第11話 忘れることは無理

第十一話 忘れることは無理



「え、えっと……。茉莉まつりちゃんは、いつから知ってたの?」


 茉莉ちゃんが小春荘こはるそうを去る。

 その連絡をお母さまから受けた私は、気づいたら茉莉ちゃんの部屋にいた。

 

 どういった流れで茉莉ちゃんの部屋に入ったのか覚えていない。まるで瞬間移動でもしたかのようだ。

 ……私は記憶が忘却するほど錯乱さくらんしてしまったのだ。お母さまとの電話で何も失言していなければいいけど、記憶にないのだから確かめようもなかった。

 

「んー……旅行した日」


 茉莉ちゃんの室内は、いつでも引っ越しが可能だ、といわんばかりにすっからかん。つまり、茉莉ちゃんは、すぐさま寮を去れるように準備していたのである。そこもまた、現実を突きつけられているような気がして、心に冷たい刃が刺さったような感覚が去来した。


 今は、残った調度品である寮の備品テーブルで、向かい合っている状態だ。

 対面している茉莉ちゃんも、ねているような、不満そうな、打ちひしがれているような、なんともいえない切ない表情を浮かべていた。茉莉ちゃんとも付き合いは長くなってきたが、初めて見る顔だ。

 

 私、もしかして、恋人である茉莉ちゃんに八つ当たりしていたのだろうか。だとしたら、最低な大人だ。茉莉ちゃんなんて、まだたったの13歳。親に引っ越しを提案されて、それを跳ね除けられるほどの力を持っていないのに。いっぱい悩んでいたかもしれないのに。

 でも、言い出しにくいことではあっただろうが、私に相談してくれなかったことも、悲しいことではある……。


 といっても、落ち込んでいるのは私だけではなく、茉莉ちゃんも同じ。こういうときこそ、大人の私がしっかりしないと。茉莉ちゃんのおかげで、冷静になることができた。


「じゃあ、茉莉ちゃんはずっと知っていたのね……。それで、お引越しはいつになりそうなの?」


「夏休みの終わり頃にはするって言ってた」


 茉莉ちゃん、精神的にかなり参っているようだ。

 私とは目も合わせてくれない。だから、彼女をいたわるべく、なるべく責めていると思われないように、優しく包んであげるようなニュアンスで語りかける。


 昨日までは、元気そうだったのになあ……。私、茉莉ちゃんの内面に気づいてあげられなかった。恋人、失格だろうか。

 何かSOSのサインは出していたかな……。


 よくよく思い返してみると、不審な点はあったのかもしれない。


「じゃあ、もしかして茉莉ちゃん、旅行のとき、私と思い出を作りたくって必死だった……?」


「別に。そんなんじゃないけど」


 茉莉ちゃんは態度を変えることなく、そっぽを向いている。でも、そこはかとなく頬が赤い気がする。普通だったら見逃してしまいそうな変化だけど、恋人である私なら、しっかりとキャッチできた。そんなところばかり敏感でどうするんだ……。


 やっぱり、旅行中に茉莉ちゃんが妙に積極的で、えっちをせがんでいるような気がしたのは、私と一夏の思い出づくりだったみたいだ。

 うう。嬉しいやら情けないやら。私、中学生の女の子に、どれだけ無理をさせていたんだ。


「ねぇ、ごめんね、茉莉ちゃん。私、茉莉ちゃんの気持ちにこたえるの、遅くなっちゃった。本当にギリギリまで踏み込むことができなかったの情けない、って思ってる。夏休み、もっといっぱい思い出作れたかもしれなかったのにね。……でも、これから、思い出いっぱい作っていけば、いいよね……?」


 私には友だちも恋人もいなかったため、どうやって落ち込んでいる人間を慰めればいいのかわからない。だから、自分の気持ちを包み隠さず伝え、思うがままに行動してみた。


 茉莉ちゃんの隣に寄り添う。そして、肩を抱いて、彼女の体温を感じた。

 旅行のときにも同じことを思ったけど、抱いてみるとよくわかる。茉莉ちゃん、ほんとに中学生の体つきで、触れただけで壊れてしまいそうな細さをしている。特に、弱っている現状では、より繊細せんさいに扱ってあげないといけないんだって思わされた。


