EP07 それから

「お父さま、お母さま。今夜もごちそうになります。ほんとうにありがとうございます!」


「いいのよ美咲ちゃん。うちの子には今まで、家に来てくれるような友達がいなかったの。いつでもご飯を食べにきてね」


「今夜は泊まっていくのかな?」


「って、ちょっと待って。いつの間にか、美咲がうちに居着いてるんだけど!?」


 美咲は最近、うちに入り浸っている。


 動画編集用のPCをバットで完膚なきまでに破壊してしまったので、当面の間、編集はわたしのMacでやるしかないからだ。


 でも、うちには余ってる部屋がない。わたしの部屋に、座敷童みたいに美咲が取りついている今の状態は絶対によくない。両親はなぜか、美咲を歓迎しているし。


 美咲はやたらと外面がいいのだ。


 そういう処世術を覚えた経緯は察しが付くから、「出て行け!」とも言いづらい。


「美咲。そろそろ家に帰ったら? たまには一人で過ごしたくならない?」


「だって、PCがないんだから仕方ないじゃん」


 最大の問題は、母が美咲の好物を夕食に出してくることだ。


 今夜も、無駄にカプサイシンを大量投下したインド系の激辛カレー……わたしは! ハウスバーモンドカレーの甘口が! 食べたいのに!


「美咲~。Macなら持っていっていいからさ。新しいPCを手に入れるまで、貸してあげるから」


「わたしはMacの操作方法がわからないから、美咲に教えてもらわないと無理。だって、右クリックもできないマウスなんて……」


「だから! Macのマウスには! 右クリックボタンがあるから!」


「Ctr+Cキーでコピーもできないし。あの妙なタッチパネルとか論外だし」


「タッチパネルじゃない。トラックパッド」


「人間の身体は、マウスがないとPCを操作できないように設計されているんだよ?」


「美咲さあ、Mac憎しで適当なこと言ってない?」


「Macのマウスって超持ちにくいし。見た目の綺麗さに全振りして、人間工学を無視してるよね。肩が凝るよ。なんで純正マウスなんか使うの? お布施? もうジョブズもいないのに、お布施してんの?」


「うぐぐ……このWindows野郎め……! Macのほうがお洒落じゃん!」


「お洒落とかそういうのいいから。PCは機能だから。だって道具だよ?」


「スタバで開くならMacBook一択でしょ!」


「あんな異世界の呪文みたいなメニュー名を唱えないといけない恐ろしい場所には、わたし、行かないから。っていうかPC弄るなら、家で作業する。ドヤァと人前でやる意味なんてないし」


 両親が「ほんとうに仲が良いのねえ」「まるで戦友同士だな」と笑っているが、笑い事ではない。


 このまま、ドラえもんのようにわたしの部屋に棲み着かれたら困る。道具を出してくるどころか、バットでいろいろ壊してまわるヤツだし。


 結局、あれから「赤い部屋」の事故物件には行っていない。


 送信機を遺していることが不安材料だけれど、無事に戻ってこられるかどうか確証が持てないからだ。


 それに、派手に地下を荒らしたものだから、不動産屋が許可してくれない。


 心霊スポットロケはあれから中断しているけれど、美咲はわたしの部屋で屋内配信をはじめている。内容は「今までの配信の振り返り」程度の簡単なものだけれど、長期間更新を止めると視聴者が離れるし、美咲にMacを使った動画編集を覚えさせないといけないので、少しずつ更新している。


 そろそろ、次のロケ地を決めないといけないのだけれど――。


 ただ、気になることがある。


 コメントの常連さんの三割が、あの日を境に書き込まなくなってしまったのだ。


 アクセスもしていない。


 しかもコメントログを辿ってみると、「赤い部屋のポップアップウィンドウ」を閉じてしまった人たちばかり。


 残っている常連さんたちは、あのウィンドウが開いた時に閉じずに、自然消滅してくれるのを待ち続けた人たちだ。


 彼らは、消えた常連たちについて、あれこれと不穏な噂話を書き込んでいるが、実際のところはいまだによくわからない。数が多すぎるし、個人を特定するのも大変だ。


(まさか、ウィンドウを閉じた全員が祟られたり、体調を崩したり、もしかして命を落としたり……まさかね……いくらなんでも、数が多すぎる。わたしたちのチャンネルに関係していそうな事件や事故の報道は、ぜんぜんないし……)


