EP06 因縁

<昨夜、その事故物件を管理している子会社に乗り込んで、古い資料を一晩中漁り、やっと当時の記録を見つけました。その建物を建てたオランダ商人A氏は、スパイではなかったのです>


 電球の明滅はいよいよスピードアップしている。


 さらには「ガンガンガン」「ドンドンドン」という激しい音が再び鳴りはじめ、暗い室内はさながら地獄と化していた。


 もう生きた心地がしない。予知夢が外れてくれればいいのにとずっと祈って生きてきたのに、いざ外れてみれば、「お願いですから予知夢通りの現実に戻ってください」と真逆のことを祈っている。


「え? なになに? こっちからは読めないから、代わりに読み上げて真理!」


 バットを片手に持ったまま、美咲が叫ぶ。美咲は、部屋に据え付けられている古い本棚を調べていた。


「どれも年代モノだけど、西洋系のオカルト書と、古い和書がごっちゃになって収められてる。なんなの、これ? で、A氏の話の続きは? 真理?」


「美咲。追加情報によると、この箱は普通の通信機じゃない。特攻は、地下室に通信機を据え付けて毎晩怪しい動きをしているオランダ商人A氏を、敵国のスパイだと誤解してA氏を拘束し、獄死させたの。でも、その後の捜査の結果、冤罪だとわかった。だからすべてをタブーにして、事件をなかったことにしたの」


 バアアン!


 こんどは天井から轟音が鳴り響いてきた。まさか、崩落の予兆?


「冤罪!? わたしが刑事でも、ここってスパイ部屋に見えるけど――五芒星だのお札だの怪しげな和書の数々がなければ、だけど」


「オランダ商人A氏の来日目的は、表向きは貿易仕事だったけれど、裏の目的は個人的な趣味。彼は物理学者でも純粋なオカルティストでもなかったけれど、トーマス・エジソンの『霊界ラジオ』に取りつかれていた!」


「エジソン? 霊界ラジオ? なにそれ?」


「電気というものは、かつては科学者にとっても魔術みたいな不可思議な存在だったの。二人の電気王、直流と交流を巡って激しく戦った科学者、エジソンとニコラ・テスラは、電気の探求を続けた結果、どちらも後年どんどんオカルト方向に走っていった」


「ニコラ・テスラって、あー、ソシャゲで見たことある! そういえばあのソシャゲ、エジソンを名乗るライオンも出てたような……」


「ニコラ・テスラは、地球そのものが電気を怯えている『帯電体』だという事実を発見した。その結果、彼は全世界に電気を無線で送電する『地球システム』という、誇大妄想的な巨大装置を作ろうとして、マッド・サイエンティストと呼ばれることに」


 バチイイン!


 耳元で破裂音。鼓膜が揺れる。三半規管をやられそうだ。


「エジソンは、オカルト現象を含む森羅万象を『電気』によって解き明かせると考えて、その結果、人間の霊魂もまた電磁波だという仮説に取りつかれたの。科学至上主義者は、時としてミイラ取りがミイラになるように、科学ですべてを説明しようとしてオカルトにのめり込んでしまう」


「人間の魂が、電気? だから電気を使って死者の魂と通信する『霊界ラジオ』を作ろうとしたってこと!?」


「そう。エジソンは、真空管を使えば死者の魂を増幅できると考えたの。当時の西洋社会では、東洋思想に影響を受けたオカルトブームが盛んで、降霊会が流行していた。シャーロック・ホームズの作者のコナン・ドイルすら、オカルトに没頭していたの!」


「ええ? ホームズ、台無しじゃ~ん!」


「エジソンはそれらのオカルトブームを『非科学的』だと批判して、霊の正体が電気だと証明しようと目論み、物理学とオカルトを融合してしまった。マッド・サイエンティストになったの。巨大なタワーを建造したテスラの『世界システム』のほうがはるかに規模が大きかったから、エジソンの奇行は目立たずに済んだけれど」


「エジソンの死後も、霊界と電気で通信しようとする者の系譜は続いていたってこと?」


「そう。電気を使った霊界通信の研究は、ひとつのジャンルを作って、エジソンの没後も一部の科学者に受け継がれてきた。EVPとかITCと呼ばれるジャンルがそれ。ノーベル物理学賞を受賞しながらオカルトの研究にのめり込んで学会からつまはじきにされた科学者もいるの。A氏も、EVPに没頭していたアマチュア研究家だったの!」