「ほんとだよねー、おねーさん、あれだけあたしが体張ったのにキスだけだもんねー。あたし、ずっとおねーさんに言い寄ってたのになー?」


 茉莉ちゃんの肩をポンポンと叩いていると、不意に顔をガバっとあげてきて、私を見つめてくる。幼いけれど、お人形のような白い肌と、端正な顔。金色の前髪が揺れると、私なんかの手が届かない世界に住んでいるかのような、はかなげな印象が強まった。

 

 茉莉ちゃんをしげしげと眺めてみるが、私の憶測よりかは元気そうで安心した。私に言葉を叩きつけることで元気が出てくれるのなら、いくらでもそうしてもらいたい。


「で、でも、茉莉ちゃん、最初の頃はえっちなことしてあげない、って言ってたし。だから、私のこと、からかって遊びたいだけなのかな、って思ってたのもあって……」


 うぅ……。早口で言い訳しかできない。

 私、ずっと、自分のことでいっぱいいっぱいだったんだよね……。年の差で犯罪になることばっかり気にして。それに、茉莉ちゃんが私のことを、からかっているだけかも、と思ってたのは本当だし。まあ、犯罪にビビっているのは今もそうなのかもだけど。手を出さないことは、大事。


「ほんとひどいよね、あたし、真面目だったのにさ。でもでも、おねーさん、あたしとえっちしたいの、ずっと我慢してたって白状してくれたしね? 今はそれでいいや」


「茉莉ちゃん、かなり際どく誘惑してくるし、顔は可愛いし、ドキドキしながら我慢するのは当たり前じゃない……。女の子のことが好きなのバレてるのもあって。焦っちゃう私のこといじって遊んでるだけかな、ってずっと思ってた……」


 茉莉ちゃん、私が情けない姿を披露すると、心底嬉しいのか、にんまりしてくれる。可愛すぎて、抱きしめてキスでもしたくなる。

 けど、今は真面目な話し合いの途中だしなあ……今するの、はばかられる。いや、してあげたほうが落ち着かせてあげられる、とかあるかな? キスすらも即断即決できないの、私ダメ人間だ。犯罪にビビってたほうがまだマシかも。


「……おねーさん、やらしー」


「あっ、ご、ごめんねっ」


 うわ、茉莉ちゃんの唇を凝視してたの、バレてる! この状況で発情してるの、恥ずかしすぎ……。


「まーそこが可愛いから、いいんだけどさ」


「あの……、茉莉ちゃんは、私のこと、いつから本気にしてくれてたの? 最初は、いたずら、だったのよね……?」


 茉莉ちゃんは、一瞬だけきょとん、ってする。その無防備な表情は、まさに13歳。小悪魔していない年相応の顔もキュートすぎて、私の頬が溶けてなくなってしまっちゃいそうだ。

 が、茉莉ちゃんはすぐに目を伏せって慨嘆がいたんする。まるで、うだつのあがらない夫に失望する主婦が吐くような溜め息つきだった。


「最初から本気だったけど」


「えっ。そ、そうなの?」


 茉莉ちゃんが言い寄ってきたあの日。私はえっちな百合漫画を勝手に覗かれて、完全にいたずらをされているのだと思いこんでいた。


「うん」


 茉莉ちゃん、自信のあるテストの解答を受け取ったときのように、当然、と鼻息荒く首肯しゅこうする。


「でも、茉莉ちゃん、女の子同士で恋とかって、したことなかったんでしょ? なんであんな状況で私と付き合おうって思ったの?」


「んー。なんか、あんな漫画読んだの初めてだったからさー、ビビビってきちゃったんだよね。そんで、慌ててるおねーさんも可愛かったし。あたし、女の人のほうが合ってるんだ、ってなんかしっくりきたの」


「そっか……私が目覚めさせちゃったかぁ……。茉莉ちゃん、あの後、私の本いっぱい持ってったもんね」


「そーだよ、おねーさんのせいだからね。責任は、きっちり取ってもらわないと」


 茉莉ちゃん、私をいじめて楽しむのは好きっぽいけど、根幹の部分は大真面目な性格なんだよね。どうやら、責任を取ってもらいたがっているっぽいし。ちょくちょく責任取れって単語が出てくる。


 私が貸し出した漫画の影響で人生を歪めてしまったかもしれないのは、反省すべき点だ。だって、私の持っている漫画の大半は、18歳未満が見てはいけない漫画だし。しかも、ハメ撮りとか卑猥ひわいな言葉も覚えさせてしまった。保護者失格だ。茉莉ちゃんのお母さまにしかられてしまったとしても、何の言い訳もできない。


