030_袋小路

イアンからは明確な殺意を感じる。これ以上時間稼ぎは出来ないようだ。


戦っても勝てないのは分かっている。逃げるしかない。しかし俺が立っている場所から地下牢から出るにはイアンの横を通らないといけない。


行くしかない。




「ハイド」


気休めかもしれないが、再度隠密の魔術で使い姿を消す。


俺は覚悟を決めて走り出す。足音がしてしまうがこの際そこまでは気にしていられない


「目の前で隠密魔術を使ったぐらいで逃げ切れると思っているんですか?」


相手に認識されている状態で隠密魔術を使っても効果が薄い事は分かっている。それでも何もしないよりはマシだ。




俺はイアンの言葉を無視して走る。


イアンは意外にも俺に何もしてこない。あっさりと俺は横を素通りする事が出来た。


スーザンには悪いが今はイアンを倒す事よりも逃げる事が先決だ。




「が」


何もない廊下で、何かにぶつかり思わず声を出す。


その衝撃で、隠密魔術も解けてしまう。


「だから言ったでしょう」


そうなるのが分かっていたと言わんばかりに、イアンが吐き捨てる。


俺が手を伸ばすと、何もないはずの空間に手ごたえがあった。まるで見えない壁があるかのようでそれ以上先には進めなかった。




「何だこれは」


思わずその言葉が口に出た。


「逃げられないように結界を張ったんですよ」


ご丁寧にイアンは説明してくれた。


そういえば、ゴブリンと戦った時も結界を張っていた。こういう使い方も出来るのか。




「来る時にこんなものは無かったぞ」


いつの間に壁が出来たのか。


「それはさっき張ったので、あなたが地下に降りた時には無かったんですよ」


得意げにイアンが言い放つ。という事はイアンの仕業か。




「俺をここまで通したのに?」


物理的な結界を張れるなら、俺を通さないという手もあったはずだ。


「わざと誘い込んだんですよ」


わざわざ俺がここに来るのを待っていたと言うのか。




「俺がスーザンを連れて逃げるとは思わなかったの?」


俺にスーザンを助け出されるとは思わなかったのだろうか。


「その鍵、あなたには解除出来ないでしょう」


残念ながらその通りだ。




「この鍵は特別性だっていうのか?」


屋敷の窓の鍵は解除出来ても、この牢屋の鍵は解除できなかった。


おかしいとは思っていたが、何か理由があるのか。


「特製の魔術で簡単には解除できない様にしてあるんですよ」


だから俺には解除できないのか。俺が使った開錠の魔術は初歩的な魔術であり、物理的な施錠は解除できるが、魔術的な施錠までは解除できない。


盗賊として経験を積めば、さらに高度な開錠の魔術を使えるようになるらしいが、今すぐ覚えるのは無理だ。




「だったら、家の鍵もそうしておけば良かったんじゃないのか?」


そうすれば俺に侵入される事もなかっただろうに。


「それではあなたが入って来られないでしょう。ここに誘い込むために家の鍵解除しておく必要があったんですよ」


俺を誘い込むために、わざと窓のロックは俺でも解除できるよう普通のロックにしていたというのか。




「何のために」


俺とスーザンを接触させれば、自身が誘拐犯である事がバレる。そこまでして俺をここに誘い込む必要があるのか。


「あなたを生け捕りにしよう思いましてね。ここまで誘い込めば逃げられる心配もないでしょう」


どうやら俺を殺すつもりは無いようだが、俺を生け捕りにしてどうするつもりだろうか。俺も生贄に使うつもりか。




「俺が大人しく捕まると思うか?」


結界で逃げ道は塞がれた。こうなってしまっては戦うしかない。


「あなたこそ、抵抗しても痛い目を見るだけですよ」


俺が戦う気になったのを見てもイアンは平然としている。冒険者としてもイアンの方が格上なのは分かっている。




「こんな狭い場所で魔術は使えないだろ」


ギルドで魔術を使われたのは想定外だったが、今は状況が違う。下手な事をすれば地下牢が崩れてスーザンを巻き込む。


この状況ならば俺にも勝機はあるかもしれない。


「まさか私がファイアボールしか使えないと思っているんですか?」


だがイアンは俺の予想をあざ笑うかのような表情で返す。




「この場所でも使える魔術があるって言うのか?」


それは内心図星だった。ゴブリンと戦った時も、ギルドでもその魔術を使っていた。結界を張ったのも、直接的な攻撃手段が無いからだと思っていた。


「では見せてあげましょう」


そう言って再びイアンが俺に向かって手を翳した。




「またディスペルか?」


今は隠密の魔術は使っていない。今ディスペルをしても無意味だ。


「ライトニング」


イアンが使ったのは電撃を放つ下級魔術。確かにファイアボールに比べたら建物を壊す恐れは低いだろう。


油断していた俺は避けられるはずもなく、直撃を受ける。




「く、くそ」


その衝撃に思わず膝を付く。


