第16話 ご挨拶

第十六話 ご挨拶



「む、娘さんを私にください……!」


 何十回と予行練習をして万全を期したはずの私が、いざ本番で出した言葉がそれだった。台本を読み込んだ舞台女優かのような気持ちで挑んだのに、お母さまを前にして慌てふためいた私は、ど定番の台詞しか浮かばなくなってしまったのだ。これではただの大根女優である。


 茉莉ちゃん家の玄関を上がった先で。私は廊下に這いつくばるようにして頭を下げていた。

 裕福である茉莉ちゃん邸は、いかにもな豪邸、というわけではなく、住宅街に普通に溶け込んでいる綺麗な一軒家だ。まあ、一般家庭と比べると、大きいほうではあるけれど。新築ではないし、お引越ししたばかりってこともあってか、周囲と比較しても目立っているわけではない。

 

 広々とした廊下なので、土下座スタイルをさらけ出していると寒々しさを感じる。うぅ、新手の拷問なのかもしれない。茉莉ちゃんも、私の情けない姿を見て笑いたかったに違いないよね……。


 私の頭上をかすめていったのは、呆れ返ったような溜め息だった。

 それがお母さまのものだったならば、すぐに回れ右をして逃げ出していただろう。が、犯人は茉莉ちゃんだ。お母さまと一緒になって私を見下ろしている状況なので、溜め息が出てしまったのだろう。笑われたほうがましだったかもしれない。


「おねーさん、ガチガチになりすぎでしょ。ね、お母さん、この人はこんな風にビビりだけど真面目な人なんだよ。ちょっと頼りないけど、悪い人じゃないでしょ?」


 茉莉ちゃん、私を一生懸命フォローしてくれている。天使なのかな? 悪魔は引退しちゃったのかな?

 対象的に、お母さまは息一つ漏らさないくらいに静かだ。うぅ。顔をあげるのが怖い。だって、よくよく考えたら、29歳近いおばさんが唐突に現れて、高校生の娘さんを私にください、だなんて。とんでもないことだ。いきなり警察を呼ばれてもおかしくはない。というか、面識がなかったら、確実にされている。


「悪い人じゃないってことはわかってるわ。ただ、意外だな、って。遠野さん、寮でお会いしたときは落ち着いた大人の女性かと思っていたから」


 うぅ。じゃあ、今の私は落ち着きのないただのおばさんなんだ……。第一声が娘さんをください、だし。当然の反応ではあるが。


「で、お母さん、どーなの? お母さん的に、おねーさんの点数はどれくらい?」


「う~ん、そうねぇ……。茉莉にとっても私にとっても気心の知れた相手ではあるから……。今は多様性の時代なんでしょう? 私はいいけれど、お父さんはなんて言うか……」


「ほんと? ほら、おねーさん、お母さんはいいってさ」


 茉莉ちゃんに話を振られて、びくっと体が震えてしまった。

 判決を待つ罪人のような気分になってしまっていた……危ない危ない。

 でも、まさかお母さま、即断即決してくれるとは。下手したら罵声を浴びせられる覚悟はしていたから、ほっとする。まあ、茉莉ちゃんのお母さまが、汚い言葉を吐くとも思えないけど。遠回しに敬遠されるかな、とは思っていた。私のラインをチェックしたり、茉莉ちゃんに行動制限をかけていたくらいだから。けっこう警戒されているのかな、って不安だったのだ。だから、すんなり承諾してくれたことは、想定外ではある。


「す、すみません、お母さま。お預かりしていた娘さんと親しい間柄になってしまって……」


 私の暴走していた脳みそもまともに機能し始めたのか、ようやく普通に会話をすることができた。茉莉ちゃんのお母さまは、私をリビングにまで手招いてくれて、ソファで対面することとなる。リビングも家政婦さんがいないと掃除が大変そうな広さで、母娘の二人暮らしだと持て余しそうだなあ、って勝手な感想が出てきた。