「まあ、責任、ちゃんと取る……わよ。でもね、茉莉ちゃんも学校はきちんと卒業しないとね」


 当然、私も覚悟はできていた。茉莉ちゃんのファーストキス、もらっちゃったし。本当は彼女が大人になるまで待つつもりだったけど、相手も本気だったし、真剣な交際ならば、こちらも真剣に向き合わないといけない。だから、私は茉莉ちゃんの将来も背負う覚悟はできていた。……いやいや。触れただけのキス程度で恋人の将来も背負うとか、重たい女か、私。――私が30歳近いから、焦っているだけかもしれないのは、伏せておこう。


「じゃあ、おねーさんは、あたしが学校卒業するまでは、離れて暮らしててもいーんだ?」


 茉莉ちゃん、小春荘を去るの、かなり寂しいみたいだ。寂しがり屋、って一面はあんまり見なかった気がするので、可愛すぎてきゅんきゅんする。一心不乱にハグしたい。


「うーん……いいか悪いかで言われたら、そりゃ嫌だけど……。私もさっき、お母さまとお電話したとき、頭が真っ白になっちゃったくらいだし……。でも、仕方のないことじゃない? 将来のためのハードルだと考えてみよっか」


 茉莉ちゃんを元気づけるために言ったつもりだったが、自分に言い聞かせているみたいになってしまった。

 ……でも、茉莉ちゃんに出会えただけでもラッキーだし、その後ずっと一緒に暮らしていけるなんて、都合が良すぎだしね。


「まー、仕方ないかー……。おねーさん、ショック死しちゃうかなーって思ったけど。あたしが大人になるまでお預けは本当になっちゃったね。キスはお預けできなかったけど♡」


 茉莉ちゃん、キスしちゃったこと、臆面もなく言い出すんだもん。恥ずかしいって気持ちはないのかしら。

 私は、茉莉ちゃんと顔を合わせることができなくなってしまい、咳払せきばらいして話題を変えようと試みる。


「でも、本当にお引越し、急だったわね。茉莉ちゃんのお母さま、どんな心変わりだったのかしら……」


 そこまで口走ったところで、まさか、と感づく。私が茉莉ちゃんに悪影響を及ぼしているの、バレたから引き剥がそうとしているのかな、って。いやいや。旅行のときには、すでにお引越しは決まっていたわけで。あのときのお電話では、悪意に満ちたものは感じなかった。私が鈍感なだけ、って説も否めないけれど……。


「んー。あたしがさー、おねーさんと仲良くしてたから、かも?」


「!? や、やっぱり……」


 私は血の気がさっと引いていき、倒れてしまいそうになった。まさか、キスしたのもバレているのではなかろうか。口から魂が抜き出ていくような感覚におちいる。

 が、呆れ声の茉莉ちゃんが、私を現世に繋ぎ止めてくれた。


「おねーさんって、ほんと面白いよね。あたしさ、おかーさんから電話来ることはけっこー多かったんだけど。管理人さんと遊びに行ってるよーみたいなことは言ってたから。それで、うらやましいと思ってたみたい」


「あ、そ、そうなのね……。でも、私のことは電話で言ってくれてたんだ」


「ま、将来、おかーさんに紹介しないと、だしね」


「私のイメージを上げようとしてくれてたのね……ありがとう……。茉莉ちゃん、お母さまと頻繁ひんぱんに連絡取ってたの知らなかったわ」


「おかーさんさー、あれで寂しがり屋なんだよねー。なら、海外出張とかやめればいいのに、そうもいかないらしくってさー。あたしばっかり迷惑してて、困っちゃうよね」


 茉莉ちゃん、前も同じような内容で困っていた。まあ、そりゃ小学生の頃から何度も何度も転校を繰り返していたら、愚痴りたくなるのは普通のことだ。むしろ、グレてしまう可能性もあったはずだけど、そこは純真な茉莉ちゃん、悪の方面には進まなかった。……多少いたずらっ子だったり、私との関係性がいびつになってしまったのは、家庭環境も手助けしていたのかもしれない。


