機会2

るつぺる

献花

「止さないかサンローラン」

 山椒魚は墓前に供えてあった花を食べてしまう。無理もない。彼女といるといつも歩かされるだけで餌にありつく機会など滅多にないので花ですら御馳走に映る。

「構わんよ 取り替えるつもりだったからね」

 後ろから老人が声をかけた。痩せ身で歩くのがやっとか片手は杖をつき、もう片方で花を抱えていた。

「御老人、連れが無礼をした」

「なあに構わんて ごみが減って助かったくらいさ 腹が空いているならうちに来なさい この子も花じゃ満足しないと見える」

「グゥー」

 山椒魚は低い声で唸った。


「ここにはずっとひとりで」

「そうだね 嫁が死んでからは もう二十年になるかな いや、二十一年だったか」

「他に身寄りはないのか」

「子には恵まれんかったからね 私も昔は好き勝手生きてきた 嫁には苦労かけたがそんなことにやっと気づいたのは最近さ」

 彼女は礼を述べるとこれから向かう所があるからと老人に別れを告げた。老人は彼女の背中に向けてずっと手を振った。山道をしばらく進んだところで道が封鎖されている。昼の休憩を終えた工員たちが戻ってくるなり彼女に道が土砂崩れの影響で使えないことを説明した。山の向こうに抜けるのはこの山道を利用する他ないが復旧まで三日はかかるとのこと。彼女は山椒魚と顔を見合わせた。間の抜けた面構えにため息をつく。仕方なく戻ってくるとまたあの墓地が見えた。墓地には幾つかの墓石が見受けられたものの手入れされ花まで添えられたものは老人が参っていたものだけだった。サンローランがまた花を食べようとしたので羽交締めにする。彼は嫌がるように唸り声をあげたが彼女も必死だ。不必要に縁は結びたくない。ただ願い虚しく老人とまた出会すこととなった。

「それは災難だったね 構わんよ 三日間程度なら泊まっていきなさい 嫁の部屋もそのままにしてある」

 通された部屋は綺麗に掃除されていた。脚を不自由にしている老体の割に働き者だなと思った。

「鍵が外側についているんだな」

「気になるかい」

「いや 何から何まで世話をかける ありがとう」

「構わんよ」

 彼女はベッドの上で物思いに耽った。サンローランは既に眠っている。鍵の件はやはり気になっていた。親切な老人を疑いたくはなかったがドアノブに手をかけた。ガチャッ。鍵はかかっていない。扉の向こうではまだ起きていた老人が窓辺を眺めていた。

「寝れんかね」

「昔、ここで何があった」

「何がとは」

「あの部屋の至る所に猫が掻いたような傷があった だが爪痕からしておそらく 人のもの」

「そうか 気づくか まあそうだな あれは嫁のものだ 私は長いこと彼女を監禁してきた」

「なぜ」

「嫁と私はお互い好きこのんで一緒になったわけじゃあなかった 私はまだ若くて遊び足りないなどと思っていた 嫁は嫁でさっさと離婚してこの家を出たがっておった だが私には保たねばならん建前があったんだ 嫁の実家は私らのそれよりも裕福で、親同士が決めた約束には私らが夫婦である限り嫁の家からは資金的な援助がなされていた 両親からはなんとしても逃すなと言われたが私は嫁を、彼女のことをずっと愛せなかった」

「だから閉じ込めたの」

「若いうちは難儀した 暴れ回るでな お前さんも見たとおり確かにあの無数の傷は嫁がつけたものだ 食事だけは不自由なく与えたが私は彼女からそれ以外の何もかもを奪った 自分は自分でこの罪から逃れようとして好き勝手に自由を得ていたというのにな ろくでもない男だ 私も嫁も老いてからはおとなしく暮らした はじめて夫婦だと思えた 笑うんだ 私が親切にしてやると彼女は嬉しそうに笑った そしてありがとうと こんな罪深い男に向けてな 彼女は長い間閉じ込められてきたせいですっかり心を病んでいた いつしか自分自身を封じ込めて私から逃れようとしたんだろう 目の前で笑った彼女はもはやかつての嫁ではなかった 死ぬ前に言ったんだ 愛してると」

「あなたは閉じ込められたのよ」

「そうかも知れんね 復讐というわけか」

「これからも花を添えつづけるの」

「もちろんさ 私は彼女を愛しているのだから」


 山道が復旧を終え出発の目処が立つ。

「また腹が減るだろう 持っていきなさい」

「かたじけない」

「少し気になっていたんじゃが そのサラマンダー」

「サンローランよ」

「お前さん 竜乗りかね」

「まさか」

「そうか まあ達者でな」

「御老人も」

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