或る英雄の革命譚
チャックはその性格から、俺がかつてそのような意味合いの仇名を付けられていたように、司法長官の異名を付けられていた。
しかしながら彼は、その異名について承知しているのにも関わらず、己をリーダーと称し、部隊の河童を引き付けるだけのカリスマを有していた。
彼はただ他人に難行を押し付けるのではなく、自ら率先して日常業務に取り組む姿勢を見せ続けたことで、部隊内での信頼を確固たるものとしていた。
そんな彼が河童中に触れ回っていたのは、妙な噂話である。
なんでも、近々民衆の間で大規模蜂起が起こるとの情報をどこからか入手し、武器を奪うために訓練兵が多くいるこの場所を狙うというものだが、全くのほら話である。
しかしながら、事情を知らぬ河童らは、彼の話を丸々信じ、これぽっちも疑おうとはしなかった。
そして彼は、この話をこう締めくくるのだった。
「あの民衆の暴力的な個体数に、非力な我らが勝利する目星はない。そうなった暁には、真っ先に民衆の味方をし、上官を攻撃すべし」
それから、我が国にとって記念すべきあの日を迎えることとなったのだ。
チャックは俺と他四匹の少数の河童を引き連れて、参謀本部までやってきた。
名目では、我らは正式な皇国軍の入隊を志願することになっている。
チャックの評判はこの場にも及んでおり、事前連絡を行ったけれどもまさか参謀総長の部屋を訪ねることが出来るとは思わなかった。
しかしながら、このイベントが無ければ我らの計画は破綻するのだ。
現在は山童殲滅の為、この基地に駐屯しているの大半の兵が国外へ出払っており、一部の補給部隊を除きもぬけの殻の状態であった。
我らを迎えたのは、御歳百三十になろうという年長の兵士、シル・ラック一等中洲護大佐であった。
腰が曲がり始めてもおかしくない歳でありながら、背中にものさしでも差し込まれているのではなかろうかと思えるほど背筋を地面に対し垂直に伸ばし、しっかりとした足取りで、我らの目の前に覗える古典主義的な建造物の内部へと案内した。
「我、参謀次長、他四匹、入室の許可賜ります」
蝋燭の炎の明かりにのみ頼る冷たい大理石の通路の先の、重厚な木製の扉を叩き、内部にいらっしゃる河童の返答を待つ。
「許可する」
しゃがれた声が室内から聞こえてくると、重厚な扉が音もなく開かれた。
我らの前には、背の高いハットを被った、膨よかな一匹の長老河童がいた。
顔は溝の深いしわが八方を駆け巡り、白い髭は口元を覆い隠していた。
「我こそは、皇国軍
この老人こそが、参謀総長、シル・シックス中将である。
我らは一通り紹介を終え、シックス州将に応接室に通された。
我ら全員分に茶と菓子が出され、非常に和やかな空気の中、チャックとシックスの対談が進んだが、我々は今か今かと緊迫しながらその様子を眺めていた。
そして、いよいよその時が訪れた。
チャックが懐に隠していた拳銃をシックスに突き付けると、我らは慌てて周囲の河童に向け銃口を突き付けた。
あまり突然のことに、この場にいる河童は一言発する間もなく、突き付けられた銃口により一切の動きを封じられた。
チャックはその場でシックスを縄で縛り、豪勢な椅子に括りつけた。
それから、我らを置いてチャックは部屋を後にした。
窓辺を覗いてみると、何かまずいことが建物内部で起きていることに気が付いたのか、基地に残っていた兵士たちがぞろぞろと建物の前に集まっていた。
兵士の軍勢の前に、堂々と姿を現したのは、先ほど部屋を出て行ったチャックであった。
兵士はチャックに向け銃口を突き付けるも、相手が丸腰であるとわかると、銃口を下ろした。
「一体中で何が起きてる」「どうなっているんだ」
軍勢はチャックに詰め寄るが、チャックはそれを手で静止させる。
それから、チャックは姿勢を正し、彼らに向かって叫んだ。
「我々はたった今、この建物を制圧した。中では、中将が贄になっている」
「目的はなんだ!」「なぜそんなことをする必要がある」「そうだそうだ」
兵士の野次はより迫力を増し、この部屋にも届いた。
それを上回る声量で、チャックが「聞け!」と叫ぶと、瞬間に辺りが静まり返った。
それから、チャックの演説が始まった。
「よいか!もう一度考え直せ、我々が何故存在しているのかを。この組織の存在意義を、今一度問いただす必要がある。この組織は本来、我々の皇をお護りする為に、自らの命を捧ぐ誇り高き戦士たちに、その民族意識、或いは忠誠心によって支えられ、
暫し、チャックと兵士、両者の間でにらみ合いが続いた。
この間の沈黙は、俺の生涯で最も長く感じた。
