第10話 隠し事

第十話 隠し事



 茉莉ちゃんとの濃密な夏の一日が終わりを告げる。


 一泊が終わって、旅行の帰り。行きと同じように電車に揺られているけれど、感情はなんかこう、昨日から一年以上経過したかのような気分だ。たった一日なのに、濃厚すぎる旅行だった。

 対面の茉莉まつりちゃんも同じような気分を抱いているのか、ちょっとお疲れ気味の様子。でも、うたた寝しかかっている茉莉ちゃん、どこか大人びてみえる。色気が増した感じだ。


 そして私も。

 恋人を見守っているんだ、っていう謎の母性感のようなものが芽生めばえていた。

 茉莉ちゃんを見ているだけで、頬がゆるんでしまいそうだ。しかも、妙に自分に自信がみなぎっている。私には恋人がいるし、彼女を一生大事にするって責任からか、強くなれたのかもしれない。一夜にして、一気に課金したかのような強化具合の私なのであった。どんな攻撃も弾き返せそうな無敵感に包まれている。

 

 愛し合った恋人がいると、こんなにも強気になれるんだなあ。世の中、強い人ばっかりってことだ。といっても、私の臆病な性格やらが豹変ひょうへんするわけでもなく。常に精神が満たされている、くらいに留まるだろうけれど。茉莉ちゃんとの関係性には、変化が訪れるかもしれない。


 そうして小春荘に帰り着くと。


「おねーさん、おねーさん♡」


 茉莉ちゃんは、寮に入る前に背伸びをしてキスしてくれた。私のほうが茉莉ちゃんよりも背が高いので、本来ならば私が気遣ってあげないといけないのに。彼女は、私を驚かせるためか、不意をついてくることに余念がない。まあ、キスといっても、頬に軽く触れる感じのやつだけど。これならばフレンチなのでいくらしてもセーフ、みたいな謎のルールを作ってしまった。

 にしても、なんでそんなに、さり気ないことができるのか。私をドキドキとさせる天才かと思っちゃう。私だって茉莉ちゃんを翻弄ほんろうさせたりしてみたいのに。


 彼女と目が合うと、いつもの小悪魔スマイルを浮かべてくれるのだ。

 いけない。頬が緩んでしまう。緩みすぎて、一生ニヤニヤしてしまいそうだ、こんなの。


「み、みんながいる前ではダメだからね?」


 結局、いつものように保護者目線で注意をすることしかできない私だった。やっぱり、一日で人は変われないのかもしれない……。


「はーい。って言ってもさー、あたしはおねーさんのほうが危険だと思うけどねー。あたしばっかり見てたりするし、気をつけたほうがいいかもよ」


「う、うん、気をつけます……」


 しどろもどろになりながら答えると、茉莉ちゃんは腰に手を当て、やや怒り顔で呆れがちに私を見上げてきた。


「おねーさんとの将来……先が思いやられちゃうよね」


「うぅ……ご、ごめんなさい……」


 私、中学生の女の子にお説教されてる。茉莉ちゃんも茉莉ちゃんでドSなので、いじめ甲斐のある私にマウントを取れてご満悦そうだった。

 好きな人を喜ばせられているのならば、私としても感無量だ。いじめられて嬉しがっているのも、おかしいかもだけど。相性はバッチリってことだよね。


「ま、夏休み中には、コイビトに慣れておいてよね、おねーさん」


 茉莉ちゃんは、他人事のように言うと、そそくさと自分の部屋に帰ってしまった。できれば、恋人関係であることには照れて欲しかったけど、望みすぎたか。

 旅行疲れ、出ているのかな? 電車内でも眠たそうだったし。

 

 小春荘は、夏休み真っ最中ってこともあってか、私たち以外にはまだ誰もいない。

 そのため、急激に静かになった気がした。


 最近、ずっと茉莉ちゃんと一緒だったしね。一人になると、寂しさが押し寄せてくる。

 

 ……ちょっと、私のメンタル弱すぎかな? この程度でしんみりしているようじゃ依存症になっちゃう。

 さて、寮内のお掃除とか、お夕飯の準備とか、やることいっぱいだし、忙しさで寂しさを紛らわせよう。





******



「う~ん……。茉莉ちゃん、寝ちゃってるのかな?」


 お夕飯の準備が終わっても、茉莉ちゃんからの音沙汰はなし。今の学生寮は、調理師の方々たちもお休みなので、ご飯は各自で用意してもらうしかない。

 

 茉莉ちゃん、旅行帰りで疲れてるだろうし、彼女の分の夕飯も用意したんだけど……。

 私から声をかけてみていいだろうか。ちゃ、ちゃんと愛し合ってる恋人なんだし、声をかけるくらいいいよね。

 それに、いつもは私の部屋に来てもらっているけれど、茉莉ちゃんの部屋、訪ねてみてもいいよね……。


 少しくらいは、私も積極的にならないと。受け身だけではダメなはずだ。

 あんまり気合いを入れすぎても空回りになるから、その辺の調整はしないとだけど……ご飯を聞くくらいなら平気なはず。


 スマホで聞いても良かったのだが、せっかく同じ屋根の下で暮らしているのだから、茉莉ちゃんのお部屋に足を運んでみた。

 だって、私、なんだかんだ彼女の私室には入ったことがないし。


 各部屋のことは、管理人である私ならば知り尽くしているのだが、部屋というものは人が何ヶ月も暮らしていくうちに、住人の趣味嗜好しこうによって色とりどりに変化する。茉莉ちゃんのお部屋がどんな内装になったのか、興味があった。

 茉莉ちゃんと出会ってから、それなりに時間は経過したが、まだまだ知らないことは尽きない。そして、彼女の沼に溺れるように、貪欲どんよくさが増していく。茉莉ちゃんのことなら、なんでも知りたい。


