不動

北浦壮

不動

 考え事をしていて前方の注意を怠っていたことは今では認識しているが、ドンッと鈍い音がして、あの背筋が凍るような衝撃がハンドルから全身に響いてくるまではそんな自覚はまるでなかった。

 条件反射で急ブレーキを踏んでいたのが不幸中の幸いではあるがガラスの向こうにはぐにゃりと曲がったママチャリと人が一人倒れてる。

 ヨボヨボのじいさんを轢いてしまったようだ。やらかしたとは思ったが、俺は小さい頃母に「あんたは落ち着きがないから座禅組んどきなさい」と言われ、嫌々ながらも毎日のように座禅を続けていたら大抵のことには動じなくなった。ただこの大抵のことの中に人身事故が含まれるのは少々驚きではあったが依然として心は波立たなかった。

 いつだったかな最後に本当に焦ったのは、とふと考えてみた。

 あれだ、5年前まだ大学生だった頃、サークルの飲み会の後カラオケに行って熱唱していた時だ。安い酒をなりふり構わずちゃんぽんして、安い炭水化物をたらふく腹に詰め込んだ後の最悪のコンディションで迎えたカラオケでは身体的なリミッターは機能していなかった。当然ここでも飲み会はまだ終わっていない。持ち込んだ質の悪い酒をガブガブ飲んで、音程も気にせず叫ぶように歌い、奇天烈な踊りをした。そして、吐き気を催した者から脱落していく有様はまるで蠱毒のようで、ダンテの地獄の第二圏と第三圏の間ぐらいにあってもおかしくないのではないかと思えるほどでだった。

 俺はその中ではなかなかなサバイバーだったがとうとう食道を胃液が登ってくる感覚が押し寄せてきてゾワッと身震いした俺は全身にギュッと力を入れた。幸い室内で吐くような粗相は起こさずに済んだのだが力んでいい事などこの世には一つもないのだということをこの時知った。だから小学校の頃の書道の先生も力を抜け、力を抜けと機械のように繰り返していたのだ。力む時人間は自然の循環に抵抗しようとしているのである、そんなことをして人生の荒波を乗りこなすことはもちろんやり過ごすことだって出来やしない。歴史の授業をちゃんと聞いていたら分かるはずのことだ。あんなものは自然の流れに抗ってきた愚かな人間どもの失敗談の羅列だ、そうだろう、最低でもそういう風に聞いてみたら少しは面白いではないか。武道のどれをとってもそうだ。上善水の如し、これを体得するためにあらゆる道があり、その道を進むための飛び石が修行や教導である。思えば強制的にではあるが母にやらされていた座禅はこれらの例に漏れないのではないか。だとしたらこんな大変な事態に遭遇しても平静を保ち、肩の力が抜けているということは俺の今日までの修行がついに完成したという動かない証拠なのではないかと思えてきて自分が誇らしくなった。

 芭蕉は馬が枕元で糞をしたことにいたく感銘を受けて発句にしたらしい。凡俗の目で見れば不愉快なことも立派な心を持つ人間なら受け取りようでどうにでもなる、その最初の段階がこの無反応の境地なのだろう。そう考えると自分がとんでもない高みに登ってきてしまったのではないかとウキウキする気持ちが湧き上がってきて心地よくなってきた。

 ああそうだすまない話が逸れてしまったがあの時吐き気を抑えるために力を入れたことによりパンツに二、三個パチンコ玉のような糞を落としてしまったのだった。大学生らしい不摂生な食習慣と過度な飲酒により悪化した腸内環境から生成されるのがこのような情けない糞なのはさもありなん、しかし状況が状況だけに明日から食事に気を使おうだとか酒を控えようとまでは考えが及ばなかった。

 話が脱線して新鮮味を失い、すっかり冷めてしまったから今となっては「なんやその程度のことかい、奈良公園にでも撒いとけ」と言われるのは至極当然なのだがあの時はこの世の終わりのような気がしたのだ。ともかくこんな事態に見舞われたからには、まずちゃんとその糞たちをうっかり座ってしまって尻で踏んで被害を拡大したり、ズボンの中で迷子になってしまわないように対策を講じなければならない。俺はマイクを持っていない左手をパンツの中に後ろからするっと入れて彼らを優しく救い上げた。「ナイスレスキュー」と自分に賛辞を送りたい。あのスピード感であれば彼ら糞たちはこの世に産み落とされたことに気づく間も無く保護出来たのではないかと思う。火事場の馬鹿力とはよく言ったものだ、まさかこんな形で体験するとは思わなかったが、今までの人生でこれほど早く動けた記憶がなかったので「俺って頑張れば音速で動けるんちゃうん」って思い、諦めたはずのプロサッカー選手の夢が脳裏に過ぎった。

 しかし、右手にマイク左手に糞が三個、この状況はいくら自分が今獲得した尋常ならざるスピードとそれによって開かれる輝かしい未来が魅力的なものであったとしても看過できるものではなかった。両手が塞がっているから部屋のドアを開けることが出来ない。今思えば最適解は一つで間違えようがないはずだった。それは、マイクをテーブルに置くか誰かに預けて、糞を片手にトイレへ走ることだ。だが俺はあの時何をしたか、ひどく酔っていたとはいえ今なお理解ができない、全くもって馬鹿馬鹿しい、エスプリのなんたるかを体現しようとでもしたのか。俺はあの時「石川先輩ちょっと来てください」と叫んで、なんだと近寄ってきてくれた先輩に右手ではなく左手を差し出して「チョコボールです」と言ったのだった。先輩は「おう、ありがとう」と言っていたのを背中越しに聞きながら俺はトイレに直行したが手にしていたのはマイクだった。そこでハッとして、一瞬部屋へ戻ろうとしたが、あの暗がりではもう手遅れだろうと考え、そのままビクビクしながらカラオケを後にした。それっきりあのサークルへは顔を出さなかった。この世の終わりが二度来るとは思いもしなかった。

 それが思い出せる限り最後の心の乱れる体験だった。成長したなとしみじみ思い、懐かしい記憶を味わっていたらたくさんの人が俺の車の周りに集まっていることに気がついた。彼らは各々好き勝手に何か言っているようだが、今の俺はそんな罵倒や野次に対していちいち反応してやることはない。痺れを切らした中年の男が一人俺の車の窓を叩き出したところで警察官が二人駆けつけてきてくれて、そのお陰で迷惑な野次馬は三々五々散って行った。

 彼らは最初はコンコンとノックして何やら俺に話しかけていたがドアが開いてるのに気付くとガチャと開けて俺を車外に連れ出した。だが何のことはない、俺はこのまま風に揺られるように自然の成り行きに任せると決め込んでいたから何もかも滞りなく進んでいると確信できた。それから留置所だとか裁判所だとか散々連れ回されて俺の周りで真面目ぶった人間共が勝手に話をしていたようだが最終的に俺は真っ白なベッドの上に落ち着いた。凪の心もちて万事つつがなき。そう念じた俺の名札の下には「植物状態」とあった。

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不動 北浦壮 @amos1996

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