第1話 あんたを兄とは認めないからっ
まぁなんだろう。とりあえずこんなことになってしまった経緯っていうのがあるので、聞いて欲しい。
――一日前のことだ。
「あー、突然だが、お前に妹ができることになった」
夕飯の席。本当に何気ない感じで父さんは言った。
言われてから最初、おれは深く意味を理解できなかった。
母さんはすでに家を出て行ってしまっている。それなのに妹ってどういうことだ、と。
おれの疑問を察したらしい父さんは、カレーライスを運んでいたスプーンを止めて、ガハハと笑いながら言った。
「父さんな、再婚することにしたんだよ。それで結婚相手に連れ子がいてだな。その子がお前と同い年の女の子なんだよ!」
淡々と説明してくれる父さん。え? そんなに軽い感じで告げられるのこれって!? 明らかにラノベでありそうな展開なんだけど……。
「生まれた月日はお前の方が先らしいから、まぁお前の方がお兄ちゃんだな。よかったな洋太!!」
いやよかったなじゃねーよ。ただでさえあんたが再婚するって言う事実に驚いてんのに、妹が新しくできることになりましたなんて言われて動揺しない奴があるか!!
「……父さん、一応聞くけど、相手はどんな人なの?」
「んー? まぁそうだなぁ。仕事はスナックのママをやってるって言ってたな!」
父さんはスプーンをぶらぶらさせながら続けた。そのにやけづらをどうにかして欲しい。
「すっげぇ美人だぞ! もちろんお母さんも美人なら、娘さんも超絶美人だ!」
一瞬「え、マジ! やったぁ!」とか思ってしまった自分がホント情けなく思える。これから新しい関係性を築いていかなければならない相手なはずなのに、おれがこんな下心丸出しでどうするんだよ。
「予定としてはだなぁ、えーっと、顔合わせが四月の四日。ンでその翌日に彼女達がここに引っ越してくる」
「四月の四日って明日じゃん!? なんでもっと早く話してくれないんだよ!」
「んーなこと言われてもなぁ。お前にできる限り早く話しちまったら、お前がよけいな気苦労を働かせかねないと思ってな。まぁ配慮だ配慮。父さんなりに考えた結果だよ。いきなりでビビったって言うんなら謝るが、まぁなんだ、お前ならなんとかなんだろ、ガハハ!」
ならねーよ。不安でいっぱいだよ。どうしよう! めっちゃお嬢様タイプだったらどうしよう!? 高い椅子に座って『私のヒールをさっさとなめたらどうなのこのゲスノロマぶた野郎!』とか言ってくるような子だったらどうしよう! まぁそんな子滅多にいるはずはないか。
そして翌日の四月四日。冒頭に書いてあるようなやり取りがあったとさ。
――現在に戻る。
四月五日。
ついにこの日が来てしまった。
引っ越し業者がやって来て、段ボールに入った荷物をせっせと家に搬入していく。
ちらちらと、それを見守る二人の顔。
今までおれと父さんの二人だけが生活していた空間に現れた、新たな二つの顔だ。
一人はつい昨日ファミレスでおれの顔を見て大泣きしたギャル。……おいおい嘘だろ? この子がおれの義妹になるのかよ。今すぐにおれの方が泣き出したいよ、……ちきしょお!
もう一人は、初めて見た。ほんわかした女性であり、化粧っ気が濃い。そういえば父さんはスナックのママとか言ってたな。すんげぇ美人なのは間違いない。あ、こっち見た。
妖艶な笑みをおれに向けてくる。一言で言うのであれば、そうだな、初対面でこんな表現するのもどうかと思うが、実にエロい。父さんが惚れた理由がよくわかったかも知れない。
すると、じーっとこちらにも視線が注がれていることに気がついた。
な、なんだよ……。
小清水友梨さんがおれの方をじっと見つめている。自分の母親をなにジロジロ見つめてんだこのヤローって言う瞳である。怖い怖い。マジで怖い。おれもしかしたら殺されちゃうんじゃないのって言うくらい、恐怖を抱いてしまう。
「すみませーん、これどこに運びますかぁ!?」
「あらあらごめんなさいねっ。それは二階の私の部屋に運んで下さい~」
小清水母が応える。この人ファミレスでの初顔合わせにはいなかったな。まぁ仕事やらなんやらで忙しかったのかも知れない。
そうこうしているうちに引っ越し作業が終了する。「お疲れさま~」と小清水さんがスマホをいじりながらさも当たり前のようにうちに入っていく。ちょっとなれなれしいな。
二階の部屋に戻ろうというのだろう。ちなみに小清水さんの部屋とおれの部屋は隣どうしになっているはずだ。
うわあ。どうなっちゃうの! 本当に夜も眠れない日が続いちゃうかも知れない!
玄関に入ると小清水さんがぱっと振り返った。その瞳はおれを見つめていて、南極の氷なんかじゃ比べものにならないくらいに冷たい。
「あんたさ、あたしの部屋に入ったら殺すからね?」
「……え、ああ、うん。もちろんそんなつもりはないよ」
ちっくしょ~!! 言われたい放題じゃないか!! おれだってちょっと思うところはある。なんでこの子はこんな我が物顔で我が家に入っていけるのとか、ちょっとずうずうしくないの、とか。思うところはたくさんあるぞ!
けど言えない。小清水さん、怖いから。
「あっそ。わかったんならさっさと上がれば? 言っとっけど、私あんたとなんか馴れ合うつもり一切ないから。……あ~あ、なんでお母さん一人暮らし許してくれなかったのかなぁ」
小清水さんはぶりぶり文句を言いながら階段をのぼっていく。
対するおれはただ茫然としていた。
「……は、はは……」
こんなんでやってけるんだろうか。
夕食の時間。
今日は豪勢にいこうと言うことでシチューだ。作ったのは小清水母、早苗さんである。いきなり我が家に来たのに申し訳ないとおれは思う。
「いいのよ、気にしなくて」
「けど、すみません」
「謝らなくていいのよ~。もう家族になったんだから」
「そ、そうですね」
小清水母は本当に優しそうな人だ。っていうかこの人が今日からおれのお義母さんになるんだよな……。なんというか、緊張するって言うか、慣れないよな。
改まった態度で小清水母が頭を下げた。
「今日からお世話になります! 昨日はファミレスに来られなくてごめんね~。お仕事帰りでもうぐったりだったのよおっ! ……でもっ、洋太君に今日初めて会えて、私とーっても感動しているわ。よろしくね!」
「はは、こちらこそよろしくお願いします」
おれもぺこりと頭を下げる。何年か経ったら今日のことを思い出して、あのときはよそよそしかったわね、とか思い出したりするんだろうか。
「……」
相も変わらず小清水さんは仏頂面だった。おれは心底この美少女にビビり散らしている。だってギャルだし……いやギャルに偏見があるわけじゃないけど、どう見ても小清水さんスクールカースト上位の人間なんですもん。
「……こしみず、ゆり」
ぼそぼそと声が聞こえてきた。その声は小清水さんのみずみずしい唇から発せられた。リップとかしてるのかな。性格はあれだけど、ものすごい可愛いよな。
「お、おれは七条洋太っていうんだ。趣味は読書と勉強。……たしか小清水さんもおれと同じ学校なんだよね?」
「はぁ?」
にらまれた……。ヤバい! やばいやばい! あまりにも距離を詰めようとするタイミングが早かったか……。いやでも出会った日くらい会話してもよくないの?
