第2話

 およねの母おようは二階から急ぎ足で下りてくるなり、玄関わきに陣取る番頭の嘉兵衛にむかって声をかけた。


 「あのさ、ちょいとね……」

 そわそわして落ち着きがなさげだが、胸に飼い猫など抱いているところをみると、

大したことはないらしい。

 「へえ、おかみさん、なんざんしょ?」


 この呉服屋に奉公して二十年、嘉兵衛は、おようからこんなふうに含みのある問われ方をしたことがなかった。


 いつも、ああしてこうしてっていう調子だったから、おようが今胸にかかえるものの重みを感じてしまう。

 おようの息が荒い。

 嘉兵衛は心ちゅう穏やかでないが、つとめて平静をよそおう。


 「お、およねを見かけなかったっけ」

 おようは嘉兵衛のそばに寄り、小声で問う。

 「こいさん、どすか?見いしまへん」

 当然ながら、嘉兵衛の返事も小さくなる。


 「そうかえ……」

 「あっそうそう、そういえば朝のうちはいやはりましたようで、うち庭をぼんやり眺めはって……、でもお昼過ぎはお支度を替えてしまいはって」

 「やっぱり……」

 おようはふと表情を曇らせた。しかし、すぐにお歯黒を嘉兵衛に見せまいと唇をかみしめた。


 「ちょっとこっち来てくれるかい」

 おようは嘉兵衛を奥の間へとさそう。

 「何か大事でも?」

 「いや、そんなことでもあらへんけどな。とにかくあの子見つけたら、わてに知らせてくれるかえ」

 「へえそらもう、そうします」


 (母と娘のこと。肉親でないとわからないことがある。だが、他人には正直に告げてもらわないと困る。万に一つでも、こいさんの身に、何か具合のわるいことでも起きたら取り返しがつかない)

 嘉兵衛はため息を吐いた。

 

 この家の主人、およねの父吉兵衛は、栃木では呉服を取り扱う商人として名高い。  栃木生まれの父、芳太郎は早逝したものの、祖父、富八の出自は近江のほとりであた。やはり呉服屋の次男として生を受けている。


 冨八は若いうちに上方に出た。織物に染物にと幅広く手を伸ばして財をなした。富八と野州との縁はたまたまのことで商売の都合で江戸に出ていたとき、そこで栃木の材木問屋、亦左衛門と知り合いになったが、彼もなんと近江とは縁が深かった。


 「どうです、あんさん、うちの娘もろうてくださりますか?うちの親父も近江からでてますしね。娘は栃木小町いうてね、みなさんに慕われてます。あんただったら文句のつけようがありませんし……」


 「江戸より北ですし、寒いとこですやろ。わたしはどうも……」

 「からっ風でね、そら寒おますけど、もうかりますよ。商人が多い町やし、銭もうけてあったかくならはったらよろしおます」


 富八は、亦左衛門の歯切れのいい口調と大黒様のごとき笑顔に魅かれてしまい、連れだって、巴波川をのぼってきたのである。

 そうして生まれた子が芳太郎。

 吉兵衛は、芳太郎のひとり息子、冨八の孫にあたる。 


 なんだって仕切りたがった冨八。

 彼の上方気質を受け継いでか、この店ではしばしば言葉がなまる。

 

 

 

 

 


 

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