栄螺のアルバイト 後編
「そして私はその方から、栄螺のゲート処理に関する知識を教えて頂きました。なんでも『二度切り』が肝要なのだそうですよ」
だそうですよ、じゃない。見栄えが悪いだの剪定だの何の話をしているんだ。盆栽か。
というか、それ以前に栄螺の棘は海流に流されないために存在している筈じゃなかったのか。生命の進化の筈じゃなかったのか。
「このゲート処理が上手くできてないのがさっきの栄螺です。まあ仕方ありませんね。基準なんて無いも同然ですし」
いや
そうか
やっと考えが整理できた。真実は、深く考えずともわかる簡単なことだった。
答えは噓、つまりは与太だ。
この小娘は私にホラを吹き込もうとしているのだ。
なかなか面白いことをするではないか、この私に虚言を宣うとは。
しかし一瞬、ほんの一瞬騙されてしまったことは私の落ち度だ。
その点で言えばこの女の話術はなかなかどうして侮れたものではない。
ここは一つ、大人の余裕を再び発動してこの女の空言に付き合ってあげようではないか。
@@@@@
「成程成程。栄螺のあの棘はゲートだったのか。しかし俺は栄螺の棘は海流に流されないように進化してできたものだと聞いたことがあるのだが?」
先刻やや迎合的な意見を述べたばかりだが、ホラは話の綻びを突くことこそが醍醐味なのだ。さぁ、この攻撃をどういなすか拝見させて貰おうではないか。
「その栄螺は天然モノの高級栄螺ですね。昔は養殖モノなんかとは比べ物にならないくらい見た目に違いがあったんですけど、今じゃ技術の進歩でパッと見では区別がつかないまでになっているんですよ」
養殖モノと天然モノで返すとは。
そういえば言っていたなブルジョアとかなんとか。
しかしこの小娘、さっきから見た目にしか言及しないな。味はどうした味は。養殖と天然の一番の違いはそこだろう。
「それでですね、私をアルバイトに誘ってくれた友達……私とは担当部署が違うところになった友達なんですけれど」
愚かしいことだ。話の風呂敷を広げるとボロが出易くなるというのに。私の攻撃できる的が大きくなったぞ。
@@@@@
夕方、アルバイト先からの帰り道、電車に乗りながら友達と談笑していると、友達の指にやたらと絆創膏が貼ってあるのに気付きました。
「それ、もしかしてアルバイト中に?」
「うん。ランナーやゲートの処理が雑な栄螺があってね。栄螺を直にギュッて持つ仕事の担当だから、よくこんなことになるの」
「ギュッてするって、どういう担当なの?」
「えっとね、栄螺を巻く係。ランナーを切る係の次に、ゲートをやすりで擦る係、栄螺を綺麗にする係があって、その次にある係」
「栄螺を巻くって、結構力いるんじゃないの?」
「最初の頃は毎日筋肉痛だったよ。でも、慣れと……あとはコツかな。腕の力の入れ方を工夫すると、簡単に巻けるんだ。教えてあげよっか」
西日の差し込む電車に揺られながら、私は友達に栄螺の巻き方を教えて貰いました。
@@@@@
想定外だった。
いきなり新しい用語が飛び出してきた。
自動車ならば事故は避けられない次元の話だ。物陰や歩道からではなく、無から飛び出てくるなんて聞いたことがない。
「その後、友達の担当部署にヘルプで入ることがありました。実際にやってみると、硬くてゴツゴツしていて難しかったですが、あの電車の中で友達に教えてもらったおかげで他のヘルプの方々よりかは、すいすい栄螺を巻くことができました」
栄螺を巻く。
栄螺は巻貝だ、元々巻かれているものをどうやって巻くというのだ。
……いや、予想はつく。一つだけの、誰もが思いつく、単純で容易な予想。それはオルドビスでオルソセラスな予想――――――――
「そうそう、切り取った栄螺は真っ直ぐなんですよ。けれど均等に真っ直ぐじゃなくて出来損ないのチョココルネみたいに尻窄みになっているんです」
やはりか。
やはり、というかそれしかあるまい。
おまけに出来損ないのチョココルネみたいだなどと一々注釈まで付けおって。
しかし、悪い予想が的中したわけでもないのに、これっぽっちも嬉しくない。なんだこの気持ちは。気分が悪い。
「栄螺のその円錐みたいな形、これがまた巻くときの難しさを助長していて……いやぁ中々手こずりました」
「ほう、ほう、栄螺は人間の手で巻くのか。栄螺が狭い岩場でも生き残れるよう、進化の過程で巻かれていったものだとばかり思っていたが」
「それは天然モノですね」
強すぎるだろ天然モノ理論。全部これで返せるじゃないか。心折れるぞ。
@@@@@
「『今日はかなり勉強になった。とても有意義な時間を過ごすことができた。こんな世界知らなかった。礼を言おう』」
「いやぁ、そんなに感謝して貰えるなんて。友達の完治してすでに消えたゲート傷も、今ごろ草派の陰から喜んでますよ」
棒読み気味になったが向こうには気づかれずに済んだようだ。危なかった。ここまで棒読みになるとは思わなかった。
甚だ不快だが、この会話ですっかり憔悴してしまったと、言わざるを得ない。
この程度のホラ話で。
この私が。
「おや、そろそろ栄螺が焼けてきたみたいですよ」
「そうか、そんなに経っていたのか。道理で」
栄螺は美味いことには美味いのだが身を殻から取り出すのが少し億劫だ。困難を乗り越えた先に幸福は待っているということなのか。
「串は二本あるからそちらのを使え。先に言っておくが俺は手伝えんからな」
「ああ、大丈夫ですよ。私、手でやるんで」
言うが早いか、小娘は私の目の前で、栄螺の殻をぐいと伸ばし始めた。
炭酸カルシウム同士が癒着した硬い殻を、破壊することなく真っ直ぐに。
訳が分からない。
「おっとっとっと」
栄螺の身が水羊羹のように、にゅるんと皿の上に滑り出る。
それを爪楊枝で突き刺して一口で食べると、眉間に皺を寄せ、苦笑しながら
「美味しいですけど、肝の苦さはやっぱり慣れませんね」
と述べた。
栄螺のアルバイト @RGSnemo10110104
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