すると彼女は操作していたスマホを机の上に置いた。
「あんた学校で見たことあるよ。すっげーぱっとしない見た目だから、あんまし記憶に残ってないけどさー、なんつーかこういう陰キャっているんだな~ってなんとなく思うくらいにはあんた陰キャだよね」
めっちゃ煽られてる……。っていうか小清水さんおれのこと知ってたんだ。知ってるって言うかまぁ同じ学校の同じ学年なら、見たことあるくらいならあるだろうけど。
「そ、そうなんだ! ごめんっ! おれあんま小清水さんのこと知らなかったよ!」
「は? 知らなくていいんですけど。マジでキモいからやめてくんない? なんであんたなんかに知られてないといけないわけ? 拷問? 死ねよ」
「まぁまぁ友梨? せっかくこれから生活していく仲なんだし、もうちょっと優しく接してあげたらどうなの?」
「え~? べ、べつにさ~、私はお母さんの再婚自体には反対じゃないんだよねー。お母さんには幸せになって欲しいし。けどさぁ、おまけで同じ学年の冴えない男子高校生がついてくることが私にとっては納得できないんだよね」
「こら友梨っ!」
「ははっ。洋太~!、言われちゃってるな~!」
「と、父さん、茶化してる場合じゃないから」
「……はぁあ! 私義理のお兄ちゃんができるって聞いて、ちょっと期待してたんだよね。こう、すっごいイケメンで、サッカー部でブイブイ言わせてるような男の子? そういう子期待してたのにさー、なんでこんなオタクみたいな根暗ヤロウなわけ? もうマジ最悪ッ!」
「ははは……」
おれはもう乾いた笑いしか出てこない。おれだって好きで根暗やってるわけじゃないのに! ちゃんと友達だっているのに! おれショックで寝込んでしまうかも。
「まぁいいや。ごちそーさま」
「おや、もういいのかい? もっと食べたっていいんだよ?」
「……。あのさぁおじさん。女子高生って言うのはきちんと体型をキープするために食事も考えてするの。食べ盛りだからいっぱい食べなきゃダメって言うのは、男子だけに通用することだから」
「……ぬぅ。すまん」
それきり小清水さんはなにも言わずにキッチンへと向かう。ただこちらに背中を向けて皿やらお椀やらを洗っていく。
なぜだろうか。
彼女の両肩はすさまじく小さく見えた。
はー。
つかれたな。
いや我が家にいるだけなんだけど……やっぱり今の今まで赤の他人だった人と今日から家族になることになって、心疲れがないわけがないよな。
おれは天井に向かってため息をついた。
最近色んなことがバッタバッタとやってくるな。
父さんの再婚。
それによって新しく家族が増えた。
おれはすることもないので、本棚からまだ読んでいないライトノベルを取り出した。
ちなみにおれの読書のうちほとんどがラブコメで埋め尽くされている。こういう点が陰キャオタクって言われちゃうゆえんなのかな……とか自覚はしてるけど、やっぱり面白いモンは面白いよな。
本屋に行ったらいっつも気に入ったものを買ってしまう。気づいたら二十冊くらい買ってることもある。
よし、と声に出して、今晩のお供を決める。『やり直し』系の王道ラブコメを手に取った。
っていうか、義妹ができるなんてラブコメみたいなことが本当に現実で起きるなんて思わなかったな。……でもやっぱり現実はラブコメみたく甘くなかった。
ちくしょう。わかってはいたんだ。でも夢くらい見たかったんだよ……。
はぁ。これから小清水さんとどうしたらいいんだろう? トランプとか誘ってみようか? でもいきなり気持ち悪いよな。
ああああああああああああっ。どうしたらいいんだっ! おれはもんもんとベッドの上を転がる。
そ、そういえばこの壁の向こうの部屋に小清水さんがいるんだ。
おれはそう考えると――急に顔が真っ赤になってしまう。
おれはぶんぶんと頭を振る。こういうとこだぞ、おれ!
おれは大きく息を吸った。そして賢者のように吐く。
ダメだ。
心を鬼にしろ。
小清水さんだって、おれのことは他人だと思っているはずだ。
じゃあこちらがなにかを期待したりするのは、申し訳が立たない。
彼女に失礼だ。
平常心だ平常心。理性を失ったとき人は獣と変わらない。
反省しよう。
しばらくは小清水さんとの距離感を大事にしよう。ゆっくりと話し合いをして、徐々に距離を縮めていけばいい。
でもなぁ。
やっぱり初日に顔合わせしたとき、泣かれたのはショックだよな……。
これもやっぱりおれが陰キャなせいなのかな。もうちょっと自分を改めた方がいいかもしれない。
小清水さんに恥ずかしいと思われないくらいには、自分を磨いた方がいいかもな。
よしっ。
これから新学年も始まることだし、気持ちを新たに学校生活を送ることにしよう。
おれは決意を新たにして――チラリと時計を見た。
もうこんな時間か。そういえば夜を食べたのも随分前なことのように感じる。
そろそろ歯を磨いておくか。
おれはベッドから飛び起きて、洗面所へと向かった。
……あ。ラノベ読むのすっかり忘れてたな。まぁあとでいいか。
おれはなんとなく鼻歌を歌いながら階段を降りていく。
テンションが上がってるのもまた事実だった。
なんというか、新学年が始まるに当たってとんでもないできごとだよなこれって。
おれは廊下を歩き、やがて洗面所のドアを開けた。
「……え」
「……ひうっ!」
そこには一糸まとわぬ小清水さんの姿があった。
いや、正確に言うならばパンティーを穿こうとしているその瞬間に、おれは立ち会ってしまったことになる。
「……」
「……!」
おれたちは沈黙する。
っておいおいおい! マジかよ!
小清水さんの裸はとてもきれいだった。お風呂上がりで桜色に上気した全身、出るところは出ていて、締まるところは締まっている魅惑の肉付き。
彼女はパンツを穿く途中だったらしく、片足を挙げたまま固まっている。めっちゃ涙目である。口がパクパク動いていて、おれに見られたせいか頬が見る見るうちに赤くなっていき――!
「出てってよ!」
「ぐばっ!」
おれは鼻っ柱を扉にぶつける。
ってなにやってんだああああああああああああっ! おれはうずくまりながら顔を真っ赤にしてしまう。見ちゃったよ、おれ見ちゃったよ! 小清水さんのみずみずしくしなやかな裸を! 初日にしておれはなんという失態をしてしまったんだァ!!
おれはすぐさま立ち上がって謝る。これは謝っても許して貰えないかも知れない!
「ごごごごめん! そんなつもりじゃなかったんだよ! ただ洗面所で歯を磨こうとしただけなんだ!」
「誰がそんな言いわけ聞くと思うの!? どうせあれでしょ! 私の裸見たかったんでしょ! それで適当な言い訳ぶっこいてるだけなんでしょ!!」
おれは額に手を当てる。あちゃー! 確かにそう映るはずだ。小清水さんからすれば『なんでお風呂に入ってることくらい気づかないのアホ!』と思う場面であるし、おれも配慮すべきだった!
……おれはなにを言い返そうかと悩んで、けっきょくなにも言い返せない時間が過ぎていく。
その間にも衣擦れの音が扉越しに聞こえてくる。きっと小清水さんはその美しい体に、ピンク色のパンティーとブラジャーをつけている場面なのだろう。
ヤバい! ヤバいって! ごめん! ホントにごめん!
「小清水さん、悪かったっ! おれももっと気を配るべきだったと……思う。気を悪くしたらごめん!」
「いいからその場から離れなさいよっ! いつまでそこにいるつもりなの!?」
そうだよ! おれここにずっといたらますます嘘だと思われんじゃん! 本当に何やってんだよ!
「と、とにかく悪かった。不可抗力だから! それだけは言っとくよ」
「ッ! ホントにサイテー。……なんであんたなんかに見られなきゃいけないの……?」
おれは本当に最低だな、と自分を責めまくりながらリビングへと向かった。
小清水さんに全力で謝罪しよう。マジで一日目からやらかしてしまった。
……でも、
おれはチラリと廊下を振り返った。小清水さんはまだ着替えているだろう。
たしかに小清水さんの体はおれが見とれてしまうほどに美しかった。それは認めざるを得ない。
けど、
……気になることが一つ、できてしまった。
「(……アザ?)」
背中と肩、そして腕。茶色く変色している部分があった。おれはちらっと見ただけだから、それはもしかしたら光の加減が見せた幻影なのかも知れない。
……まぁ、おれの勘違いの可能性も充分にあり得る。ひとまずは小清水さんの乙女な姿を見てしまったことを謝罪することだけを考えよう。
おれはリビングで塞ぎ込んでいた。
あー! なにやってんだろう!
ひたすら自己嫌悪。そして義妹への申し訳なさが募る。
っていうかおれ自己紹介の時に『趣味は読書と勉強』とか言っちゃったよな。
それも思い返してみれば、相手からしたら『だからなに?』という話だろう。
おれがそうやってうだうだ悩んでいると、ガチャリと扉が開かれた。
小清水さんだ。
彼女の瞳はまだ凍て付いていた。もう目についたものすべてを凍らせそう。
おれと目が合った瞬間、彼女はついと目を逸らした。恥ずかしさからと言うよりは、嘲りからだろう。
「……せめてさー、ノックするとかそういうことは思いつかなかったの?」
「返す言葉もありません」
小清水さんはおれの返事を聞くと、心底呆れかえったようなため息をこぼした。
「……はぁ。もういいからさ。いつかこうなるってことが、今日来たって考えればいい話かもしんないし」
おれは頭を上げられない。たしかにそういう考え方もできなくはない。
なんて返答したらいいのか、なんてことばかりを考えていた。
だが小清水さんはきちんとおれの目を見つめていた。
「だからさ、」
小清水さんは言った。それはおれたちの間にたしかな溝を示すものだった。
「……今日見たことは忘れて欲しい」
おれはすかさず聞き返してしまう。
「今日見たことって?」
「だーかーらー! あんたがあたしの裸を見たってこと。……見たんでしょ?」
「……まぁ。つい目についてしまったというか。聞いちゃまずいこと?」
小清水さんはうつむいた。
「当たり前じゃん。……あんたに話すようなことじゃないから」
小清水さんのことをもっと知りたい。おれはそう思っている。けれど彼女は知られたくない秘密をいくつも持っている。
おれは強く唇を噛んだ。ほんっとうにやらかしたと思う。
「じゃ、あたし寝るから。お休み」
「……うん、お休み」
扉が閉まる。小清水さんは廊下の向こうへと消えて行ってしまう。扉にはめ込まれたガラスから彼女の姿が見えなくなって、おれは再び深い深いため息をついた。
リビングには時計の音だけが響いていた。虚しく、どこかもの悲しい雰囲気が漂っている。
……明日から学校か。
おれは小清水さんが見せた悲しげな表情に思いを馳せた。
その表情の裏に、一体どれだけの暗い影があるのか、おれが想像するのもおこがましいことなのかも知れない。
……やっぱりあれは本当にアザだったのか。
おれはモヤモヤを抱えたまま、今度こそ洗面所へと向かった。
四月六日。
「……なんでこうなんのかなぁ」
「……これは不可抗力と言うべきじゃないかな」
おれは愛想笑いを浮かべる。対する小清水さんは頬杖をついてそっぽ向いている。
学年も変わればクラスも変わる。
しかし小清水さんと同じクラスだと掲示板で知らされたときには驚いてしまった。
それはきっと、小清水さんもおんなじだろう。
だがおれらはもっと驚くべきできごとに遭遇してしまった。
本当に、どうしてこうなってしまったんだろう。運命の悪戯としか思えない。
「……なんであんたが隣なの? ほんっと最悪なんだけど」
「……だから不可抗力だって。文句があるなら先生に言ってよ」
あと斉藤が三人いることにも文句を言って欲しい。え? ふつう斉藤って三人もいる? おかげで席順がいい感じになって、小清水と七条が隣の席になっちゃったじゃないか!