 そんなことをぼんやり考えていたら、テレビから、あの言葉が不意に聞こえてきた。


 夜18時の、民放のニュース番組。


 アナウンサーが、見覚えのある屋敷の前でマイクを握って喋っている。


『ここが現場となった、通称・赤い部屋がある空き家です。この空き家はインターネット上で、怪奇現象が起こると評判になっていました。今回、地下室に不法潜入した大学生と高校生の三人組は、意識不明の重体となっていたところを不動産業者から委託された管理人に発見され――』


『――三人組が倒れた原因は今のところ不明ですが、警察発表によれば、身体に怪我は負ってないということです――』


『三人は顔見知りの知人関係ではなく、ネット上の都市伝説SNSサイトで知り合い、一緒にこの物件に潜入しようと計画を立てて――』


『とある心霊系Youtuberがこの物件で地下室を発見し、怪奇現象の撮影に成功したという噂が広まったことから、自分たちも物件に行ってみたいと好奇心に駆られた視聴者が発生したことが、今回の潜入のきっかけと言われており――』


 嘘。なに、これ?


 うちのチャンネルのコメント欄では、そんな話、ぜんぜん出ていなかったけど?


 そもそも生配信であの惨状を目撃した人間なら、自分も真似して突撃しようだなんて絶対に考えないはず。


 そうか。他のSNSにも噂がどんどん拡散されて……。


 まずい。両親に気づかれたら、美咲は家から追い出されて、わたしはYoutube活動を禁止される。冷や汗が流れる。幸い両親はまだ気づいていないけれど、これってマスコミが「配信動画を使わせてくれ」って連絡してくるやつでは?


 美咲もわたしも、思いきり顔出ししてるし!


 家にまで押しかけられたらどうしよう?


 このことを予知夢で予め見ることができていれば、防ぎようもあったのに。肝心の時にまったく役に立たない。いつものことだけれど。


「……ごちそうさまでした! それじゃ動画編集するよ真理。急いで急いで!」


「あ、あ、うん」


 美咲が素早くわたしの腕を引っ張って、リビングルームを脱出していた。



「ああああ。スマホを見て。うちのチャンネルにマスコミからガンガンと『動画を使わせろ』『取材させろ』ってDMが……ああ、DMじゃなくて直接リプしてくる奴も大量に……どうしよう、どうしよう美咲? 大炎上してる!」


 自室に籠城したわたしは、涙目になって美咲にすがっていた。


 そもそもわたしは本来、マスクをつけて一度きりのゲスト出演をするだけだったのに、どうしてこんなおおごとに?


「うーん。マスコミは丁重にお断りすればいいけどさ、こりゃネット探偵団の恐るべき捜査力によって、早晩二人の身元が特定されるかもね。あいつら、暇なくせにこういう時だけ超有能な集団と化すから。その才能を自分のために使えよと言いたくなるくらいに」


 なにそれ。最悪なんだけど。


「ああああああ? 問題の赤い部屋の動画の再生件数が、いつの間にか10倍に増えてる? 海外にまで拡散されまくってるよ美咲~?」


「えー? マジでっ? よかったじゃん。ガッツリと金が入ってくるじゃん! これでPCもスマホも買い換えられるよ真理!」


「喜んでる場合じゃない!」


「あ、ごめんごめん。真理にももちろん出演料は出してあげるから。本来なら7:3ってところだけど、Macも借りてるしね。6:4でどう?」


「そういう問題じゃないっ!」


「じゃあ、どういう問題なのさ。炎上してナンボじゃん、ネットなんて」


「重体になってる人が三人もいるんだよ? わたしたち、きっとタダじゃ済まないよ? 『責任を取れ』って叫ぶネットパトロール好きの正義漢たちが、大量に押し寄せてきてるし」