これまで経験した様々な物事を、一点に凝縮したような時間が流れた。
沈黙を破ったのは、法螺貝の音だった。
開戦を知らせる、信号だ。
兵士は建物内部になだれ込み、皇国軍を示す盾と剣を象った軍旗が、建物の屋上に掲げられた。
豪奢な大理石の廊下をこだます、無数の軍靴が冷たく硬い床を打ちつける音は地鳴りとなってこの部屋を目指す。
この時我々は、果たしてこの軍靴が勝利の
足音が扉のすぐ前まで迫った時である。
扉の向こうから、一匹の兵士の叫ぶ声が、静まり返った室内の、張り詰めた空気を震わせた。
「我、中州之要河原護、ロック、他大勢であります」
「要件を述べよ」
我々をこの場所まで案内してきた、そして今、我々に銃口を突き付けられた参謀次長が、扉の向こうの兵士らに叫んだ。
「は! 我々は総監どの、いや、国家のわが軍に対する運用の在り方に疑問を呈する者であります。よって、我々はこの扉を突破し、ここの者らを拘束いたします」
ここの者というのは、他ならぬ参謀総長以下五匹を指していた。
力なく項垂れる三匹とは対照的に、参謀総長、参謀次長は、なお扉の向こう側の兵士に向かい語り掛けた。
「我々を拘束して、どうする気だ?我が軍の武力を掌握して、政治的権力を強奪しようものなら、民衆は混乱し、国内はたちまち戦火に飲まれるだろう。良いか?この建物には、秘密保持のための仕掛けが施されている。『不幸にもガス管の爆発事故で中州之要全滅』とならぬ内に手を引くがよい」
「お言葉ですが総長、我々に政治的権力を掌握するなどといった野望はございません。ただ我々は、これ以上、戦を望まぬ民衆を、戦に巻き込みとうないのでございます」
「民衆は軍事政権も望んでおらん」
「それは今後、民衆が決めればよいのです。再三申し上げますが、我々は政治など興味ありませぬ」
再び、長い沈黙の時が訪れた。
ここへ来たときはまだ鮮やかな朝焼け色に染まっていた空は、陽が高くなり、白濁した河の色へと変化していた。
陽の光が、固まった室内の空気を柔らかく解し、総長の膝小僧を温めた。
やがて、総長ははぁ、と小さく嘆息したのち、我々に要求した。
「縄を解いてくれ。この期に及んで抵抗はせぬ」
我々は、要求通りに総長を縛り付ける縄を解いてやった。
総長は、観葉植物の隣にある、こればかりは我々非正規の隊員が使用するものとも全く構造が同じロッカーから、軍服を取り出した。
「着替えたい。更衣室を使わせてくれ」
更衣室には俺が同伴した。
「君、もう一度名前を尋ねてよいかね」
「は、コックと申します」
「そうか、ではコック君。どうか私の最後のハレ姿を目に焼き付けてくれ」
背広からの衣替えは実に手際が良かった。
この軍服に何千、何万と袖を通してきたのであろう。
まるでしめ縄のように太い飾諸が右肩から胸のあたりを垂れ下がり、左胸には、錆で濁った勲章が無数に垂れ下がっていた。
「今まで、ご苦労様でした」
反乱を起こした側としては、まこと身勝手な敬礼を、彼に対して行うと、総長は私の横を通り過ぎた。
更衣室を出ると、正装に身を包んだ総長と、既に縄を解かれた次長が肩を並べ、机の後ろに並んで立ちつくすその後姿を見た。
「ここへ入れば、後には引き下がれぬぞ。各々、覚悟はできているだろうな?」
閉じられた扉に向かい、総長が問いかける。
「無論です」
扉の向こうから、返答が返ってきた。
「入室を、許可する」
バタン、と勢いよく扉が開かれ、この時を今か今かと待ち構えていた兵士たちが、なだれ込んできた。
総長、次長は瞬く間に拘束され、見張り櫓の頂上で、その姿を晒した。
中洲之要占拠の報せは、瞬く間に民衆の間に広まった。
半信半疑の民衆は、各駐屯地へと足を運ばせたが、我ら所属の東之要にて、民衆が詰め寄った途端一部兵士が反乱を起こしたというので、それは確信へと変わった。
チャックの提言に忠実な東之要の彼らは、これを民衆の反乱と勘違いをしたのだ。
この騒乱は、商業組合や学生の間に蔓延していた、絶対主義的な政府や軍部からの抑圧に対する反抗精神に火をつけた。
学生ら若者を中心とした民衆の軍勢は、ほとんど力を残していなかった東之要から武器を強奪すると、政治犯が多く収容されているク・クア要塞を襲撃し、そこでも武器弾薬を強奪した。
ようやく事態を把握した検非違使も、奉行所を保護するのに手いっぱいであり、軍は遠征により事態を鎮静化できるだけの兵力を残してはいなかった。
奉行所、官営工場、革命の火の手は瞬く間に広まり、たった一週間にて、貴族の荘園は炎の海に包まれた。