しかも一番後ろの席である。
「あ。授業中とか喋りかけないでね? あたしあんたと違ってカースト上位の人間だからさー、それを誰かに見られたら色々と勘ぐられるって言うか。『なんで小清水さんあんなぱっとしない男の子と喋ってるんだろう?』とか思われたくないから」
「……ちょっとひどくない? まぁペア組まされるときは、よろしく頼むよ」
昨日小清水さんに言われてしまった。馴れ合うのはごめんだと。
そして明確に示された拒絶の反応。おれが裸を見てしまったことに対しても、かなり素っ気ない態度で忘れて欲しいと言われた。
忘れろって言う方がむりだよ……ッ! 冷静に考えてクラスメイトの女子の裸見ちゃったんだぞ!?
いい意味でも悪い意味でも小清水さんの華奢な体は鮮明に記憶に焼き付いてしまった。
おれが昨日のことを考えていると、小清水さんはギロりとおれの方をにらんでくる。
それから両手で自分の体をかき抱いた。ドン引きの表情である。
「うっわなににやけてんの? マジキモいんですけど……」
「に、にやけてるつもりはない! いやほんとに!」
「ふぅん。でもその顔止めた方がいいわよ。無意識にキモい顔するのクセになってんのよ」
「あ、あはは……」
泣きそう。おれめっちゃディスられてる。まぁ出会ったその日から散々言われてきたから、今さらなんだって話なんだけど。
っていうか小清水さん小清水のままなんだ……。まぁ友達多そうだしよけいな混乱は避けるためにも『小清水』を名乗った方が無難だよな。
「――やぁやぁ! あれぇ? ゆりりんもおんなじクラスなのかいっ? こりゃあ驚きだ!」
赤みがかったポニーテールが揺れる。その女の子は活発そうで、おれの前の席にどさっと鞄を置いた。どう見ても運動部員が使いそうな鞄である。
その子はキラリと八重歯を見せて、小清水さんと向かい合う。
なるほど、どうやら友達らしい。
「あー! いずなもおんなじクラスなんだ! やったじゃん! もーあたしクラスに友達いなかったらどうしようかと思っちゃったよ」
「ほーんとにねっ。去年に引き続いて同じクラスだなんてさっ、なんか運命感じちゃうねぇ!」
「……あはは。そんなことで運命感じてたら世の中成り立たないって」
「なっははは! ゆりりんの言うとおりだねっ。今年もよろしく頼むぜだんなぁ!」
「もー、相変わらずいずなはテンション高いよね。……ま、そこがあんたのいいとこでもあるんだけど」
いずなと呼ばれた女の子は小清水さんの方に体を向けながら着席する。めっちゃいいニオイするなぁ、この子。元気ッ子でオレンジの香りとかもう童貞殺しに来てるとしか思えない。
すると、そのいずなさんの首がぐりっとおれの方を向いた。ドキッとする。
「やぁやぁ! 私佐伯いずなってんだ! そこの小清水友梨ちゃんって子とは去年も一緒のクラスで、まぁ友達やってんだ。まぁこれから前後の席の仲ってことでよろしく頼むよ……えーっとお名前は?」
おれはドギマギしながらも平静を装う。こういうのは第一印象が大事だよな。
「えっと、七条洋太っていうんだ。こちらこそよろしく頼むね」
「へぇ七条君ねぇ! うんっ、なんか世界史に出てきそうな名前だねっ! 覚えたよ!」
「あはは。それってもしかして、十七条の憲法のこと言ってる?」
「そおそお! 私が言いたかったのはそれさね! よーっしっ、これから君のことは聖徳太子と呼ぶことにしようっ!」
……えぇ! さすがに困る……。っていうか聖徳太子って名前つけられちゃったら、クラスの中で浮きそうな気がする。
しかしそういうところを気にしないのが陽キャらしかった。なんというか、この子本当にグイグイ来るタイプなんだなと思う。
「部活とかやってないのっ? 私こー見えてもバスケ部なんだけど、君はなにか部活入ってないのかい!?」
おれは口をもごもごさせる。なんか帰宅部って答えるのもちょっとためらわれてしまったから。なんでだろう、特に理由はないんだけど。
すると佐伯さんは掌をこちらに向けて頭を抱えた。
「ちょっと待ってねっ! やっぱり私が当ててみせるからさっ! んーっとお、私の推測だと君は文芸部かマンガ研究部ってとこだね? どーだい当たってるだろ?」
「……ごめん、大外れ。帰宅部なんだ」
「かーっ! そうか帰宅部かー! まぁ確かにそう言われればたしかに帰宅部って感じがするねーっ」
帰宅部っていう感じってどんな感じなのだろうか。……まぁきっと佐伯さんの仲で帰宅部って言うイメージがあるのだと思う。
「ねーいずなさー、あたしら以外にも去年とおんなじやついたー? ごめんね、あたし名簿よく見てこなかったからさー」
おれと佐伯さんが喋っているのを遮るように小清水さんが割って入ってくる。……うん、ごめんお邪魔だったよねとおれはすごすごと引き下がる。
小清水さんはなんだかおれをすごい目で睨みつけてくる。……気のせいかな? 気のせいだと信じたい。
佐伯さんはたおやかな人差し指を顎に当て、天井を向いて名簿の内容を思い出しているらしい。
「んー、たしかサッカー部の伊沢君とかうちのクラスだった気がするなー」
「えっ! マジで!? いやったー! 伊沢君も今年一緒なんだ!」
「あれれぇ、ゆりりん意外と伊沢君に気があるのかなぁ?」
「ちっ、違うし。そんなんじゃないし。勝手な推測止めろし」
「なっっははは。照れちゃって照れちゃって! でもまぁ気持ちはわからなくもないよねっ。伊沢君ムードメーカーだしさっ。クラスの雰囲気もよくなりそうな感じはするよねっ!」
「……うん、ほんとそれなー! でもいるだけでクラスの雰囲気悪くしそうな奴もいるッちゃいるけどね」
ちょっと待って! 小清水さんおれの方向いて言ってない!? けれど無言の圧力の前に目を合わせられないおれって、すげぇ情けない。
「おっとお! ダメだよゆりりん。めっ。これからだよー。まだ誰がどんな人なのかわかんないのに、そんなこと言っちゃダメじゃないかぁ!」
さっすが佐伯さんである。うわぁ、この子めっちゃ性格いいな。リア充ってこういう人間じゃないとなれないんだろうなぁとしみじみ思ってしまう。
自分のことよりもまずはクラスのことを見渡せる。
おれにはない。だから素直にすごいと思った。
と同時になるほどこういう人が小清水さんの友達なのかぁ、と。
小清水さんはさして真面目に聞いていなかった。っていうか爪のお手入れ始めたぞ。
「……まぁいずなの言うことも分かるけどさ――見てみて、ネイルー! ラメ入りなの。きれいじゃない!」
「おぉ、ゆりりんがまったく話を聞いてくれませんぜぇ、どうしよう聖徳太子君。これってもしかして反抗期って奴かなぁ?」
おれはなるべく作り笑いを保つ。なるべく当たり障りのない言葉を選んで、
「小清水さんにはきっと小清水さんのペースがあるんだよ」
「おっ、七条君もゆりりんの味方かぁ! なんだなんだ、私に味方はいなかったのかぁ、ちぃ、残念至極だねぇ」
その口ぶりはやけに演技臭く、大して残念とは思っていないことがよくわかった。
すげー。リア充ってすげーわ。こういうキャラクター(?)って言うのを自然に作り上げることができるって、本当にすごいし尊敬する。
おれが感動を覚えていると、前方の扉が開かれた。担任の教師が入ってきたらしい。
その瞬間、今日から高校二年生が始まるのだという実感が湧いた。
昼休み。
おれは弁当を持って窓際の席まで向かった。
「よお。前の席誰もいないよな」
おれが声を掛けると、サッカー部員である山岡竜一はだるそうに顔を上げた。
こいついっつもだるそうなんだよなぁ。
でもよかったと思う。こいつがいなければおれクラス内に友達いなくなるかも知れない。
「ンだよお前かよ。勝手に座ればいいんじゃねーの? おれはこのクラス替えにショックを受けてやさぐれてる最中なんだ。あんまし傷心をいたぶらないでくれよ」
山岡はこれまただるそうに窓の外を眺めている。あるのは校庭である。まぁ昼休みだから誰もおらんけど。
