないのですね」
ケイトは呆れたように吐き捨てる。
「確実に失敗するという理由があるのか?」
先ほどケイトはただ魔術を実行するだけだと言ったが、今のケイトの態度をみるとこれから実行する魔術は確実に失敗すると分かっているような素振りだ。俺もその理由が知りたい。
その理由は至って簡単だった。
「これだけ魔法陣が傷付いていれば、魔術が正常に動作したりはしないでしょう」
先ほどからスーザンは爆裂斬を何発も放っている。イアンには当たっていないが、その代わりに床にはいくつもの穴が開くほどの損傷がある。
当然その場所は魔法陣も書かれていたが、床ごと抉り取られている。
イアンが召喚魔術を使った時よりも風が激しいのは、魔法陣が破損している影響なのか。
異常はそれだけではない。加えて部屋全体が地震が起きているかの様に揺れており、先ほどの召喚とは明らかに様子が違う。
「これ、大丈夫なのか?」
スーザンに続き、俺も思わず口から不安が漏れた。
それでもケイトは呪文の詠唱を続ける。詠唱の長さに比例して風は強くなり、揺れも大きくなる。冷静に考えれば、ここで悪魔召還を辞めたところで、イアンを倒す方法は他にない。ケイトを信じてやってもらうしかないか。
「分かった。貴様も悪魔に興味があるなら仲間に入れてやる」
どうやらイアンも身の危険を感じ始めたらしい。ケイトを懐柔しようとしている。確かにケイトは悪魔召還の知識があるが、それは過去に因縁のある悪魔を探しているからであって、悪魔の力を手に入れたい訳ではない。
イアンと相容れるとは思えないし、上から目線で仲間に入れてやると言われてついていくはずが無い。
詠唱を終えたケイトが顔を上げ、イアンを一瞥し、こう言った。
「興味があるのではなく、恨みがあるんですよ」
その顔は、とても冗談や脅しを言っているようには見えなかった。そして、それが交渉決裂の言葉である事はイアンにも理解できたのだろう。
「止めろ!」
イアンが叫ぶ。だが、ケイトは構わずに魔術を唱えた。
「サモンイービル!」
魔法陣が一層強い光を放つ。しかし、破損した魔法陣は不安定なのだろう。地響きが鳴り、魔法陣の所々から魔力が漏れ、それが暴風となって部屋の中を噴き荒らし、電撃や火花となって部屋の中を舞っている。
「うおっ」
電撃が近くに飛んで来た事に驚き、俺はつい短剣から手を離してしまう。
「ウオオオオ!」
その影響で影縫いが解けたのか、イアンが絶叫しながら動く。
それは俺を襲おうとしているのではなく、苦しそうにもがいているようにみえる。
「おい、これ、どうなるんだ?」
俺は誰にともなく呟く。だがそれに答えられる者は居ない。
やがてイアンの体の所々にヒビが入り始め、そこから光があふれ始める。あれは高濃度の魔力が可視化されたのだろうか。
「クソオオオオ!」
イアンが両手で頭を押さえながら再度絶叫する。
同時にイアンの体から溢れていた光が一層強くなり、俺はあまりの眩しさに俺は目を瞑り腕で体を庇うような姿勢を取る。
何かが弾ける音と同時にイアンは静かになった。
同時に、体に何かが当たったような感触があった。
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