第12話 底

第十二話 底



「はぁ……」


 め息、増えたなぁ。

 秋が到来し、冬も近づいてきた日の朝。

 玄関を掃き掃除しながら学生さんたちを見送ると、ついつい溜め息が出てしまったのだ。


 ……わかっている。物憂ものうげになってばかりだと、預かっている学生さんたちが心配してしまうって。

 けれど、時すでに遅し。茉莉ちゃんと離れ離れになって、はや二ヶ月。管理人さん元気ないね、と学生さんたちに声をかけられてしまう事案が頻発ひんぱつしていた。


 茉莉ちゃんという生活の一部を失った私は、日に日に弱っていた。つがいを失った動物は弱っていくって話を耳にしたことがあるが、今ならすごく共感できる。


「茉莉ちゃんからメッセージ来てないかしら」


 そして、スマホを数分置きにチェックするのもくせになっていた。

 もう中毒レベル。下手したら1分も経っていないのにスマホを見てしまう。いやまあ前々からスマホはソシャゲのためにちょくちょくいじってはいたけれど、それをはるかに凌駕りょうがするレベルだ。


「来てないかぁ……」


 授業が始まっている時間帯に茉莉ちゃんから連絡が来ているはずもなく。私は、またもや溜め息をついて、肩を落としてしまうのだった。


 重症だよね……。

 茉莉ちゃんと出会う前には、考えられなかったことだ。


 私は、20代後半にもなって恋人がいたこともなかった。孤独なのが当たり前だと思ってた。

 けれど、茉莉ちゃんっていう希望を手にしてしまったのだ。一度幸せを得てしまうと、失ったときの反動が大きいなんて予測できなかった。まあ。失った、は大げさだけど。茉莉ちゃん、きちんとラインはくれるしね。


「……次の土日、会いに行ってもいいかなぁ……」


 茉莉ちゃん、お引越しのゴタゴタやら、新しい学校に慣れるために忙しそうにしていた。だから、会いに行くのは遠慮していたのだけれど、もう二ヶ月も経過しているし、そろそろいいよね……?

 さっきラインを送ったばっかりだけど、また送ってみようかな。それとも、返事が来てからにしようかな。


 私は、茉莉ちゃんとのラインだけが生きがいになりつつあった。





******



「ライン、送りすぎなのかなぁ……」


 学生さんたちと違って、日中は暇なことが多い私。

 もちろん、寮の管理に時間をついやすこともあるけれど、部屋でゴロゴロしている割合のほうが多数を占めていた。


 なので、スマホを触ってばかりだ。

 

 茉莉ちゃんに、しばらくは会えないって断られてから、さらに月日が経ち。

 もうそろそろ年をまたぎそうな季節になっていた。年末といえば、イベントごとは目白押し。

 さすがに、恋人同士なのだから初詣とかは行きたいよね。クリスマスだって一緒に過ごせなかったんだし。


 彼女ができたら、クリスマスケーキを一緒に食べたい、ってずっと願ってた。初詣だって同じ。

 けれど、まだその望みは叶わないらしい。


 むしろ、茉莉ちゃんとのラインや電話、頻度ひんどが下がっていた。

 ていうか、私がしたがりなだけであって、茉莉ちゃんにしてみれば通常ペースなのかもしれないけれど。


 私は、寂しさがぽつぽつと蓄積していた。決して消えることのないそれは、目に見えないゲージがだんだんと溜まっていくかのようだ。もしも寂しさの容量がマックスになったとき、私は一体どうなってしまうのか。