「なんだ? もしかしてサッカー部員が少ないことが不満とかか?」
「ちげーよ。なんでこのおれがそんなみみっちいことで悩まなきゃいけねーんだよ。そうじゃなくてだな、ほら、女子だよ女子!」
「あぁ」おれは呆れかえる。「すげーどうでもいいな。お前の好みがいなかったって話?」
「そうじゃねーよ。ンやそうでもあるんだが……なんつーか、おれが狙えそうなレベルがいねーっつうの? 小清水とか佐伯とかはたしかにめちゃめちゃ可愛いけど、おれが声かけたら一蹴されそーじゃん? せめて吹奏楽部とか合唱部辺りの清楚系美人がいりゃーなぁ。おれだって今年こそは彼女できたかも知んねーのによ、ったく」
「お前、考え方がゲス過ぎるぞ……」
あれだ、こいつそのうちクラスの女子のかわいさランキングとか作っちゃうタイプだ。あー、マジでやめといた方がいいぞ。バレたときに女子から恐ろしいくらい反感買うから。中学時代それやって無事死亡した奴がいた。
あー、と無意味なうめき声を連発する山岡。こいつ本当にやる気ねーな。まぁそういうクズなとこ、嫌いじゃないけどさ。
「弁当食うかー。あーあ、げっ、なんだよかーちゃん唐揚げ入れてくれてないのかよ……」
「我慢しろよそれくらい……。っていうか充分うまそーじゃないか」
「だけどよお。おれの体は半分以上鶏肉でできていると言っても過言じゃないんだぜぇ? 高タンパク低脂肪はアスリートの基本だっつうの!」
からあげ食ってたら低脂質じゃないんじゃないの……とは言わないでおこう。
「それにしてもよぉ……ほらあいつら見てみろよ。クラス変わったばっかだってのによくあんな話盛り上がるよなぁ」
「それは……まぁ」
山岡は箸を向ける。その示す先には小清水さんグループがあった。というかもうグループが形成されている。男女数人でいかにもクラスの中心的立ち位置を確保している。
羨ましい、とは思わないけど、すごいなとは思う。
「えぇ……いいじゃん! せっかくだし、『ラウンドテン』行こうよ! カラオケだけだとつまんないって!」
「あっ、いいねそれ! うんいこいこ! あたし久々に卓球やってみたい気分なんだよねー。伊沢君はどう?」
「どうって言われてもなぁ。ごめん、今日は始業式だけど部活あるんだよ。だから今日は行けないかな、ごめんね」
「あっ、ううん! 部活ならしょーがないよね。うーん、でもどうするぅ? 伊沢君いないとつまんなくない?」
「明日なら開いてるけど」
「おっとお! じゃあ親睦会は明日やりますかっ。伊沢君以外にもサッカー部が何人かいることだしねっ! よーしっ、そうと決まれば明日はめいっぱい遊ぼーっ、あははは!」
どうやらクラスの上位の連中はこれから親睦会を行う予定らしい。
よくやるよなぁ。その行動力って一体どこから湧いてくるんだろうか。
「けっ。伊沢のヤロー。ッたくモテる奴はこれだから違うぜ。知ってるか? あいつ一週間に一回は告られてるんだぜ? しかもサッカー部の練習終わりときた。まったくおれにも一人くらい流れてきて欲しいもんだぜ! おれだって一応サッカー部のレギュラーだって言うのによぉ!」
「まぁ落ち着けって。お前はモテたい願望が強すぎるんじゃないのか? それだけ必死に部活に打ち込んでる姿見てりゃ、女の子の一人や二人惚れると思うけどな」
「おっ、おっ。お前おれんこと慰めてくれてんのか? ジョーダンじゃねーぜ! なんでお前になんか慰められなきゃならねーんだよ、ちくしょお!」
それはこっちのセリフだよ。お前のモテたい話聞かされてるこっちの身にもなってみやがれってんだ。
だけどお前もお前でそれなりにルックスはいい方だとは思うぞ。問題は性格だ性格。あれだな、いっそ宗教にでもハまればいいんじゃないか? そうすれば一途な人間として見て貰えるかも知れないぞ。
「ひでー! おれはそんな友達持った覚えはねーぞこんちきしょう!」
おれは山岡のグチを聞き流しつつ、また小清水さんの方を見た。
「あはは、伊沢君マジウケるー」とか「へー、谷山さん髪きれいだねー。どこの美容室行ってんのー? えー、いーじゃん教えてよぉ」とか。
彼女はすさまじい笑顔を振りまいている。どこか作り物めいて見えると言われればそうかも知れないが、それでも間違いなく楽しそうだ。あれが彼女の居場所……なのだろう。
そこにおれが介入する権利はないだろうな。
おれにはおれの学校生活があって。
彼女には彼女の学校生活がある。
おれと小清水さんは家族になったけど、学校ではやっぱり赤の他人なのだ。
そこにほんの少しだけむなしさを覚えてしまうのは、傲慢だろうか。
しばらくすると予鈴が鳴った。
「じゃあおれ席戻るから。……部活頑張れよ」
「おうおう。お前に言われなくても頑張るっつうの。将来はプロにでもなってやらぁ」
俺はクスッと笑ってしまった。こいつはスポーツに対しては紳士なのだ。なんていうのかな、部活になると急に性格が変わるタイプなのだ。実際こいつのプレイを見たことあるが、素人目にも素直にかっこいいと思えるくらい。
おれは弁当箱を持って、自分の席まで戻った。
すると、こつ、とおれの太ももになにかが刺さって、チクリと痛んだ。
なんだ……?
紙飛行機?
おれは床に落ちたそれを拾い上げようとする。すると隣に座る小清水さんと目があった。彼女は落ちている紙飛行機を指さしている。どうやらこれはおれにあてたものらしい。小清水さんはそれからなにかをこじ開ける動作をする。なるほど開けと。
おれはすかさずメモ帳の用紙でできた紙飛行機を拾い上げる。ピンク色の可愛らしいデザインの紙。開くとこう書かれていた。
『――放課後、職員駐車場 来ないとぶっ殺すから』
ひえー! おれはおそらく今とてつもなくアホみたいな顔をしていることだろう。一瞬ラブレターかと思ってしまった自分をぶん殴ってやりたい!
これって、呼び出しだよな……。一体なんのために!
おれは黙ってじっと前を見据える小清水さんを見た。彼女はなにも言わずにただぼーっとしている。どうやらおれとかかわりがあるように見せたくないみたいだ。
おれは彼女の意図を察すると、すぐに紙を折りたたんでポケットにしまった。
……放課後か。なに言われるんだろうか。
五時限目六時限目と時間が過ぎていく。だがおれはそのことで頭がいっぱいで授業に集中できなかった。
「掃除当番一緒だねぇ! よろしく頼むよ聖徳太子君!」
「だ、だから聖徳太子じゃないってば! 七条だって!」
「なっははは。気にしない気にしない! それだけ偉いんだからもっと胸張っていけよっ、若人よ!」
同い年のはずなんだが……。
佐伯さんはポニーテールをぴょこぴょこさせながら、おれの肩をポンポン叩いてくる。あれ、ヤバい! 女子にボディタッチされたのこれが初めてかも!
「……」
おれが照れていると、小清水さんがすごい目でこちらを睨みつけてくる。やっべー。またやらかしたよ。
おれは軽く咳払いして、机を後ろに運んでいく。
まぁこれが終わったら小清水さんにどう思われているのかがわかる。だからあんまり気にしないで掃除をちゃっちゃと終わらせることにしよう。ちなみにおれは教室の掃除だ。まぁすごくどうでもいいけどな。
清掃の時間はあっという間に過ぎていった。おれは言われたとおり職員用駐車場へと足を運ぶ。
なにを言われるんだろうか。『あんた目障りだから転校してくんない?』とかだったらどうしようか。小清水さんだからあり得ないとは言い切れないだろう。
「なぁんだ、ちゃんと来たんだ」
「そりゃ来るって。もしかしておれが断る可能性も考慮してたわけ?」
「してたわよ、そりゃもちろん。あんた約束破りそうな顔してるし」
「……そんな」
おれはちょっぴり傷ついてしまう。っていうか小清水さんすごいつんつんしてるよな。けっこうな女王様タイプだ。
こうしているうちにも、小清水さんは腕を組んでこちらに白い目を向けてきている。完全にリンチの態勢に入ってませんかね? 気のせいかな? 向こうの木陰からぞろぞろとでかい男の人とか出てきませんよね?
