すれ違い

 篝が退院して2日後、葉月の両親が新年の挨拶をするため自宅を訪ねてきた。帰省中の葉月も一緒に来ると、事前に聞いていた。


 篝は未だに病気のことを葉月に打ち明けられていなかった。葉月の両親は篝から聞いているものだと思い、娘に対して特に何も言うこともなかったのだ。


 倒れる前に比べ体は細くなり、髪の毛はかなり抜けてしまっており、ウィッグをつけていた。遅くなりすぎてしまったが、葉月に打ち明けるチャンスだと、篝はそう思っていた。


 だが、肝心の葉月本人は来なかった。


「篝ちゃん、ごめんねぇ。葉月ったら、仕事の都合で昨日の夜に東京に戻っちゃったのよ。本人もだいぶ残念がってたけど、仕事だからしょうがないって割り切ってたわ…。」


「仕方ないですよ。新人教育係のリーダーやってるって言ってたし、準備で色々忙しいんだと思います。」


 葉月は社会人になってから、必ずお盆と年末年始は帰省し、必ず篝と会っていた。しかし今回は会えないまま帰ってしまった。


「『お盆は必ず帰ってくる』って言ってたから、それまで篝ちゃんの病気、少し良くなるといいんだけど――」


「はい……退院はしましたけど、まだ治療は続くので。葉月に元気な姿、見せられるように頑張ってきます!」


葉月にはまだのに、素直な思いだけは言えたのだった。


 だが、葉月の両親が帰ってから篝の本音が漏れた。


「葉月、そんなに仕事大変なのかな。今までそんなの、言ったことなかったのに。」


仕方ないと思う半分、大変さを信用しがたい半分…五分五分だ。


「……確かに。お盆の時も言ってなかったしね。」


 その後、葉月から篝宛に連絡が来た。


『今日行くはずだったんだけど、行けなくてごめん。職場の先輩から電話で呼び出しかかっちゃって…。就活の話、会って聞きたかったな。大学卒業したら、ゆっくり聞かせてください。』


葉月へは最終面接までいった、までしか話は進んでいなかった。彼女との時間は、篝が倒れた瞬間に止まってしまったようなもんだ。入院してから、連絡を取り合うのもなくなってしまったから。


(――本当は、休学中なんだよ……。)


葉月へまだ言えてなかったのを、今頃になって後悔し始めた篝だった。でも、一歩踏み出す勇気が、なかったのだ……。


☆☆☆


 翌日から通院治療が始まった篝だったが、葉月へ返事できず、来たメッセージをただ眺めることしかできなかった。毎日のように。


 そして2月に入ったある日、高熱を出しぐったりしている篝を職場から帰宅後の輪が発見した。激しい頭痛もあり篝は歩ける状態ではないため、輪が救急車を呼んだ。


――そのまま、再入院となった。


 病院で目を覚ました篝は、またに戻ってきてしまったんだと、ため息をついていた。


「……また、ここから頑張る。叔母ちゃん。」


「うん。さっき愛里加ちゃんにも連絡しといたから。そのうち会いに行きますって。通院の付き添い何回か頼んじゃってたし、お礼しとかないと。」


 篝に再び待ち受けていたのは、厳しい治療だ。病院の先生から告げられたのは、骨髄へ湿潤、つまり転移した……。痛み止めの効果が切れると、あちこち痛みが走るのだという。


 再入院後、初の週末。愛里加が訪ねてきた。篝は寝たきりだったが、顔色は良い方だ。


「愛里加ちゃん、いらっしゃい。また入院になっちゃったけど、篝ちゃんの通院付き添い何度かしてくれてありがとうね。」


「いいえ。就職先決まって、時間持て余してたんでお役に立てたのなら幸いです。篝ちゃん…急に悪化しちゃったんですね。」


「そうねぇ……。明日の仕事の準備あるから、私はここで失礼するね。」


輪が病室を出た後、篝が口を開いた。


「……愛里ちゃん。」


「何だい? 篝ちゃん?」


「実は、葉月にまだ、言えてなくて――」


輪の前では言い出せなくて、今まで黙っていたのだ。


 それでも、愛里加は驚くような仕草を見せることはなかったが。


「あら、そんなこと気にしてたのか。年末年始に会えたんじゃなかったん?」


「ううん。職場の先輩から呼び出し食らって、予定より2日早く帰ったってさ。」


「仕事できる奴は違うなぁ……。めちゃくちゃ頼りにされてるってことじゃん。」


 篝の表情は暗かった。


「約束を果たすどころか、このままだと、私は――」


「篝ちゃん。1人じゃないよ。叔母様もいるし私もいる。だから、頑張ろう。葉月ちゃん、成長した篝ちゃんに会えることを信じて、仕事頑張ってるんだし。」


ベッドのそばにあるたんすから、愛里加が篝の茶道道具を取り出す。


「……持てるかい?」


篝は愛里加から道具を慎重に受け取った。


「頑張る。絶対に、乗り越える…!」


篝のこのセリフを聞いて、愛里加もひと安心だ。


 この頃大学は、全ての講義が終わり春休みに入っている。輪のほか愛里加や祖父母、紅音達ゼミメンバー…誰かしら篝に会いに来るようになってきたから、日々の辛い治療も乗り越えられてきた。


 このままなら奇跡を起こせる、篝はそう思っていた。


☆☆☆


 3月に入り、大学の卒業式の時期。休学という措置のまま、篝は卒業できなかった。晴れ着を着て会いに来た愛里加や紅音達に対して、羨ましく思っていた篝。それでも、病気を治して1からやり直すつもりで毎日闘っていた。


 篝がそばにいつも置いてあったのは、私物の茶道道具だった。葉月が誕生日プレゼントとして渡してくれたものだ。体が動きそうな時だけ、手に取って眺めていた。


 次第に、抗がん剤の効きが鈍くなってきた。4月になり新年度を迎えると、愛里加や紅音達は入社しそれぞれの道を行き、お見舞いに来れなくなっていた。1人でいることが多くなった篝の病状は、悪化していく一方だった――

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