路上ライブは陽の音色
西影
月には決して届かない
改札から出てきた人々の視線が私に刺さる。それはきっと奇異の視線。あるいは「今日もやってるよ」と多少の興味を含んだものだろうか。後者だったら嬉しいな。
「それじゃあ、次がラストだから最後まで聴いてね!」
ギターを持つ手に力を込める。遠くからの視線と十数名の観客が送る期待を胸に、私は最後の演奏を始めた。
「もう終わりか」と言わんばかりの表情と「初めて聞く」という戸惑いの表情で満たされる。先程まで演奏していた有名なカバー曲と違い、これは未だ世に出ていない私が大好きな人の曲。人生で初めて魅入った、ある先輩のオリジナル曲だ。
この曲を弾いていると、高校時代の記憶を思い出す。
九百名以上の人数が入れる広々とした講堂。文化祭中ということで辺りは暗く、唯一明るく照らされたステージでは二人の男子生徒が漫才を繰り広げていた。しかし場の空気はどこか冷たい。座ったまま振り返ると、椅子の背ばかりが見え、数少ない観客が一人、また一人と講堂を出て行く姿が目に映った。
「高校生が頑張ってるんだから温かい目で見てやれよ」と思いつつ、かくいう私も暇を潰すために惰性で見ているだけなので気持ちはわかる。
この場に残っている人たちの思考は、きっと私に似ているだろう。話の内容なんてどうでもいい。無音が嫌いな人がテレビの垂れ流しをするように、文化祭の講堂ステージを休憩所代わりに使用している。
そんな空気を塗り替えたのが先輩のギターだった。
夜の街に昇って来た太陽のような、思わず顔を上げてしまうほど明るい音色。私たちの心へ直接訴えかける震えた声。どんなに絶望している人でも希望を持てる優しい曲だった。
目を見開いた。戦慄した。全身の毛が逆立った。
その場の全員が彼の奏でる音と声に飲み込まれた。背後で聞こえていた足音は止み、曲に合わせて手拍子が響く。未だ感じたことのない胸の高鳴りに身を任せ、私も手を鳴らした。
演奏が終わってもアンコールの声が後を絶たない。しかし時間の関係か、笑顔で私たちに手を降るとステージから姿を消してしまう。
それが私と先輩の出会い。後にSNSで路上ライブを毎週していることを知り、その度に駅まで通うのが習慣になっていた。何度も通ったおかげで顔を覚えてもらい、学校で話すことも増え、先輩に憧れてギターを買うと弾き方を教えてもらった。あの頃の私が一番輝いていたと思う。
いつまでも続いてほしいと感じていた時間。終わることを考えもしなかった日常。その終わりは呆気ないものだった。ある日の路上ライブ終わり。先輩が私を引き留めると、私にスマホの画面を見せてきた。
それはあるSNSアプリのDMで、読んでるうちにスカウトだと理解した。詳しい話を聞くと数日後には上京するらしい。先輩の音楽が認めてもらえた喜びと、先輩が遠くへ行ってしまう寂しさで板挟みになる。
「おめでとうございます」と口にするので精いっぱいだった。声は震えていたかもしれない。それぐらい喉の先まで来ていた「行かないで」を抑えるのに必死だったのだ。
だって言えるはずがない。音楽と共に生きていくのがきっと先輩の夢で、何年もかけて身に付けた実力が勝ち取った切符。先輩の恋人でもない私が言える我儘なんて一つも存在しなかった。してはいけなかった。
――例え、それがきっかけで自分の気持ちに気付いたとしても……だ。
「ふぅ……」
懐かしさと哀しさに包まれながらピックをギターから離す。辺りから拍手が鳴り響き、充実感と物足りなさに苛まれる。いつもより早いけど、今日の路上ライブは終了。観客が改札に吸い込まれていき、私もギターケースを背負って帰路を辿った。
今日は調子が良かった。いつもより声が出しやすかったし、きれいな音色を奏でられた気がする。だけど、足りない。文化祭で聞いた先輩の曲には到底及ばない。楽譜通りのものを弾いて、歌っても何かが不足している。私が奏でる音楽では、あの胸の高鳴りを表現できなかった。
どれだけ練習しても埋まらない距離。その差を痛感して苦しくなっても、つい弾いてしまう魅力がこの曲にはある。
「もう何年引きずってるんだろうな」
つい自嘲気味に呟いてしまう。先輩が上京してからはや五年。今ではテレビの向こうでしか先輩の姿を見る機会は訪れない。
もっと早く自分の恋心に気付いていれば未来は変わっただろうか。あの日の先輩の手を掴めただろうか。今更考えても仕方のない、もしかしたらは未だに考えてしまう。
「本当に、今日は月がきれいですね」
夜空で存在感を放つ満月に手を伸ばす。私にとって明るすぎる光。何年経ってもその輝きは心にあり続ける。
「先輩……」
しかし、目にしても決して届くことはない。一つ静かに息を吐くと、虚空を掴んだ手を下ろした。
路上ライブは陽の音色 西影 @Nishikage
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