証明 / SF

Nagara(ながら)

証明

 おれもおまえも、産まれたときから人生の大枠が決まっていた。だから親友になれたんだよな。おれは病気でさっさと死ぬことが決まっていたし、おまえは資本家の子供として成功することが決まっていた。それは観測され規定された事実だった。客観的には交わるところのないおれたちは、けれど運命に縛られているがゆえに仲良くなった。おれたちは当然のように出会って、当然のように仲良くなって、当然のように離れ離れになった。

 おれは寂しかったよ。おまえがどうだったかは分からないが。でも仕方ないと思っていたさ。おれたちはそういうシナリオのもとに生きているのだと思っていたから。おれたちの人生は確定されていて、変更の余地はないのだと思っていた。


 簡単に言おう。おれは証明した。

 いや、この手紙で証明する。

 おれの不確定性を。

 おれたちの可能性を。




 小学生のときおまえの家に遊びに行ったときはびっくりしたよ。だって馬鹿みたいにでけえんだから。日本にこんな土地があったのかって。けどそれよりびっくりしたのは、おまえが紹介してくれたテントウムシだった。


 おれはあの日のことを鮮明に覚えてるよ。

「ここのテントウムシは一瞬で色を変えるんだ。ここを通るたび、赤色と黄色の数が違うんだよ」

 おまえは得意げにそう言って、おれにひとつの証明を試みた。

 バカみたいにでかい庭園をとびまわる赤色と黄色のテントウムシたち。数百匹はくだらないそいつらの中から赤色だけを十匹あつめて、虫かごに入れる。それから、それを布で覆って見えないようにする。おまえはこれで色が変わるんだといって、一日遊んでから布を取った。もちろんそこには赤色のテントウムシが十匹いた。おまえは不思議そうに、こんなはずじゃないといっていた。おれはもちろん、目の前の現実よりおまえの言葉を信じたよ。なんなら、おれはそのときからずっとおまえが正しいと確信している。だから、結局おまえが一度たりともその証明に成功しなかったことが不思議でならなかったんだ。

 あとでおまえの家の家政婦に言われたよ。おまえはテントウムシの色が変わると言うが、他の誰もそんなことは思っていないと。その家政婦はおまえを信じて可能な限り数えてみたらしいが、テントウムシの数は変わっていなかったらしい。


 それからなんども証明を試みたよな。二人とも後ろを向く。一日置いてみる。地中に埋める。金庫の中に入れてみる。おまえはありとあらゆる方法でおれたちの観測範囲からテントウムシを消そうとしたように見えた。だがうまくいかなかった。おまえは一人でも証明しようとしたが、それも成功しなかった。おまえは最初の自信を失ったのか、いつしか証明の試みをやめてしまった。

 だから、おまえからもらったテントウムシのことなんて、すっかり忘れてたよ。おまえは東京の大学にいって、おれは地元の大学病院にいって、それから2年経ったくらいのころだ。おれはもう生きて家に戻れないかもしれないと医者にいわれて、親に部屋を片付けるよう頼んだんだ。そこで見つけたんだとさ。虫かごのなかを元気に飛び回るテントウムシを。赤色が四匹で、黄色が六匹だった。ずいぶんびっくりしたらしい。だって虫かごは押入れのおくのほうに埋もれてひしゃげていたんだから。


 そのとき決めたんだよ。おれの人生の残りは、このテントウムシを証明するために使うって。おれは親に頼みこんで、テントウムシを病院に持ってきてもらった。そのかわり、ちゃんと密閉できる虫かごに入れることにはなったが。


 おれはまずテントウムシを隠してみた。変わらない。

 目をぎゅっとつぶる。変わらない。

 親にいちど持って帰ってもらう。変わらない。

 看護師に隠してもらう。変わらない。

 じっと見つめ続ける。変わらない。

 テントウムシをカメラ越しに見る。変わらない。

 撮影した映像を後から見る。変わらない。

 変わらない。変わらない。

 確かに変わったはずなんだ。あのときのお前の気持ちが手に取るようにわかったよ。

 同じことを何度も試したが、テントウムシの色が変わる気配はなかった。焦ったよ。おれの寿命とテントウムシ、どちらが先に折れるかの勝負だと思ってた。

 それに、看護師に散々テントウムシの色が変わると主張したせいで、おれはカウンセリングまで受けなきゃいけなくなった。おれはまったく正気だっていうのに。異常者として扱われたくなかったから、おれはテントウムシのことを他の人間に喋らなくなった。

 その日おれはテントウムシの証明に夢中で、看護師が部屋にきていることにまったく気が付いていなかった。声をかけられたときとっさに虫かごを隠したが、フタを閉めそこねた。カウンセリングで昆虫に興味なんてないと嘘をついて、帰ってきたおれはすぐに虫かごを確認した。テントウムシが十匹いてほっとしたが、よくみると赤色も黄色も五匹ずついて思わず叫んでしまった。看護師が飛んできたが、おれは精神科医と話をしたくなかったから何でもないと嘘をついた。