 美咲がバットを片手に握ったまま、器用にもう片方の手で、本棚の書籍を漁っていく。


「あった! エジソンの研究書! こっちにも! テスラの世界システムの研究書っぽいやつもある! こんなものが東洋思想の影響で流行ってたって、どういうこと?」


「今は詳しく説明する暇はないけど、当時はインドやチベットの文化が西洋の知識層に多大な影響を与えていたみたい!」


 物理学史を掘っていくと、必ずオカルトと物理学が入り交じった、エジソンとニコラ・テスラの晩年の研究に至ってしまう。そもそも近代物理学の父・ニュートンは、錬金術師だった。


「福笑い女優霊さん提供の新情報の話に戻すね。A氏は、チベットではなく日本に目を付けた。日本の怪談文化に取りつかれ、日本人の妻と結婚して日本で生涯を過ごしたラフカディオ・ハーン……小泉八雲の『怪談』が書籍にあるはず!」


「えーっ? ある! 『KWAIDAN』! それじゃA氏はハーンに影響されて、日本に?」


「ハーンは来日当初は日本語が読めなかったので、ハーンが買い漁ってきた古書は妻のセツがいったん読んで、自らの言葉で語り直してハーンに聞かせてきたの。セツは、出雲出身の没落士族の娘だったけれど、実は出雲国造の千家氏の一族だったの! だから古の日本文化に詳しかった。ことに日本の古いオカルティズムに関しては」


「出雲国……え……なに、それ?」


「出雲国造は天皇家に次ぐ古い一族で、現存する日本最古の家系のひとつ。朝廷から出雲国造に任命される以前から、出雲大社の祭祀を司ってきた家。セツは、第七十六代出雲国造千家俊秀の弟、千家俊信の玄孫なんだって」


「だ、第七十六代~!? 古っ!? それ、マジ!?」


「ハーンはきっと、セツの古い家系と、文明開化で失われた古い日本の呪詛や怨霊文化に関する古い知識に惹かれたのだと思う」


「それじゃ、そのハーンに憧れて日本に来たA氏が結婚した日本人妻は……」


「福笑い女優霊さんによれば、京都の旧家から嫁いできた女性。その実家は――京都の某神社にゆかりがある但馬家。戦後、A氏亡き後放置されていたこの物件を買い取った一家も、但馬家。但馬家出身の奥さんの縁で、但馬家がA氏からこの物件を引き継いだということみたい」


 奥さんがどうなったのかまでは、福笑い女優霊さんにもわからなかったという。


 恐らく、A氏が拷問死した後に奥さんも亡くなったため、但馬家が、遺されたこの空き家を戦後に買い取ったのだろう。


「但馬家? 待って真理。うーん、どこかで聞いたような……」


「昨夜、提供してもらった情報の中に出て来てた家だよ美咲!」


「そっか。じゃあ、ここにある、見たことも聞いたこともない古い和書の数々は」


「たぶん、但馬家から奥さんが持ってきたものだと思う! すべてが陰陽道や密教や修験道に関する古書のはず。A氏は、古い日本のオカルティズムの技術を、西洋の物理学・電磁気学と融合すれば、心霊ラジオを完成できると考えて日本に来た。そう考えれば、この異様な部屋の成り立ちも説明できる」


 ババババババ!!


 壁に伸びたアンテナ線が、目映い光を発した。


 壁に大量に張り付けられている、赤い文字がびっしりと書かれているお札も、アンテナ線に同調するかのように赤い光を放った。


 視界が真っ赤になる。


 ここが、「赤い部屋」だ。


 ガンガンガンガン!! バーン! バーン! ドーン!


 これはもう、音響と光の暴力だ。目も耳も破壊されそうで、まっすぐ立っていられない。


「そこまでしてA氏が交信しようとしていた相手が誰なのかは、わからない。ただ、特高はA氏がスパイだと誤解した。A氏や但馬家出身の妻が真実を伝えても、信じてもらえるはずもなかったと思う」


「それでA氏は殺されて……でも、この部屋は但馬家によってなぜか保全されて、戦後も密かに現存することに? なんで誰も潰さなかったの?」


「……もしかしたら……但馬家からA氏のもとに嫁いだ妻の霊と、交信しようとしていたのかも……但馬家は陰陽道に深い関わりがある一族だから。そんな実験を繰り返しているうちに、どんどんこの部屋にはなにかが澱んで、溜まっていたんだと思う……」