「毎回『良い子のみんなは真似をしないでください。心霊スポットへの無許可での立ち入りは厳禁です。法律とマナーを遵守してください』って言い訳テロップを入れてるから、問題ないよ。今回侵入した面々だって、たぶんうちの視聴者じゃないでしょ」


「ネットの正義軍団には、そういうの通じないから!」


 頭を抱えていると――例の情報提供者「福笑い女優霊」から、DMが来た。


<ご無沙汰しております、件の物件の情報を提供している福笑い女優霊です。今回の騒動は、自分がお二人に次々と刺激的な情報を提供したためにエスカレートしたと反省しております。現在、各方面に手を回して事態収拾に取りかかっていますので、ご安心ください。少なくとも、マスメディアがお二人に直接接触してくる事態は回避できそうです>


「真理! 救いの主がキター! 不動産屋の弁償問題の時も助けてくれたよね。いったい誰なんだろうね、この人?」


「この書きぶりだと、報道関係にも影響力を行使できるみたい。よほど大きな企業の御曹司ってところかな? あの不動産屋の親会社を調べてみれば、すぐにわかると思っていたけれど」


「グループ企業の編成が複雑すぎて、結局わからなかったんだよね。いやー旧財閥系ってスゴイよねー」


<ネット上の誹謗中傷についても、迅速に対応します。こちらは問題なく処理できると思います。弊社にはネット専門の弁護士軍団が百名おりまして……>


 なにそれ、怖っ! と美咲が小さな悲鳴を上げた。


 怪異より弁護士のほうが苦手らしい。


<先日、戦後最初にあの屋敷を買い取った但馬家は、GHQのレッドパージで没落して一家失踪。その後は行方知れずとお伝えしましたが、さらなる調査を進めた結果、この但馬家がオランダ商人A氏の妻の実家だという確かな物証を得られました>


 やっぱり。


 で、但馬家はその後、どうなったのだろう?


<但馬家がGHQに目を付けられたのも、戦時中にオランダ商人A氏がスパイとして獄死した事件がそもそもの原因のようです。やはり、隠し地下室の怪しい通信機が、GHQの疑惑を確信に変えたようです。但馬家の人々は、通信機の正体について、怪しい供述を繰り返したらしいですし>


 たぶん、霊界ラジオだとか呪詛の道具だとか言ったんだよ、と美咲。


<但馬家はGHQによってあの屋敷から事実上追い出され、以後の消息はいまだに不明のままなのですが、GHQがあの地下室を解体しようと業者を雇うも、何度も事故が起きて、どの業者も工事を請け負わなくなったため、地下室が放置されるに至ったのです>


 それから、代々あの物件を所有した住人も、同じように地下室の解体に失敗し、最終的には呪術的な力を持つとされる赤土と大量のお札で入り口を封印するしかなくなったようです。その赤土の由来は、どうも件の但馬家と縁が深い神社なのです、と福笑い女優霊さんは伝えてくれた。


<但馬家はGHQによって落剥しましたが、完全に滅び去ってはいなかったのかもしれません。あの屋敷で呪術ラジオの実験を行っていた時期には、A氏夫妻を害した者たちへの呪詛を目的としていたと思われますが、屋敷を失った後は、責任を持って地下室を封印しようと協力していたのかもしれませんね。もう、今となってはわかりませんが――>


 わたしが、スマホを握りしめて福笑い女優霊さんのDMを読んでいるうちに、美咲がPCのモニター画面を指さして、こう言った。


「見て見て真理! 屋敷に突撃して重体になった三人のうち、最年長の大学生の名前! ほら! 但馬! 但馬だって! もしかして、問題の但馬家の一族じゃない?」


 わからない。偶然の一致かもしれない。


 ただ、背筋が凍りついた。偶然だとすれば奇妙すぎるし、ほんとうにあの但馬家の人間なのだとしたら、わたしたちの配信番組に煽られたのではなく――但馬家の末裔としての使命感を抱いて、あの地下室の邪悪な装置を破壊しに行ったのでは? そして、返り討ちにあったのでは?


