第46話 婚姻届け

 ウォルクは唯一、俺の前世を知る者だ。

 前世のウォルクは子犬でいつもクンクン言いながら俺にくっついていた。


「お前は人として転生することになった」

「ヒト?」

「人という脆弱な存在として生きろ、ということだろう」

「……」

「この円陣が光った瞬間、お前は人として転生することになる」

「分かった……ウッド、お前はここから離れていろ」

 

 何度も見る前世の夢。

 その中に必ず登場する子犬、ウッドは結局俺から離れることなく一緒に断罪されてしまった。

 遠い昔のことなのに、ウッドが俺の膝の上で眠っている姿を昨日のことのように思い出すことができる。

 俺の表情から何かを感じ取ったらしく、ウォルクは何だかむず痒そうな表情を浮かべた。


「……お前、子犬ガキを見るような目で俺のこと見るなよ」

「すまん、つい昔のことを思い出して」


 あの子犬のウッドがこんなごつい男に転生するとは思わなかったなぁ。

 ウォルクと初めて出会った時、こいつがウッドの生まれ変わりであることが、何故かすぐに分かった。

 見た目も、性格も全然違うのにな。

 ウォルクと目が合った瞬間、胸を突かれたと同時にウッドとの思い出が次々と蘇ってきた。

 ウォルクもまた匂いで俺のことが分かったらしい。生まれ変わっても匂いは同じなのか……? という疑問は生じたけどな。獣人族の仕組みは、いまいち分からん。

 お互いに記憶が断片的だったからな。答え合わせをしながら互いが前世では相棒だったことを確認したんだ。

 ウォルクはまだむず痒そうな顔をしながら俺を指さし、やや強めの口調で言ってきた。

 

「俺はもうあの時の子犬ガキとは違うからな」

「……」


 ――俺と再会した時、親犬を見つけた子犬のように号泣して抱きついてきたくせに。

 自分が超怪力の大男だってことをすっかり忘れていたじゃねえか。

 抱きしめられた時、背骨が折れるかと思ったぞ。

 そんなウォルクも今は結婚して、奥さんと共に暮らしている。

 前世と違って常に一緒というわけじゃないが、コイツに何かあった時はすぐに駆けつけるつもりだ。

 

 胸を突かれるといえば、ユーリの名前を初めて聞いた時も似たような感覚がしたけれど……もしかして前世でも彼女とは縁があったのだろうか?

 どうも思い出せない。

 いつも見る夢の最後にユーリと似た女性が登場した時はあったけど。

 あれが前世の記憶によるものなのか、はたまた現世の出来事と前世のことがごっちゃになって見た夢なのかどうかも分からない。


 ユーリも何も言って来ないし、ウォルクもユーリについては何も言わないな――いや、そういえば気になることは言っていたな。


『なんとなく昔からの知り合いみたいな匂いがしたぞ?』


 昔からの知り合いの匂いってどんな匂いなのかは謎だけど、もしかしたら前世に関係することなのかもしれないな。

 もし俺とユーリが前世でも縁があって、それがたとえ敵同士だったとしても、今の俺達には全く関係ないことだ。

 

 とにかく前世は俺の相棒だったウォルク。

 今世は地味にのんびり暮らしたいという俺の気持ちを理解してくれていたからな。

 極力他のパーティーと組むような仕事依頼は持ってこなかったし、B級以上の金になる仕事も俺に回してくれた。まぁ、そいつは俺じゃないと解決できないやっかいな仕事でもあるんだけどな。

 勇者が俺の敵じゃないこともよく分かっていた。

 俺とユーリとの結婚を勧めたのも、今回みたいなことを想定していたんじゃないかって思うんだよな。

 もし勇者が強引にユーリを自分の元へ戻そうとしても、俺なら奴をいつでも消せる――じゃなくて、俺なら勇者を追い返せると考えていたのかもしれない。

 ユーリはまだ信じがたいのか、ぽつりと呟くように言った。

 