「そうねぇ。茉莉のお相手は大変でしょう? それと、うちの夫は海外からなかなか帰ってこれませんが、夫は頭が固いところあると思うので、説得、頑張ってくださいね」


 私、お父さまにもご挨拶しないといけないの!? 試練が増えたんですけど……。頭が固いなんて聞かされたら、私のへっぽこっぷりじゃ、到底説得できない気がするが……。頑張るしかないか……。


「お母さんが認めてくれたんだし、お父さんの許可は別にいらないじゃん。それに、お母さんだって頭固かったくせに」


 え、そうだったのか。普通に考えて、茉莉ちゃんに制限をかけていたりしたんだから、もともとは頭が固かったってことか。でも、どうして心変わりをしたのだろうか。多様性、色々調べたりして許容するようになったのかな。


「茉莉が、毎日のように説得してきたからね。それに、遠野さんも茉莉とは清いお付き合いをしていて、辛抱強いみたいだったから。信用してもいいと思えたのよ」


「へぇ……茉莉ちゃん、説得してくれてたんだ? 茉莉ちゃん、おうちのこととか喋ってくれないし、どんな風にお母さまを説得していたのか気になっちゃうわ」


 すると、茉莉ちゃんは、頬を染めながらお母さまを睨み上げた。余計なことは言うなよ、って圧をかけているらしい。が、そこは家族の絆があるお母さまである。プレッシャーなんて微塵みじんも感じていないようだった。


「ふふ、そうねぇ。では、茉莉のことについて雑談でもしましょうか、遠野さん」


 お母さまは長話でもしてくれるつもりなのか、キッチンにいってお茶の準備を始めてしまった。私、ご挨拶に来たから菓子折りを用意したけれど、早速使ってくれるらしい。

 茉莉ちゃんはといえば、自分の話で盛り上がるのが恥ずかしいのか、頬を膨らませて不服そうにしている。

 

 お母さまとは、茉莉ちゃんと旅行に行った際も、電話で語り合っちゃったし。茉莉ちゃんという共通の話題があるから、盛り上がれる気はする。

 お茶を待っている間、茉莉ちゃんは席を立ち上がり、自然と私の隣に座ってきた。


 う……。そのさり気ない移動、ドキドキしちゃう。私の隣がいいってことだよね。それに、お母さまにも認めてもらえたし。暫定ざんてい的に、親公認だ。イチャイチャ、していいんだよね?


「クリスマスとかお正月は一緒に過ごせそうでよかったね、おねーさん。二人っきりってなると、まだ先になりそうだけど」


 茉莉ちゃん、私をからかいたいのか、八重歯き出しの意地悪な笑みで言ってくる。といっても、ほんのり赤くなったほっぺたが、彼女自身も喜んでいるのを現していた。先週、茉莉ちゃんの本心をうかがったからか、すべての行動が愛おしいな。照れ隠しとかけっこうしているっぽいし。


「二人っきりは、それこそ茉莉ちゃんが成人してから、かしらね?」


「どうだろうねー。大学生になれば許してもらえるかな?」


「それじゃあ、後3年間ね。茉莉ちゃは、我慢できそう?」


「おねーさんこそ、浮気しちゃうんじゃないの?」


「私は、茉莉ちゃんがいてくれるならしません」


 茉莉ちゃん、私が星梨せいなさんと会っていたの、よほど根に持っているようだ。茉莉ちゃん側に事情があったとはいえ、私だって辛い時期だったのだから、もう掘り返さないで欲しいのだけど。


「まあ、週1くらいでは会ってあげられるよ。おねーさんがうちに来てもいいしね。だから、3年なんてあっという間でしょ」


 3年なんてあっという間。

 30歳が近い私からしたら、時の流れは早く感じるようになったけれど、茉莉ちゃんにしてみればどうだろうか。


 感想を聞いてみたいところだ。

 が。事実、3年はあっという間に過ぎていった……。

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