第8話 中学生と外泊

第八話 中学生と外泊



 電車が揺れる単調だけど心地よいサウンド。そして窓から見える景色は、自然にあふれていて目に優しい。

 ――私と茉莉まつりちゃんは、温泉街に向かっていた。

 

 そう、旅行の開始である。


 茉莉ちゃんは私の向かい側に座っており、私と同じように窓外をぼんやり眺めていた。

 ぼーっと風景を見つめている茉莉ちゃんは中学生の見た目そのものであり、無邪気さや爛漫らんまんさでいっぱい。私としては、風景よりも茉莉ちゃんのほうがじっくりと見入ることができてしまうほどだ。


 茉莉ちゃんの服装は、ノースリーブのシャツとミニのスカートのラフな格好。露出が多めなので、人目が心配だ。私がついているから、大丈夫だろうけれど。できるかぎり、やましい視線からは守ってあげねば。私が一番よこしまなのは気にしない。


「ん? おねーさん、何見つめてきてんの?♡」


「えっ、い、いやっ。喉とか、乾いてないかな、って思って?」


 いくらなんでも、じっくり見すぎてたか。茉莉ちゃんは私の視線に気がつくと、いつもの小悪魔然とした笑みで挑発めいた台詞を吐いてくる。それで喜んでしまう私も、いつものことだ。


 私は咄嗟とっさに、座席の横に置いてあった鞄に手を伸ばしてペットボトルを取り出す。

 ちなみに、鞄は座席一つを占領するほどめちゃめちゃ大きめの物だ。たった一泊の旅行なのに、海外にでも行くのかってくらい念入りに準備してしまった。舞い上がっていた証拠でもある。


 車内は意外と空いているので、ボックス席に荷物を置けるくらいの余裕があるのは僥倖ぎょうこうだ。茉莉ちゃんが望むものを即座に与えられる。


「ま、そーいうことにしといてあげる。おねーさんは、旅の話とかはないわけ?」


 茉莉ちゃんは私からペットボトルを受け取ると、それに口をつけてからたずねてきた。

 今日は、茉莉ちゃんがいささか大人しめなような気もする。宿についてから全力を出すために、パワーを溜めているのだろうか。というのは私の邪推じゃすいで、きっとただ単に旅行を楽しんでいるのだろう。


「私はほら……茉莉ちゃんも知っての通り、あんまり外に出ないし。学生時代の話くらいしか……」


 自分のことを語ると、気が滅入めいりそうになる。人を楽しませる能力など、私に皆無なのではないだろうか。いけないいけない、楽しい旅行なのに、マイナス気分になってしまう。


「そうそう、この前聞きそびれちゃったし、修学旅行の話とかってないの? おねーさんって、学生の頃から女の人が好きだったの?」


 茉莉ちゃんは、ずいっと身を乗り出して、目を輝かせながら聞いてくる。彼女の金髪が、電車の揺れと一緒になって軽く動き、踊っているかのようだ。私の過去話を聞くのが、楽しいと言わんばかり。

 私としては、面白いお話なんか聞かせてあげられる自信はないのだが。


「ん……。まあ……学生の頃からそうだけど……。変、だよね? 茉莉ちゃんの周りには、そんな人いないでしょ?」


「さあ、どうだろうね。おねーさんだって、女の子が好きなこと隠してたわけでしょ? だったら、気づかないよ。それに、あたしだってまだ中学生だけど、おねーさんと付き合ってるし? 学生の頃からってことなら、あたしも同じじゃん」


 茉莉ちゃんは、一転して真剣な表情でうったえてきた。

 私は、彼女の真っ直ぐな気持ちを受けて、目から鱗でも落ちそうな気分になる。茉莉ちゃん、私との関係をきちんと考えてくれての解答なのだろうか。だとしたら、私も茉莉ちゃんの期待にこたえてあげないといけないよね。


