十月と十日の前

 僕の無精子症が発覚したのは僕たちが子供を持とうと決めて半年が過ぎた頃だった。妊活(という言葉にはどこか抵抗があるが今は便利さを優先する)が上手くいかないことに僕たちが不安を覚えるまではそのくらいがかかった。生じた不安と向き合うに当たり僕たちが最初に決めたのは、まずどちらに問題があるのかをはっきりさせることで、次にその結果についてどうだったとしても必ず前を向いて次の手を打つということだった。その約束は守られた。つまり妻は、僕のことを責めなかった。病院からの帰り道、「もっと早くわかってたらさあ、コンドーム代が浮いてたよね」と笑う姿に僕は本当に救われ、思わず「ありがとう」と口を衝いて出た。彼女は何も言わずにただそのまま笑っていてくれた。


 しかし、もちろん僕たちは二人が二人、とても困っていた。

 悲しんでいた。

 それに、ここに至るまでに、僕たちはすでに多くの準備を敷いていた。


 子供を持つ準備として、妻は産休取得を前提とした職場での業務内容整理に、もっと言えば周囲への(心理的な)根回しにも、長いこと腐心し続けていたし、僕は僕で今から二年も前には、今を見据えて転職をしていた。それまでの仕事は、子育てをするにはちょっと負荷が大きブラックすぎると判断して、辞めた。学生バイトから数えると十年続けた学習塾での仕事だった。このかつての仕事については、また後で書きたいことがあるのだが、今は措いておく。また、現職についてはここ以外では触れない。転職にあたり、育休取得に好意的であることを優先順位の一に置いていたことと、それはなんとか望ましい形で叶えられたことだけ記しておく。

 手狭だった以前の家から引っ越しもしていた。役所と総合病院が近いことを条件に、少し古めの団地だがリフォームの手がしっかり入っている今の家に引っ越した。とにもかくにも公的な書類の提出や通院などの雑事が多くなることだけは目に見えていたから、そうした。「きみは本当に嫌いだからね、お役所仕事のお相手」「でも、わたしはきっとあまり動けないから」「きみもさ、頑張ってね」そう言った妻の言葉は全て正しかったから、僕はまだ空っぽの新居のリビングで片膝を付いて、時が来たら必ず頑張るよ、と騎士の如く大袈裟な誓いを立て、それを受けた妻はなにもない床に転がって笑った。そして引っ越しに際し、場所を取るだけになってしまっていた趣味の物品アイテムの処分も進めた。換金できるものは換金し、そうでないものは残らず捨てた。これは僕たち二人ともそうで、一方的なものではなかった。もちろん貯金もつくっていかなければならなかった。僕たちは二人知恵を出し合いながら、節約生活を楽しもうと努力した。


 積み重ねがあった。だから、どういう形で前を向くのか考えなければならなかった。



 たとえば、僕の無精子症の治療を進めるのか?

 たとえば、養子を迎えることを検討するのか?



 あるいは――そのどちらでもない手段を、取るのか?


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