第2話

 この後楽園に毎日通っていた十年前を思い出す。息子が小学六年生の頃だ。突然「学校に行きたくない」と理由も言わず家に閉じ籠っていた。本当にある日突然。何か前兆があったのかよくよく考えてみたけれど何も分からない。放置しすぎたのか、親としての資質に問題があるのか、と随分悩んだ。自分の親を反面教師に子供を自由にさせ過ぎたのか、とも思ったものだ。息子が何の理由もなく「学校に行きたくない」と言うとは思えなかった。頼子は専業主婦だ。息子が休んでいる間、家で二人きりになる。息子の気持ちも分からず、自責の念に苛まれた。姑には「しばらくはソッとしておけばいいよ」と言われた。夫にも「和正は大丈夫だ」と言われた。頼子は自分一人が右往左往しているようで、それがさらに自己嫌悪へと追い込んだ。実母に相談すれば、自分の言う通りにしなかったからだと言われるだろう。十年以上音沙汰なしの娘が突然孫の登校拒否の話をすれば彼女の思う壺だ。頼子には岡山に仲の良い友人もいない。誰に相談することも出来ず、精神が壊れそうになっていた。ギリギリのところだった。夫が「後楽園に行ってみたら?」と言ったのは。

 頼子は夫のこの言葉に救われた。正確には、後楽園が救ってくれた。小学六年生の息子を一人家に残し、毎日後楽園まで歩いた。時間にすれば一時間から二時間くらい。最初は体力もなく、後楽園まで行って、沢の池の見えるベンチに座ってボーと行き交う人や鯉を眺めていた。一週間もしないうちに元気になった。時々、鯉に餌もやった。中年のおばさんが一人で何をしてるんだと思われるかもしれない。そんなことが頭を過ったが、鯉が餌に群がる様が可笑しくて、そんな考えはどうでもよくなった。そのうち、息子が元気でいてくれる事に感謝しようと思えるようになった。きっかけは何だっただろうか。多分、後楽園に来ていた車椅子の親子だろう。後楽園には色々な人間が来る。健康かどうかも、国籍も何も関係がない。日本の中では義務教育があるから皆学校に行っているけれど、海外の人はどうなのだろうか。そんなことも考えた。

 息子が学校に行かないことは大きな事ではあるけれど、それしか見ていない自分。

 頼子の中で常識が崩れた。それから、息子への対応が変わった。息子に後楽園に一緒に行かないかと誘うようになった。平日の午前中。本来なら学校に行っている時間。そんな時間に息子とゆっくり後楽園に行ける。それは、親子にとって何にも変え難い尊い時間だった。

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