「あんた、なに怯えてんのよ?」
「いや、その、これからカツアゲされるんじゃないかと」
「はぁ? あんたあたしのことなんだと思ってるわけ? んなことするわけないじゃん」
「ご、ごめん」
「……もういいわ。あたしが言いたいことは大きく二つね。まず一つ目。ライン交換しよ?」
「……え?」
「あんたもしかして変なこと期待してないでしょうね? べつに頻繁に連絡取り合うためじゃないし。兄妹なのに、連絡先も知らないのは変じゃない? だから、お互い教えあおうってわけ。ドゥーユーアンダースタンド?」
「あっ、なるほどそういうこと。わかった、いいよ」
おれはスマホを取り出して、彼女と連絡先を交換し合う。QRコードって便利だよな。でも交換してるときにこちら側がうまく読み込めなかったりすると、相手の待ち時間が長くなって気まずいことにもなりかねないんだよな、これ……。
幸いそんなことにはならなかったけど。
小清水さんは腰に手を当てて、続けた。すごいサマになってる。茶と金の中間色の髪をバサッと翻し、
「でさ、二番目なんだけど。……あんたとあたしの関係性、学校内の誰にも話さないで欲しいんだよね。もちろん先生はこのこと知ってると思うんだけど、それでもクラスとかのみんなにはバレたくないんだよね」
「……えっとぉ。ごめん、差し支えなければ理由を聞かせて欲しいんだけど」
小清水さんの瞳が冷える。まるで家畜を見るような目だ。おれは思わず肩をすぼめてしまう。
だが小清水さんはおれに言い聞かせるような口調で話してくれた。すごい気を遣われている気がする。そしてため息をつかれた。
「……考えてもみなさいよ。たとえばクラスの誰それが実はきょうだいなんだってー、っていう話題があったら、みんなどう思うと思う?」
……そっか。変な噂が立ちかねない。義理のきょうだいなのをいいことに、実は付き合ってるんじゃないのか、とか。そんな噂を好む生き物なのだ、高校生というのは。
「こういう言い方をするのもなんか気が引けるんだけど、あたしってほら、クラス内でもけっこうな地位を築けるタイプじゃん? だからこの立場を崩さないためにも、あんたとあたしのことは秘密にしといて欲しいんだよね」
小清水さんには小清水さんの築き上げたものがある。そしてそこにおれが立ち入ることはできない。さっきもおれが考えたことだ。
おれはうなずいた。
「わかったよ。誰にも言わない」
「わかってくれたならいいんだ。一応隣の席にはなったけどさ、あたしたち実質これから学校内でかかわることはないと思うから」
だから、と小清水さんは最後に付け加えた。
「――あんたとあたしは家族であっても他人だから」
寂しげな風が吹き込んでくる。小清水さんはおれの瞳を捉えて放さなかった。
だからそれが、彼女の本音なのだろうと知った。
「……わかった。おれもできる限り他人として振る舞う」
……「そ、よかったわ、んじゃね」と小清水さんは笑った。
おれは自嘲する。
どうして小清水さんのことばかり気に掛けてしまうのだろうか。そしてどうして自分にそんな権利があると思っているのか。
小清水さんから言われた一言は、おれの胸をたしかにえぐった。間違いなく、おれらは他人なのだ。義理のきょうだい。それは名目上に過ぎない。
彼女は他人であることを望んでいる。
ならばおれも他人であるように振る舞わなければならない。
昨日のことは忘れろ。あれは間違いなくおれのせいだけど、小清水さんはあえてそのことに今日触れることはしなかった。その意味を考えろ。
小清水さんはおれが考えていたよりも、遥かに立派に学校生活を送っている。華やかな友達、遊びの約束。
小清水さんの背が去って行く。おれはなにも言わずに反対方向へ歩き出すために、振り返ろうとした――
――そのときだった。
「……!」
小清水さんが慌てふためいた顔でこちらに駆けよって来た。なんだなんだ! とおれがためらうヒマもなく、小清水さんはおれの手を取った。ドキリとする。はっ、マジでなに! その顔には相当な焦りが浮かんでいる。冷や汗まで掻いてた。
「……どっ、どうしたんだよ!」
「早く隠れるの! いいから!」
おれは手を引っ張られて木陰までたどり着く。
「おーい、見つかったかぁ!?」
「あー、駐車場の方まで転がってったらしい! ごめん、今戻るー!」
サッカーボール……?
ボールがコロコロと駐車場の方まで転がってきて、やがて止まる。車が何台か止まっていたが、幸い車の下にボールが入り込むということはなかった。
っていうかボール拾いに来たの……あれ伊沢じゃないか? サッカー部のめっちゃイケメンで今日も小清水さんグループでワイキャイやっていた伊沢だ。
……と、おれは今冷静に実況しているが、内心ではそれどころじゃなかったりする。
「(もっと寄りなさいよ! こっち側見えちゃうじゃん!)」
「(わ、わかってるけどさ……、なんで隠れる意味があるんだよ! べつに見つかったっていいんじゃないの?)」
「(なに言ってんのこのばかっ! あたしとあんたが一緒にいるところ見られたら変な勘違いされちゃうじゃん! しっ、しかも伊沢君なのよっ?)」
そうやってグイグイ小清水さんは体を押しつけてくる。胸が……柔らかい胸が当たっている!
「(……っていうかなんで一本の木に隠れる必要があったの!? 別々の木に隠れればよかったじゃん!)」
おれが小声で言うと、小清水さんがぼしょぼしょと呟く。その顔が真っ赤に染まっていく。
「(……お、思いつかなかったのよ! な、なに? 文句あるわけ?)」
「(い、いや……ないけどさ……こんなに密着されるとは思ってなかったから!)」
「(あ、あたしだって不本意なんだからね! 我慢しなさいよ! うぅ~、なんでこんな男と一本の木の下で密着しなくちゃならないわけぇ!? もう最悪!)」
言いながら小清水さんは涙目になる。その体はものすごく細くて、腕なんか触れただけで折れてしまいそうだ。つうかめっちゃいい匂いがする。フローラルな香りだ。きっと香水の匂いだろう。
うわぁ、やばいやばい! これもうヤバいって! 理性が吹っ飛んでしまいそうだ!。
おれはおそるおそる、おれの胸の辺りにもたれかかる小清水さんの顔を見る。陽光に煌めく金色の髪質はサラサラで、まつげが長い。くりくりした目はおれのワイシャツのボタンをじっと見つめている。その頬は朱に染まっていた。
とくん、とくん。
小清水さんの鼓動が聞こえる。密着しているせいで体温がどんどん上がってくる。
すると小清水さんがぎゅっと体を寄せてきた。豊満な胸が押しつけられてる! 昨日見てしまったあのたわわなお胸がおれに押しつけられてる!
「~~~~ッ!」
もっとそっち行って! とか言われると思ったけど、逆だった。小清水さんはおれの腰に手を回して自分の体に引き寄せる。
心臓が爆発寸前だ! もう秒速十回くらい鳴ってんじゃないの? もうおれ死んじゃうかもしれない!
ぼすん、ぼすんと、ボールをバウンドさせながら伊沢が去って行く。
「……もう行った?」
「行ったみたいだな」
「……ぷはぁ! やっと解放されるぅ! もっ、もうこんな目にあうのマジでこりごりなんですけどマジでふざけんなっつうの……っ! あぁもう!」
小清水さんは腕を無意味にさすりながら言う。その瞳はあらぬ方向に向けられていた。
……顔真っ赤じゃないっすか。
……か、かわいい。
「は? なに見てんの? ぶっ殺すわよ?」
「……え、あ、ごめん。痛くなかった?」
小清水さんはそっぽ向いた。
「まぁ、痛くはなかったけどさ。ちょっと樹皮で肌すりむいちゃったけど」
「だ、大丈夫? 絆創膏いる?」
小清水さんはおれを睨み上げた。
「いらないし。っていうかあたしちゃんとバンソーコーくらい持ち歩いてるからっ。人をなめないでくれる?」
「そ、そう。よけいなお節介だったよね」
「……ま、まぁ、気遣いしてくれたことには感謝するわ。ありがと」
「ど、どういたしまして……」
「じゃあ、もうあたし帰るから。友達と帰る約束してたのに、それ断ってるんだからねこっちは。……じゃあまた明日」
「あぁ。また明日ね」
……んやまた明日って。帰ったらいるんだけどな。まぁ一応形式上のものと言うことで。
小清水さんはそれから今度は本当に手提げ鞄を持って帰って行ってしまった。
ま、まぁなんだ。時間差で帰るか。
家に帰り「ただいま」と声を出しても返事がなかった。
リビングには灯りがついていたし、廊下の電気もついている。ってことは小清水さんがおれよりも先に帰っていると言うことだ。
彼女はおそらく自分の部屋にいるのかな……と思いつつ、おれはケトルで湯を沸かしてコーヒーを飲む。
まだ時刻は四時過ぎか……。夕飯の支度にはまだまだ時間があるなと思いつつ、自室に戻った。まぁすることもないし、読もうと思っていたやり直し系ラブコメでも読むとしよう。レッツタイムリープ!