 あーあ。茉莉ちゃんが会ってくれたら、一発で帳消しになるんだけどなあ。





******



 茉莉ちゃんは、私のことなんてどうでもよくなってしまったのだろうか。


 時は流れ、新年度を迎えようとしていた。


 茉莉ちゃんと唯一の繋がりであるラインは、私の独り言のような状態になってしまっていた。


 茉莉ちゃんいわく、受験勉強を早めに頑張りたい、とのことで、ラインができないの、納得せざるを得なかったのだけど。

 相手の顔も見えない、声も聞こえない。文字だけの関係だと、不満がつのる一方であった。贅沢ぜいたくだったのかな。


 が、それすらも少なくなってくると、私もだんだんと生きることが辛くなってきてしまった。

 まるで、茉莉ちゃんが私の生命力だったかのようだ。

 お仕事以外では、部屋で寝転がっているだけの生活。何のやる気も湧かなくなってきてしまっていた。


「茉莉ちゃん、意地悪で放置プレイとかしているのかな……」


 脳裏に浮かぶのは、あの小悪魔めいた茉莉ちゃんの笑顔。

 ああ、会いたいな……。


 それとも、私と距離を置いたことで、私のことなんて忘れてしまったのかな。

 茉莉ちゃん、お友だち作るの上手だったし。誰でも振り返るような美少女なのだから、新しい恋をしてしまったとしても何も不自然ではない。学生さんなのだから、若い女の子、よりどりみどりだろうからね。ううん、普通に男性を好きになる可能性だって高い……。いや、それを考えると胸が苦しくなって、動悸がする。

 でも、もしも事実なのだとしたら、私のことが鬱陶うっとうしくなるのも道理どうりだ。


 今考え事をしても、マイナスなことしか浮かんでこない。

 気分転換をしようにも……何をやっても、悲しさが浮上してくるだけだった。


 別に、私に飽きてしまったのなら、それでいい。よくはないんだけど、せめて、茉莉ちゃんの口からはっきり言って欲しかった。

 自然消滅みたいなのは嫌だ。


「茉莉ちゃんは、どうしたいのですか? 電話で聞かせてください、っと……」


 メッセージを送ってみたけれど、既読がつくのはいつになるだろうか。

 茉莉ちゃん、もう受験生だしなあ。

 もし、お勉強を頑張っているのならば、今年一年は邪魔できないだろう。

 

 今は彼女を信じて、応援だけしていればいいのかなぁ……。


 茉莉ちゃんに試されているのかも、忘れられているのかも、勉強を頑張っているのかも、何もかもわからない。

 わからないまま、時間だけが過ぎていった。





******



 私の存在意義は何だったのだろうか。

 この一年、茉莉ちゃんと交わした会話はごくわずかだった。


 何を聞いても、もうちょっと待って、と返されるばかり。待つのにだって限界がある。

 

 だって、茉莉ちゃん、先日、受験が終わったはずだ。全国で高校受験が終わるシーズンを迎えたのはチェック済み。だったら、真っ先に私に報告してくれてもいいのに。

 

 待っていることに疲れ切った私は、絶望を通り過ぎ去り、逆に達観していた。悟りを開いた感じだろうか。

 ……もう茉莉ちゃんのことなんて知らない。私だって、忘れてやるんだから。


 が、忘れる、といってもそう単純なものではない。

 私の体に刻み込まれた"唇の温かさ"は、覚えるとか覚えないってレベルじゃなく、私を構成する遺伝子に記憶されるほどの代物だ。

 

 端的たんてきに言って、人の温かさ……ううん。女の子の温かさ、柔らかさ、甘い匂い……全部が恋しいです。一度味を覚えてしまったせいで、私は貪欲どんよくになっていた。


 夜中、自室で布団にくるまりながら、新しい春を探す。

 だって、今は3月。出会いと別れの季節だもんね。

 女を知った私は、もしかしたら積極性も増したのかもしれない。経験を得たことにより、自分でも知らぬうちにレベルがアップしていたみたいだ。


 恋人がいなくて、まともに女性と恋愛話をできなかった過去の私とは違う。い、今なら、色んな子とデートだって、できるはず! 誘い文句だって、ささやけるはず! ……囁いたこと、ないけど。でも、できる気がしてならないのだ。


 だから私は、昔、利用しようとしたけれど、臆病おくびょう風に吹かれて利用できなかった女性同士の出会い系サイトを開いていた。


 ドキドキする。この掲示板を使っている子たちは、みんな出会いを求めているんだ。

 以前の私はどうしてビビっていたのか、疑問でしかない。選び放題じゃない。


 私が閲覧しているサイトは、会員制の安全なサイトで、顔写真だって交換できる。私好みの女性も、ちらほら見受けられた。

 ……私が頑張れば、この女性たちと、デートとか、体の関係が……。ごくり。


 私は一人、布団の中で生唾を飲み込んだ。


 ……相手を選ぶときは慎重にならないとね。未成年はサイトを利用できないはずだから、大丈夫だとは思うけど。なるべく大人な顔立ちの人にしたい。未成年の子は怖い。色んな意味で。トラウマになっている感じだ。