「強いことは分かっていたけど、まさか勇者を倒せる人がいるなんて」

「勇者は別に人類最強というわけじゃない。普通の人間と違って、神から与えられた力はあるが、それを生かせないようじゃ、他の冒険者と変わらん」


 ウォルクの言葉に、ユーリは目を丸くする。

 いまいち信じられないって顔しているな。


「そ、そんなものなの……? 村では勇者は神の子の生まれ変わりだって言われていたし、人類の希望とも言われていたんだけどなぁ」


 まぁ、人間達の間では勇者様というのはそういう存在だ。

 実際、前の勇者は人間達の希望に応えて、見事に魔王を倒した。

 この部屋の壁にも前勇者とその仲間が描かれた絵が飾ってある。

 あの絵を見る限り勇者もおっさん、他の仲間もおっさんだ。

 今の勇者と違ってかなりストイックな雰囲気がする……ハーレムパーティーを作ろうとしている現勇者とは大違いだ。

 まぁ、あくまで絵だから、現実に忠実とは限らんけどな。


 そんな女好きの現勇者、ヴァンロストも相当な馬鹿じゃない限り、もう俺達を追ってくることはないだろう。

 俺との実力の差をあれだけ肌で感じておきながら、それでも追いかけてくるようなら、もう救いようがない馬鹿だ。遠慮なくこの世から消えて貰うことにしよう。


 大きな仕事も終わった事だし、ウォルクにはしばらく休暇を取ることを伝えておかないといけないな。

 

「ウォルク。今まで借りていたワイバーン、返しておくわ。これから家を留守にすることになるから、新しい依頼はしばらく引き受けることができないぞ」

「お、新婚旅行か」

「い……いや、そういうわけじゃなくて、ユーリが魔物使いの勉強をするからな。プネリに魔物使いの知り合いがいるから、そいつを訪ねるつもりだ」

「プネリは新婚がいく観光地としても人気だからな。ゆっくり楽しんで来いよ」

「……」


 だから新婚旅行じゃないんだけどな。

 そりゃ、魔物使いになる為の勉強だけじゃなく、観光もしたいけど。

 

 ……新婚旅行か。

 あそこ、温泉が有名なんだよな。

 俺の家にも温泉はあるが、旅行先の温泉はまた違うからなぁ。

 泳げそうなくらい広い温泉や、絶景を見ることが出来る温泉、乳白色の温泉……色んな温泉があるんだよなぁ。

 温泉に浸かったユーリが笑いかけてくる所まで妄想してしまい、俺は慌てて首を横に振る。

 いかんいかん、今から楽しいことばっか考えて浮かれていたら。

 ユーリが魔物使いの資格を取ることが最優先だからな。

 

 俺はちらっとテーブルの上で輝く透明なカードを見る。今回の報酬の一つであるダイヤモンドパスカードだ。

 このカードさえあれば、部屋が空いていれば、いつでも宿泊施設の客室に泊まることができる。

 そうだな……結婚式を挙げてから、アルニード王国行きの豪華客船に乗ることにするか。


 ◇・◇・◇


 ウォルクとの話が終わった後、俺とユーリは受付に婚姻届けを出した。

 エリンちゃんはそれを受け取って内容を確認してから満面の笑顔で言った。


「ロイさん、ユーリさん、ご結婚おめでとうございます!! あらゆる障害をのりこえたお二人をこれからも応援していこうと思っています」


 あらゆる障害って……いやいや、エリンちゃん、まだユーリの事を男だと思っている?

 確かにギルドに提出する婚姻届けには性別欄がないが。

 ユーリは今、猫耳のフードジャケットを脱いで、チュニックの上に胸当てをしている格好だ。小柄な少年に見えなくもないけど。

 

「エリンさん、ありがとうございます!」


 ユーリはエリンちゃんの祝福に嬉しそうに笑っていたので、深くは追求しないことにした。


 エリンちゃんはカウンターの奥の部屋から紺の天鵞絨の小箱を持ってきた。

 カウンターの上に置かれた小箱の蓋を開けると、そこには銀色の指輪が二つ並んで入っている。

 結婚届を出した時に渡される結婚指輪。

 指輪の大きさは全く一緒だ。こいつは特殊な金属で出来ていて、持ち主の指に合わせてサイズが変わるようになっている。

 身につけていると、攻撃力があがり、魔力の消費を抑えてくれる、冒険者にとっては有り難いアイテムでもあった。


 指輪は冒険者ギルドからのお祝いであり、結婚した証しにもなる。

 エリンちゃんは満面の笑顔で言った。


「結婚式の時、指輪交換するの楽しみにしていますね!」


 

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