「……ん?」
窓の外を見るともう日も暮れかけていた。どうやら読書に夢中になってしまったらしいな。
部屋の中は静まりかえっていた。
「……でさー、明日なに着ていこうかなって迷っててねー!」
壁が薄いせいか隣の部屋から小清水さんの声が聞こえてくる。
時刻は六時か。もうそろそろご飯の支度をしよう。
おれは階段を降りて、キッチンへと向かった。
おれの父さんはトラックの運転手をしている。運送会社に勤めていて、働いている時間は日によって違ったりする。たいへんだなぁ、と思う。だから父さんには感謝してもしきれない。
あの母親と別れてからずっと、おれを大切に育ててくれた。いつか恩返ししなくちゃなと思っているが……さてそれはいつになるんだろうか。
父さんはああ見えても昔はボクサーをやっていた。しかもプロ。すごいでしょ? 学生時代はケンカばっかりしていたらしい。
父さんの昔の写真を見たことがあるけど、マジで目つきが悪い。今はすっごく優しい目をしてるけど。
だからといっちゃなんだが、親子げんかするとたいてい痛い目に遭うのはおれだ。あんなの勝てるわけない。っていうかにらまれただけで終わる。ふだんから想像つかないくらいのキレ方をしてくるんだ。
父さんは今日は夜の運転だ。まぁ父さんが忙しいこともあって、いつも料理したり洗濯したり掃除したりするのはおれだ。別に苦だと思ったことはない。これも生きていくために大事なことだと思ってる。
新しく母さんになった人の仕事も基本夜だから、この生活スタイルは崩れないことになるだろう。
おれは火を止めて、味噌汁の味見をする。ちょっとだしが濃かったかな? まぁ小清水さんの口に合うかどうかはわからないけど、彼女なら味の指摘くらいグイグイしてきそうだ。できればこれから彼女好みに合わせて上げよう。……文句言われるの怖いから。
「……ふぅ」
おれは調理の全工程を終えた。食卓にご飯が並ぶ。炊きたてのお米と、ぶり大根、それから味噌汁とたくあん。今は出してないけどデザートはスーパーで買ってきた牛乳プリン。
額の汗をぬぐって、階段をのぼり、おれは小清水さんを呼ぶことにした。
考えてみれば二人きりの食事になってしまう。緊張するけど……でもまぁ仕方ないよな。
階段をのぼりながら、なんとなく思う。
――あんたとあたしは家族であっても他人だから
かあーっ。まだ引きずってるよおれ!
できる限りお節介は焼いてはいけない。おれはそう心に誓う。彼女がそれを望んでいるのなら、おれは望まれたとおりにすべきだ。
でもショックなものはショックで。思い出すと階段をのぼる足取りはやっぱり重くなって。
小清水さんはなぜその言葉を、わざわざ家では言わず学校で告げてきたのか。
その理由は今となってはよくわかる。
……呼び出して言うほどのことだということを、おれに意識付けするためだ。
小清水さんはきっちりと伝えたかったのだろう。
おれはとぼとぼと肩を落とす。
二階の廊下を進んでいき、小清水さんの扉の前で立ち止まる。なにも音がしない。
おれは意を決して扉を叩いた。
「……んー? ダレー?」
「えっと、おれ。洋太なんだけど、ごはんできたよ」
おれが呼びかけると、扉が三分の一ほど開かれる。
小清水さんは顔だけ覗かせていった。
「あーもうそんな時間なんだー。わかった今行く」
「うん」
「……」
「……」
おれたちはお互いを見つめ合って黙り込む。もう何回似たようななやり取りをしただろうか。でもこれってもしかしたらおれがコミュ障なことに原因があるのかも知れない。
「ん、なにどしたん? あたしの顔になんかついてる? 鼻とか言ったらぶっ殺すわよ」
「……いやそうじゃないんだけど、ごめんとくに言うことないや。先に降りてるね」
「うっすー」
扉がバタンと閉まる。おれは壁にもたれかかってずるずると腰を落とした。
おれが気にしまくってただけで、案外小清水さんは気にしてないのかも知れない。事務的な会話だったってのもあるけど、小清水さんのコミュニケーションスキルには助けられてばかりだ。
っていうか、よく先日まで他人だった奴ときちんと会話できるよな。
すげーわ。
おれはほんの少しだけ心が軽くなって、ちょっぴりスキップしながら廊下を渡るのだった。
小清水さんのことをチラ見しながら席に着いた。彼女は棒立ちになって、おれの作った料理を見つめていた。
……あれ、なんか変なものでも入ってたかな……? それともあんまり美味しそうじゃないとかかな。
小清水さんは吐息を一つこぼして席に着く。
おれは気が気でない。小清水さんの口に合わなかったら本当にどうしよう!
などとおれは内心で思っていたのだが、気取られないように「食べてよ」と声に出す。上っ面だけでも取り繕うべきだ。
「……いただきまーす。ねぇもしかしてこれあんたが作ったの?」
「そうだよ。小清水さんの好みに合うかどうかはわからないけど」
「ふーん」
と小清水さん。おれの心臓はもはや壊れそうだ。背筋にいやな汗が伝う。
彼女は箸を持ってぶり大根を口に運ぶ。瞬間、その表情に影が差した。
え、なに言われるんだろうか。そういえば今まで父さんに向けてしか料理を作ったことがなかったから、他の誰かからの感想って言うのを聞いたことがない。
小清水さんは目を閉じ、それから言った。わずかに声が震えていた。
「……ま、まぁ。不味くはないんじゃない?」
「そ、そう? よかった!」
小清水さんが褒めてくれた! って待て待て! 今のって褒め言葉なの? 褒めてなくない? だけど小清水さんの発言はいつもいつも厳しいから、不味くはないというのはきっと褒め言葉なんだよな!
要は受け取る側がどう受け取るかが問題なのだ。
おれはにっこり笑顔で、「いただきます」と呟く。
小清水さんは無言でおれの作った料理に箸をつけていく。けっこうなペースである。もしかしたらお腹空いてたのだろうか。
おれは話題作りのために口を開いた。
「なんか二人っきりの食事って言うのも寂しいね」
「そお? あたしは家で一人で食べることなんてしょっちゅうあったから、そうは思わないけどねー」
「そうなんだ。小清水さんのお母さんって、やっぱ忙しいんだね」
箸の先を前歯で支えながら、小清水さんは思案する。
「あー、まぁねー。お母さんもたいへんだなっていつも思ってた。けど子どもが親に対して恩返ししようとしてもさ、なかなか何やればいいのかわかんなかったりするんだよね」
おれは正直ビックリした。彼女の返答に、ではなく、彼女がおれの質問に対して返答してくれているというその事実に。
「……あぁ、わかるなぁ。おれも父さんに家事くらいでしか貢献できないし」
「まぁ、家事やってんなら充分すごいと思うわよ」
小清水さんはそれからまた食事に戻ってしまう。ぱくぱくと次から次へ料理を運んでいく。女の子なのにちょっと量入れすぎたかなって思ってたご飯も見る見るうちに減っていく。なんだかそれを見ていると、おれはすごく嬉しくなってくる。
……あれ? おれ嬉しくて泣きそう。小清水さんがおれの料理をペースを落とすことなく食べてくれている。
「ごちそーさま。ねぇ、この家ってさ、皿洗うときってまとめて洗うの? それとも食べたらすぐに食べた人が洗う感じ? あたし他の家の事情なんてわかんないからさ」
「え? あぁ。そこのシンクに置いといてくれればいいよ。あとでおれがまとめて洗うって感じかな」
「……ふうん。じゃあ任せたわよ? あたし部屋に戻ってもいい?」
「あ。デザートあるんだけど。そこの冷蔵庫に牛乳プリンが入ってるよ」
「うそっ、マジぃ? あ、ほんとだー。あたしこれ部屋で食べよーっと。じゃあねー」
小清水さんが嬉しそうにプリンを持って上へ行こうとする。その姿を見て、おれはハッとあることを思いだしてしまう。
「あああああああああああっ!」
「な、なによ?」
「お、お風呂なんだけどさ……、時間決めた方がいいかなって。ほら、昨日みたいなことになっても困るだろ?」
「……ッ」
おれが言った途端小清水さんの顔が真っ赤に染まっていく。どうやら彼女も昨日のことを思い出してしまったようだ。ごめん、だけどこれ決めないとまた事故が起こっちゃうんだ。
「いいけど。じゃああんたの好きな時間でいいよ。べつにあんたの前がいいとかあとがいいとかそーいうこだわりないからさ」
「ほ、ほんとに? ごめんななんか気を遣わせちゃって。じゃ、じゃあおれが先に入るってことで……そうだな、七時半におれ入るよ。八時には出ると思うから、それ以降で好きな時間に入って?」
「はーい」
小清水さんは本当に何でもないことのように素っ気ない返事をする。それから今度こそプリン片手に階段をのぼっていく。「へへっ、プリンだ、プリンっ」とか呟いてる。
おれはまたもや盛大なため息をついてしまった。べつに小清水さんに呆れてしまったとかそう言うんじゃなくて、おれ自身が本当に情けないなと思ってしまったからだ。
事務的な会話。言ってみればそういうことだろう。小清水さんは本音と建前を上手に使い分けられる人間だ。対するおれは、女子の反応をいちいち気にしてしまっている。
未熟者、だな。
おれはよっこいせと腰を上げ、皿やらお椀やらを台所へ持って行った。
気分的にはラノベじゃなかった。なのでどうしよーかなとか悩みつつ、本棚からはミステリー小説を取り出した。
そういえばこれ買ったまま読んでなかったんだよな。こういう本ってよくあると思わない? 思わない人ももちろんいますよねすみません。
おれはゆっくりとベッドに腰掛けた。それから電気を消す。代わりにデスクライトを灯した。これで優雅な読書タイムだ、と思った瞬間に扉がノックされた。
なぜかはわからないが、おれは一瞬だけ時計を確認した。時刻は十時過ぎ。家には小清水さんしかいないはずだからもちろんノックしたのも小清水さんだろう。
ま、まさか幽霊じゃないよな?