「私は駆け出しの魔術師ではありません。他の属性の魔術も一通りは使えます」


そうか、ハッタリではなかったか。つまり地下で戦闘を行うには問題無いという事だ。




「みたいだな」


痛みの走る体に無理を聞かせて立ち上がる。


ケイト達には逃げるつもりと伝えたが、まさか逃げられなくなるとは思わなかった。


まだ動けるが、かといって勝てる相手だとは思えない。


「まだやりますか? あまり私を怒らせない方が良いですよ」


一方のイアンは余裕の表情を崩さない。


恐らくさっきの魔術は俺が死なない程度に手加減したのであり、俺が立ち上がってくることも予想していたのだろう。




「怒らせたらどうなるんだ?」


それが負け惜しみである事は分かっているが、こうなった以上時間を稼ぐ必要がある。


「余計な苦痛を味わう事になりますよ」


俺とイアンが接触している事はサーシャに伝わっている筈はずだ。騎士が来るまで時間を稼ぐのが最善だ。




「ならどうしろって?」


一体俺に何を要求するつもりなのか。


「大人しく檻に入りなさい」


最初から俺を生け捕りにするのが目的のようだが、俺を捕まえてどうするつもりなのか。




「檻にいれてどうするつもりだ?」


スーザンと同様に生贄に使うつもりだろうか。


「殺しはしません」


しかしイアンからの答えは俺の予想とは違ったものだった。




「生贄にするんじゃないのか?」


それ以外にどういう使い道があるのか。


「それはあなたの妹次第ですよ」


そう言えば、イアンはサーシャが紫炎の魔術を使った時に、興味を示していた。




「サーシャを連れてくるための餌にするっていうのか?」


俺を人質にすれば、サーシャが助けに来ると思っているのか。


「そうです。私の居場所は刻印の効果で分かっているのでしょう? あなたが帰らなければ必ず私のところに来ます」


 残念ながら、俺とイアンが接触している以上、騎士に助けを求めに行ったはずだ。騎士がここに来る事はあっても、サーシャが直接乗り込んで来る事は無い。




「サーシャも生贄にするつもりか?」


 つまり今の俺は時間を稼ぐのが正解だ。その内騎士がここに踏み込んで来る。


「する訳が無いでしょう。あの魔術を使える貴重な存在ですよ」


 サーシャの魔術が目あてか。


 なら、本当に俺を殺すつもりはないのだろう。ここは大人しく従うのが正解か。




 ●




「分かったら牢屋に入るんだな」


もう一度イアンが威嚇するように俺に掌を向ける。


これ以上時間を稼ぐのは無理か。下手に刺激されて余計な攻撃を受けてもこちらが消耗するだけだ。


「分かった」


俺がそう言うと同時、ガラスが割れるような音がした。




「何?」


イアンも驚きを隠せないようだった。


つまりはイアンにとっても想定外の事態が起きたのだ。


音がした方向を見る。


そこにはケイトとサーシャが居た。それは俺が先ほど結界にぶつかった場所だ。


そういえばケイトは解呪の魔術を使えた。あれで結界を破ったのか。


ケイトは手を翳したままだ。


ケイトの次なる行動が予想出来た俺は目を閉じる、


「結界を解除したんですか?」


それが出来なかったイアンは、恐らくケイトを見ながら声を掛けたのだろう。そして、ケイトは、俺の予想通りの魔術を使った。




「フラッシュ!」


正体不明の魔物に対しても使った、目くらましの魔術だ。目を閉じた状態でも、辺りに眩い光が迸ったのが分かる。


「くそ!」


イアンが悪態をつく声が聞こえる。




「逃げますよ!」


ケイトが叫ぶ。


それに反応し目を開けると、イアンが手で目を覆っている。あの魔術をそのまま見てしまったのだろう。


スーザンを置いていくのか。そんな俺の考えを打ち消すかの様に、イアンが魔術を唱えた。


「ライトニング!」


まだ視力が回復していない状態で、ケイトが居た場所に向かって適当に魔術を放ったのだろう。


だがそんな適当な魔術が当たるはずもない。




イアンから放たれた電撃は壁に命中し当りに火花を散らせるが、俺にもケイトにも当たる事は無かった。


今ならイアンを倒せるかもしれない。しかし、イアンがどんな手を隠し持っているか分からないし、近づけばその分、魔術に当たる危険性も高まる。




「早く!」


躊躇する俺を急かす様に、ケイトが再び叫ぶ。イアンの視力が戻るのは時間の問題だ。鍵は開けられない。イアンが体制を立て直したら今度こそお終いだ。


スーザンを助けられないのは心残りだが、今は逃げるしかない。


俺はその場から走り出し、イアンの横を通り過ぎる。




「ライトニング!」


足音が聞こえたのかもう一度イアンが魔術を唱えた。


だがそれは先ほど同様、壁に当たって火花を散らすだけで、俺達三人に当たる事は無かった。


俺達三人はその音を聞きながら振り返る事無く外に向かって走り出した。

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