「茉莉ちゃんがそう言ってくれるなら、私もむくわれるわ。周りに打ち明けられないのって、けっこう辛いことでもあったから」


 私は遠い目をしながら、過去を思いせる。学生時代、辛いことは多かったかもしれない。特に、当時は学生特有の思春期的な思考もあったりしたし。自分だけが周りと違うこと、悩んだものだ。

 ああ、いけない。また暗い話に突入しそうだ。でも、昔の話をしても、明るい話題なんて出てきそうにないしなぁ……。


 どうしたものか、とあごに指を添えてうなっていると、昔話すら切り出せない私を見かねたのか、茉莉ちゃんが声をかけてきた。


「ねーねー、好きな子とかはいなかったわけ?」


「え、えぇ……? ま、まぁ、そりゃ気になる子とか、いないわけでもなかったけど……」


 茉莉ちゃん、普段は大人ぶったりしているけれど、やっぱり年頃の女の子なのか、いわゆる恋バナは好きみたいだ。自然と、そっち系の話題に誘導されてしまった。

 私なんかの恋バナを聞いて、楽しいのだろうか。しかも、実ったことはないどころか、たいした会話をしたことすらないし、女の子が好きだっただけだ。


 けど、茉莉ちゃんは目をきらめかせているし、話題に付き合ってあげたほうがいいよね。落胆させることになったとしても。


「じゃあ、修学旅行とかだと、その好きだった子とたくさん一緒にいられるから、ドキドキとかしちゃってたんだ?」


「ま、まぁ。何か起こるかな、とか、そういうのはあんまり期待はしてなかったけど……。目で追ったりは、しちゃってたかも……」


 といっても、もう十年以上前だからなぁ。でも、長い年月を経てもなお、好きだった子のことははっきりと覚えているものだ。色せぬ思い出となっているのだから、青春を過ごしていたといってもいいのかもしれない。

 まあ、まともな友人すらいなかった私だから、その女の子ともお喋りとかはほとんどしなかったけれど。なので、青春と断定していいのかは謎だ。


「ふーん。おねーさんってば、あたしのこともけっこうガン見してたりするからなぁ。その女の子も、おねーさんの視線に気づいちゃってたかもね」


「え、そんなに見ちゃってる……?」


「うん。しかもバレバレだし。ま、そこがかわいーと思うけどね、あたしは。ヘンタイに思われても、しかたないかもだけど」


「そこまで!?」


 けっこうショックだ。

 確かに、可愛い女の子のことは、ついつい目で追ってしまうが。変態だと思われてしまうほどデリカシー無しでじろじろ見てしまっていただろうか。自覚がないのはまずい。

 茉莉ちゃんを眺めてしまうのは、思い当たるふしもなくはないが。学生時代からそうだったとしたら、心にくるな……。


「あはは、まーいーじゃん。あたしっていう恋人がいるんだから、他の女の人をじろじろ見ることももうないでしょ? だったら、問題ないよね」


「そ、そうね……。茉莉ちゃんを見すぎて、職務質問されないようにだけはしないとだけど……」


 にしても、茉莉ちゃんの台詞を吟味ぎんみしてみると、今後はずっとお付き合いしてくれる、みたいな風にとらえることができるけど……そう思っちゃっていいのかな?

 少なくとも、茉莉ちゃんが大人になるまでは健全な付き合いをするつもりだけど、大人までっていうからには茉莉ちゃんが成人するまでは健全でいたい。18歳までだとしても後4年は綺麗な恋人関係が続くだろう。茉莉ちゃん、ちゃんと飽きないでいてくれるのかな?