おれは扉を開けた。そこには小清水さんが立っていた。すげーいい匂いがするのは多分シャンプーのせいだろう。
「あ、あのさ」
「どうしたの?」
「ちょっと入ってもいい? 話したいことがあるんだけどさ」
「話したいこと? 授業の持ち物とか?」
「ち、違うって!」
小清水さんはおれから目を逸らし、肘を押さえて口ごもる。な、なんだろう? 無性にドキドキする。おれが童貞だからではあるまい。きっと世の男子が同じようなシチュエーションになったときドキドキするに決まっている! 絶対だ!
おれは高鳴る心臓を意識の外へと押しやり、小清水さんに向かって首を傾げた。
彼女のなまめかしい唇から言葉が発せられる。
「あんた料理作ってくれたじゃん。……で、これからもきっとあんたに料理作ってもらうことになると思うんだよね」
小清水さんは言葉を選んでいるらしかった。
「と、とりあえずゆっくり話したいから部屋入るわね」
「あ、ああ。もちろんそれは構わないけど」
「あそ。じゃあ失礼しまーす。……わぁ、すごいいっぱい本あんじゃん。もしかしてあんたって勤勉? ってあぁそっか! 自己紹介するときあんた読書好きって言ってたもんねー。へー」
おれはちょっと内心ではヤバいと思っている。後ろめたさを覚えてしまったのだ。おれの読書の大半は実はラノベだったりする。小清水さんはラノベにどんな感情を持っているのかは知らないが、おそらくそれを知っていい顔はしてくれないと思う。
オタクに優しいギャルなんて、いるわけない。
でも本棚って便利で、表紙は見えずにタイトルだけがずらーっと並んでいる。だから意外とぱっと見ではラノベとはわからない。
小清水さんは感嘆の吐息を漏らしながら、おれの本棚を眺めていた。
すると彼女の目が、おれのベッドの上に注がれた。
「へー。ミステリーとか読むんだ。けっこー本格的? へへっ、ごめんあたし詳しくないから、よくわかんないけど」
「ま、まぁ比較的分かりやすいと思うよ。この作者さん読みやすいから。その反面トリックもしっかりしてるんだよね」
あ、やっば。小清水さんちょっと引いてる。
っていうか小清水さんよく表紙見ただけでミステリーってわかったな、とか一瞬だけ思ったけど、これタイトルに名探偵って入ってたわ。あはは。
「ふーん。すごいね」
「そ、そうかな」おれはちょっと頬が熱くなるのを感じた。それを悟られたくなくて、本題に入る。
「で、おれに話したいことってなにかな?」
「あっそーそー」
小清水さんはこちらの目を見て言った。
「――ルール決めよっか!」
「る、ルールって?」
おれが聞くと、小清水さんは座ってよと促した。断る理由もないので、絨毯の上に座る。ちゃぶ台の向こう側に小清水さんがいる。
「そのさ、生活のルールって言うの? あんたばっかりに家事やらせるのってすごい申し訳ないから、あたしができることならやろーって話なんだけど、いいかな」
う。小清水さんって思ってたよりも真面目な性格なのかも知れないと思った瞬間だった。けっこう女王様タイプなのかと思ってたけど、意外と優しい……?
「か、勘違いしないでよねっ! あたしはあたしのためにやるって話だから。生活していく上で、足引っ張る立場にはなりたくないから言ってるだけだからっ! 勘違いしたら殺すから、マジで!」
「し、してないよ……」
「あっそ。してないならいいわよ。……で、あんたとあたしで役割分担決めようってことなんだけど、あんた料理は意外とできるから、料理はあんた担当でいい? あたし料理あんまし得意じゃないから」
「……ぜ、全然いいよ」
「よかったぁ。それでさ、他に残ってる家事って何があるっけ? 掃除に洗濯に、お皿洗い? あとそれから、……んー、まぁそれくらいかなー?」
「そうだね。小清水さんがやりたいの選んでいいよ。ちょうど料理も合わせて、四つだから」
「うーん、そうだなぁ。でもここあんたの家だから、あんたが決めなさいよ」
え!? おれが!? うーんとんだブーメランだなぁ。そっちが決めていいよって言うのは楽だけど、たしかに向こうに『あんたが決めてよ』って言われちゃうと、難しいもんだな。
おれは少し考える振りをしてから。
「で、でもさ、一応それぞれどんな仕事をするのかを説明しておいた方がよくないかな? ほら、どんな仕事かわかんないまま決めるのもあれだし」
「あっ! たしかにそっか。さんせー。あたしもこのうち特有のルールとかわかんないから、この際教えて欲しかった部分もあるんだよねー」
おれは手短に説明を済ます。まぁ小清水さんに説明した大部分はここでは割愛するけど、一番たいへんなのはやっぱり掃除ってことになるのかなぁ。お風呂もトイレも廊下もやんなくちゃいけないし。その次は洗濯。その次が皿洗いってとこかな。
「ふーん。案外たいへんそーじゃん。これあんた一人でやってたんだ」
「まぁ慣れれば大丈夫だと思うけどね」
「……んで? あんたはなにがやりたいわけ?」
おれはここでも一応悩んだ振りをしておく。五秒くらいしてから、
「掃除かなぁ」
「オッケー。じゃああたしが洗濯と皿洗いってことね」
小清水さんが手をパンパンと叩く。決まったことがそんなに嬉しかったのだろうか、満面の笑みだ。
「よーっし、そうと決まれば明日から頑張りますか! あたし早起き意外と得意だから!」
「へぇ、何か意外だね」
「……む? ちょっとその反応はなくない? なんで意外なことが意外って顔してんの?」
「してないしてないっ! いやごめんしてた。なんか小清水さんそんなイメージなかったから。気を悪くしたならごめん」
「そ、そこまでじゃないからべつにいいけど」
小清水さんは立ち上がった。それから一呼吸して言った。
「ま、なに。一応あんたとあたしは他人ってことは言っておくわね。ただ一緒に生活していく以上最低限のことはやってくつもりだから。そこんとこよろしくー」
小清水さんはそう言って、こちらに背を向けた。
扉のノブを掴むと、また振り返った。
「お休みなさい」
「え? あぁうん、お休み」
扉が閉まると、おれは大きな大きなため息をついた。まだ慣れない。いい加減慣れろよって話だけど、なんかうまくできないなぁ。
だからモテないのか。
十二時。
目が冴えている。ギラギラだ。栄養ドリンクを飲んだわけでもコーヒーを飲んだわけでもない。
しまったああああああああああああっ!
おれは数多のラブコメを読んできた自負がある。
しかしおれはこのときすっかり忘れていた。
多くの同居系ラブコメでほぼ必ず起こりえるイベント!
洗濯イベントを忘れていたあああああああっ!
あああ。おれは頭を抱える。
パンツが、パンツが見られてしまう! おれの下着を小清水さんに見られてしまうと言うことだ! 明日から毎日!
おれは鼻息を荒くする。あっこれ傍から見たら変態だな。けどここはおれの部屋だ。そもそも傍から見てくる奴もいないので、おれは散々ベッドの上でのたうち回る。
小清水さんは明日から一体どんな気持ちでおれのパンツを洗濯するんだろうか。不快にならないだろうか。いや、もしかしたら干すついでに投げ捨てられちゃうかも知れない。そして隣の家の山田さんになんだこれと拾われちゃうかも知れない!
おれはいったん冷静になる。
なれるか!
