第40話 時の滞留
「きっとその時から、一馬くんの時間が再び流れ始めたんですね」
八幡ちゃんが、くるくる頭をぽよぽよ揺らして頷いた。
「ただなんとなく彼女の家で日々をやり過ごしていた頃は、一馬くんの時は停滞していたんです。思考していないのと同じ状態だったんじゃないですかね」
秋月くんは静かに息を吐き出しながら、ゆっくりと答えた。
「……確かに、深く考えることなんてなかったよな。ただその時の感情に振り回されてた。イライラしたら怒鳴って、黙って、逃げる。その繰り返しだ。自分の身の上、父親が違うきょうだいのこと、自分本位な母親と死んだ家族のこと……そういうことを考えたくなくて、考えない癖がついたんだろう」
チカチカとついたり消えたりを繰り返す公園の灯りから少し離れた位置に、丸い時計があったことに気づいた。しかし針は止まっているようだ。私達が時間球を使ったからなのか、元々壊れていたからなのかは分からない。
「思考しないと、時は止まります。ただ困ったことに、人類の社会は動き続けて不安定ですから、止まってしまった人が社会の中に所属している限り、その人の時は滞留した川のように
「時が澱む?」
どういう現象だろう。時間は私達の目には見えない。けれど澱むという言葉は、秋月くんの過去の状況をぴったり言い表しているように思えた。
「周りも同じように止まっていたら、澱みはしませんよ。全て動かないのですから。でも周りは動き続けているのに自分だけ止まったら、周りで撒き散らされた塵や埃は、止まった場所に掃き寄せられていきます。そして止まった場所がどんどん澱む。多くの場合、感情に負の影響を受けることになります。不衛生な場所で体調を崩すのと同じことです」
ドラッグに誘った彼女から離れることで、秋月くんは時の澱みから脱出できたのだろうか。
「彼女と別れた後、どうしたの?」
彼の時はもう停滞していない。だからこそこんな風に、過去の話を私達に話せているのだろう。
「ジローのところにいることが多くなった。その頃あいつはうちで同居してなくて、一人暮らしだったんだ。そのアパートで寝泊まりさせてもらうようになった」
美琴ちゃんのお父さんがたまにやってくるので、ジロパパは気を遣って引っ越していったのだという。それも自分が荒れた一因だったのかも知れないと、秋月くんは振り返った。
「本をひたすら読んだな……自発的に何か考えなくても、文字を追ってるだけでどんどん思考が生まれていくから。ジローの専門は物理だから、家に物理学や数学に関する本がたくさんあった。読んでたら、ああこれはいいかも知れないと思うようになった」
「数学と物理学が?」
「極めたら世の中の仕組みが全て解けるんじゃないか。そしたら日頃感じているモヤモヤもイライラも、全部消えるんじゃないかって……そんなふうに思えたんだ」
数学で世の中の仕組みが解ける? 数字に弱い私には、生憎よく分からない感覚だ。けど、微分積分は未来を予測するためのものだし、もしもそういったものを極めたら……ありえるのかもしれない。よく分からない。はっきりとは確信できないことが残念だ。
「そのためには、とりあえず高校には行かなきゃダメだ。そう思って勉強した。段々家に帰るのも苦じゃなくなって、今に至る」
「反抗期を乗り越えたんだね」
「そうだな」
冗談交じりに放った私の言葉に、秋月くんはしばらくぶりに声を出して笑った。
「ああ、良かった」
思わずそんな声が口から出た。きっと心からそう思ったからだ。秋月くんが一線を越えずに勉強に目覚めてくれたから、私達は友達になれたのだ。時の結晶集めをしながら、毎日何だかんだ楽しくしていられるのだ。
「でもどうして、私達にそんな話を聞かせてくれたの?」
ふと気になって、秋月くんを見上げた。チカチカと点滅する切れかかった外灯の光が、秋月くんのオレンジ色を見え隠れさせている。
「話したくなった。悠里と八幡に。ただそれだけだ」
とてもシンプルな返答だった。そう答えた秋月くんの声は、少し笑っていた。
「そうだ。もう一つだけ」
「え?」
「俺がなんでオレンジモヒカンにしてるのか、教えてやろうか」
「モヒカンに理由なんてあったの?」
意外すぎる告白に、私はぐぐっと秋月くんの方に前のめりになった。
「知りたい!」
「ボクも! ちょっと気になってたんです。その髪型そっくりの頭のエイリアンがいるんですよ。だからモヒカンヘアって、ちょっとだけ親近感湧くんですよね」
「そうなの? 何星人?」
「レプレプ星人と言うんですけどね」
私達の話は、まだまだ続きそうだった。秋月くんも楽しげな表情を浮かべたままだ。彼はまた回収袋から、数粒の追加時間球を取り出していた。
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