 それから何回かカゴのフタを開けて実験してみたが、テントウムシの色は面白いくらいに変わった。記録をつけると色の分布は二項分布に近くて、つまり各テントウムシは二分の一で赤、二分の一で黄色になる独立同分布の試行だと考えられる。量子コンピュータで用いられる量子ビットの初期値と同じだ。

 つまるところ量子ビットなんだよこいつらは。観測されていないと「赤」と「黄」の重ね合わせに戻り、観測されたときにどちらかに確定する。以後観測されている限り色を変えない。おまえはやっぱり正しかったんだ。

 分からないのは、何をもって「観測」とするのかだ。そもそもホモ・サピエンスだけが観測者であると考えるのも無理がある気がするが、ひとまず観測者はおれということにしよう。

 おれは虫かごのフタとテントウムシの変色を説明する仮説を思いついた。それが、「こいつらは、任意の時点において、未来のおれに、あるいは光速で到達可能な範囲内のおれに観測されることができる」という説だ。

 たとえばこいつらを密閉した虫かごに入れる。するとこいつらは外に出られないから、おれはどれだけ目を離してもこいつらが同一の集団だと判別することができる。一時間後のおれが虫かごをみると、実質的にその一時間のあいだの「すべての」テントウムシを観測したことになる。撮影もこれと同じだ。

 あるいは虫かごをカメラでモニターして、おれは別の部屋からそれを見る。これでもテントウムシは観測されることになる。おれという観測者が光速範囲内にいると、もしおれがテントウムシの量子的な変化にたいして適切な受容器を備えていれば、観測しているという扱いになるわけだ。

 おまえの前でテントウムシが色を変えたのは、テントウムシたちが放し飼いにされていたからだろう。おまえは数百匹のテントウムシをざっとみて、赤と黄色の数を把握していた。カメラにもうつっていない誰も見ていない状態のとき、庭園のテントウムシたちは真に観測されていなかった。だから変化したんだ。おまえはなんども証明を試みたが、それがだめだった。おれの仮説では、こいつらは「変化したときに変化したことが観測されてしまう」状態だと変化しない。

 簡単にいえば、このテントウムシは、証明不可能な場合においてしか変化しない。


 だがそうなるとこの仮説はとうぜん証明不可能ということになる。それに反証可能性もないから、学術的な仮説としても不適格だ。

 おれは虫かごを開けて放置しているのだから、テントウムシが入れ替わっている可能性もある。おまえが見た変化だって、たまたま視界に入るテントウムシが時々で違ったからという可能性もある。誰もこの主張を肯定できないし、否定できない。そんな主張に意味はない。ただおれが信じているというだけだ。

 おれは病院のベッドの上で、これを証明する方法をひたすら考えていた。

 そもそも観測されるとは何か? ホモ・サピエンスによって情報化されることをテントウムシが認識しているわけもないだろう。かといって、万物が観測者だとするならテントウムシはいつだって大気に観測されているから変化しないはずだ。では「誰も観測していないとき」というのは物理的にどう記述されるのか? 

 おれの仮説のとおりなら、このテントウムシは未来からの観測も認識している。つまり未来を見ていることになる。自分が赤色になるか黄色になるかで、未来に決定的な影響が及ぼされるかどうかを知っている。それを根拠にしているのではないか。おれはそう考えた。


 そこでおれは一つの実験をおもいついた。赤色になったテントウムシは密閉して、黄色になったテントウムシはふたたび量子的状態におかせる。これを繰り返して十匹すべてを赤色にし、それから色を変化させる。

 そうしたら、統計が明確にズレた。赤色が多いんだよ。明らかに平均は五匹じゃない。これはいくつかのテントウムシが変化していないってことだ。おれはなにもしていないにもかかわらず、テントウムシは何かの「観測」を感じ取ったということになる。


 おれは謎の核心に迫っている気がして、いてもたってもいられなくなった。気がつけば余命なんかよりもテントウムシのほうがよっぽど大事になっていた。そんなある日、急にテントウムシが変化しなくなった。フタを開けても俺が眠っても変わらないし、親に持って帰ってもらっても変わらない。変わらない、変わらない、変わらない! 