だが待て。これはこれでよかったのかも知れない。おれが洗濯係になったら、小清水さんの神聖なるブラジャーやらパンティーやらを洗濯することになる。それは小清水さんとて本意ではないだろう。そうだ、ただの男に下着を見られて、気分のいい女の子はいないだろう。ならこれでいいんだ。
これが正解だったのだ。
……ふぅ。深夜テンションでちょっとおかしくなっていたのかも知れない。なにもそこまで興奮することじゃないんじゃないか、と今になって思い始めている。
だっておれは。
おれは小清水さんの超神聖なるマッパを見てしまっているのだ。
あぁ、マズいな。想像しただけで鼻血が出てしまった。興奮しすぎている。おれはティッシュを鼻に詰め込んで、ベッドの縁に腰掛けて一息つく。壁際に寄っていってデスクライトをつける。
一つ屋根の下に暮らすというのは、思った以上にたいへんなのだ。色んな意味で。
それにしても息がまだ荒々しい。どうにも眠れそうにないのでユーチューブを見ることにする。やっぱりゲーム実況動画だな。暇つぶしにはちょうどいいし、頭空っぽにしてみることができる。
そうこうしているうちに、だんだんと眠気が襲ってきた。よかった。朝までこの調子ってことはなさそうだ。
……でも、ちょっとは気になる。小清水さんは異性の下着を洗うということに対して、どんな気持ちを抱くんだろうか。
やめろ、おれ。まるで変態じゃないか! いやまぁ男子たるもの多少は変態なんだけど、度が過ぎてる。おれは首を振り振り目を閉じる。
こうしていればいずれ眠れるはずだ。
――雀の鳴き声が聞こえてきた。朝日がカーテンのすき間から差し込んできている。
おれは目を覚ますと、時計を確認した。まだこんな時間か。
昨日……っていうか今日か。あんなことを考えていたせいかすごくえっちな夢を見た。夢だとわかった瞬間のショックはえげつない。これ男子ならわかるよな?
しばらくしたら朝ご飯の支度をしよう。父さんはいつ帰ってくるかわからないけど、一応作っておかないと食べる物なくなっちゃうもんな。
あくびをしながら階段を降り、トイレへと向かう。
「……あ、おはよ」
「おはよう、小清水さん」
「……………………」
「ど、どうしたの?」
「……ううん、なんでもないからっ!」
「? そう?」
「あっ、そうだ。洗濯しようと思って全部ぶち込んだんだけど、洗剤ってどこにあんの?」
あぁ、そうだよね。わかんなかったよな。
おれたち二人は洗面所まで行って、おれは洗面台の下の扉を開け、奥から洗剤を引っ張り出す。
「これを、この線まで入れてくれればいいから」
「ふーん、わかったわ」
おれが指示すると、小清水さんは洗濯機の蓋をパカッと開けた。
「……え゛」
「……あ゛」
小清水さん適当に入れすぎだって!
おれは顔が熱くなるのを感じる。そしてすぐさま顔を洗濯機から逸らした。
「……見てない! 見てないから!」
「あんたバッチリ見てんじゃん! っていうか指のすき間からこっち見てんじゃん! あーどうしよ、ごめんお母さん」
そう、おれが目にしたのは小清水さんの下着ではなく、ド派手な小清水母の下着だった。っていうかこれどういうタイプの下着なの!? 黒と紅のえっちなブラジャー、そして男を昏倒させそうな香りを放ってそうなフリルのついたショーツ。
「……ま、まままままぁ、これもあれよね。見ちゃったもんはしょうがないわよね。あたしお母さんには黙っておくから」
小清水さんの視線がキツい。……でもこれっておれ悪くないよね? 小清水さんの入れ方に問題があったんじゃないの?
「……な、なんというか、すごく情熱的な色だったね?」
「ハァ!? あんたなにその感想! あたしだってお母さんの下着見るたびにちょっとおかしな気分にさせられるのに、なんであんたそんなにさらっとド変態な解答できるわけ!? 意味分かんないんだけど!」
「ちょ、ちょっと待ってよ! ごめん、おれの失言だった! 扇情的の間違いだ!」
っておれなに言っちゃってんのおおおおおおおおおッ! そうじゃないだろッ! もっと言葉選んでから発言しろよこのバカッ! おれのバカッ! 間抜け! これじゃあ完全に火に油注いでるじゃないか!
おれが言うと小清水さんの顔がどんどん赤くなっていく。あ、ああああ。マズいって。小清水さんのおれに対する好感度がだだ下がりだって! これが恋愛シミュレーションゲームだったらもうこの時点でゲームオーバーだ。
やっちまったああああああああッ!
おれは心の中で頭を抱えて叫ぶ。もはやこの叫びはブラジルの人にも聞こえていたかも知れない。いや、きっと銀河鉄道の乗客にも聞こえただろう。
それから小清水さんはおれの方をまた睨みつけると、
「最――低ッ! もうあんたと口ききたくない! バカ! バカバカバカ! 死ねばいいのに!」
小清水さんはプリプリと怒って洗面所をあとにする。彼女は耳の裏まで真っ赤にしていた。これ相当怒らせちゃった奴だ。
なんでおれはこんな失敗ばかりするのだろう。
けど、けどさ。
言い訳していいかな?
い、言い訳させて欲しいんだ。
おれは小清水母の下着を見てしまって興奮した。興奮しないことはどうあがいてもむりだと思うんだ。世の男子高校生で、女性のエロい下着を見て興奮しない奴など一人もいないはずだ。
おれはうずくまる。
こんな言い訳したところで、小清水さんに嫌われたという事実は覆しようがないのだ。
……はぁ。
なんか朝食作んのおっくうになってきた。
とはいえちゃんと朝食は作った。ご飯、目玉焼きに、焼き鮭。そしてサラダと味付けのり。
父さんもおれも食べるのが遅く、小清水さんは先に「ごちそーさまー」と言って行ってしまった。きっと洗濯物を干しに行くのだろう。っていうかまだ顔赤いよあの子……。
父さんが耳打ちしてくる。
「お前……昨晩なんかあったのか?」
「ななななないよ! なんで父さんそんな変な妄想してんのさ! 中学生じゃないんだから!」
「ほお。じゃあなんで友梨ちゃんあんなに怒ってるんだ?」
「ま、まぁ今朝色々あったからな」
「色々?」
「色々だって! アァもう父さん詮索しないでよ! とっ、とにかく父さんが心配するようなことはなにもないから! 小清水さんだっておれのことまだ他人だって思ってるみたいだし!」
「ははは。そうかー他人かー。まぁあの子もたいへんな思いしてきたみたいだから、お前ができる限りのことはしてやれよ? お節介くらいが、意外とちょうどよかったりするからなぁ」
「父さん……。でも小清水さんの性格考えるとこっちから積極的に行くのはよくないと思うんだけど」
「あはは。それもそうだなぁ。まぁあれだ。とにかくお前もうまくやれよってことだ。時間をかけて一緒に生活していけば見えてくるものもあると思うぜ!」
おれは父さんの言葉を頭の片隅に追いやりつつ、食器の片付けを始める。
「あっ、父さん今度から皿洗いと洗濯は小清水さんの役目になったから。昨日決めたんだ」
「ほう。そのことで揉めたのか?」
「……いや、揉めたのはまたべつの原因なんだけど……。でもあんまり話せるようなことじゃないかな……はは」
「なぁんだそうかー。やっぱりお前も大人の階段を三段飛ばしでのぼるようになったんだなぁ! 父さん感動で前が見えない」
「と、父さん! だから勘違いだって! っていうかそんなことしてないから! 小清水さんにも失礼だよ」
「……っとぉ。そうか。なにもなかったか。けどあんまり負担かけ過ぎんなよ? なんせ向こうはうちに来たわけだからな。うちはうちに昔からすんでるけど、向こうは違う家に住んでたんだ。アウェーな環境で慣れないことも多いだろうから、その辺見てやって欲しいと父さん思うんだ」
「……うん、わかったよ。肝に銘じておくよ」
「ならよし」
父さんは腕組みしながらうんうんうなずいている。もしかしたら父さんは小清水さんの事情について深く知っているのかも知れない。
――あのアザのことも。
おれがじっと父さんを見ていたせいか、
「……んー、どした?」
「……いいや、なんでもない。学校行ってくるね」
「おう。行ってきな。学費払ってんだから行かなきゃ損だぜ」
おれは父さんのセリフを重く受け止めつつ、部屋に戻って学校の準備を始めるのだった。
準備を整えたおれは、小清水さんと廊下ですれ違った。
「お、お疲れ。これから学校行ってくるね」
「そ。いってらっしゃい。あんたと同じ時間に家でなくてせいせいするわ」
「あ、あはは……。じゃ」
おれは小清水さんに徹底的に嫌われている。
小清水さんに何があったのか。そんなことは聞き出せないし、聞くのは失礼なことだと思う。父さんに聞くのもアリだけど……他人の事情をさらにべつの他人から聞くのは……うん、そっちの方が失礼だよな。
おれはもやもやを抱えつつ、学校へと向かうのだった。
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