プロローグ 人喰いタイガーと後輩

『あの人、目だけで人を殺せそうなんだよな』


 俺のキリリとした目(自称)は、他の人から見るとそう映るらしい。


『あの人、一人で隣町の番長とタイマン張って無傷の勝利らしいぜ』


 小学五年生の時以来、喧嘩はおろか人を殴ったこともない。


『あの人、うちの生徒と教師をかたっぱしからレイプしてるんだって』


 残念ながら童貞である。


『出た! 王ヶ峰の人食いタイガーだ!』


 逢坂虎之助あいさか とらのすけ

 ライトノベルが好きな両親がつけた名前は、両親の期待通りかどうかは知らないが王ヶ峰高校の人喰い『タイガー』と呼ばれていた。可愛さのかけらもないあだ名だ。


「……はぁ」


 そんな俺に対する他者評価を聞きながら、ゆっくりと高校の中庭に降りると、ベンチに座り夕焼けに染まり始めた空を見上げた。

 この後の予定まで、地味に空いた時間を潰すにはちょうどいい空間。

 五月なのにまだ肌寒い空気は、頭をスッキリさせるのには効果的だ。


「しっかし、どうしたもんかなぁ……」


 誰にも聞こえないくらいの声量で、つぶやきを漏らす。

 悩みの原因は、高校に入学しすでに一年以上が経過しているにも関わらず剥がれない『不良』というレッテルについて。


 母がイギリスの血を半分引くため、その遺伝もあって地毛が明るめの茶髪。


 自称、キリリとした目。

 他称、人を殺しそうな目つき。


 トラック運転手の父に言われるがまま鍛えたため、ほどよくガッチリした体躯。

 身長も両親のおかげで180cmに達していた。


 なるほどたしかに、客観的に見れば不良なのかもしれない。

 

(こんなとこまで、ラノベ の登場人物みたいにならなくていいのに)


『——好きなんだ』


 そんな厨二病全開のセリフを脳内で呟いていると、不意に声が聞こえてきた。

 視線だけを声の方にやると、そこには二人の男女。


「天城さん。オレと付き合ってほしい」


「えっとぉ……」


 どうやら告白現場にエンカウントしてしまったらしい。


 ネクタイの色が赤色ということは、一年生だろう。

 入学したばかりなのに告白とか、なんてリア充だよ。


 男の方はワックスでツンツンと立たせた短みの髪に、整った顔立ち。サッカー部にでもいそうなイケメン。


 かたや女生徒の方は、肩近くまで伸びたセミロングの茶髪に、華奢なシルエット。

 くりっとした目は、上目づかいとかされたらひとたまりもなりそうだ。


 うん。間違いなく学年でも上位に入りそうな美少女だった。


「ダメ、かな?」


「う〜ん……だめじゃないんですけど」


 はたから見れば釣り合いのとれたカップルに見えるが、どうやら女生徒の方は乗り気ではないみたいだ。


「——少し、考えさせてもらってもいいですか?」


 その言葉と共に、告白シーンは終了となった。


「……はぁ……もぅ……このあと大事な予定があるってのに……」


 大人しく撤退した男子生徒の姿が見えなくなった後、女子生徒は嘆息を漏らす。

 その様子を見るに、どうやら本当に乗り気ではなかったらしい。ため息に怒りと疲れが混じっている。


 面白いものが見れた。

 そう思い、終わったイベントから再び空へと目を向ける。


 夕日はすでに隠れてしまっており、

 わずかな星と黒い空が広がるばかりだった。


 そろそろ時間だし、行くか。


「……っていうか〜」


 コツコツと、軽やかに地面を叩く音。

 ゆっくりとその音は近づいてきて、やがて目の前で止まった。


「なに人のことチラチラ見てるんですか? まじありえないと思うんですけど」


 俺を見下ろす影。

 

 先ほど告白されていた華奢な女生徒が、仁王立ちしながらそこに立っていた。


「え、え〜っと……」


「はぁ? 気づいてないとでも思ってるんですか? 言っておきますけど、女の子って自分に向けられた視線に敏感ですからね?」


 先程までの華奢な印象はなりを潜め、威圧感を放つ彼女。

 自分で言うのもなんだが、俺に対してこんな威圧感を放つ人は久しぶりだった。


「……先輩、有名な人喰いタイガーさんですよね?」


「んなあだ名で有名になんかなりたくないんだけどな」

 