 自暴自棄になったおれはテントウムシをベッドの上に置いて放置したが、それでもそいつらは変わらなかった。そいつらは飛び立ちもせず、ただそこに居るだけだった。

 死のうかと思ったよ。実際そのつもりだった。明日まで変わらなかったら死のうって。次の日になって、目が覚めたおれを出迎えたのは見知らぬ医者だった。

 それで、神妙な顔でこう言われたんだ。

「……なにか心当たりはあるかい?」

 それから一か月、いろんなやつがおれのところにきては首を傾げていた。驚いたよ。どうやらおれの病気はすっかり治ってしまったらしい。いや、そんなことはいいんだ。テントウムシだ。その間もテントウムシは赤色六匹・黄色四匹から変わらなかった。みんなが笑顔でおれを抱きしめたが、おれは何が楽しいのかわからなかった。


 しばらくして、おれは病院から蹴り出された。どうやらおれは、人生というものを謳歌しなければいけないらしい。なにもすることがなかったおれは、とりあえずテントウムシの変化を証明することにした。

 だが、テントウムシはそれから一度も変わらなかった。一度もだ。まるで待ち構えるおれをあざ笑うみたいだった。そんなことをしていたら親からの目も厳しくなった。仕方ないから専門大学にいって、バイトをして、職に就いて……ふつうの人生を歩もうとした。けどだめだった! 幼いころから死を待っていたおれには、人生ってものが分からなかった。みんなみんな、頭がいかれているんだよ。結局死ぬってのに、自分に時間をかけることのなにが楽しいんだ? おまえも言ってただろう。決められた道の上を歩くだけで、どうしてみんなあんな楽しそうなんだろう、って。

 思えば、病院にいたころのほうがよっぽど楽しかった。テントウムシについて考えるあの日々に戻りたい。おれには避けられない死が迫っていて、それまでにおれの手でテントウムシの秘密を暴かなきゃならない。そうして死にたい。おれは理想の死をそこに見たんだ。


 そこで気がついたんだよ。テントウムシは未来を見てるってことに。あいつらは二つの未来を見ている。色を変えた未来と、そのままの未来。そして色を変えた未来が「変わりすぎる」と判断したときは色を変えないんだ。証明可能かどうかってのは、あくまでわかりやすい指標でしかない。必要条件であって、十分条件でない。

 もちろん仮説だ。

 けれど、そうしたらすべてが説明できるんだ。赤色に偏った実験は、バタフライエフェクトを感知したといえる。あるテントウムシの変化は世界に対して影響を及ぼさないが、一センチ隣のテントウムシの変化はそうじゃないかもしれない。

 誰かが言ってただろう? ナチスドイツの悲劇を防ぐには、ヒトラーが生まれる一週間前にタイムリープして、たったひとつの電子のスピン状態を変えればいいって。

 テントウムシが証明不可能な場合でしか変化しなかったのもこれで説明がつく。もしも「他者に証明可能なかたちで」テントウムシが変身してしまったら、おれたちの人生は劇的に変わるだろう。おれたちがテントウムシを知りながらも運命に対して「決定的に」生きていたのは、それが決して自分の思い込みである可能性を排除できなかったからだ。そうだろう? それをおれたちが動画にでもしたら、科学はいったいどれだけの影響を受けるだろうか?

 おれやおまえの前でテントウムシが変化したのは、そのときのおれとおまえが「決定されていた」からだ。おれは死ぬ。おまえはテントウムシなんて関係のない成功をおさめる。おれたちの人生は決定されていたんだ。

 そして病気から快復したおれのまえでテントウムシが変身しなくなったのは、おれが可能性を持っているからだ。おれはいま、まだ決定されていない膨大な時間を持っている。いま仮にもテントウムシが量子的変化をみせたなら、おれはその証明にふたたび人生を費やそうとするだろう。

 この仮説が正しかったら? おれはもうテントウムシの変化をみれないかもしれないってことだ。おれの未来が開かれている限り、テントウムシはそれを恐れる。



 証明しよう。

 おれはいまこの手紙を書いて、それから死ぬ。

 正確には死を確定させる。ゆるやかに意識を失いながら死ぬ。

 おれは自分の仮説が正しいと確信している。このテントウムシは、おれたちの未来を見ている。もしもおれが結果にかかわらず死ぬのであれば、きっとテントウムシは変化してくれるはずだ。なぜならこの実験の結果はおれしか知らないし、そのおれは死ぬからだ。残念ながら結果を手紙に書くことはできない。もしもそれを手紙に書こうとすれば、テントウムシはそれを嫌って変化しないかもしれないからな。

 そしてテントウムシが変化したのなら、おれは可能性を持っていたということになる。死から逃れたおれは、未来を変えられる非決定的な存在だったということだ。

 おれは自分自身の可能性を殺すことでそれを証明する。






 きみは手紙を閉じる。

 きみは部下に指示して彼の死を確認する。

 真実を知りたいという欲求が君の胸に満ちる。だがきみは彼のように愚かではない。だからきみは決して行動しない。

 テントウムシは知っていたのだ。成功者となったきみが動かないことを。

 彼が病気から快復し、そして自死を選ぶことを。

 最期に彼の前でテントウムシが色を変えたのか、誰も知らない。


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