十月と十日の間

 何ヶ月とという精度で正確な妊娠期間を算出する方法があるのか僕は知らない。知らないんだから、僕の言葉で記していいはずだ。だからその期間は十月と十日だったと強引に記す。そして十月十日は長い。その間、僕は妻の懐妊と同時に内在したあの問に考えを巡らせ続けていた。長い間。


 そしてその他のことについては記さない。たとえば妻の心身の変化について、変調について、苦しみについて、そして僕がそれに対してどう振るまうことを試みたか、とかそういうことについて僕がわざわざ記すのは違うと思うからそうしない。妻のうちにあったものは妻にしかわからないから僕の言葉では語れない。言い換えるなら、僕と妻はこの間「僕たち」であることが困難だった。当たり前だ。妻はこのとき、なによりも胎内の子と「私たち」だったんだから。


 だから僕は僕の言葉で僕の裡にあったものについて語る。そのために、僕は時間を遡る必要がある。この十月十日に対応する、むしろ呼応するあの十年間を、僕はここで僕の裡から引きずり出す。


 その十年間、僕は学習塾で働いている。

 前半の四年、僕は学生でありアルバイト講師として勤務する。

 後半の六年、僕は社員であり教室のサブ管理者として勤務する。


 この二つの時期には違うところがいくつもある。それらは雇用形態に、そして職能と権限に起因する。前半の期間の僕は講師をしている。直接生徒に授業をする。それ以外のことは概ねしていない。生徒は一〇歳から一五歳、つまり中学受験生と高校受験生で、一度に自分の両隣に生徒を座らせる。一対二の個別指導形式をとる。指導科目は国語と数学(算数)を中心に担当し、たまに社会の授業をすることもあった。そして後半の期間、そういう機会は科目を問わずめっきり減る。僕の勤務していた塾では、正社員の室長とそのサポートをする若手が中心となって「授業以外の業務」を回すことになっていたから。たとえば、生徒と先生のスケジュールを合わせ時間割を組む。たとえば、保護者との面談を行う。たとえば、生徒ごとの学習計画を作成する。たとえば、昨年度と今年度の実績を比較するような資料を作成する……これ以上微に入り細を穿つのは止めておくが、とにかく、そんなことをしている以上、授業の場に出る機会はめっきりと減る。そして生徒と話す機会より、その親と話すことが増える。


 しかし変わらないこともある。それは、生徒たちと関わることそれ自体がやりがい(これも抵抗を感じる言葉だが、やはり利便性を優先する)になっていたってことだ。ある生徒と――つまり子供と、一年なり二年なり、最長で六年の時間をともにする。その中で、勉強のこと以外にも実に多くのやりとりをする。ときには自身の親にさえ言わないような相談を受けることさえある。あるいは、直接的にこちらのプライベートを詮索する子もいる(それには応じようとする。少なくとも僕は)。結果として、多くの場合、僕はその子にとってかなり近しい距離にいることとなる。そして、彼ら彼女らは、子どもたちは、しばしばその期間で感動的なまでの変化を遂げる――


 いや、これじゃ違う。

 僕は主語の取り方を間違えている。


 、彼ら彼女らの変化に感動してしまう、と書くべきだ。その感動的な変化に。できなかったことができるように、やらずに済ませたかったことをやるようになる姿に。なにかに憧れることができるようになる姿に。だれかを慮ることができるようになる姿に。知らなかったことを知り、知りたいことがわかるようになる姿に。あるいは、それらの変化を通してもなお変わらないものを抱える姿に。