「不良だからって、人のことをジロジロ見ていい理由にはなりませんから」


「……すまん。見るつもりはなかったんだが」


「まあ、見たくなる気持ちはわかります」


 その言葉の裏には、「私みたいな可愛い娘を見たい気持ちはわかります」という意味があるように感じた。

 深読みしすぎだろうか。告白現場をって意味と素直に受け取ればいいんだろうか。


「けど、正直迷惑なのでやめてください吐きそうです」


 そこまでいうかね。


「悪い。今後は気をつけるから」


「わかればいいんです、わかれば。……あ」


 ふと彼女は何かに気づき声をあげた。

 視線の先をちらりと見れば、そこには一年生の女子二人。


 どうやら目の前の知り合いのようだ。告白結果の共有でもするのだろうか。


「つぼみちゃーん! は、早く! 早く行こ!」


 焦ったように声を上げる1年生たち。

 たぶん、俺が変に絡んでると思ってるんだろう。


「……ほら、さっさと行ったほうがいいぞ」


「先輩に言われなくても行きますよ。命令しないでください」


 命令した覚えはまったくないのだが。


「では先輩、さようなら」


 冷たく言い放つ。しかし彼女が放ったのは、別れの言葉だけではなかった。


「私、あなたみたいな不良という人種が嫌いなので、二度と関わることはないでしょうけど」


 面と向かってそんなことを言い張る彼女。 

 こちらが何も言い返す間もないまま、彼女は踵を返し友人二人のところに向かっていった。


「……うーむ」


 なんというか、圧倒されてしまった。

 名前も知らない、初対面の後輩にここまで言われるとは。


「……よし、行くか」


 彼女の言う通り、もう二度と関わることはないだろう。

 そういう類の出会い。交通事故のようなもの。


 いつか「そんなこともあったなぁ」と思い出すことすらなくなる類の出来事だ。


 なんとなく名残惜しいという思いを抱きながら、学校を出て用事の場所へと向かうことにした。


 ◇  ◆  ◇


 埼京線に揺られ、たどり着いたのはアニメイト大宮店。

 店内に入りスタッフ専用口を抜けて控え室に入ると、俺を呼び出した人間がカロリーメイト片手にライトノベルを読んでいた。


「悪い。ちょっと遅れた」


「んー? いや遅れてないよ」


 ちらりと腕時計を見てそう答える。

 ビシッとしたスーツに、長い金色の髪。瞳は少し青みがかっており、素直にキレイと思える。

 とても40手前の子持ちには見えないと、息子ながらにそう思った。


「何そのラノベ」


「他社の新刊。結構話題になってるから、どんなもんかと思ってさ。虎ノ助も読む?」


「おー、母さんが読み終わったら貸してくれ」


「了解。何周か読むから時間かかるよ?」


「大丈夫。……大変だな、編集ってのも」


「あんたのぼっち高校生活ほど大変じゃないよ」


「おい、息子に対して愛はないのか」


「ばーか。愛のムチじゃないか」


 本から目を離さず手を止めず、かっかっかと笑う。


 逢坂エマ。

 俺の母親にして、ライトノベルの編集者。


 半分混ざったイギリスの血のせいか見た目もよく、美人編集者として業界じゃ有名らしい。


 そのきれいな金色の髪が、きれいに遺伝していれば俺の高校生活ももっと違ったのだろうか。


「……んで、手伝いってのは何をすれば?」


「サイン会の手伝い」


「それは聞いてる。具体的にはってこと」


 サイン会を手伝え、と言われたのが昨夜。

 具体的な内容は現場で直接教えるって言われたから、まだなにも把握していない。


「今日サインする作家さん……女の子なのよね。しかもとびっきり可愛い。美少女」


「……お、おう。つまり?」


「今日、握手会もセットなのよ。んで、変な虫がつくのは困るし、そこであんたの出番ってわけ」


 ここでようやく読んでいたラノベから目を離すと、ビシッと俺のことを指差した。


「あんたが睨み効かせながらタイムキーパーやれば、変なことするやつも出ないっしょ」


 つまり、用心棒として呼ばれたということか。