<彼について調査すれば、但馬家の現在がわかるかもしれません。調査してみますね。また連絡します。それでは、ご自愛ください>


 福笑い女優霊さんは、いったいどういう人なのだろう?


 なぜ、美咲とわたしにこれほど肩入れしてくれるのか。


 あるいは、この人もまた、あの物件となんらかの因縁があって――なにしろ、かつ

てあの物件を所有していた企業経営者の一族なのだ。物件を子会社に押しつけた際に、そうしなければならないなにかがあったのかもしれない。


 わたしは直接DMを送ってそれらの疑問をぶつけてみたが、

<すみません、今は明かせないんです。今回の事件に間接的に関わってると祖父に知られたら、ネットを取り上げられてしまいますから。近いうちに、直接ご挨拶いたします。約束します>


 というレスが来ただけだった。


「うーん。福笑い女優霊って一体誰なんだろう? 超気になる。普段、なにやってる人? マジで気になるよね、真理」


「そうだね。どうして『怪ぶつっ!』チャンネルを支援してくれるんだろう」


「わたしに惚れてるとかそーゆー理由じゃね? かーっ。モテる女は罪だねーっ!」


「違うでしょ」


「だいじょうぶだよー。わたしには真理がいるじゃーん。妬かない妬かない」


「は? なに言ってんの?」


 今は、彼(彼女?)が無事だっということに満足すべきなのだろう。


 でも、メッセージウィンドウを閉じたっきり消えた面々は?


「美咲? しばらく更新を休んで、おとなしくしていよう? ネットの炎上騒ぎって、祭りが終わったらあっという間に風化するものだし」


 わたしはパニック発作を起こさないように大きな息を吐きながら、美咲にそう伝えたのだが。


「え? なにを言ってるの真理? 謎に満ちた但馬家が、現代に蘇ったんじゃん!?」


 あ。まずい。美咲の目が、ぎらぎらと輝いている。


「しかも、因縁の霊界ラジオと対決したんだよ! 返り討ちにあったみたいだけど。ここはさ、霊界ラジオの受信機をぶっ壊すという歴史的大戦果をあげたわたしが、仇討ちに乗り込まなきゃ嘘でしょ?」


 なんでバットを握ってるの、バットを?


「『嘘でしょ?』って言いたいのは、わたしのほうだから! せっかく生還できたのに、なにを言ってるの美咲。正気?」


「残る送信機をぶち壊せば、ケジメもつくってものでしょ! 責任を取れーと騒いでいる連中に、生配信で見せつけてやろうじゃん! わたしたちがケジメをつける瞬間をさあ!」


「たぶん、負けるよ……本家の但馬家の人間でも、ダメだったのに……」


「男には、負けるとわかっていても戦わなきゃならない時があるんだぜ?」


「は? 美咲は女じゃん」


 わたしの入浴中に、美咲が図々しくも勝手にバスルームに入ってきた時に確認済みだ。


「ノンノンノンノン! 今の時代に男も女もなーい!」


 そっちが先に「男には」とか言いだしたんでしょう。もう。


「というわけで『赤い部屋』現地生配信、第二回をはじめるから! レンタカーの手配、よろしく! わたし今、スマホないからさー」


「不動産屋が許可しないよ」


「事故承諾でなんとでもなる! なんか大企業の御曹司的な味方もいるし、いけるいける!」


「福笑い女優霊さんは、この件ではこれ以上動けないんじゃないかな……」


「あの霊界ラジオをブッ壊せば、業者にも感謝されるって! さあさあ。カロリーメイトのフルーツ味を10箱くらい準備してGO!」


「自分から現場に舞い戻って、マスコミとネット民を無駄に煽ってどうするのよ。美咲ってば~!」


「ねえ真理? 銭は命よりもだいじなんだよ?」


「いや、命のほうがだいじだから」


「こんどは敵も100%ガチで反撃してくるっしょ。もっと凄い映像が撮れれば、100万再生どころか、1000万再生も目の前じゃん! どれだけの収益になるか、わかる?」