 ちょっと具体的に書く。ある生徒がいた。どうしようもなくわがままで、おしゃべりでおてんばで、言うことも聞かないし、目を離すとすぐにサボるような小学生だった。結局、第一志望の私立中学校には入れず、しかし入学した別の私立中学校で、彼女は尊敬できる先輩に出会う。それから見違えるように変化をする。「先生、きょう先輩がね」から始まる話を僕は週に何度も聞く。彼女の裡に、小学校の頃にはなかった動機モチベーションが生じているのを僕は感じる。彼女はやがて学年の成績上位層に食い込むようになり、かつては提出率の悪かった宿題も量が足りないとごねるまでになる。そうして、彼女の先輩がそうしていたように、留学に行くために塾を離れていった。その後、一年が過ぎて会いに来てくれた彼女の姿を初授業の一〇歳の姿から想像することができたひとはいないだろう。なによりそういう事実に、そのかけ離れた距離に僕は感動した。そしてそういうことは程度の差はあれ、多くの生徒に発生する。いや、多くの生徒を通して僕に発生する。感動は。


 これは危険な感動だ。

 これは危険な感動だ、と僕はわざわざ二度記す。


 僕には危惧していることが二つあるからだ。ひとつ、このような感動は、ある子供が僕の手によりなにかをできるようになったときに僕はその子がなにかをできなかったままの未来を奪い去っているのだ、という事実の持つ痛みをやわらげてしまうということ。ふたつ、このような感動はそもそも僕が講師として躊躇いなく手にすることのできる範囲の感動の枠を超えてしまうことがあるということ。


 わかりにくいだろうと思うから二つをまとめてこう言い換える。


 僕がもし、ある生徒の在り方を不可逆に変化させ、かつその子の親であるかのように衒いなく感動してしまっているのだとしたら、そこには二重に搾取が、錯誤があると僕は考える。そしてそれらはどちらも、僕が一切の抑制を行わなかった場合、まるで過干渉な親による過度な感情移入のごとき振る舞いに堕するだろう。


 それを避けるため、十年間、この点には抑制的であることを自分に強いてきた。

 僕は感動しすぎないように努めてきた。

 これを更に、より直接的に言い換える。

 

 僕はあの十年間、


 だから僕は時間を遡る必要があった。だからこの十月十日に対応し呼応するあの十年間を、僕はここで僕の裡から引きずり出した。間違いではなくほんとうに親になるにあたり、間違って親になってしまわないように生きてきた日々を。


 そして、問に戻る。

 父性はそもそも僕に内在するのか?

 

 それに僕は答える。あるに決まっているだろうが、と。そうでなかったら僕は十年間、あの感動と表裏一体の抑制を、葛藤を、抱え込むことなんてまったくなかったということになる。しかしそれは事実に即していない。僕にはそれがあった。間違って親になってしまいそうな心性があった。僕は子どもを導こうとしてしまう。僕は子どもが変化していくさまに感動を覚えてしまう。むしろ、おそらく多くの人より過剰にそうだ。それは僕が父ではなかったあの十年間にすでに内在していた。僕の裡にそれはあるし、あるからこそ抑制してきたのだし、それを僕は父性と呼ぶことに躊躇いはない。そして、気づく。


 僕は気づいた。


 あの十年間の葛藤が、だから父性が、僕の裡にあるとしたら、もしかしたら過剰にあるのだとしたら、どうだろう。きっと僕は僕の遺伝子に由来しない子どもの親になることができるはずだという結論が出るんじゃないか?


 ねえ、簡単に書いていると思わないでほしい。

 この結論に至るまでにはあの十年のあとのこの十月十日が流れている。


 その間に妻は臨月になり大きくお腹が膨れている。足の形が外からもわかるほどの力で蹴ることがあるのだという。僕もときどきそのお腹に触れる。動いたときにはそうだとわかる。そういうときにはやはり動いたと声を上げてしまうものだということも、わかる。そういった一つ一つの理解のたび、裡からあふれるものを感じる。愛――父性? 妻の裡に在るものが、君が、僕の裡にあるものをあふれさせる。だとしたら、その逆も可能なんじゃないかと僕は思う。そうして妻にそれを伝えると「そうよ。だって子どもは逆さまに生まれてくるんだから」と返事がある。即答で。僕はやはり敵わないなこれは、妻にはと思う。そしてまたひとつ、何事かを納得する。君はもうすぐ生まれてくる。逆さまに。



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