 ひとまず、ドアをノックしてみた。


「茉莉ちゃん。起きてる?」


 返ってくるのは無言だ。

 昨日の今日で、突然距離を置かれることもないはずなので、眠ってるだけだと思うけど……。

 ――いや、本当にないのか? 茉莉ちゃん、私のキス、がっついているみたいに思ってたりして。もしかして、ドン引きされてる? いやいや待って。でも、玄関前では茉莉ちゃんからキスしてくれたし。考え過ぎだよね。茉莉ちゃんのこととなると、すぐに不安になっちゃうなこれ。


 寝ているのならば寝ているならで、そっとしておいてあげたいけど……。昨日までが幸せすぎたせいか、一人で夕飯をとるのは味気がないな……。

 それに、茉莉ちゃん、途中で目が覚めたらお腹が空いているだろうし、メッセージくらいは残しておきたい。


「んー……? おねーさん、どーしたの?」


 ドアの前で悩み込んでいたら、そーっと茉莉ちゃんが顔を覗かせてきた。

 部屋の中は明かりがついていなくって、真っ暗だ。やっぱり、寝ていたみたい。


「あ、ううん、起こしちゃってごめんね。ご飯、作ってあるから、お腹空いたらいつでも言ってね」


「はーい。ってゆーか、スマホで言えばいいのに、ずっとドアの前にいて変なおねーさん♡」


「え? あ、き、気づいてたの?」


 顔面が、一気に沸騰する。茉莉ちゃん、私がいるの気づいた上で、放置プレイをしていたのか。これがドS……。

 でも、なんか違和感が残った。眠っていたならば、私がいても気づかないよね? 足音だって立てていたわけでもないし。起きてたなら、明かりがついていてもいいはずだけど。まあ、深く考えることでもないだろう。疲れていたから、ゴロゴロしてただけかもしれない。


「だっておねーさん、部屋の前で、戻ろうかここにいようか、ウロウロしてたでしょ? 気づくって」


「えぇ!? そ、そんなに悩んでたかな……」


 私って、なんでこう自覚無しに変な行動をするのか。そりゃ茉莉ちゃんも、他の人の前では気をつけてね、って忠告くれるはずだ。

 この癖、治るのかな……。


「おねーさんってば、あたしが付いてないとダメダメなんだから。あたしのほうがよっぽど保護者、だよね。しょーがない人♡」


 うーん……。き、気持ちいい。

 茉莉ちゃんに、八重歯やえば剥き出し小悪魔スマイルで罵倒ばとうされると、まるで、清涼な飲料水を喉に一気に流したかのような、これこれ! っていう爽快感が駆け抜ける。私、Mに目覚めすぎ?

 い、いけない、顔に出してはダメだ。茉莉ちゃんの前だけならばギリ許されるけど、いずれどこかでボロが出る。


「そ、そうそう。ご、ご飯は、どうするの? 眠くはない?」


 喜んでいるのがバレないように話題を変えてみたけれど、声が上擦うわずっているせいで何の効果もなさそうだ。が、茉莉ちゃんも特に突っ込んでくることはなかった。それはそれで、物足りない……。


「じゃー、しかたないから、一緒にご飯食べてあげる。おねーさんのご飯、ふつーに美味しいしね」


 もー、ほんとに、私を幸せにする天才なんだから、茉莉ちゃん。たった一言褒められるだけでも、天に昇るような気分だ。


 自室から出てきた茉莉ちゃんは部屋着ではあるものの、乱れた様子もない。寝癖もないし、まぶたもぱっちりだし、ぐっすり眠っていたわけでもないみたいだ。疲れは……ちょっとありそう?


 茉莉ちゃんがドアを閉めるとき、部屋内がちらりと覗けた。

 私が気になっていた茉莉ちゃん部屋の中身は……意外と質素だった。というか、ほとんど私物がない感じ? 電気が消えていたので、隅々まで確認できたわけではないけれど。もっと、女の子っぽい部屋を予想していただけに、びっくりだ。まあ、茉莉ちゃん、子どもっぽいところもあるけれど大人びた部分もあるし、部屋が簡素でもイメージ通りではあるか。


「ねー、おねーさん、明日の朝もご飯作ってくれる?」


「え? それはもちろん。何か食べたいものとかはある?」


 茉莉ちゃんに甘えられるのは珍しいので、こっちも張り切ってしまう。ただ単に、朝起きてご飯の準備が面倒なだけかもしれないけれど。そうだったとしても、私がしてあげられる数少ないことだし。恋人のためにお料理を作るのって、失われた青春を取り戻している感じがして、乙女心をくすぐられるものだ。この歳で言うのも、恥ずかしいことかもだけど……。


「う~ん。朝だし、重たいものじゃなければなんでもいいけど……あ、お味噌汁はつけてほしい!」


「うん、じゃあ、お味噌汁に合うものにするわね」


 ああ、幸せだなあ。夢にまで見た女の子の恋人に朝ごはんを作ってあげて、一緒に食べるの。しかも、超絶美少女だ。

 茉莉ちゃんに喜んでもらうために、とびっきり美味しいお味噌汁を用意しないとね。新婚生活、送っているみたい。頬の緩みは戻りそうもなかった。


 ――けれど、幸せというものは長く続かないらしい。

 茉莉ちゃんとの旅行から一週間が経過した日の朝。

 その連絡は突然やってきた。


「え……それは、いったいどういうことですか、お母さま……」


『本当に突然ですみませんね。私も茉莉と暮らそうと思い直したので……寮を引き払いたい、と思いまして』


 目の前が真っ暗になった気がした。

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