「真理? なにかがって、なにが~?」


「……電磁波。人間が関わってはいけない系統の……そんなものがあるのかどうかはわからないけれど、この和洋折衷の霊界ラジオを動かし続けた結果、そうなったんだと思う。あるいは、もしかしたら」


「もしかしたら?」


「但馬家は霊界ラジオを、『呪詛』に用いる装置に改造したのかも……」


「人を呪い殺す機械? なんで?」


「A氏を殺し、奥さんを死に追いやったであろう面々を呪うために。そんなものが機能するかどうかは知らないけれど、少なくともこの部屋、そしてこの建物は、なんらかの悪影響を受けた。現代の物理学では観測できないなにかに、汚染された」


「それで住人が次々と不幸に? それじゃ、わたしたちもヤバくね?」


「そのことに気づいた何代目かの住人が、この種の『霊障』を封じられるという触れ込みで赤い土や大量のお札を入手して、必死で地下室を封印したんだと思う。わたしたちも、この部屋に立ち入らなければ、無事に出られただろうけれど……」


「なにそれー。地下を全部埋めればいいのに!」


 埋めようとしても、埋められなかったのかもしれない。


「ああああ! ホラー映画にオチを着ける必殺技の『放火』をするわけにもいかないしさー! だって配信中だし! 放火って重犯罪なんだよー? 部屋に憑いているモノの本体を倒すしかなくね?」


「本体って言われても。たぶん相手は電磁波だから! 幽霊みたいなものがぬっと出てくるわけじゃないよ美咲!」


「物理学的な技術を使ってさー、そいつを人形とかに憑依させて実体化させられない?」


「物理学は、手品じゃないから!」


「でも手品どころじゃないよね、ここは! 完全にお化け屋敷じゃん!」


 ダーン!!


 本棚が不意に、美咲を押し潰そうとするかのように転倒してきた。


 美咲は「やられるかあ~!」と大声をあげながら、かろうじて本棚を避ける。


「あーっ! ここまで暴れるなら、姿を見せろっての! 正体を現せー! もしかしてA氏? A氏が部屋に憑いてるんじゃないの? 霊魂の実在を証明するために暴れてるんじゃないの?」


「美咲、もう出よう! 電磁波が原因なのかどうかは不明だけれど、確実に物理的な問題が発生してる! 次は、天井が崩落してくるかもしれない!」


 いつからだろう。霊界ラジオの電球が放つ光が、真っ赤に染まっている。電球の色じゃない。


「コメントは? コメントはどうなってる、真理? 逃げろ派が多かったら、撤退しよう」


「踏みとどまれ派が多かったら?」


「わたしが一喝して撤退派に転向させる!」


 そうだ、コメント。コメントを確認しよう。わたしはスマホの画面を覗き込んで――。


「あ、あれ? コメント欄が見えない!?」


「こっちも! なに、これ? ヘンなウィンドウが開いて画面を覆ってる!?」


「メッセージが映ってる。読める、美咲?」


「なんとか読める! そっちは?」


「読めるけど……」


 美咲とわたしは、同時にスマホ画面を覆ってしまっているウィンドウに表示されたメッセージを読み上げていた。


「「『あなたは……◎◎◎が……好きですか?』」」


 ◎◎◎の部分は、黒い線で覆われていて読めない。


 これ。


 都市伝説の「赤い部屋」に出てくるメッセージウィンドウだ。


 いったいどこで、戦前の霊界ラジオと、「赤い部屋」の都市伝説が融合したのだろう?


 恐らくこの霊界ラジオは次々と、穢れのようなものを取り込んでいる。何代目かの住人がこの部屋にPCを持ち込んだ結果、「赤い部屋」というキーワードが偶然重なったために、融合してしまったのかもしれない。


 どうしてそんなことをしたのかは不明だが、PCを用いてこの部屋を「正常化」しようとしたのかもしれない。


 逆に、PCを持ち込んで霊界ラジオに繋げ、この部屋をさらに穢そうとしたのかもしれないが……。


「だわーっ? やべーっ!? 真理! スマホを触っちゃダメ! このウィンドウを閉じたら、次は『あなたは赤い部屋が好きですか』ってメッセージウィンドウが出て来て、犠牲者名簿が表示されて、わたしたちもそのリストに名前を載せられて死ぬから!」