「その1000万人のうち、900万人はクレーマーだと思うけど?」


「炎上でもなんでもいいんだよ収益になれば! わたしの学費! 奨学金! 家賃! 光熱費! 卒業までに必要な資金をゲットできるじゃん! PCも買い直せるしっ! 超スゴいグラボを刺した、動画編集用のマジで高機能なヤツを!」


「いや、確かに美咲にはお金が必要だけれど、でも……」


「真理はだいじょうぶ! 今回は、スマホで撮影だけしてくれればいいから! わたし一人が出演するから! 真理の名前も出さないから。適当なバイトくんに撮影させたってことにするよ。ね? イイヨね? お願い!」


 ああ、ダメだ。止められそうにない。


 よりによって最近、予知夢を見てないので、どうすれば「二回戦ルート」を避けられるかがわからない。


「待って真理。わかった。それじゃ行こう。でも、今夜はもう寝よう? もう夜中だよ? 明日からはちゃんと協力するから、だから寝よう、寝よう」


 今夜だ。今夜、予知夢を見るしかない。


 今の美咲なら、わたしの予知夢のルートすら力ずくで改変してしまいそうな気もするけれど。


 まさかこのわたしが、自分の予知夢の力に頼るだなんて。あれほど呪わしい力だったのに。


「うん、いいよー。じゃ、寝ようか! あの霊界ラジオを葬り去る予知夢を見てね真理、お願いっ!」


「……炎上突撃取材を回避する予知夢を見るんだよ……」


 

 ……

 ……

 ……

 視界が、赤い。空気そのものが血のように真っ赤だ。


 戻って来た。赤い部屋の前に。


 部屋の壁は崩落しているが、「進入禁止」のロープが張られている。まるで結界のように。


「霊界ラジオだか呪詛ラジオだか知らないけど、よくもわたしにPCとスマホを破壊させたなー! 今日こそ決着をつけてやる~! 銭の恨みを思い知れ!」


 そのロープを無視して、バットを構えた真理が室内に飛び込もうとしている。


 そんな真理の挑発に応えるかのように、地下全体が激しく震動する。


 そして、またあの雷撃が落ちるかのようなけたたましい轟音。


 瓦礫が。室内にぶちまけられている書物の数々が。ポルターガイスト現象の如く、次々と宙に浮き上がって、そして美咲へと飛んでいく。


「上等だオラア!」


 もう、配信動画の撮影どころではない。


 机の上に置かれている送信機は、異形のものに変形していた。多数の電球とコイルに、蔦のような、あるいは触手のような生物的ななにかが、うねうねと巻き付いている。アンテナ線が「成長」したものらしい。


 受信機を破壊されたというのに、この送信機は、なんらかの手段で禍々しいなにかを取り込み続けている!? これってエジソンが探し続けていた、人間の魂の電磁波?


「ダメ。美咲! これは、絶対に無理! 前回よりずっと強力になってる! 引き返そう!」


 わたしは美咲の腰にしがみついて、思わず叫んでいた。


「あれ~? 真理は怪異とか信じないんじゃなかった~?」


「今でも、奇妙な構造の通信機が発生させているなんらかの物理的な現象だと解釈しているけれど、こんなの、もう物理とか怪異とか関係ないから! 命の危機だよ美咲!」


「だいじょうぶだって。わたしの生命力はクマムシ並みだよ!」


「常に助かるとは限らないでしょう、それは経験則! 99回生還しても、一度でも死んだら意味ないから!」


「もう~、心配ないって。ま……きみはわたしが守るからさ!」


「きみってなに、きみって。むずむずする! 真理でいいから!」


「えー。せっかく今日の配信では真理の名前を伏せてたのに、台無しじゃーん」


「いいから戻ろうっ!」


「覆水盆に返らずだねー。しょうがないな、それじゃ――特攻するしかないね!」


 なんでそうなるの?


