015_説得
正体不明の魔物を前に、ケイトは殺さない方が良いと言い出した。
「危なくなったら倒す事を優先するぞ」
刻印の魔術について、何か分かる事があるというのであれば、俺にとっても利益のある話だ。今は話に乗っても良いだろう。
とはいえ、相手がまだ何か切り札を持っている可能性もある。
もしも危険だと判断したら、さっさと倒す方に切り替えよう。
「分かりました。一度だけチャンスを下さい」
危険性を分かった上でもケイトはやるつもりらしい。
「どうするつもりだ?」
一体何をするつもりなのか。
「説得します」
ケイトの言葉に俺は耳を疑った。
「本気か?」
正気とは思えない。
「はい」
そう考えている俺とは対象的に、ケイトは本気で説得できると思っているようだ。しかしそれには問題がある。
「あれに言葉が通じると思うのか?」
魔物の中には人間の言葉を理解する高度な知能を持つ種族もいるらしい。そういった種族は、人間の言葉を話せると聞いているが、あの魔物は人間の言葉を話す様子は無い。
「はい」
あれを説得するという事は、あの魔物が言葉が分かるという前提だ。
つまり、何故かケイトはあの魔物が人間の言葉分かると信じている。
「何故分かる?」
魔術を使えるという事は、人間の言葉も分かるという事だろうか。
「耳を貸してください」
周りに聞かれたら困るという事だろうか。だが今は魔物との戦闘中だ。誰に聞かれたら困ると言うのか。
状況からしてサーシャしか居ないような気がするが、サーシャに聞かれたら困る事とはいったい何なのか。
「何だ?」
とりあえず、ケイトの希望通りに耳をケイトに近付けると、ケイトが話を聞かれたく相手はサーシャではなかった。
「あの魔物は、『魔物』という言葉に反応して攻撃をしてきます」
『魔物』という言葉を聞かれると相手を刺激する事になるため、あの魔物には聞かれたくないという意図か。
「そうだったのか」
言われてみれば、三回とも俺が魔物と言ったら突進してきた。
それ以外向こうから攻撃してくる様子は無い。
今もまた、俺とケイトが話していても何もしてこない。魔物という言葉さえ聞こえなければ攻撃してこないという事だろうか。
ケイトは俺から顔を離すと改めてこう言った。
「だから言葉を理解する知能はあるはずです。説得の余地はあります」
ケイトの決意は固いようだ。
「分かった」
とりあえず、ここはケイトに任せよう。
念のためサーシャにはジェスチャーで攻撃をやめるよう合図をする。
ケイトが俺より前に移動し、魔物への説得を始める。
「話を聞いてください!」
その声が聞こえているのか、魔物はこちらを見ている。
「本当に言葉が分かるのか?」
確かに今まで魔物という言葉に反応していたが、かといってこちらの言葉を全て理解しているかどうか俺はまだ半信半疑だ。
単純に魔物という言葉だけを理解して言えるだけかもしれないし、偶然俺が魔物と言ったタイミングで攻撃してきただけという可能性もある。
とにかく、何が起きてもいいように俺は短剣を構えながら魔物に動きが無いかを注視していた。
先ほどから魔物には特に目立った動きはない。ケイトの話を聞いているのか、単純にこちらの様子を見ているだけなのか、これだけでは判断できない。
「どうかな」
サーシャもまた、攻撃の手を止めて成り行きを見守っている。
「私の言葉が分かりますか?」
ケイトは再び魔物に向かって声を掛ける。
魔物は何もしてこない。
「分かるなら頷いて下さい」
相手が言葉を話せないとしても、こちらの言葉を理解しているとすればジェスチャーで答える事は出来るだろう。
これで頷けば、魔物はこちらの言葉を理解しているという事になるが、どうだろうか。
例えこちらの言葉を理解しているとしても、友好的な態度を取ってくれるとは限らないが。
「まさか」
ケイトが体をピクリと震わせる。
「どうした?」
俺からすれば、魔物からは特に変化は感じられなかった。
「逃げて!」
急にケイトが俺達に向かって振り返って、切羽詰まった声を上げた。
「何?」
急にそれだけ言われても、俺としては状況が飲み込めない。
困惑する俺達を他所に、ケイトは再び魔物の方に向かって魔術を使った。
