第8話

 夫は頼子が傷つくかもしれないと思っていただろう。夫が約束を守る男であることは間違いのない事実だが、それだけではなく、頼子を守るためにも話さなかった。

 頼子の目には涙が溢れた。涙が流れないように上を向く頼子。そんな頼子に息子が慌てた声を発しながらティッシュを持ってくる。

「母さん泣かしたら父さんに怒られるだろ」

「大丈夫よ。だって嬉し涙だから」

 頼子は手に持ったティッシュで目元を抑え顔を下ろし、息子を見る。

「そうね、私にとってもあなたが登校拒否をしていたあの期間はとても有意義な時間だった。当たり前が当たり前じゃないと知れたし、私の中にあった枠が広がった瞬間だった。後楽園に二人で行った思い出は私にとってもとても大切な宝物よ」

 頼子の涙は止まらない。涙を流しながらも息子を自宅に見送る。

「この涙は悪い涙ではないから、もうあなたは自分の家に帰りなさい。さつきさんが待ってるわ」

 息子はさつきの名前を出され我に帰ったように時計を見る。もう七時になりそうだ。息子は頼子が準備したおかずを持って嫁の待つアパートに帰って行った。

頼子はダイニングテーブルに肘をつき、両手で顔を覆い泣いた。あの頃、我慢していた涙も出ているようだった。

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