「ネットで見てるみんな~! これから最終決戦がはじまりま~す! 振り返り総集編動画でお伝えした通り、わたしはこの霊界ラジオに自宅凸攻撃を食らったので、PCもスマホもありません! 配信を続行するため、今は真理の家に、オバケのQ太郎のように居着いています!」


 オバケのQ太郎ってなに? 怪異マニアだけが知ってるなにか?


「ですが! ここでこいつを倒せば、消えた常連さんたちも戻ってくるし、突撃して入院している三人も意識を回復するような、そんな気がします! 美咲が予知夢で見ました!」


「そんな予知夢、見てないっ!」


「だから投げ銭を、投げ銭をお願い! オラに元気銭をくれぇ~! 行くぞおおおお!」


 ああ。わたしにはこの予知夢のルートを変更するすべは、たぶんないのだろう。美咲に今すぐ1億円くれるようなホワイトナイトでも現れない限り。


 あの企業の御曹司(令嬢?)の福笑い女優霊さんが一億円振り込んでくれないかな。今すぐに。そういえば、あの人、今日は一度もコメントしていない。お祖父さんにネットを禁止されちゃったのかも。


「ねえ真理? 真理と半同居していろいろお喋りしてるうちに、気づいたことがあるんだ!」


「なによ、なに?」


「真理の予知夢って、悪夢的な展開が多いけど、決定的な『結末』までを見るケースは少ないじゃん? 死の危険に直面しても、死ぬ直前に目が覚めるんでしょ?」


「……そうだね。赤い部屋の夢もそうだったし、あの震災で津波に襲われた夢も、部屋ごと水に呑まれて溺れたところで目が覚めた……」


「真理が見た、震災で津波に呑まれる夢。あの夢の「視点」は、幼いわたしの視点なんだよ! 最初から似てるなーとは思っていたけどさ。話を聞けば聞くほど、まるきり一致するんだもん」


 え? まさか? そんなことが!?


 わたしが見る予知夢には、わたし自身が出演する夢と、そうではない夢がある。


 わたしが出演しない夢の視点は、結局、誰のものだったのかわからないまま終わる。


 あれは、他人の未来を予知夢として見ていたということ?


「つまりわたしは、真理が見た予知夢夢とまったく同じ運命を辿って波に呑まれながらも、生き延びたわけ! 真理は、波に呑まれたわたしの『結末』までは夢で見てないじゃん?」


「ほんとうに?」


「真理の予知夢が、未来を見ているのだとしてもさ。『結末』は、定まっていないんじゃない? だからさ、夢をそんなに怖がらなくてもいいんだよ、真理」


 そうか。


 わたしは、ずっと自分の予知夢に怯えて生きてきたけれど。


「結末」は、なにも定まっていないのだ。


 自ら望む「結末」を掴み取れる者は、運命も怪異もなにも恐れずにひたすら前へと突き進んでいく、美咲のような人間なのかもしれない。


 でも、この会話はほんとうに現実で交わされる会話なのだろうか。それとも、わたしの願望……どんな願望だ……なのだろうか。


 わからない。今はわからないけれど。


 目を覚まして現実に戻れば、わかることだ。



『真理。真理。起きて。ほら、朝だよー。お母さんのスクランブルエッグを食べて、目を覚まそうー!』



 その声が、わたしの意識を現実に引き戻していく。


 赤かった視界が、白くなってくる。


 光だ。とても眩しい。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る