「……えっと……星梨せいなさん? って人に送ってみようかな……。私の写真、問題無いといいけど……」


 星梨さんは、23歳、カフェの店員さんらしい。大人しそうで、物腰やわらかそうで、気が合いそうだと思った。

 23歳でも5つも年下かあ。年下に免疫めんえきがついたとはいえ、30歳が近い私だ。不安に駆られる。受け入れてもらえるかどうかなんて、相手次第だし……。


 ひとまず、当たりさわりないメッセージを送ってみた。

 もしかしたら、ガツガツ攻めた文章のほうがいいのかもだけど、さすがに出会い系サイトの経験値は皆無だ。慣れていくしかないのかも。


「返事、来るといいな……」


 ちょっとドキドキしてきた。

 知らない女の人に自分から積極的にメッセージして、返事待つの、恋してる気分に似てるかも。

 私、からを破れたような気がした。


 返信が気になって眠れる気配はなかったけれど、返ってくる保証もないし、気にしないのが一番なのだが。私は気になってしまったら、目が冴えてしまってソワソワしてしまうたちなのだ。ついついスマホを見てしまう。

 ……茉莉ちゃんがいたときは、そのついでにメッセージを送ってしまっていたわけだけど、鬱陶しかったのだろうなぁ。


 違う違う。茉莉ちゃんを忘れるために出会いを求めているのに、思い出してどうするんだ。


 目をギラつかせていても、返事が早く来るわけでもない。

 私は、ふぅ、っと吐息をついて、自分を落ち着かせた。

 同じ過ちだけは、繰り返さないようにせねば……。もしも、また相手に距離を置かれるような別れ方をされたら、私の精神のほうが壊れてしまうかもしれない。そうなるかもしれないのに、人肌を求めてしまう。愛してくれる相手がいるのって、素晴らしいことなのだ。女性からの愛に飢えてしまうのも無理はない。


 次の日、寝不足気味だった私は、朝から寮のお掃除に奔走ほんそうしていた。

 新学期の季節だから。新しい寮生さんたちのためにも、気持ちの良い空間を保っていなければならない。


 今日も一日頑張ろう、って今まで落ち込んでいた分を切り替えるかのように、よしっ、と掛け声をかけてスイッチを入れる。

 すると、スマホには星梨さんからのメッセージが来ていた。


『優しそうでお綺麗な方が声をかけてくれてよかったです。実は、誰からもメッセージが届いてこないので退会も考えていました。冬花さんのような女性に出会えて運命を感じています』


 とのことだった。

 なんか、容姿を褒められると、こそばゆくなっちゃう。

 私、新しい春が到来した!?


 今日のお仕事には、上機嫌で取りかかれそうだ。

 その前に、返信しておかなくっちゃ。


 私と星梨さんは、すぐに意気投合することができた。

 同性愛者は、お相手を見つけることが大変。なので、ふとしたきっかけで知り合えると、急速に仲が縮まるらしい。

 私は、恋愛経験が少ないので実感したことがなかったけれど、ようやくその理論を理解することができた。


 星梨さんいわく、出会い系サイトはそこそこ使っているらしいけれど、やはり望んだ相手は見つかりにくいらしい。ゼロってわけではなかったらしいが、詳しくただそうとすると心がモヤモヤしそうになったので、踏み込まないでおいた。


 そして来週、早速会ってみることになった。何度か電話でお喋りもしたけれど、私の予想通り、おっとりとしていて穏やかそうな女性だ。どちらかといえば、私も星梨さんタイプの人間なので、二人で会話するとのんびりとしたものになって、まるでお花畑でお喋りしている気分になったものだ。しかも、年齢が上でも気にしないって言ってくれたし、いいお相手見つけられたかも。


 私だって、新しい恋、見つけられるんだから。

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