栄螺のアルバイト

@RGSnemo10110104

栄螺のアルバイト 前編

 知り合いから栄螺が贈られてきた。発泡スチロールの蓋を開け、やはりここは壺焼きだろうと画策する。


「栄螺ですか。美味しそうですね」


 何処から嗅ぎつけて来たのか私のよく知る小娘が傍らに立っていた。ちくしょう、見られてしまったか。

 しかし、私は大人で彼奴はまだ小娘だ。ここは癪だが大人の余裕とやらを示さねばならない場面なのだろう。


「座れ。今から調理する」

「本当ですか。いやあ、ありがとうございます」


 この小娘め、わざとらしくお礼なんぞ言いよって。今の私の神経はそこの七輪に置かれた栄螺そのものだ。ぐるぐる渦を巻き、攻撃的な刺が乱立する。ああ、なんてことだ。あれほど美味そうに見えた栄螺が澱んで見える。


 私が茨のように栄螺を睨みつけていると、突然小娘が栄螺を手に取って

「この栄螺、どこの奴ですかね。ゲート処理が甘いです」

と、妙なことを宣った。


「それは俺の知り合いがくれたものだが。それよりなんだ。ゲート処理とは。プラモデルか」


 すると彼奴はキョトンとした表情をしたあと、「ははぁ」と天地明察したかのように、にやついた。何が「ははぁ」だ。勝手に納得していろ。


「なるほどなるほど。ブルジョアーですね」


「どういう意味だ。確かに栄螺は高級食材だが、俺だってそんな毎日食べているわけじゃあないぞ。今回は偶々だ」


「この栄螺、養殖モノですよ。恐らく今まで天然モノしか食べたことがなかったんでしょうね。いやはや羨ましい」


「うんうん頷きながら何を言っとるんだ」


 するとこの小娘は椅子替わりのビール箱に仁王立ちすると腕を組み、自慢げに語りだした。


「実は私、養殖栄螺のアルバイトに携わっていた時期がありまして。ところで、養殖栄螺がどうやって店頭に並ぶかご存知ですか?」


「人の手で育てられて、競り落とされて、店に並ぶんだろう。俺を何だと思っていやがる」


 こうは言ってみたものの私自身詳しくは知らない。なんとなくのイメージで答えてみたまでだ。


「本当に知らないとは……最近の子どもは切り身が海で泳いでいると思っている、なんて話を聞きますが、これは最近の子供に限った話ではなさそうですね……」


 険しい表情でブツブツと独り言を零す娘がビール箱の上でクルクル歩き出した。何が「由々しき事態です」だ。私からすれば、お前がバランスを崩して七輪に倒れて来ないかということが由々しき事態だ。此方の気も知らないで不安定に回りおって。


「いいでしょう、ならば私がお教えします。本当の栄螺について」



 @@@@@



 当時から私は将来に目を向け、一人の人間として地に足をつけて生きていくためにアルバイト先を探していました。

 私の学校は生徒のアルバイトに対して寛容という訳ではなかったので、勤続はおろか検索すら手間のかかることでした。


 ある日、そんな私を見兼ねて友人が

「ねえ。実は私、工場勤務のバイトしているんだけど、よかったらやってみない? コンベアに流れてくるランナーからパーツを切り離していくだけの簡単な仕事なんだけど」

と、仕事を斡旋してくれました。


 楽して稼ぎたいなどと甘ったれたことを考えていた訳ではありません。

 ですが、就業経験の乏しかった当時の私にとって、初心者でも安心といった類の謳い文句は実に効果的で、すぐさま友人に二つ返事でした。


 アルバイト当日、私は友人と共に工場へ向かいました。私と友人は勤務する部署が違うということで、一緒になれるのは行きと帰りの道程のみでした。なんとも心細かったものです。

 厚い作業着に着替えてベルトコンベアの部屋に行こうとすると、その前に工具を渡されました。


 見ればそれはニッパーでした。


 なるほど、これで件のパーツを切り取っていくのだなとガッテンして部屋に入ると、大きなコンベアが中央に据えられていました。

全員が定位置に着くと、作業開始です。

目の前のコンベアが動き出して、まだ栄螺が繋がった状態のランナーが流れてきました。



 @@@@@



「ちょっと、待て」

「どうしましたか? 少し早口に喋ってしまいました?」

「違う、そうじゃない」


 一体どういうことだ。ランナーに繋がれた状態の栄螺とは。

 栄螺は生き物だ。腹足綱・古腹足目・リュウテンサザエ科に分類される、紛うことなき生き物だ。彼奴の言うように工業製品化の如く鋳型から射出される訳ではない。断じてない。


「なら良かったです。一応早口にならないように気を付けて続けますね」


 今考えを整理している最中だ。続けるな。これ以上新しい情報を出すな。



 @@@@@



 私は早速流れてきた栄螺を手に取りました。ニッパーを使って一つ一つランナーから取り外していきます。

 こういった細かい作業は嫌いではないので私は細心の注意を払い、丁寧に、丁寧に、栄螺を切り取っていきました。


 すると、となりの位置にいた方が私の肩をちょいちょいと突いてきました。


「ちょっと貴女、この切り方は良くありませんよ」


 その方は私が処理した栄螺と、ご自分の栄螺を両手に持って比較するように見せてきました。


 私の栄螺は、ランナーが根元から完全に切り離されて、すっきりとした見た目をしていました。

 対してその方の栄螺は、ランナーが幾本ばかりか残され、その長さもまちまちなものでした。


「ランナーを全部切り取ってしまっては、栄螺の見栄えが悪くなってしまいますよ。良い具合になるように、少しランナーを残してあげてくださいね」


 この「良い具合になるようにランナーを残す」というのが、まあ難しいもので。

 完全にニッパー係の目方頼りでした。

 ですが、私も数を熟していくうちに徐々にコツを掴んでいき、初日が終わる頃には、それはそれは見事な剪定が施された栄螺を仕上げることができました。

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