或る異端なる河童の疑念

 はてさて、河童というものはもとより、人間の想像が生み出した産物であり、形のみの我々に人間から与えられた概念である。

 要するに、河童というのは生き物の中でも類稀な、他者の認識の中で生きる生物なのだ。

 もう少しかみ砕き説明すると、例えばカメレオンは、己 《おの》が何者であるかと問われたとき、それほどの知能を有しているかは別として、まず己 が己 であると認識し、次に己 の同類、つまり別固体のカメレオンと遭遇した時に、己 がカメレオンであると、少なくとも相手と同類であると自覚する。

 しかし、河童はどうであるか。

まず、己 が己 であると認識するのは他者(この場合、親か出産に立ち会った者か)からの指摘を受けてからであり、河童というものはもとより、我々が有していた概念ではない。

 つまり、我々が河童であると主張するには、我々だけでは証拠不十分であり、我々を河童であると言ってくれた人間に、我々は最大の敬意を払わねばならない、というのが世間一般論である。



拝啓


 新たな価値を創造する芸術家である貴方に問います。河童と人間では、なにが違うというのでしょう。

 河童と人間、容姿はおろか、体に血が通っていることも、中枢神経によって思考を働かせていることも、持ち合わせている知能も、なんら変わりないはずなのです。

 河童である我々が、人間の住む世界で、我々は河童であるといくら主張しても聞き入れてもらえないのが、その証拠です。

 私は、人間にまるで天から降り立った天使の如き扱いを施し、特別保護住民と称して無償で食い物と住処を分け与える制度に納得ができないのです。



この考えを持つ集団は、こちらでは極左などと表現するのだが、つまるところこのような考えを持つ者は異端扱いされるのだ。しかしながら、これを理屈を交えて説明することは非常に困難であり、その道二百年の専門家でさえ意見の分かれるところ。それは、誰一人として人間をわかっていないから他ならない。

 我々に、人間を理解することは困難なのだ。




 逸れた鰯よ。


 我はそなたに問いたい。そなたは何者であるかを。

 そなたは河童である。それは誰から聞いた?河童から聞いたのだ。その河童も河童から己が河童であると聞いたのだ。

 自らを河童だといっているのは、今となっては河童だけなのだ。

 だから我々はそれを認めてくれる友を探している。最も近くにおり、我々を初めて河童と呼んでくれた友に、もう一度kappaと呼んで欲しいのだ。  

 そのために我々は、人間を近くに置き、我々の事を深く知って欲しいと願う。

 しかしそれがなかなか叶わぬから、そなたのような懐疑的な思考が生まれるのも無理もない。

 なぜ叶わぬか、それは、我々があまりにも人間の事を知らなさすぎるからだ。

 我々には決定的な違いがあるはずだ。しかし、それをうまく説明できないから我々は彼らと分かり合うことができぬ。

 これは理屈では説明できない、種族感情といった類のものである。

 そなたの考え方は何も間違ってはいない。ただ、当たり前すぎて皆が見落としているだけに過ぎぬ。



 昨今の人間ブームに肖る政府が、特別調査隊なるものを結成した。これは河童である我々が、あろうことか人間に扮して、こそこそと人間界の様子を探ろうという、現代の倫理観に一切合切背いたあるまじき組織である。我々は、この政府の蛮行に真っ向から反対し、今一度我々が何たるかを世に指示していかねばならぬ

───革新通信より一部抜粋

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