「フラッシュ!」
手を翳したケイトから光が放たれる。
これは先ほどケイトが言っていた目くらましの閃光の魔術か。近づかないと効果が無いと言っていたような気がしたが。
それでも効果があったのか相手は怯んだように見える。
「固まっていては危険です!」
そう言ってケイトは俺達と距離を取る様に走り始めた。
「どういう事だ?」
それを見た俺はケイトとは反対方向に走り始める。
「魔術が来ます!」
そうか、魔力の変化を感知したのか。
そして、背後から光と衝撃が襲ってくるのに、そう時間は掛からなかった。
●
いつの間にか地面に倒れていた。
何が起きた。全身に衝撃を受けたが攻撃されたのか。
魔物が動いたようには見えなかった。という事は、魔物は魔術を使ったと言うのか。
そうか、大人しいと思っていたら、魔術の詠唱をしていたのか。
俺達が話している様子を見ていたというよりも、俺達が攻撃しないのをみて、その間に強力な魔術を唱えていた。
ケイトは相手が魔術を使う直前に魔力の変動に気が付いたのだろう。
あのまま固まっていたら三人ともやられるところだった。
記憶の糸を辿る。
ケイトが叫んだ後、体に熱と衝撃を襲った。爆発の魔術を使ったのか。
今の爆発は明らかに火を噴いた程度の規模ではない。近くで爆発が起きたと言っていいだろう。
つまりアイツは炎を吐いたのではなく、炎の魔術が使える。
まだ若干眩暈がするが、体に感覚はある。所々体に痛みはあるが動かせない事は無い。痛みの走る体に鞭を打って起き上がる。
「サーシャ! ケイト! 無事か!?」
まだ辺りには砂煙が舞っている。視界が悪い中俺は二人に声を掛ける。
後になって冷静に考えれば、下手に声を出したら追撃をされる危険性があったが、そんな事を考えている余裕は無かった。
「大丈夫です!」
その声はケイトだった。
目くらましが功を奏したのかケイトは相手の攻撃は外れたようだ。だがサーシャからは返事がない。
辺りを再度見回すと砂煙の向こう、人影が見える。それは確かにサーシャだったが俺の言葉には応えない。俺はサーシャに駆け寄り声を掛ける。
「サーシャ!」
それでも返事は無い。
「よくも」
代わりにサーシャから底知れない殺意が感じられる。それは俺に向けられた物ではかったが、寒気を感じずにはいられなかった。
「おい、よせ!」
俺は直ぐにサーシャが何をしようとしているか分かった。
「よせ?」
それをケイトは不思議そうな顔をしてみていた。ケイトはまだサーシャのあの魔術をしらないからだ。
土埃が収まり、俺にも魔物の姿が見える。
あの攻撃をしてきた本人なのだから、当然無傷で立っている。
まだ視力は完全に戻っていないのか、その場から動かず、攻撃してくる気配はない。しかし、いつまた次の魔術を使ってくるのか分からない。
そう思ったのと同時に、それは起った。
魔物の足下に魔法陣の模様が浮き上がった。視線をサーシャに戻すと魔物に向かって手を翳している。
あれを使うつもりか。
「ケイト! 離れろ!」
今度は俺が叫ぶ番だった。
ケイトにはサーシャが紫炎の魔術を使える事をまだ話していない。近くに居たら巻き込まれる危険性がある。
「あ、あれは…」
だがケイトは魔物、いや、その魔法陣に近寄って行った。
そうか、アレを見たことが無いから、アレが攻撃魔術の前兆である事が分からないのか。
「ケイト! 下がれ!」
その声が聞こえたのか、ケイトが立ち止まり、振り返る。
「あれも使えるのですか?」
何だその言い方は。まさかケイトは紫炎の魔術についても知っているのか。
サーシャを無理矢理にでも止めるべきか。しかし、魔物が先ほどと同じ攻撃をもう一度してくるかもしれない。それなら早めに倒した方が良い。
とはいえこのままではケイトが巻き込まれるかもしれない。
「ヘルフレイム」
俺が迷っている内に、サーシャは魔術を唱えた。
咄嗟に目を瞑り両腕で体を庇うような体制を取る。
瞼越しに視界は白熱し、同時に体を熱と衝撃波が襲った。
そして、近くにいたケイトが、その衝撃で宙を舞った。
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