「……それでネットで炎上でもしたらどうすんだよ。美少女ラノベ作家に強面彼氏が~なんて」


「あっはっは! ないない! そりゃないって。あんたは彼氏って面じゃないっしょ!」


 酷い話である。


「ネットで噂になるとしても、『アニメイトに怖いスタッフがいる』か『強面編集ヤバい』のどっちかだっての。妄想するのはいいけど、過度な自己投影はやめなさい」


「してねえっての! ……その美少女ラノベ作家ってのはどこにいるんだ?」


「興味津々じゃない」


 しまった!


「買いたい物があるからって、店内物色中。そろそろ時間だし、戻ってくると――」


 言いかけたところで、スタッフルームの扉がガチャリと鳴った。


「戻りました」


 落ち着いた声。

 振り向けば、そこには制服に身を包んだ少女の姿。


 腰まで伸びた黒髪がふわりと揺れ、手に持った大量の戦利品を入れているであろう紙袋もガサりと揺れた。


「らおちゃん、買い物はできた?」


「……はい」


 頷くと、『らおちゃん』と呼ばれた彼女は紙袋をパイプ椅子に置き、ん~っと控えめに伸びをした。


「さ、そろそろ時間よ。虎ノ助、準備しなさい」


 ◇  ◆  ◇


 御倉楽音みくら らお

 母さん曰く『アルティメット文庫がゴリ押ししてるラノベ作家』らしい。もちろんペンネームだろう。


 指通りの良さそうなきれいな黒髪に、感情表現の乏しそうな顔。

 口数が少ないのも相まって、どこかミステリアスな雰囲気を醸し出している。

 身長も160はありそうだ。


 確かに「女子高生ラノベ作家」と言われれば納得してしまうような、そんな少女だった。


 そして母さんが言う通り、見た目はかなり可愛い。

 アイドルって言うより、女流棋士とか、そういう感じ。


「……だいぶ混んできたな」


 すでに特設会場は人でごった返しており、会場のキャパに対して多すぎるほどのオタクたちで溢れていた。

 母さん曰く、エンタメ雑誌で写真付きで紹介されたりもしていたらしいから、余計に客の数も多いのだろう。


『只今より、御倉 楽音先生のサイン会を始めまーす』


 階段付近の列整備をしていると、アニメイトのスタッフの声が会場に響く。

 列整備に手間取っているうちに、サイン会開始時刻になっていたらしい。


 途端、一番前に並んでいた人が御倉さんに襲いかかるような勢いで駆け寄った。


「私、御倉先生のファンなんです!」


 高らかな声。どうやらサイン第1号は女性のようだ。


「『純愛トライアングル』読みました! 第一巻のラストで、まさかヒロインが死ぬなんて超びっくりしました! でもそれがこの作品の「ダブルヒロイン」っていう根幹部分を支えるギミックになってて――」


 ものすごいマシンガントーク。後半はめっちゃ早口になってるし。


「虎ノ助」


「分かってる」


 母さんに言われ、早足で御倉のいるテーブルに向かう。

 与えられた役割、タイムキーパーをするために。


 御倉の座るテーブルの横に立ち、未だにマシンガントークを繰り広げる女性を見る。

 

「それでですね、主人公の天童マサムネ君が――」


 御倉の手を握り楽しそうにトークを続ける、に身を包んだ女の子。


 茶色がかった髪がをふわりと揺らしながら、嬉々として話し続けている。

 ちらりと御倉を確認すると、すでにサインは書き終わっていた。


「お客様。そろそろお時間ですので」


 ……ん? 見覚えのある制服……?


 その女の子が着ていた制服は、俺が着ている制服と同じ物。

 つまり、王ヶ峰高校のものだった。


「……あ、はーい。すみません、テンションあがっちゃ――」


 切り上げようと、御倉から手を離す女性。

 そして俺の顔を見るなり、


「……げ」


 彼女――

 もう二度と関わることはないと思った後輩は――


 ――天城あまき つぼみは、そんな声を漏らすのであった。

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