「おねーさん、まだそんなこと心配してんの? 相変わらずだねー。二人で旅行とかしてる時点で、ヤバイのにね♡」


「ま、まあ、今回は大丈夫よ。お母さまの許可をもらっているし……」


 私が不安なのは、茉莉ちゃんが高校生くらいになったある日、どこかで気がゆるんでしまい一線を越えてしまったり。あるいは、お外で羽目はめを外して通報されてしまうのではないか、ということだ。

 私ってば、悪い方向の妄想だけは達者なんだから。そんなことは忘れて、旅行、楽しまないとね。


「ほんとーに大丈夫だと思ってるー? 夜が楽しみだねー♡ 大丈夫じゃなくならないといいねー」


 うぅ、茉莉ちゃん、やっぱり夜這いでも仕掛けてくる気!?

 どんなに誘惑されようとも、大人が子どもに手を出していいはずがないんだから。茉莉ちゃんがあの手この手で私を誘ってきても、絶対に耐える。それが、大人としての矜持きょうじだ。親御さんを裏切ってはならない。今後の健全なお付き合いのためにも!





******



「ん~、やっぱり旅館は雰囲気があっていいねぇ」


 目的地に到着した私と茉莉ちゃんは、まずチェックインを済ませることにした。というのも、到着時刻が夕刻前だからだ。夏真っ盛りの今、気温が一番高い時刻に歩き回るのは、ちょっと辛い。特に、若い茉莉ちゃんと違って、私のほうが体力的に。

 

 かといって、旅行に来ておいてまったく観光しないのも面白くはないので、暑さが落ち着く夕方過ぎあたりに、外を見て回ろう、ってことになっている。ここ近年、夏の暑さは異常だし、茉莉ちゃんのためでもあるはずだ。


 で、チェックインした旅館は、歴史ある見た目の、いかにも旅館! って感じの木造感あふれる建物だった。温泉宿ではよく見かける外観をしている。ロビーでも着物の女将さんが出迎えてくれたし、これこそ旅行で来た宿、っておもむきがあってテンションも上がるというものだ。


「夕飯は18時くらいだって。それまでどうしよっか?」


「あ~、おねーさん、もう温泉行きたいの? まー、確かに汗はかいちゃったけど……」


 部屋に案内してもらい、荷物を置いた後、これも定番のテーブルに備え付けられているお茶菓子で一息入れる。そして予定を尋ねると、茉莉ちゃんはにやにやとしながら私を見つめてきた。

 内装はたたみ張りの和室で、全面ガラスの窓からは立派な松の木が覗ける安らぐ空間となっている。が、私の心に安寧あんねいは訪れることがないのかもしれない。茉莉ちゃんによって、心はいつもざわめきが生じるのだ。


 茉莉ちゃんは言葉通り、せっかく温泉宿に来たのだから複数回入浴するつもりではあったらしいが……いきなり温泉か。私的には、夕方以降が望ましいと思っているけれど……。


「茉莉ちゃんが汗流したいなら、付き合うけど……」


 私は、やましい気持ちがないことを強調して答える。が、あからさますぎて、逆に気持ちを押し殺しているのではないか、と捉えられても困っちゃうな。


「他にすることないしねー。それとも、真っ昼間っからお布団に入っちゃう、とか?」


 ぐ、茉莉ちゃん、もはや誘惑すること、何にも躊躇ためらいがないな。いや。もとから躊躇ってはいなさそうだが、隠そうともしていない。お布団は答えるまでもないが、かといって今の茉莉ちゃん相手にそそくさと温泉に行ってしまって、大丈夫か……? とはいえ、温泉目的で来たのだから、断れはしない。