「閉じたら死ぬって、そんな非科学的な……」


「非科学的とか言ってる場合じゃないじゃん! 見てよこの部屋! 修羅場だよー! それより配信は? 配信は止まっちゃったまま?」


「た、たぶん、止まってる。電波が繋がってない……」


「ここまで決定的な映像を撮れてるというのに、どこから止まってたんだろう!?」


「……わからない……どうする美咲? まだ続ける? それとも」


「真理の安全が第一じゃん! 撤退しよう!」


「ええ? 美咲、ほんとうは、配信できないなら意味ないから逃げようとか考えてない?」


「ケンカは後! 物理学的なナニカなんだよね、この現象って? だったら、物理には物理で対抗すればいいんじゃんっ! このラジオを壊せば解決っ! これが『怪ぶつっ!』魂だーっ!」


 わたしは今、信じられない光景を見ている。


 恐れを知らない美咲は、バットを振りかざして無謀にも霊界ラジオに襲いかかっていた。


「今まで誰も壊せなかったのに無理だよ! やめて美咲、危ないっ!」


「このバットは特別製だから! 生きてるだけ、丸儲けっ! 祟るならわたしに祟れ! 真理は解放しろ、オラァ!」


 バーン! ドーン! ガアアアアン!!


 美咲を阻止しようとしているかのように、部屋中から轟音と震動が襲ってきて、わたしはもう立っていられなくなり、五芒星の床の上にへたり込んでいた。


 そうだ。この五芒星を消せば……一部でも消すことができれば、この結界のようなものを壊せるかも?


 わたしはシャツを脱いで、そのシャツで必死で床を擦った。赤い五芒星のラインに「切れ目」を作るために。


「おおお? やったじゃん真理! ありがと、抵抗がちょっと弱くなった! 真理を部屋から出せええええっ! うおらあ!」


 ガンッ!! バーン!!


 一瞬、震動が弱まった瞬間に。


 美咲は、バットを振り下ろしてラジオを破壊してしまった。二台あるうちの、受信機側のほうを容赦なく粉砕した。電球のガラスが粉々に砕け散り、赤い光も消えた。


 そして不意に、震動も音響も、かき消えた。


 なにごともなかったかのように、地下室は静寂に満ちた暗黒の空間と化した。


 もう、「赤い部屋」ではない。


「……あは……あははは……美咲ってばもう、めちゃくちゃ……もしもまだ配信されていたら、言い訳できない……」


「真理こそ、上着を脱いでブラジャー丸見えじゃーん! そっちこそ言い訳できないよ! セミヌードは御法度だよ、YoutubeからBANされちゃうじゃん!」


 え。あ。あああああ?


「あーっ!? どどど、どうしよう美咲!? これ、夢なんだよね? 目が覚めたら、また応接間の北斎の額縁が落ちてきて、暖炉を隠していたベニヤ板が割れるんだよね?」


「現実だってば」


 わたしの顔から、さあっと血の気が引いた。恐怖とは別の感情で。


 わたしと美咲は、同時に自分のスマホの画面を見つめていた。


「お願いします。配信、止まっていてください! ダメ。メッセージウィンドウを閉じられないから、確認できない!」


「閉じればいいじゃん。ポチッと♪」


「えええ? ちょっと美咲~!?」


 うわっ。躊躇なく閉じた!?


 あ、あれ? どうしてわたしのほうが心霊肯定派に? いつの間に?


「……うーん、残念。やっぱりかなり前の段階で、配信はトラブって止まっちゃってたみたい! 惜しいっ! 世紀のお宝映像だったのに! つーか、コメント欄が大荒れしてるんだけど」


「結局、どこで止まったの?」


「わかんない。みんな、『あなたは……◎◎◎が……好きですか?』ってウィンドウがいきなり開いて、困惑してるみたい。ウィンドウを閉じるか否か、みんなで議論してるよ。福笑い女優霊は、閉じてはいけないってみんなに忠告してる。ヤラセでPCを操作されている! って疑って、わたしに怒ってる人もいるねー」


「え? それって……まるっきり『赤い部屋』の都市伝説……ネット越しに、視聴者まで祟られてるんじゃ?」


「ラジオはわたしが壊したから、もう問題ないんじゃん? それじゃ帰ろうか。マジで天井が崩落しそうだし。不動産屋には、わたしから事情を説明しておけばいいっしょ」


「……どこまで話すつもり? ぜんぶ喋ってもたぶん、信じてもらえない……」


「福笑い女優霊が不動産屋を一晩中家捜してるくらいだし、なんとかなるっしょ」


 福笑い女優霊さんのPCだかスマホだかでも、「赤い部屋」のウィンドウが開いているのだろうか?


