天城つぼみと、逢坂エマ - 1
「ほへー。ここが先輩の家ですかー」
埼玉県某所。ベッドタウンとして最近有名になり始めた駅近く。
10階建てのマンションを見上げながら、天城は感心したようにそう言った。
「おう。ここの5階だな」
「なかなかいい家に住んでますね。先輩のくせに生意気です」
「ひでーな。文句は親に言ってくれ」
別にタワーマンションとかそういうわけじゃない普通のマンションだ。
親がここを買ったときは、この駅も有名になる前で安かったらしいし。別にうちがブルジョワってわけじゃない。
「……ほんとにいくのか?」
「ここまで来ておいて何言ってるんですか。行きますよ。……私だって、ちょっと緊張してるんですから。先輩は覚悟決めてください」
「……はぁ」
天城の言う取材。
それは、俺ではなく俺の母親に対するものだった。
少し前に喫茶店で交わした会話を、思い出す。
『取材?』
『はい。リアリティのある日常について、取材したいです』
『いいぞ。何を聞きたい?』
『は? 先輩に何を聞くんですか? ぼっちの先輩のリアリティって、『便所飯』『直帰宅』『1人体育』じゃないですか』
『なにその偏見! 便所飯なんかしたことねえよ!』
『あとの2つは認めるんですね。……私が取材したいのは、先輩のお母さんです。編集者、なんですよね?』
『……あー、なるほど』
『理解が早くて何よりです。今日先輩のお母さんは?』
『……昨日徹夜だったし、今日は在宅みたいなこと言ってた気がするな』
『なんというブラック! でもちょうどいいですね。じゃあ行きましょう!』
『どこに?』
『先輩の家にです。決まってるじゃないですか! あ、支払いよろです!』
『なにしれっと支払いも押し付けてんだよちくしょう!』
そんなやり取りをした後、こうして本当に俺の家までやってきたわけだ。
「先輩のご両親って、何されてるんです?」
「父親はトラック運転手。母親はラノベ編集者」
「……なんか、面白い組み合わせですね」
「俺もそう思う」
なんでも、両親は高校時代に出会って、そのままゴールインしたらしい。
母親曰く『5角関係が燃え上がるような恋愛ラブコメの果てに付き合った』んだとか。嘘くさい。
「ほら行くぞ」
「あ、待ってくださいって!」
エントランスに入り、ポケットから鍵を取り出すと共用インターホン横の鍵穴に差し込む。
ガチャリという金属音の後、少し重厚感のある自動扉が開く音が響いた。
「こっちだ」
「りょです」
少し分かりづらいところにあるエレベーターまで、天城を先導するように歩く。
幸いにもエレベーターは1階にあり、待つことなく乗ることができた。
「うわ、すごい。両面ドアなんですね」
「そうそう。結構珍しいよな」
このマンションのエレベーターは、1階から入る扉と、2階以上の各階で出る扉が異なっていた。
前から入り、後ろから出るような感じ。駅とかでたまに見かけるタイプだ。
俺の家がある5階に止まると、エレベーターから降りて左手側。通路最奥にある家へと向かう。
「…………」
ポケットから再び鍵を取り出そうとして、少し硬直する。
そういえば俺、女の子を家に上げようとしてるんだよな……。
「? どーしたんです?」
「……いや」
淡いときめきが一瞬浮かんだが、天城の顔を見て冷静になる。
こいつ、俺のこと嫌いなんだよな。そういう展開になるわけがない。
天城に聞こえないように、ふぅと軽く嘆息を漏らすと、家の鍵を開けてドアを引いた。
「たでーま」
玄関には母親がいつも仕事用に履いている革靴が脱ぎ散らかしてあった。どうやら帰ってきてるらしい。
自分の靴を脱ぐついでに、しゃがんで母親の靴を揃える。
「うわ。先輩顔に似合わず丁寧ですね。キモいです」
「流れるように罵倒するのやめてくれないですかね。……入らないのか?」
「は、入ります。入ります!」
なぜ2回言ったのか。
「お、おじゃましまーす……」
そろりそろりと入ってくる天城。
さっきまでの勢いはどこにいったのやら。
「母さんいるみたいだから、声かけてくる。ちょっとそこで待って――」
――ドタドタドタ
「おんなのこの匂いがするぞーっ!」
バタン! と勢いよく人が飛び出してくる
出てきたのはもちろん、俺の母親。逢坂エマ。
女子の匂いを嗅ぎ分けるとか、どんな異能力だろうか。
「ぐへへ。まさか虎ノ助が女の子を家に連れ込むなんてねぇ……あー、母さん急に仕事が入りそうだ。ちょっと120分くらい出てくるわ」
この間のサイン会とは異なり、スイッチをオフっていたのかジャージ姿。
金髪は後ろで結びポニーテールにしていた。
「なにその具体的な時間。ちげーよ」
「まさか休憩ではなく宿泊だと言うの!? ……くっ! 仕方ない。息子の晴れ舞台のために、母さん今日は会社に泊まるわ」
「そういうことじゃねえよ!」
ちらりと後ろを見れば、天城は若干どころかかなり引いている。まあそりゃそうだよな。
「こいつが用があるのは、母さんなの。こいつはただの後輩。今日初めて話すくらいだっての」
「は、はじめまして。天城つぼみです」
「なーんだ、そうなの。つまんなーい」
子供のように頬を膨らませぶーたれる母さん。
俺、そんな母親の姿を見たくないよ。
「ってあれ。こないだのサイン会に来てた娘じゃない。ほら、楽音ちゃんの」
「……覚えてるのか?」
「忘れるわけないわよ。あんなに印象に残ってれば」
あっはっはと笑う母さん。
天城は見られていたことに恥ずかしくなったのか、ちょっと頬を赤らめながら
「あぅ……すみません……」
と謝っている。こういう態度を俺にもとってほしい。
「ま、とにかく上がって。一本メール返したら行くから」
そう言って台風のように自室に去っていく母さん。
一応仕事はしていたらしい。
「ま、遠慮せず上がってくれ。あと母親については他言無用で頼む。恥ずかしいから」
「……誰に言うんですか。先輩の家族情報なんて言う機会ないですって」
「まあたしかにな」
誰と盛り上がるんだって話だ。
「……おじゃまします」
いそいそと上がり込む天城。
初めてのダンジョンに挑む冒険者のように、緊張感がひしひしと伝わってくる。いや、とって食ったりしないっての。
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