 日中だから、利用客が少ないだろう今の時間帯は、吉と出るか凶と出るか。


「お布団よりかは、温泉のほうがいいかな……。夕飯は18時~20時らしいから、それまでには少しお外も見て回らないとね?」


「ん~。じゃあ温泉のあと、ちょっと休んだら観光だね♡」


 茉莉ちゃん、よっぽど温泉に入りたかったのか、跳ねるように立ち上がると、バッグを漁り始める。私も、入浴セットを取り出すことにした。

 温泉、ドキドキすることもないよね……? 予行練習もいっぱいしてあるし……。





******



「へぇ~、なかなかいい温泉だねぇ」


 茉莉ちゃんは、浴場に辿り着くなり感嘆かんたんの声をあげた。

 時刻が時刻なので、予想通り利用客は少ない。なので、広々としたお風呂をぐるりと見回すこともできた。これならば、私も挙動不審におちいることはないはず。


 それに、利用客がゼロではないことも、好条件かも。もしも二人っきりだったならば、茉莉ちゃんのことだ、さらに大胆になってしまうかもしれないし。


「お湯に浸かりながら、どこ回るか決めましょうか」


「って言っても、どこ行くかの予定は前々から決めてたじゃん。あ、ちゃんと背中は流してもらうからね!」


 茉莉ちゃん、元気いっぱいなんだから。

 どう見ても私たち、恋人には思われないよね……? 茉莉ちゃんがそのことに不満を覚えて、危ない発言でもしない限り、仲の良い姉妹とか家族に思われるはず……。


 が、そこは茉莉ちゃんである。彼女は唐突とうとつに奇行に走ってきた。


「ほら、おねーさんも早く脱いでよ。まだモタモタしちゃうなら、あたしが手伝ってあげるよ♡」


 茉莉ちゃんは、入浴の準備万端。私が彼女の裸体から目をそらしていると、まだ服を着たままの私にごうを煮やしたのか、後ろからハグしてきたのだ。

 心音が一気に高鳴る。これが旅行パワーか。いつもよりも、押しの力がすごく感じるぞ。


 しかも、力みなぎる今の茉莉ちゃんは、ハグでとどまるわけがなかった。まさか言葉通り、脱ぐのを手伝ってくる……かと思いきや、胸を触ってきたのだ。

 

「ちょ、ちょっと……茉莉ちゃんっ!?」


「あれ? 可愛い声出なかった。おねーさん、温泉だからって緊張しちゃってる?」


 あまりにも脳がバグると、声って出ないものなのかもしれない。私は口をパクパクとさせながら、茉莉ちゃんの手のひらを胸に感じていた。服の上からではあるが。


「わ、私は一人で脱げるから、こんなところで変なことしないの」


 意外と、まともな注意をすることができて自分でも驚きだ。が、混乱しているので、自分が何を言っているのかもよく理解できてはいない。顔だけが私の気持ちを代弁して熱くなる。


「変なコトってなにー? おねーさん、思った通り柔らかいね♡」


「も、もう。ダメったら」


 大人げないかもしれないが、力ずくで茉莉ちゃんのことを振りほどいてしまった。

 その際に茉莉ちゃんと目が合うと、彼女はやや残念がっているみたいだ。う、なんか罪悪感が押し寄せてくる。


「そんなに慌てないでもいいのに。体育のときの着替えとかでも、普通にみんなしてることだよ」


 茉莉ちゃんは唇をとがらせ、抗議のように言ってくる。


「茉莉ちゃんも女子校だものね、そういうのも多いか……」


 自分の過去を思い返してみても、確かに、周りの女子生徒はキャッキャしながら触り合ってたような気もする。漫画とかでもよくある光景だし。が、私には無縁の世界だったわけで、妄想内の出来事だと割り切っていた。

 でも、実際にやられる立場になると、感慨かんがいとかなにやら吹っ飛んでしまっていた。恥ずかしいだけだ。


「いいから、早く温泉はいろーよ。これからもっともっと楽しいコト、するんだから」


「はいはい。今のでもう、緊張もどっかいっちゃったわよ」


「まあ、それが狙いだし♡」


「絶対嘘でしょ……。でもいいわ。ありがとう」


 茉莉ちゃんは、崩れることがないような満面の笑みだった。

 それに、唐突に胸を揉まれたせいか、それ以上に恥ずかしいことってそうそうないだろうし、緊張が解けたのも事実。私たちは、温泉を満喫することができたのだった。

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