 もう、美咲とわたしの退室を妨害してくる現象は起こらなかった。


 ようやく、夢で見たルートにわたしたちは戻ることができた。


 車内では、やっぱり美咲はカロリーメイトのフルーツ味をわたしに薦めてきたのだった。



 こうして、どこまで配信できていたのか判然としないまま、美咲とわたしは帰路に着いた。


 脱出に大幅に手間取った上に、不動産屋への言い訳報告に時間を取られたので、この日はもう大学への出席は断念。


 夜になって、わたしと美咲は、美咲が借りているマンションの部屋に憑いてやっと一息ついた。


 一応の名目は「第一回バディ配信の反省会」だが、要は打ち上げだ。


 部屋に籠もって打ち上げすることになった理由は、不動産屋から結局、いくらかの修繕費を請求されたためだった。


 あー。結構なアクセスを稼いだけど、ほんとうにペイできるのかなあ、と美咲は頭を抱えている。


 前夜に不動産業者の親会社から乗り込んできた福笑い女優霊さんが、「地下室に関しては間取り図に記載されておらず、情報提供もしなかったのだから、地下で生じた物損に関しては二人に賠償責任はない」と先回りしてフォローしてくれていたそうで、修繕費は最低限の金額に留められたけれど、美咲にとっては痛い出費だ。


 わたしも半分負担することにした。


 結局、福笑い女優霊さんは何者だったのだろう。直接話すことがないままに終わってしまった。


 まあ、配信は今後も続くのだから、いずれ話すこともあるだろう。お礼を言わなければ。


 美咲の部屋の間取りは広すぎず狭すぎず、ちょうどいい感じの1DK。


 室内は「片付けられない女」らしい汚部屋じゃないかと恐れていたけれど、そんなことはなく、綺麗に掃除されていた。


 そして、やたらと縫いぐるみが多い。ちいかわとか、マイメロとか、メンダコとか、すみっコとか。大半はたぶん、ゲーセンで釣ったやつだ。なんだか美咲のイメージと違う。


「ああ……ほんとうに、疲れた……連泊するとさすがに親に叱られそうだから、夕ご飯を食べたら家に戻るね」


「そうだねー。とりあえず、生還を祝してお祝い~。わたし、自信が出たよ! やっぱ、怪異には物理で対抗すれば勝てるんだって!」


「……今回はラジオが相手だったから、たまたまでしょ?」


「真理理論だと、怪異の原因はだいたいぜんぶ物理現象なんじゃん? だったら、バットで戦うわたしが最強じゃん?」


「はいはい」


 持っているPCがMacではなくWindowsのデスクトップというのが、美咲らしいといえばらしかった。動画編集するなら、Macのほうがいいんじゃない? わたしはWindowsに疎いから、よく知らないけど。


「えー? だって、Macって高いじゃん」


「今はそうでもないけど……そうなのかな。ねえ、美咲」


「んー?」


「視聴者のみんなは、あの後どうしたんだろうね。いつの間にかわたしのスマホからは、あのメッセージウィンドウが消えていたけれど」


「まあ、次回は今回の事態を振り返る室内中継をやるということで。そこで聞き取り調査すればいいんじゃない? 毎回遠征ロケだと出費も労力も馬鹿にならないから、スタジオ……じゃないけど、室内中継回も必要なんだよ-」


 それはそうかも。っていうか、毎回あんな目に遭いたくない。


 さすがに今回が特別だったと思いたいけど。


 あのラジオ、魔改造を重ねられて得体が知れない構造になっていたけれど、具体的にはいったいどうなっていたんだろう? どういう原理で、あんな現象を起こしていたのだろう?


 受信機は美咲が破壊してしまったけれど、送信機はまだ残っているはず。


 物理学者志望者として調査してみたいけれど、地下部分の修繕費を自腹で負担する羽目になった不動産屋がもう許可をくれないだろう。


「うーん。冷蔵庫の食料だけじゃ、二人分には足りないねー! ピザでも注文しようか? 今なら2枚買えば半額になるセールやってるんだ。一人じゃ食べきれないけど、真理がいれば注文できるじゃん! もちろん、注文するのは激辛ピザ! ハラペーニョが鬼のようにトッピングされてるやつー!」


「美咲ってさ、子供舌だよね」


「刺激的な食べ物を好むだけだよ」


 スマホを手に取って、ピザをオーダーしようとした美咲。


 しかし、液晶画面をタッチしようとしていたその手が途中で止まっていた。


「……あ、あれ? ま、またメッセージウィンドウが出てるじゃん? なにこれ。消したはずなのに?」


「え? また? 今朝と同じやつ?」


 美咲の顔色が、さーっと青くなっていく。バットを振りかざす暴力マシーンで怖いもの知らずだと思っていたけれど、家でくつろいで気を抜くと普通(?)の女の子になるみたいだ。


