第20章 交錯する想い
翌日に目を覚ますと、詩織からメールが届いていた。彼女は、以前に嵐山の撮影スポットを案内してくれた女性であり、僕にとっては異性の友人のひとりだった。
「悠斗くん。おはよう、起きてる」
僕は写真家の見習いだが、京都の四季折々の美しさと人々の暮らしを表現することが好きだ。写真は僕にとって、自分の感性や想いを伝える言葉だ。
写真のコンテストに応募した作品が入賞したことで、僕は周りの人から一躍注目されるようになった。話したことのない先生や生徒からも、「おめでとう。良かったなあ」と思いがけない言葉に恥ずかしくなった。
受賞作品は、厳しい寒さが残る嵐山で撮影した晩冬の風景だった。「雪の花びらが舞う夜明けの中、川面に映る渡月橋の景色が幻想的で美しい」と審査員から評価された。僕はそのコメントを読んで、涙すらこみ上げた。
その作品を撮った時、僕は詩織と偶然出会った。彼女は僕のことをいつも「悠斗くん」と心地よく呼んでくれた。詩織は僕よりも少し年上で、写真が大好きな女性だった。色々なアドバイスをしてくれた。
「受賞おめでとう! やったね」
僕が入院した際には、何度もお見舞いに来て、身の回りの世話をしてくれた。ネットのニュースで、僕の受賞を知ったという。なぜかしら、メールには美味しそうなみたらし団子を頬張る彼女の写真が添えられていた。
「詩織、ありがとう。おおっ、美味しそう」
お礼のメールを送ると、彼女からの返信がすぐに返ってきた。ところが、それは意外な返事だった。
「もうひとつ、今日はさよならと言いたかったんだ。わたし、彼氏ができたの。悠斗くんにそっくりな人だから。今度、紹介するね」
「さよなら」というメールを開いた瞬間、なぜかしら、僕は自分の胸がやんわりと締め付けられた。それと同時に、「会うは別れの始め、別れは出会いの縁だ」という言葉が、思い起こされた。
もしかしたら、詩織とは、異性の友人以上の関係だったのかもしれない。もちろんのこと、恋人ではなかった。彼女が他の男性と結ばれることになった今、初めて自覚した。
僕は、詩織のことをどう思っていたのだろう。彼女の笑顔や声や仕草を想い浮かべた。それは、友情以上の感情だったのだろうか。
でも、もう遅かった。彼女は僕の手の届かないところに行ってしまった。僕は、詩織に対する想いを抑え込んで、メールを返した。
「よかったなあ……。もちろん会わせてよ」
「うん、ありがとう。けど、いつまでも良い友達でいてね。そうそう、あかねとかいう彼女は元気なの? 退院したのなら、良いデートスポットを紹介してあげる」
詩織のメールは、明るくて軽やかだった。あかねとは雰囲気が真逆なタイプだったけれど、女性はみんなそんなものなのだろうか。突然、大切な人を失ったような気がして、少し寂しくなった。
「どんなデートスポットがいいのかな?」
僕はつい甘えてしまいそうになった。
詩織からメールがまた返されてきた。「それがね……。美味しい和菓子の有名なところなの。みたらし団子の発祥の地らしいよ」と、彼女は言葉を濁していた。
詩織は僕にとって大切な人だ。僕が写真の新人賞を取れたのも彼女のおかげだったと口にしても過言ではないだろう。彼女が幸せになることを心から願っていた。
詩織から、お薦めのデートスポットとして「
二本の木がひとつに結ばれ、子供の木が生えている。それは、縁結びや家庭円満にご利益があるという。
写真の奥には「糺の森(ただすのもり)」という清々しい原生林が見えた。賀茂川と高野川に囲まれた森で、古代から多くの樹木が育っているそうだ。昔から文学や歌謡に詠まれ、人々に憩いを提供する史跡でもあった。
写真や由来を見ていると、不思議なことに心を奪われてしまった。彼女が退院したら、この神社に連れて行きたくなっていた。
僕とあかねは、そのご神木のようにひとつになれるだろうか。その森のように永遠に結ばれるだろうか。そんなことを考えながら、詩織にお礼のメールを送った。
窓から聞こえる祇園囃子に耳を傾けた。コンチキチンというリズムは、京都の夏の風物詩だった。
そういえば、もうすぐに祇園祭が始まるのだ。この地で生きる人々にとっては、一年で一番のお祭りだ。まだ、始まっていないのに、きっと夏の暑さを吹き飛ばしてくれる、山鉾巡行や宵山に胸が高鳴るのだろう。京都の歴史や文化を感じられる祇園祭は、写真家の僕にとっても特別な被写体だった。
「あかね、祇園祭が近づいてきている」
思いつくまま、彼女にメールを送った。ところが、意外な返事が戻ってきた。
「うち、祇園祭は好かん。見とうあらへん」
あかねの言葉に、また新たな謎が生まれていた。いったい、彼女を覆う闇はどこまで深いものなのだろうか……。それ以上、祇園祭に関して尋ねても何も答えてくれなかった。僕はあかねのことをもっと知りたかった。
祇園祭は、京都の人々にとって大切なお祭りだ。でも、あかねは祇園祭を嫌っている。彼女には、祇園祭に関する辛い思い出があるのだろうか。僕には見えないあかねの心の傷が、祇園祭の音や香りに触れるたびに、痛むのだろうか……。
僕は、彼女の心の傷をそっと拭ってあげたかった。
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