「でも……お母さま、海外から急遽きゅうきょ戻ってくるってことよね? お仕事、大丈夫なのかしら。それに今後は、茉莉ちゃんのそばから離れないんじゃないの?」


「うーん、おとーさんがあっちにいるままだし、そっちに任せるんじゃないのかなー。それに、いくらなんでも、これでまた何度も引っ越しするとか言ったら、あたしも家出しちゃうよ。そのときはおねーさん、かくまってね?」


「いやいや……。そうなったときは、ちゃんとお母さまとお話をつけてあげるからね……?」


 が、それでも茉莉ちゃんは、乗り気ではないみたい。事あるごとに溜め息をついていた。

 お母さまと暮らすのが嫌ってわけでもないようだけど、小春荘からお引越しするのが心底しんそこ辛いらしい。どうにかして癒やしてあげられないだろうか。


「あーあー。せっかくお友だちもできたのになー」


「あれ、茉莉ちゃん、今の学校も離れることになるの?」


「そーだよー。おねーさんとも、遠くなっちゃうんだよ? 平気?」


 平気なわけはないんだけど。って言っても、茉莉ちゃんが海外に行くわけでもないし、今のご時世ならスマホで連絡だって取れる。会おうと思えば休日にだって会えるはずだ。


「……寂しいのはそうだけど、毎日ラインか電話してくれれば、平気。……たぶん」


「ほんとーかなあ? おねーさん、えっちしたそうな目、すごかったしなあ。あたしなしで我慢できるの?」


「も、もう、その話はいいから……。一人で過ごすことには慣れているから、たぶん大丈夫。茉莉ちゃんのほうこそ、寂しくなったらいつでも言うのよ? 会いに行くから」


「ふーん。ちゃんと会いに来て……よね?」


 う……。茉莉ちゃん、上目遣いで懇願こんがんしてきてる。かわいい。

 茉莉ちゃん、どうあがいても中学生で、私より14歳も年下なんだから、もっと甘えて欲しいって思っちゃう。もちろん、虐めてくれるのもいいけれど……甘えてくるほうがずっとずっと可愛いな。


「うん。絶対行く。約束よ」


 ひとまず、茉莉ちゃんを落ち着かせることはできたようだ。

 いや、落ち着いたのは私のほうだったのかもしれないが。


 とにかく、茉莉ちゃんが寮を去るその日までは、なるべく一緒に過ごそうってことで話もついた。

 ……今はまだいいけれど、実際に引っ越してしまったら、お互いどうなってしまうのだろうか。漠然ばくぜんとした不安が私を襲っていたけれど、表に出してはいけない。茉莉ちゃんに不安が伝わらないように、心の奥底に閉まっておかないとね。





******



「それでは遠野さん、お世話になりました」


 8月の終わりも近づいた頃。

 茉莉ちゃんが小春荘を去る日が訪れた。


 私と茉莉ちゃんは、二人で色々と約束を取り決めたり、デートにも出かけたりしていたので、別れの日がやってきても、お互いに取り乱すことはなかった。


「いえ、こちらこそ。茉莉ちゃん……またね?」


 小春荘の玄関で茉莉ちゃん親子を見送っていた私は、ぺこりと頭を下げる。

 またね、っていう挨拶が不適切であることなんて、気づくこともできなかった。 


 お母さまの手前、口づけして別れるわけにもいかない。……いずれ、正式にご挨拶できればいいけども。まだ時期ではない、よね……。

 茉莉ちゃんも、余所よそ行きの笑顔で、友だちにバイバイするみたいな感覚で手を振ってくれている。


 別れはそれだけだった。

 愛し合う二人が離れ離れになるというのに、あっさりとしすぎだ。逆に、私の内面は嵐が吹き荒れているかのように混沌としているけど。


 はぁ……。茉莉ちゃんの背がどんどん小さくなっていく。

 今すぐ追いかけていって後ろから抱きしめたい衝動に駆られる。


 なんでだろう。

 茉莉ちゃんが寮からいなくなった瞬間、喪失感がすごい。


 え、待って。茉莉ちゃん、まだ寮の玄関から出て数歩なのに、こんなにメンタルダメージ負っちゃって私大丈夫?

 今まで平気だと思い込んでいたのは、現実逃避をしていたってこと?


 ぐぐぐ、ダメだ、せめて茉莉ちゃんの姿が消えるまでは毅然きぜんとしていないと。


 次に会えるのはいつだろうか。

 茉莉ちゃんの背中を見送りながら、すでにそんなことを考えてしまう私だった……。

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