これにより、長年多くの国民を苦しめてきた旧体制は崩壊し、有力貴族の降伏にて皇政制度は幕を閉じた。
暫くの間、国家は軍部による統制が続いたが、都市部の財閥や労働組合が普通選挙の実施を提言し、正式な政府を決定すべく、各方面から有力な候補者が集められた。
その最有力候補とされた一匹が、この国五本の指に入るマック財閥の令息、チャック氏であった。
商業組合、市民団体、宗教団体他各方面から豊富な支援を受けていた彼は、我が国初となる選挙に、ほぼ確実に当選するであろうと、皆が予想していた。
選挙を翌日に控え、国中祭りのような雰囲気が漂う中での出来事だった。
何やら皆、土手の方へと駆けてゆく。
流れる群衆の群れに耳を澄ませてみる。
「どっかの軍船が来てるってよ」
「こわいわぁ」
目の前を流れゆく群衆に紛れ、この俺も川岸へと駆けつけた。
すると確かに、川の遥か上流から、ざっと見積り六十は超える軍船が、河口へ向かって流れてゆくのが目に留まった。
「ありゃ隣国の水軍だ」
「山童討伐部隊の数ではないな」
周囲の河童は、各々の推測を口々に話す。
「河原から離れろ!どけ!散れ!」
我が国の、まだ力が残っている軍の河童が、本来荷馬車が行き交う港の大通りのど真ん中を、ぞろぞろと軍行してきた。
後方には、数台の十六ポンド砲が控えている。
河原に屯していた群衆は、軍隊が近づくとさっと捌け、大砲の後方から事の成り行きを伺った。
軍の行列の先頭にいた河童が、メガホン片手に軍船に叫んだ。
「この川は我が国の国境線なり。それ以上近づこうものであれば、領土不可侵条約の一方的な破棄と見なし、正当な防衛として貴君らとの交戦を辞さない」
しかし相手の水軍は、わが軍の呼びかけに対し、何の反応も示さず、そもそもにしてこちらに興味がないように、ただただ流されていた。
「様子がおかしいな」
「近づいてくるぞ」
軍船はとうとう我が国の港内に入ろうとしていたが、目に入った数十の軍船を目にして、群衆は言葉を失った。
どの船も、帆がぼろぼろに破られ、軍旗を頂上に掲げたマストもろともへし折られたり、甲板がそぎ落とされていたりといった、最早浮いていることも奇跡といえるほどの、ひどい有様だったのだ。
その船と共に流れてきたのは、深い傷をつけられた、無数の河童の遺体だった。
おそらくこの軍船の水夫だろう。
河童の血液で川は青黒く染まり、辺りに生臭い臭気が立ち込めた。
我が軍は血相を変え、港から船を出し、流れてくる軍船に乗り込んだ。
「上流ででかい戦があったね」
「民国(隣国)の船ばかりではないか」
「あの民国がやられるなんて…天狗とでもやり合ったのか?」
群衆のどよめきが、川の流れに沿って、上流から下流へ流れるように伝播した。
この時、新たな脅威となるものの存在が、確かに民衆の意識の中に現れた。
選挙は、チャック氏がおよそ六割の得票数で勝利を収めた。
間もなくして開かれた、第一回内閣政策会議にて、各大臣の選抜が行われ、第一回議会選挙の開催が閣議決定された。
法務大臣に前軍事裁判官のシル・ヤング氏、産業大臣にマック財閥キック派会長のキック氏、財政大臣にチャックの秘書官を務めていたマルコ氏、国防大臣に前上院貴族マッカヅ家当主のシンク氏、それから外交大臣に石工ギルドの会長、ロッジ氏が就任、各省は旧体制時代の立法係、技術係、会計係、安全保障議会、皇立使節団の組織形態を引き継ぐ形となった。
翌月に開催された議会選挙では、貴族から財閥、労働組合に至るまでの各方面から四百匹が議員に選抜され、その翌週に開催された第一回定例会議では、正式に大臣が就任、憲法が制定された。
公布された新たな憲法──カル・カカ憲章には、国家の主権、議会、条約、改正などの項目が示されており、特に皆の目を惹いたのが、我が国に共和制を敷き、国号を共和国と改めるとするところだった。
長らく続いた皇による絶対統治の終焉を意味していた。
民衆は、新たな政府や議会に大いなる期待を寄せていたが、彼らは国民の期待を遥かに上回る、大いなる働きを見せた。
例の水軍漂流事件以来、民衆は、新たなる脅威に対抗し、国土を護るための国防に関心を寄せていた。
国を守るには、国力の底上げをしなければならない。
チャック新政権は、共和国の経済成長と軍事力の強化を計画的に進める国家大改造プランを議会に提出し、半年後、草案は議会で承認された。
これぞまさしく、我らを長きに渡る混乱に落とし込むこととなる、『富国政策』である。
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