「違う。今回のメッセージは、『あなたは赤い部屋が好きですか』って書かれてる。これ、この後に犠牲者の名前リストが表示されるヤツじゃん!?」


「……ほんとだ!」


「だーっ、自宅まで追いかけてきた!? 死ぬの? わたし、死ぬの?」


「まさか!?」


「閉じちゃったから追いかけてきたのかな? 確かにこの手で壊したのに、どうして?」


「……もしかしたら……美咲が壊したのは、受信機だけだったから……送信機は、まだ生きている……呪詛的な電磁波を送信する力は、まだ残っているんじゃ……」


「ええええ? どうしよう、どうしようっ? そうか。真理は自分でウィンドウを閉じなかったから、追われてないんだ。わたしは閉じちゃったから! あああああ、ダメダメダメダメ! 部屋の中に入ってくるのは、ダメー! 反則じゃんっ!」


 そうか。美咲は自宅の部屋にいた時に津波に呑まれたから、自室が弱点なんだ。自分の部屋に非日常が浸食してくる瞬間が、トラウマになっていて……。


「落ち着いて、美咲。だいじょうぶ。ヘンなものが送信されてきたけれど、さすがに怪異現象もここまでだよ。死んだりしないって。美咲は生命力が桁外れに強いし」


「ほんとに? ほんとに? って、ああああああ?」


 ブウ……ン!


 美咲とわたしは、床の上で震えながら抱き合っていたというのに。


 デスク上のWindowsPCが、勝手に起動した。


 そして、PCモニタいっぱいに、「あなたは赤い部屋が好きですか」と書かれたメッセージウィンドウが表示された――。


 続いて、画面上にオランダ人商人A氏の名前が。


 さらに、A氏の妻とおぼしき女性の名前が。


 戦後、あの物件を購入した但馬家の人間の名前が、数名。


 これは――。


「夢だよね。夢なんだよね真理? いくらなんでも長いよー、早く目を覚ましてくれないかなーっ?」


「違う。夢じゃない! 匂いでわかるの。今は現実! これは現実に起きている現象! 理屈はわからないけれど、地下室のあのラジオに憑いているなにかが、美咲を追いかけてきた!」


「うええええ? マジで? わたし、もしかして死ぬの? やだよ、やっと親友ができたのに、やっと昔の嫌な記憶を忘れて安眠できる日が来たのに、冗談じゃないってば! どうすれば。どうすれば。どうすれば……!」


 まずい。まずい。まずい。犠牲者リストのスクロール速度がアップした。もうすぐ、10年前の失踪者家族の名前が画面に出てくる。そうなったら、その次は。


「物理。物理で対抗するしかない。美咲!」


「あああああ。まだ学生ローンがいっぱい残ってるのにいいい! 動画撮影と編集作業、どうしよう~?」


「美咲、そんなこと言ってる場合じゃないよ! 生きてるだけで丸儲けなんでしょう!? お願い、死なないで! 生きて!」


「う、うううう。わかったよ、んもう! さよなら、わたしの愛機たち!」


 ガンッ!


 バンッ!


 パリイイン!


 美咲は――壁に立てかけていたバットを手に取ると、まず自分のスマホを、そしてデスクの上のPCを殴り続けて、完璧に破壊していた。


 美咲の名前がPCモニターの画面上に表示される寸前に、モニターから光が消えた。


 そして、美咲は肩で呼吸しながらも、生きている。


「……助かったけど……大赤字だあ、破産だ、わたし……終わった……あは、あはははは……」


 メンタルをやられたかもしれない。


「一緒に配信で稼ごう。アクセスを稼げば、取り戻せるよ」


「もう動画編集も撮影もできないじゃん!」


「わたしのiPhoneとMacを使っていいからさ。ね?」


「あんな右クリックもできないマウスは使えなーい!」


「いやいや。Macのマウスにもあるって、右クリック」


「ぐぎぎぎ。あんのラジオ、絶対に残り半分も破壊してやるううううう!」


 美咲は、哀しみを怒りで塗り替えられるらしい。一瞬で復活した。やっぱり鬼メンタルだ。


 こうして二人の初配信は無事(?)に終了した、はずだったのだが――。

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